秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第六章 極東動乱編

107 意地の張り合い

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 皇都に帰ってきてから一週間近くが経っているが、「思い切り甘える」という宵との約束は未だ継続中のようであった。

「“戦争の時代が始まる”、ですか。私も対斉戦役は覚悟していますが、対ルーシー、対ヴィンランド戦役についても覚悟すべきなのでしょうね」

 寝所を共にしながら、以前と同じように景紀は寝る前にその日の出来事を宵に語っていた。
 ただここ数日、景紀の言葉を聞く宵の体は景紀の腕の中にあった。胡座をかいた景紀の膝の中に宵が座り、それを景紀が後ろから抱きすくめる形である。
 どうやら、あの将棋以来、宵の中ではこの抱きしめられ方が流行っているらしい。
 景紀と宵の体格差のために、彼女の体は景紀の腕の中にすっぽりと収まっていた。
 宵はどちらかというと甘え下手な少女だ。それが皇都に帰ってきて以来、ずっと景紀に甘える態度を取っている。
 そんな北国の少女の心の内を、景紀は察していた。
 今、彼女が言ったように、彼女自身も戦争を覚悟しているのだ。だから景紀が自分の側にいる内は、触れ合うことでその存在を確かめたいのだろう。

「まったく、そんなに戦争ばかり起こっていたら俺の隠居が遠のく一方だな」

 だから景紀は、宵を安心させるように以前から言っている願望を口にする。

「今回ばかりは、景紀様に同意します」宵は景紀の胸に背を預ける。「私が望むのは、民の暮らしの安寧です。戦争ばかり起こる国というのは、決して民にとって暮らし易いものではないでしょう」

「とはいえ、戦争か、それには至らないまでも軍の海外派兵ってのは皇国が戦国時代末期以来、ずっと行ってきたことだ。そうして勢力を拡大してきた先に、また別の勢力を拡大しようとする国に出くわして対立するってのは、ある意味では必然の帰結なのかもな」

「そして、将家がその矢面に立つのもまた、歴史の必然なのでしょうね」

「少なくとも、俺ら武士は戦争を生業にして食ってきた人間たちだ。今更、それを投げ出すわけにもいかないさ」

 景紀は宵を不安がらせないように、気負いなく言った。そもそも、彼は自分が出陣することには納得している。

「床入りの儀で見せてくれたお前の覚悟ほどじゃないが、俺も将家の人間だ。戦の時に活躍することを期待されて家禄を貰ってそれなりの生活を送っているんだ。家禄分の働きはしなきゃならん」

「ふふっ、そういうところ、本当に律儀ですね」

「俺は俺の意地を通そうとしているだけだ」

 微笑むように紡がれた宵の言葉に、景紀は素っ気なく応じる。宵の高尚な覚悟に比べたら、自分の意地など子供じみたものでしかない。

「ならば、私も私の意地を通しますよ」

 だが、宵は景紀の“意地”という言葉が気に入ったようだった。

「私は、あなたを支えると誓いました。その誓いに従って、内地で景紀様不在の家を守りましょう。それが、私の意地の通し方です」

「そいつは頼もしいな」

 小さく笑って、景紀は宵を抱きしめる力をほんの少しだけ強くした。

「ただし、それがそれほど簡単なことでないことを、お前のことだから理解しているんだろう?」

 先ほどの宵の言葉には、頑固にも聞こえる力強さが宿っていた。彼女なりの覚悟が、そこに見えた。

「はい」

 宵は生真面目な声で頷いた。
 景紀が後ろから宵を抱きすくめるという体勢に反して、交わされる言葉は夫婦のそれではなく、政治的同盟者のそれであった。

「景忠公が出陣されない以上、結城家の政務全般を取り仕切っているのは依然として公です。そして、万が一、景紀様が出陣されている最中に公が再び倒れられた場合、久様が領内の家臣団を統制する立場になられるでしょう」

 それが、戦国時代以来の将家の伝統ともいえるものであった。
 平時の将家の政務は当主が執り、その正室は家の奥向きのこと(家政、特に侍女など女衆の統率)を担当する。そして、当主の不在時は妻が家臣団を統制する。次期当主たる嫡男が成人していればその限りではないが、今回、景紀は出征することがほぼ確実である。やはり、結城家内における宵の行動は重要であった。

「とはいえ、正直なところ母上は政治経験がほとんどない。あまり政治に関心がないというか、子供で生き残ったのが俺だけということもあって、少し呪術や宗教に傾倒している面もある」

 それは以前、宵が初めて久と会った際に抱いた印象であった。

「だからまあ、里見が母上にはあまり政務に関わらせないようにしている。はっきり言って、この判断だけは俺も里見の奴を全面的に支持する」

 景紀の声には、少しだけ苦々しいものが混じっていた。

「それに母上はどうも、病の後遺症が残る父上の日常生活を支えるので手一杯だろう。そうなるとやっぱり宵が我が家を巡る政治の表舞台に立つことになるだろうが、その際、警戒すべきはやっぱり里見の奴だろう。で、だ、宵」

