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第五章 擾乱の半島編
83 王位簒奪の余波
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皇暦八三五年七月二十二日。
前日から上がっていた帯城城内の煙は、未だ収まる気配を見せていなかった。
「……」
倭館の屋根に上って、景紀は双眼鏡で帯城の様子を確認していた。その横では、同じように貴通と若林曹長が帯城の様子を眺めている。
「こりゃあ、国王は暴動の鎮圧に失敗したな」
「ええ、暴動発生から今日で三日目。未だ収まる気配を見せていないとなると、そう判断せざるを得ませんね」
景紀の呟きに、貴通が応じた。
「して、中佐殿の式神殿の報告では何と?」
若林曹長が問う。彼は冬花が式を使って帯城城内の様子を探っていることを知らされていた。
「城内では立派な邸宅の打ち壊しが頻発しているらしい。恐らく、役人や豪商の家が襲われているな。それと、暴兵の一部が王宮や離宮を取り囲んでいるらしい。とはいえ、判るのはそこまでだな」
「王宮や離宮を取り囲んでいるということは、国王か有力な王族相手に強訴でもするつもりですかな?」
「まあ、この状況を見ただけでも、現国王の求心力のなさがはっきりするな」
皮肉げに、景紀は応じた。
三人は、現政権に帯城城内での暴動を鎮圧する能力なしということで一致した見解を見せている。問題は、この暴動の行方がどうなるかということであった。
フランク王国のように民衆が王政を打倒してしまうのか、それとも現国王・仁宗が退位して新たな国王が即位することで民衆を宥めようとするのか。
皇国でも一揆や打ち壊しといった民衆による暴動の経験は無数に存在する。大勢の民衆による暴動は政権側にとって脅威であるし、民衆自身も一度始まった暴力の奔流を制御することは難しい。
そして、王宮だけでなく離宮を取り囲んでいるというのも奇妙だ。暴兵の一部が太上王・康祖の復位を請願しようとしているのだろうか?
もしこの暴動に、政変を目論んでいるという攘夷派勢力が合流すれば、太上王の復位は簡単に実現するだろう。そうなれば、電信敷設交渉は破綻し、外務省の望む通商条約の締結という目標も達成出来ないだろう。
とはいえ、もし太上王が復位したとしても、その後の情勢を見通すのは困難だ。太上王・康祖は攘夷論者ではあるが、だからこそ旧来的な華夷秩序内での交易は容認していた。彼が復位したからといって、ただちに秋津人の排斥が行われるかどうかは、まだ予測がつかないのだ。
「中佐殿、我々はどのように対応すべきですかな?」
「基本的方針に変更はない。こちらから手出しすることはしない。あくまで、自衛的行動に徹する。兵たちには苦労をかけることになるが」
「まあ、予防的な攻撃を行おうにも、こうも情勢が混沌としていては何を目標にすれば判りませんからな。情勢の推移を見極めるという意味でも、団長殿のご判断は妥当でしょう」
「兵の様子はどうだ? 変に不満は溜まっていないか?」
「問題ありませんな」当然とばかりに、若林曹長は答えた。「こちらから行動に打って出ようなどと言い出す連中はおりません。まあ、五〇に満たぬこの兵力では、自衛的行動以外は出来そうもありませんからな。彼らも不用意な行動はすべきではないと、判っているのです」
「助かる」
「いえ、兵をまとめるのが我ら下士官の役目ですので」
恭しく、若林曹長は言った。
「現状のところ」貴通が言う。「倭館の各門の防備は整えています。特に正門の防備は厳重にしていますので、多少の暴徒が押し寄せたところで対応は出来ます」
「まあ、どれくらいの暴徒が押し寄せてくるかを悩んだって、今以上の対応がとれるわけじゃない」
「まったく、倭館が帯城内になかったことは不幸中の幸いですな」
若林曹長が安堵と皮肉を交えた声で言った。城内に倭館が存在していれば、防衛はより困難であったろう。城門と城壁に囲まれているため、脱出すら難しい。
「むしろ問題は、本国の対応だろう。兵部省からの具体的な指令は、二十日夜の隠忍自重命令が最後だ。外務省の方からも、帯城での暴動の詳報を求める通信以外は入ってこない。最善は引揚命令を出すことなんだろうが、その気配がまるでない」
