秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第六章 極東動乱編

102 兵部省への報告

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 七月三十一日の昼頃、響関を出発した汽車は皇都中央駅へと到着した。
 すでに駅には兵部省の回した馬車が到着しており、御者は景紀に兵部大臣からの出頭命令を伝えた。景紀はそれに応じると、貴通に命じて団員たちを率いて先に練兵場に向かうように言った。
 自らを菊水隊と名乗っている軍事視察団は未だ解散されていないため、解散の命令が下るまでは練兵場で待機しているしかないのだ。
 景紀は冬花を従えて兵部省に向かい、宵に関しては鉄之介、八重と共に皇都の結城家屋敷に帰るよう言いつけた。





 宮城の外堀を一周する大通りに面して建てられた兵部省庁舎は、天守閣を思わせる帝冠様式の建築物であった。
 中央棟が兵部省で、両側の棟がそれぞれ陸軍棟、海軍棟と呼ばれ、陸軍軍監本部、海軍軍令本部が入っている。
 冬花と伴って出頭した景紀は、兵部大臣執務室に通された。
 兵部大臣・坂東友三郎大将は、痩身長躯の学者然とした風貌の軍人であった。彼は没落した将家家臣団重臣の子であり、六家の影響力の強い陸軍には入らず、海軍に入隊して大将位まで上り詰めた生粋の海軍軍人であった。
 坂東友三郎を兵部大臣に就けたのは有馬頼朋翁の策動であるが、他の六家からも大きな反対なく大臣に就任出来たのは、軍政面で優れた能力を持っていたことの他に、この軍人が陸軍(換言すれば六家)のどの派閥にも属していない中立派軍人であるという点も大きかった。

「結城景紀陸軍中佐、ご命令により只今出頭いたしました」

 将校用制帽を脇に抱え、景紀は一礼する。斜め後ろには、何故か共に入室を求められた冬花がいた。

「陽鮮での任務ご苦労」執務机の向こうにいる坂東大臣が、そう労う。「倭館の邦人に一人の死傷者なく、また視察団団員に一人の戦死者も出さなかったことを、大臣として評価したい」

「はっ、ありがとうございます。しかし、それは兵士たちの奮戦と呪術師たちの協力、そして海軍陸戦隊の救援があってこそのものです」

「ふむ、六家次期当主として自らの功を誇らぬのだな?」

 どこか面白がるように、細面の兵部大臣は言った。

「小官は事実を申し上げたまでであります」

「なるほど、謙虚でよろしい。貴官とならば、少し話が出来そうだ」

 坂東大将は満足げに頷いた。

「ああ、貴官の従者を務める陰陽師殿とも、少し話をしたかったのだ」大臣の視線が、冬花に向く。「葛葉冬花と言ったな? 貴殿は軍人でも軍属でもない。私と同じ士族の人間だ。そう畏まる必要はない」

「私は、景紀様にお仕えする身ですので」

 そう言って、冬花は一礼した。
 つまり、主君が大臣に対して礼を尽くしている以上、自分もそれに倣うと言っているのだ。

「さて、報告書の提出は後ほど受けるが、正直なところ、今更陽鮮軍の実態を報告されたところであまり意味がない情勢となってしまった。むしろ視察団としての報告よりも、私は貴殿らが持ち帰った戦訓の方に注目したいと思っている」

「その点につきましては、帰りの汽車の中で穂積少佐と共に議論したところであります」景紀は言った。「今はまだ筆記帳に走り書きした程度のものしかありませんが、後ほど、正式な上申書として提出させていただきます」

「仕事が早くて結構」

 坂東大臣は満足げに頷いた。

「結城中佐、貴官は有馬翁から我が国の対東亜政策について何か聞かされているはずだ。私が貴官と葛葉殿を呼んだのは、まさしくその点についてだ。まだ帰国したばかりで、皇都や東アジアの情勢も上手く掴めていないだろうから、私の方から説明させてもらう。ああ、恐らくは六家内部の動向については有馬翁閣下から聞かされると思うので、そちらを参考にせよ」

 そう言って、兵部大臣・坂東友三郎は、帯城での騒乱が発生して以後の国内外の情勢を景紀と冬花に簡潔に聞かせてみせた。
 まず、対陽鮮外交については、景紀たちが仁宗国王を保護したものの、政権は事実上崩壊して江蘭島程度しか支配出来ていない現状から、全面的な見直しが必要になったとのことであった。今後は、仁宗国王から簒奪者・李欽を鎮圧するための皇国軍の派遣や武器弾薬の輸出などの要請を出させることが目標となるだろう。もちろん、その対価として王世子派鎮圧後の皇国の半島での利権確保を狙う。
 しかし問題は、斉軍の半島侵入という事態であった。
 帯城倭館、元峯倭館からの引き揚げが行われたため、半島に侵入した斉軍の詳しい動向は今に至るまで、皇国は把握出来ていなかった。
 しかしいずれにせよ、皇国としては仁宗国王を支援して王世子派と彼らの後ろ盾となっているであろう斉軍を半島より排除する必要があった。