「はい」

「お前の政治上の弱点は何だと思う?」

「やはり、経験の浅さ、でしょうか?」

 景紀とのこうした問答をどこか懐かしく感じながら、宵は答えた。

「いや、お前はそこまで経験が浅いわけじゃないだろ? 列侯会議中は冬花と一緒に議会対策資料をまとめてくれたり、東北巡遊じゃあ俺と一緒に振興策の立案や実行に当たっていたんだ。だいたい、俺だって本格的に政務全般に携わったのは父上が倒れてからだから、俺と宵じゃあ、政務の経験の差は半年くらいしか違わないはずだ」

「私と景紀様では、受けてきた教育自体も違うと思うのですが?」

「そこはほら、お前が毎日のように書庫に籠って行政文書やら何やらを手当たり次第に読み漁ることで埋めているだろう?」

 当然のことのように言われ、宵はいささか恐縮してしまった。景紀は、そこまで自分を評価してくれていたのか。

「この際、問題となるのは、お前に家臣と呼べる存在が付いていないことだ。別に、俺にとっての冬花みたいな存在って意味じゃないぞ? もっと単純に、結城家家臣団に対するお前自身の影響力のことだ」

 宵には世話役として結城家筆頭家老・益永忠胤の妻・済が付いているが、あくまでも身の回りの世話をする人間であり、政治的な意味での家臣ではない。
 佐薙家という実家の後ろ盾も、宵にはない。父である佐薙成親は景紀と宵によって失脚させられ、佐薙家自体が力を失ってしまったからだ。
 彼女にとって唯一の確固たる権力基盤は、結城家次期当主・景紀の正室であるという、ただそれだけなのだ。

「じゃあ、今の結城家の現状を考えて、俺が不在中、お前が一番手っ取り早く家臣団への影響力を拡大出来る方法って、何だと思う?」

「……」

 景紀の腕の中に収まりながら、宵は黙考した。

「……重臣の皆様と、景忠公の間を取り持つこと、でしょうか?」

 皇都に帰ってきて宵が思ったことだが、景紀が当主代理を務めていた頃と違って、景忠公と重臣の間で政策全般に対する情報共有が疎かになっているように見受けられるのだ。
 六家会議の議事録が家臣団の間で供覧に回されるのも、冬花が補佐官を務めていた時期に比べて遅くなっていた。景忠公が政務をされるのに議事録が必要、という理由を付けて、里見善光が議事録の供覧を遅らせているのだ。
 これは、景忠公の側用人である里見善光が結城家内の政務全般に関する情報を統括しているために発生したものだろう。彼は側用人としての立場を利用し、主君たる景忠公周辺の情報を統制することで、政策決定過程における自身の影響力の強化、そして重臣たちの影響力低下を狙っているのだ。
 本来であれば当主の補佐官として、当主と重臣たちの間の調整役となるべき側用人であるが、このように主君周辺の情報を統制することで重臣以上の政治的影響力を発揮する事例は、歴史上、何度も見られたことであった。
 恐らく、景紀が出陣して結城家を不在にすることになれば、里見善光は今以上に自身の政治的影響力を拡大しようとするだろう。彼自身、昨年に景忠公が倒れたことで自身の権力基盤が危うくなった経験から、自らの側用人としての地位を維持することにある種の焦りを感じているに違いない。

「済殿は筆頭家老・忠胤様の妻でらっしゃいますから、済殿を通して私に公爵閣下への取り次ぎを願う者も出てくるでしょう」

 現状、病の後遺症によって景忠の健康状態が万全ではないという理由で、里見善光が公への接見者を制限・選別しているという。
 ただし、流石に家臣でしかない里見には、景忠とその家族が会うことを制限することは出来ない。当主とその家族に関する奥向きのことに関する権限まで、里見が握っているわけではないのだ。

「私が上手く重臣の皆様の不満を処理出来れば、それだけで重臣の皆様への私の影響力を拡大できると思います」

「ああ、そうだな。ただし、そういう宵の立場を利用して、里見とはまた別に父上やお前に取り入ろうとする輩もいるだろうから、そこは気を付けろ」

「判っています。ただ問題は、里見殿と私の対立が深まらないか、という点だと思いますが?」

「いや、その可能性は低い」景紀は断言した。「里見がやるとしても、お前に監視役となる侍女なんかをつけようとする辺りだろう。あの男にとって、最大の政敵は父上亡き後に俺の側用人になる冬花だからな」

 “なるだろう”ではなく、“なる”と確言しているあたりに、宵は景紀の冬花に対する信頼の深さを見た。

「陽鮮に行く前にも話題になったが、里見が目指すのはお前と冬花の分断だろう。あいつはお前を取り込んで、冬花を追い出す方向に持っていきたいはずだ。だから監視役としてつけられる人間も、冬花に反感を持っている奴を選んでくる可能性が高い」