「やはり、皇都の人たちは介入の頃合いを見計らっているんでしょうね」
辟易として、貴通が応じる。
「だろうな」景紀は頷いた。「とはいえ、こちらの立場としては引き揚げの意見具申はしなければならない。無責任に情勢の推移に身を任せていては、怠惰の誹りを免れ得ないだろうからな」
「しかし、捨て石とはいえ、中佐殿は六家次期当主です」若林曹長が言う。「まさかこちらが全滅するまで、本国は何の指令も寄越さないということはないのでは?」
「そもそもだ、曹長。そんな危険な任務に次期当主を放り込むか?」景紀は唇を歪めた。「その時点で、一部の人間の連中の考えることは判りそうなものだが?」
「まさか、中佐殿を陽鮮人に始末させるためにここに送り込んだとでも?」
「はははははっ、何だ曹長? 今更そんなことに気付いたのか?」
口では笑っているが、この少年の目がまったく笑っていないことに、貴通も若林も気付いていた。
「俺は、色々な人間から嫌われていてな。俺が陽鮮で死ねば、嫌な奴も消えて介入の口実も出来て万々歳。そんな連中がいるのさ」
「……もちろん、自分は万が一の情勢となれば自国民保護の任に全力を尽くすつもりでおります」
十歳以上年下の上官の内にほの暗い感情が宿っていることを悟りながら、若林は言った。
「しかし、それはあくまでも援軍を見込んでのことでありました。古来、援軍の望みなく籠城戦を全う出来た軍は存在いたしません。それなのに、本国は我々が全滅するまで派兵を一切しない可能性があるというのですか?」
「すべては政治だ、曹長」嗤うように口を歪ませて、景紀は若林の懸念に応じた。「国内の征鮮論者たちは陽鮮出兵の口実を求め、外務省は華夷秩序外交の変革を求め、そして頼朋翁は介入の時期を見定めようとしている。誰も彼もが、実は半島での動乱を欲しているのだ」
「いったい、何のために?」
「皇国が東亜の情勢において主導的立場を確立するためだ」景紀は断じた。「だからこそ、誰も彼もが大義名分を求める。俺たちは、そのための道具に過ぎんというわけさ」
「……何とも、迷惑な話でありますな」
諧謔と諦観の交じり合った声と共に、若林曹長は溜息をついた。
「だが、安心しろ」景紀は、そんな部下にどこか不敵に笑ってみせる。「俺は、誰かの道具になってむざむざと死ぬつもりはない。そんな死に方は、冗談じゃねぇ。そのために、俺は冬花と貴通を連れてきたんだ」
隣でそれを聞かされていた貴通は、少しだけ恥じらうように目線を伏せた。
「まあ、中佐殿がその意気であらせられるなら、我々はそれに従うまでですよ」
若林は下士官としての実直そうな声で応じた。少なくとも、この少年ならば土壇場になっても狼狽えることはないだろうと、上官に対する安心感を覚えていた。
「景紀様」
その声と共に、屋根にかけてあった梯子からひょいと宵が顔を出した。
「どうした?」
「館長と使節団の間で暴動に対する対処法について意見が分かれておりまして、景紀様のご意見も伺いたいとのことです」
「……まだまとまらないのか」
呆れ気味に、景紀は言った。
今、冬花は帯城城内に放った式のもたらした情報と、本国との間の通信の処理に追われており、妖狐の聴力を用いて館内の者たちを探るだけの余裕がなくなっていた。そのため、景紀も館内で誰がどのような意見を唱えているのかを把握出来なくなっていたのである。
「はい、館長は慎重派で、一方の使節団の者たちは領事官職務規則に基づく海軍部隊の派遣を要請すべきと主張して、まとまりがつかなくなっています」
「ったく、本国がしっかりとした訓令を出さないからこういうことになる」景紀はぼやいた。「判った。今行く」
「お願いいたします」
屋根の淵から、宵の顔が下がる。そのまま梯子を下りていったのだ。
「と、いうわけだが」景紀は貴通と若林曹長を振り返った。「俺は、最善は引き揚げ、次善は海軍部隊の派遣要請だと思っている。ただ事態の推移を見守るだけだと、情勢が急激に悪化した場合に対処が遅れるからな」
「それでよろしいかと」貴通が、景紀の意見に頷いた。「最低でも、海軍部隊の派遣要請だけは出すべきでしょう。その方向で、館長を説得すべきかと」