「つまり、対斉開戦がいよいよ現実味を増してきたというわけだ」

 兵部大臣はそう言って、さらに説明を続けた。
 一方、東アジア以外に目を向ければ、マフムート帝国内の民族運動にルーシー帝国が介入の姿勢を見せると共に、皇国に対する牽制のためか皇国領氷州とルーシー領西シビルア境界線の付近でルーシー軍の動きが活発化しているという。このため、氷州巡遊中の長尾家当主・憲隆は氷州軍の統制のために本国に帰れなくなり、その影響は六家会議にも出始めているとのことである。
 ルーシー帝国の南下政策に晒されているマフムート帝国については、すでにアルビオン連合王国が支援する構えを見せており、兵部省内でも義勇軍の派兵を検討し始めていた。この義勇兵は主に牢人を集めて編成しようとするもので、国内の牢人問題・匪賊問題をマフムート、ルーシー両帝国の紛争を利用して解決しようと目論むものであった。

「現在、中央大陸の随所で紛争の火種が燻っておる。皇国も陽鮮半島への介入を初めてしまった以上、この世界情勢とは無縁ではいられまい」

 陽鮮に出発する前の景紀と同じ思いを、この兵部大臣も抱いているようであった。

「国内では例の敦義門事件以来、陽鮮を断乎膺懲し、さらには斉にも旧態依然たる華夷秩序を改めさせて、皇国主導の東亜新秩序を築くのだという世論が広がりを見せている」

「その件について、小官から一点、申し上げたいことが」

「言ってみよ」

 発言の許可を受けた景紀は、自分たちが貞英公主と共に撮影した画像を用いた世論誘導策を語った。貞英公主をあえて擾乱に呑み込まれた悲運の王女として報道し、それを秋津人が救い、彼女もまた帯城倭館の邦人を救い出すために尽力したという部分を脚色することで、国内の反陽鮮感情を反王世子感情にすり替えることを狙った策である。

「……ふむ、それを使えば一定程度、膺懲論を抑えることが出来るか。まあ、新聞検閲を担当している内務省とよく協議する必要があろうが」

 景紀の話を聞いた兵部大臣は、思案顔になりながら頷いた。

「ひとまず、皇国を取り巻く情勢は今言った通りだ。その上で、結城中佐と葛葉殿に尋ねたいことがある。もし対斉開戦確実となりたる場合、我が軍は国内の呪術師をどの程度、動員すべきだと考える? 倭館防衛の経験から、忌憚のない意見を聞かせてもらいたい」

 つまり、冬花をこの場に同席させたのはこのためか、と景紀は思った。
 自分と貴通が戦場における呪術師の役割について論じたくらいだ。冬花の呪術通信で帯城の情報を逐一得ていた兵部省も、そうした点について注目することに、何ら不思議はない。

「お言葉ですが閣下、彼女ほどの霊力を誇る呪術師は国内でも少数ですし、彼女を基準にして考えることは誤りの元かと。呪術通信は陸軍よりも海軍の方で積極的に用いられておりますし、呪術の軍事的利用については海軍の出身であられる閣下の方がお詳しいのでは?」

「確かに、軍の術者は家を継げない次男坊、三男坊が多い。加えて優秀な術者を宮内省や将家が抑えていることも事実だ。だが、戦時における人的資源の有効活用という点から考えれば、国内で術者を遊ばせておく必然性はあるまい?」

 戦国時代の軍役状制度(農民を足軽として徴兵した制度)を元にした皇国の徴兵制度では、いくつかの徴兵免除規定が存在していた。
 まず、官吏を始めとする中央や地方の役人、官立・公立学校生徒、外国留学中の学生、国から技能を認められた技術者と技術を習得中の徒弟、医師・薬師やそれを養成する学校の生徒、農民や商人といった平民の長男などが徴兵を免除されていた。
 平民の長男に対する徴兵免除は、基本的には農村の生産力をある程度維持することを目的としたものである。また、技術者の徴兵免除は、戦国時代に各大名たちが鉄砲鍛冶師などを保護していた名残であった。
 一方、軍役状制度が元になった徴兵制度であるため、華族・士族に関する徴兵規定が皇国には存在していなかった。ただし、将家華族およびその家臣団たる士族は、基本的には自ら志願して兵学寮や教導団(下士官を養成するための組織で、各地に存在する)に入ることが慣習となっていた。これは、戦国時代以来の気風を受け継いだ武士階級の間で、実質的な不文律となっている。
 とはいえ、士族階級の中でも代々将家において官吏系統の役職を担っている家系、あるいはかつて馬廻衆(戦国時代の親衛隊的存在)を務めていた家系などは現在でも主家の守護、警護を務めているものあることから、家臣団の男子すべてが軍人となるわけではないのもまた事実であった。兵学寮ではなく学士院に進んだ冬花の弟・鉄之介などは、こうした軍人とならない家臣団の一人に当たる。
 こうした皇国の徴兵制度の中には、当然、呪術師に関する規定も含まれていた。
 それは、三代以上呪術師を輩出した家系の長男である。呪術師もまたある種の技術者として認められ、その技能を次代に受け継がせるために徴兵が免除されているのである。
 このため、国内には宮内省御霊部や将家家臣団に所属する呪術師以外にも、一定数の呪術師が軍に所属せずに存在しているのであった。