「景紀様の寵を受ける冬花様が私にとっての脅威であると、吹き込もうとするわけですね?」

「まあ、そういう方向性で来るだろうな」

「私は景紀様と冬花様の関係に納得していますので、ご安心を」

 景紀の声に苦い響きが混じっているのを感じて、宵ははっきりと言い切った。もちろん、冬花に対する嫉妬の感情がまるっきりないとは言い切れない。貴通という男装の少女にだってある。しかし、自分は自分なりに景紀との絆を深めればいいという思いがあることもまた事実なのだ。
 それに、景紀の正室は自分だ。
 冬花はシキガミとして、貴通は幕下として、それぞれ景紀を独占している。
 自分たち三人は、それぞれ違う分野で景紀を独占しているのだ。
 だから宵の中で、冬花や貴通に対する嫉妬が互いの対立を生み出すまでに高まることはない。

「お前はちょっと健気過ぎるなぁ」

 愛おしさと申し訳なさがない交ぜになった声を出して、景紀は宵の首筋に顔をうずめた。

「なんつぅか、お前に気ぃ遣わせてる俺が情けなく思えてきた。我が儘言って良いって言ったっての俺なのになぁ……」

 自分の発言が景紀の心のどこかを抉ってしまったらしく、宵は苦笑しながら手を回して夫の頭を撫でた。

「別に、冬花様に遠慮しているわけではないですよ」何となく慰める口調になりながら、宵は続けた。「ほら、今こうして、景紀様を独占しているじゃありませんか?」

 殿方の髪の感触ってこんな感じなのだな、と思いながら北国の姫君は少年の髪を撫でていく。

「私にも景紀様のご寵愛を分けて下されば、それで満足なのです」

 父であった佐薙成親のように、正室を蔑ろにして特定の側室だけを寵愛するような人間もいる。それに比べれば、景紀は随分と自分の側にいる女性たちに気を遣っていると思う。
 宵としては自分を変わらずに大切だと思ってくれているのなら、景紀が側室や愛妾を抱えることは別に構わないのだ。

「だから、里見殿の言葉に耳を貸すことはありませんよ」

「ありがとうな」

 宵の首筋に顔をうずめたまま、少しだけ情けない声で景紀は言った。
 これではどちらがどちらに甘えているのか判らないな。宵は優しく景紀の髪を梳きながら、そんなことを思った。
 あの冬の二人だけの茶会の時に決意したように、自分は彼が甘えられる人間になれているだろうか?

「……ところで、一つだけ気になることが」

 そんな自分の内心を脇に置きつつ、宵は問うた。

「私が家臣団への統制を強固なものにすればするほど、いずれ当主となるべき景紀様と私との間で政治権力の分裂が広がっていくのでは?」

 その懸念に対する景紀の答えは、実にあっさりとしたものだった。

「問題ない。俺が不在だからと家臣団や分家の中で不穏な動きをする奴が出てくるよりは、宵がそういった連中にまで睨みを利かせられるだけの権力を掌握してくれて一向に構わん。お前はお前で、実現したい未来があるんだろう?」

 床入りの儀の時に語った、故郷の民が安寧に暮らせる未来の実現。今はその思いが故郷の嶺奥国以外にも向けられているが、宵の中にある根本的な思いは変わらない。
 それを景紀は認めてくれているのだ。
 それが宵には嬉しくもあり、面はゆくもあった。

「何だったら、俺が当主になったら隠居に追いやって結城家の全権を掌握してくれてもいいんだぜ?」

 からかうように耳元で紡がれた景紀の言葉。

「もう、景紀様は相変わらずですね」

 呆れたような甘い声を、宵は出す。

「隠居するその日までは、私が望む未来を見られるよう頑張って下さるのではなかったのですか?」

 それは、まだ宵が景紀に嫁いだばかりの頃、嶺州鉄道問題を話し合った時に景紀が言ってくれた言葉だ。

「あー、それを言われると弱いな……」

 景紀は本当に弱った声を出した。彼にとっては、それもまた“意地”なのだろう。
 宵はくすりと小さく笑って、少年の膝の中でくるりと姿勢を入れ替えた。両手で布団をついて上体を支えながら、景紀の顔を見上げる。

「ですから、それが実現されるその日までは、頑張って下さいね?」

 少しだけ蠱惑的な笑みを浮かべて、宵は発破をかけるようにそう言った。
 そんな少女の表情と声に、景紀は諦めたような、困ったような苦笑を浮かべて、彼女の体を優しく抱きしめた。

「……ほんと、お前にはいつも負かされてる気がするよ」

 夏の暑さとは違う、互いの心地よい体温をしばし二人は確かめ合っていた。
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