「自分も穂積少佐殿と同意見です」若林曹長が言う。「暴徒がここに押し寄せてから海軍部隊の派遣を要請しては、間に合いません。帯城は海から距離もありますし」
「じゃあ、ちょっと館長たちのところに行ってくる。何か情勢の変化があれば、すぐに知らせてくれ」
そう伝えて、景紀はするすると梯子を降りていった。
◇◇◇
陽鮮風の板敷きの間に舶来物の調度品などが置かれた館長室では、深見館長、森田首席全権、広瀬次席全権の三人が激論を交わし合っていた。
「深見館長、陽鮮政府がこの騒擾を鎮圧する力を失ったのは明白なる事実だ。ただちに、海軍部隊の派遣を要請していただきたい」
冬花の治癒魔術によって傷の完全に癒えた森田首席全権が、そう深見館長に迫る。
「まだ騒擾は城内で収まっている。この倭館にまで危機が迫っているとは考えがたい」一方の深見真鋤館長は、慎重姿勢を崩していない。「ここで我が国が不用意に陸戦隊を上陸させれば、陽鮮側を刺激し暴動の矛先をこちらに向けかねない。海岸線までは、最も近いところで二〇キロはある。不用意な強硬策には賛同出来ない」
「すでに首席全権閣下は陽鮮人に斬り付けられ、倭館には賊が侵入しているのですぞ」叩き付けるように、次席全権の広瀬信弘が言う。「館長の情勢認識は楽観的に過ぎると言わざるを得ません。陽鮮の王子・王女殿下の身柄の安全を確保するためにも、海軍部隊の派遣は必須でしょう」
「両殿下の安全を確保すべきは陽鮮側であり、我々が“安全を確保するため”として両殿下をお連れするのはれっきとした内政干渉、王族を誘拐したとの誹りは免れ得ぬであろう」
「その陽鮮側は、すでに両殿下の安全を確保する余力はないと見るべきでしょう」森田首席全権が言う。「お二人がなおも倭館に留まっているのがその証拠。これは、陽鮮国王から両殿下の保護を我が皇国に委任されたと解釈すべきです」
「それは貴殿らの勝手な解釈だ」ぴしゃりと、強い口調で深見館長は反論する。「いずれ城内の情勢が収まれば、両殿下は王宮にお帰りになられる。貴殿らの意見は、徒に皇国と陽鮮王国との間に争乱の種を蒔こうとするものだ。私は、秋鮮友好のためにこの館の館長を任ぜられたのだ。それに反するような行為を、とるわけにはいかん」
「いったい、館長はどこの国の代表であられるのか」広瀬次席全権の苛立った声が、室内に響く。「その言い草は、まるで皇国臣民ではなく倭館駐在陽鮮人の如きものですぞ」
「両国間の友好関係樹立のためには、現地の人々の心に寄り添うことが大切だ。そのような侮辱的発言は慎まれよ」
館長と二人の全権の視線が、鋭く激突し合う。両者の意見は平行線であり、怒鳴り合いに発展しそうなほどに険悪な空気が館長室に充満していた。
「お話中失礼。結城景紀、参りました」
そうした肌を刺すような空気を無視して、景紀は部屋へと入った。
「ああ、結城殿」
三人の視線が、一斉に若い六家次期当主に向く。
「今後の対応について、貴官の意見を伺いたいのだ」
「はっ、小官としては帯城倭館に居留する者全員の引き揚げが妥当であると考えます」
深見館長の問いに、景紀は端的に答えた。
「それは本国から許可が出ていない現状では、不可能だ」
景紀が状況を認識していないと考えたのか、森田全権が指摘する。
「判っております」景紀は平然と応じた。「あくまで、意見を求められましたので最善の策を申し上げただけです」
「では、次善の策は何だと考える?」
「領事官職務規則に基づく、海軍部隊の派遣要請です」
「結城中佐」苦みを堪える声で、深見館長が言う。「貴官は以前、海軍の出動を要請する状況ではないとの私の意見に賛同していたのではなかったのか?」
「首席全権閣下が敦義門で斬られた時よりも、状況は悪化しております。意見が変化するのは、当然のことでしょう」
景紀は深見真鋤館長の難しい立場を理解しつつも、はっきりと言い切った。
この公使的存在の外交官は、陽鮮王国との友好と国益の増進という二つの目標の間で板挟みに遭っているのだ。隣国との友好が国益に繋がる場合は良いのだが、そうでない事態が訪れると、途端に二律背反に陥ってしまうのである。
それでも、国益の増進を第一に考えられる外交官ならば葛藤はないのだろうが、生憎と深見館長は両国の友好関係を維持したいと考えているようだ。少なくともその表情を見る限り、数百年続く倭館の歴史を自分の代で終わらせてしまうことに対して、両国の先人たちに対して申し訳ない思いを抱いているように察せられる。