「閣下、よろしいでしょうか?」

 冬花が、一歩前に出た。

「うむ、忌憚のない意見をと言ったのは私だからな」

「それでは、僭越ながら呪術師としての観点から申し上げさせていただきます。国民国家における国民の均質化という点から見まして、呪術師ほどこれに適さない人種はいないと思います」

 近代国民国家は、国民全体の能力を均質化しようとする傾向にある。教育制度や徴兵制度などはその最たるもので、教育は国民の能力・学力を一定以上に保つ役割を持ち、徴兵制度はそうして均質化された国民が存在するからこそ成り立つものだといえる。近代戦とは武芸に秀でた武士同士の一騎打ちなどという個人の武勇ではなく、組織の力によって行うものなのだ。

「呪術師は一人一人で霊力量が違いますので、まず能力の均質化という点で問題があります。爆裂術式を何発も撃てる呪術師と、霊力波による呪術通信がやっとという術者が混在していては、軍にとっても使い勝手が悪いでしょう。また、呪術師はそれぞれに得意とする系統の術が違います。今回、私が受けた任務のように、徴用した呪術師による通信隊を編成するのは問題ないと思いますが、それ以上となりますと、軍の制度そのものを呪術師のために変更する必要性も出てくるかと」

「対斉開戦が現実味を帯びているこの情勢下で、わざわざ呪術師のためだけに様々な制度を変えている余裕はない、か」

 坂東友三郎は、冬花の言葉に納得したように頷いた。

「当面は、現行の制度で呪術師を運用するしかないようだな」

「閣下、小官からも一点」景紀が言う。「個々人の技量に左右される呪術師よりも、無線電信技術の開発促進など、呪術師の役割を他の技術で代用する方針をとるべきかと」

「なるほど、貴殿らの意見は参考になった」坂東大臣は頷いた。「結城中佐、先ほど言っていた上申書、可及的速やかに提出するように。葛葉殿の活躍で、軍内部でも呪術師の運用について議論が活発化していてな。呪術を知らぬ者の机上の空論に振り回されるよりも、呪術をよく知る者の一言の方が重みがある」

「はっ、了解いたしました」

「それと、貴官も自覚しているだろうが、六家や軍部には貴官を快く思わぬ者がいる」

 大臣の口調は、決して責めるものではなかった。

「はい、承知しております」

「此度の擾乱に際して貴官が発した引き揚げの具申、それを敢闘精神に欠けた臆病風に吹かれたものだという批難、陽鮮国王の安否確認と救出作戦を行わなかったことに対する命令不服従、そういったことを言う輩がいる」

「閣下、小官はあの場において邦人保護のための最善の策を具申しただけでありますし、陽鮮国王の安否確認と救出は『可能ナレハ』という条件付きでありました。そして、小官の手元に邦人保護と国王救出を両立させるための兵力は与えられておりませんでした」

「それは、私も理解している」

 景紀の口調には、自己弁護というよりも、現場から離れた場所で現場の状況を無視した命令を送って来た者たちへの明確な批難が含まれていた。
 坂東大臣は、六家次期当主の中佐に理解を示すように頷いた。

「だが、そういう連中がいることについて、大臣として警告しておかねばならぬ」

「ご配慮、感謝いたします」

 すっと景紀は頭を下げた。

「そして問題なのは、貴官への批難を行う者の中に結城家の関係者もいるということだ」

 その言葉に、景紀と冬花の表情が一瞬だけ反応した。

「帯城倭館の全邦人を無事脱出させるという戦功を挙げた貴官であるが、家に帰っても批難されるというのは、いささか不憫に思えるのだ。せめてその心構えだけでもしておいたほうが良かろうと思い、言わせてもらった」

「重ねて、感謝申し上げます」

 恐らくは、父・景忠の側用人である里見善光あたりの策動か。景紀は内心で舌打ちをしながら、もう一度大臣に向けて頭を下げた。

「私からは以上だ。人事局から、正式に視察団解散の辞令が出ているはずだ。それを受け取って、団員は原隊へ復帰するよう伝達したまえ」

「はっ、かしこまりました」

 景紀は一礼して執務室を出る。冬花がそれに続いた。
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