秋津皇国と陽鮮王国が常に友好関係にあったとは言えないが、それでも安定した交隣関係を数百年にわたって試行錯誤しながら維持してきたことは事実だろう。
海軍部隊の派遣要請は、即座に両国が戦争状態に陥るわけではないが、それでも外交の敗北に近い結果だろう。長年、現地で両国間関係の維持に努めてきた館長にとってみれば、認めがたいのかもしれない。
一方の全権代表たちは、そもそもが華夷秩序を脱することを目指している外交官たちなので、交隣関係という華夷秩序の範囲内の外交関係が破綻することに、それほど抵抗を覚えないのかもしれない。
「結城中佐、貴官は陽鮮との間に武力衝突が発生した場合、倭館の者たちを守り切る自信があるのかね?」
若者が血気に逸っているのではないかと心配するような、館長の声。
「軍人の役目とは、国土の防衛と国民の生命・財産の保護であります。そのお言葉は、皇国陸軍に対する侮辱であります」
明確に答えず、景紀は無理矢理に反論を封じるような言い方をする。正直、館長と全権代表たちの論争に付き合いたくなかったのだ。
「少なくとも、今は帯城の混乱は城壁内に収まっています。この隙に、海軍部隊の派遣を要請すると共に、我々も倭館を脱出。海岸にて陸戦隊と合流すれば、恐らく最小限度の損害で引き揚げが可能でしょう。暴兵・暴民が倭館を包囲するような事態となってからでは、手遅れになります」
「熙王子殿下、貞英公主殿下はどうする?」
「当然、安全のためにお連れ申し上げます。如何に我が国臣民でないとはいえ、王子殿下と姫殿下を見捨てたとあっては、皇国陸軍末代までの恥ですから」
「……」
深見館長は、孤立無援であった。
だが、景紀は同情を覚えない。こちらにはこちらの任務があるし、館長には館長の役割があると割り切っている。
深見館長は机の上で組んだ手の上に顎を乗せて瞑目し、眉間に皺を寄せていた。決断が下せずに、懊悩しているのだろう。
最悪、景紀は軍は外務省の指揮下にはないという理由で、独自の行動を取る覚悟でいた。他人に運命を委ねるくらいならば、自分でどうにかしようと考えているのだ。冬花や貴通といった、頼れる人間を連れてきたのもそのためだ。
と、不意に部屋の扉が叩かれた。心なしか、乱雑な叩き方であった。
「金です。お話中失礼いたします」
そして、扉の把手を回して金光護が入ってくる。その傍らには、貞英公主がいた。金は切迫した表情で、貞英は悲痛そうな表情であった。
「先ほど、京畿監営から緊急の使者がやって来ました。王都にて、王世子・李欽殿下による伝教が発せられ、これよりすべての政務は自分が執ると各地に使者を送り始めたようです」
「伝教とは、つまりは勅命であったと記憶しているが?」
不可解そうに、深見館長が尋ねた。
「はい、その通りです。王世子殿下が伝教を発されることは、通常ではあり得ぬことです。つまり……」
『簒奪じゃ! 兄上は、父上から王位を奪ったのじゃ!』
貞英の陽鮮語の叫びが響く。
「簒奪です」金は秋津語で説明した。「王都で政変が発生し、仁宗陛下は行方不明。京畿監営でも詳しい情報は判らず、混乱が広がっております。ただ、王世子殿下は『斥邪討倭』を唱えているようで、倭館の警備を厳重にするようにと、監営からの使者は申しておりました」
「監営から警備の兵を派遣していただくことは出来ないのですか?」
深見館長が縋るように尋ねた。
倭館も皇国からすれば在外公館である以上、受入国はその安全を保障する義務がある。これが国際条約として明文化されるのはまだ先の話ではあるが、少なくとも国際慣習法としてはこの時代でも十分に確立された概念であった。
陽鮮がそうした西洋生まれの外交慣習を理解しているとは思えなかったが、それでも倭館警備の責任は陽鮮側にも存在する。だからこそ、深見館長はそう尋ねたのである。
「残念ですが、監営内には城内の暴動に合流しようとする兵もいるようで、彼らを抑えるので手一杯のようです」
金が力なく首を振り、部屋の中に一瞬の沈黙が降りる。
それは驚きで思考が停止してしまった者、今後の情勢について判断を下そうと思考を巡らせている者、双方が黙ってしまったからだ。
「深見館長」
短く思考を終えた景紀が、鋭く言った。
「陽鮮側が我が国臣民の保護の任をまっとう出来ないと認めた以上、直ちに領事官職務規則に基づく海軍部隊の派遣および倭館からの引き揚げ許可の要請をすべきです。併せて、皇国として王位の簒奪は容認出来ないとの声明を発するべきでしょう。小官からの意見は以上です」
景紀はそう言うと、今度は貞英と金に向き直った。
「公主殿下と金殿に、少し手伝って欲しいことがあります。ひとまず、宵の部屋に行って下さい。部下たちに一通りの指示を下し終わったら、俺もそちらに向かいます」
「あ、ああ」
『う、うむ』
言葉こそ丁寧だが、有無を言わせぬ景紀の気迫に、二人の陽鮮人は気圧されたように頷いた。
「では、小官は失礼いたします」
景紀はさっと敬礼すると、部屋を駆け出していった。
「……くそっ、手遅れにならなきゃいいが」
冬花のところに向かいながら、景紀は一人罵る。
王位簒奪という蛮行。そして、国王の生死は不明であるが、第二王子と第一王女の身柄はこちらの手の中にある。頼朋翁が欲していた介入の口実が、最も望ましい形で見事に転がり込んできた格好である。
後は、アルビオン連合王国などの国際世論を味方に付け、半島情勢に介入する。
まさしく、皇国にとって政治的好機である。
「だが、そんなことは俺の知ったことではない」
皇都の連中にとっての好機は、こちらにとっての危機である。
あるいは帯城で暴動が起こったと判明した直後に海軍部隊の派遣を要請していれば、もう少し余裕のある行動をとれたかもしれないが、今となっては詮無い話だ。
ただちに冬花に陽鮮王宮で発生した事件を本国に送信するように指示を下し、一方で倭館が襲撃された場合および脱出の際の経路などを想定した命令を下さなければならない。
王世子が斥邪討倭を唱えている以上、この場所が襲われないということなど、あり得ないだろう。
だが、今ならばまだ辛うじて間に合うはずだ。どこからの邪魔も入らなければ、の話ではあるが。
「くそっ、頼むから外務省も兵部省も、こっちの意見具申を素直に聞き入れてくれよ」
それが儚い祈りであったと気付かされるのは、この日の夕刻のことであった。
『発、兵部大臣。宛、軍事視察団長。陽鮮国王ノ安否ニ付至急確認サレ度。生存ノ場合、貴部隊ハ可能ナレハ救出作戦ヲ行フヘシ。尚引揚援護ノ為ノ海軍部隊ハ現在出動準備中。貴部隊ハ別命アル迄倭館防衛ニ努メラレ度』
前日から上がっていた帯城城内の煙は、未だ収まる気配を見せていなかった。
「……」
倭館の屋根に上って、景紀は双眼鏡で帯城の様子を確認していた。その横では、同じように貴通と若林曹長が帯城の様子を眺めている。
「こりゃあ、国王は暴動の鎮圧に失敗したな」
「ええ、暴動発生から今日で三日目。未だ収まる気配を見せていないとなると、そう判断せざるを得ませんね」
景紀の呟きに、貴通が応じた。
「して、中佐殿の式神殿の報告では何と?」
若林曹長が問う。彼は冬花が式を使って帯城城内の様子を探っていることを知らされていた。
「城内では立派な邸宅の打ち壊しが頻発しているらしい。恐らく、役人や豪商の家が襲われているな。それと、暴兵の一部が王宮や離宮を取り囲んでいるらしい。とはいえ、判るのはそこまでだな」
「王宮や離宮を取り囲んでいるということは、国王か有力な王族相手に強訴でもするつもりですかな?」
「まあ、この状況を見ただけでも、現国王の求心力のなさがはっきりするな」
皮肉げに、景紀は応じた。
三人は、現政権に帯城城内での暴動を鎮圧する能力なしということで一致した見解を見せている。問題は、この暴動の行方がどうなるかということであった。
フランク王国のように民衆が王政を打倒してしまうのか、それとも現国王・仁宗が退位して新たな国王が即位することで民衆を宥めようとするのか。
皇国でも一揆や打ち壊しといった民衆による暴動の経験は無数に存在する。大勢の民衆による暴動は政権側にとって脅威であるし、民衆自身も一度始まった暴力の奔流を制御することは難しい。
そして、王宮だけでなく離宮を取り囲んでいるというのも奇妙だ。暴兵の一部が太上王・康祖の復位を請願しようとしているのだろうか?
もしこの暴動に、政変を目論んでいるという攘夷派勢力が合流すれば、太上王の復位は簡単に実現するだろう。そうなれば、電信敷設交渉は破綻し、外務省の望む通商条約の締結という目標も達成出来ないだろう。
とはいえ、もし太上王が復位したとしても、その後の情勢を見通すのは困難だ。太上王・康祖は攘夷論者ではあるが、だからこそ旧来的な華夷秩序内での交易は容認していた。彼が復位したからといって、ただちに秋津人の排斥が行われるかどうかは、まだ予測がつかないのだ。
「中佐殿、我々はどのように対応すべきですかな?」
「基本的方針に変更はない。こちらから手出しすることはしない。あくまで、自衛的行動に徹する。兵たちには苦労をかけることになるが」
「まあ、予防的な攻撃を行おうにも、こうも情勢が混沌としていては何を目標にすれば判りませんからな。情勢の推移を見極めるという意味でも、団長殿のご判断は妥当でしょう」
「兵の様子はどうだ? 変に不満は溜まっていないか?」
「問題ありませんな」当然とばかりに、若林曹長は答えた。「こちらから行動に打って出ようなどと言い出す連中はおりません。まあ、五〇に満たぬこの兵力では、自衛的行動以外は出来そうもありませんからな。彼らも不用意な行動はすべきではないと、判っているのです」
「助かる」
「いえ、兵をまとめるのが我ら下士官の役目ですので」
恭しく、若林曹長は言った。
「現状のところ」貴通が言う。「倭館の各門の防備は整えています。特に正門の防備は厳重にしていますので、多少の暴徒が押し寄せたところで対応は出来ます」
「まあ、どれくらいの暴徒が押し寄せてくるかを悩んだって、今以上の対応がとれるわけじゃない」
「まったく、倭館が帯城内になかったことは不幸中の幸いですな」
若林曹長が安堵と皮肉を交えた声で言った。城内に倭館が存在していれば、防衛はより困難であったろう。城門と城壁に囲まれているため、脱出すら難しい。
「むしろ問題は、本国の対応だろう。兵部省からの具体的な指令は、二十日夜の隠忍自重命令が最後だ。外務省の方からも、帯城での暴動の詳報を求める通信以外は入ってこない。最善は引揚命令を出すことなんだろうが、その気配がまるでない」
「やはり、皇都の人たちは介入の頃合いを見計らっているんでしょうね」
辟易として、貴通が応じる。
「だろうな」景紀は頷いた。「とはいえ、こちらの立場としては引き揚げの意見具申はしなければならない。無責任に情勢の推移に身を任せていては、怠惰の誹りを免れ得ないだろうからな」
「しかし、捨て石とはいえ、中佐殿は六家次期当主です」若林曹長が言う。「まさかこちらが全滅するまで、本国は何の指令も寄越さないということはないのでは?」
「そもそもだ、曹長。そんな危険な任務に次期当主を放り込むか?」景紀は唇を歪めた。「その時点で、一部の人間の連中の考えることは判りそうなものだが?」
「まさか、中佐殿を陽鮮人に始末させるためにここに送り込んだとでも?」
「はははははっ、何だ曹長? 今更そんなことに気付いたのか?」
口では笑っているが、この少年の目がまったく笑っていないことに、貴通も若林も気付いていた。
「俺は、色々な人間から嫌われていてな。俺が陽鮮で死ねば、嫌な奴も消えて介入の口実も出来て万々歳。そんな連中がいるのさ」
「……もちろん、自分は万が一の情勢となれば自国民保護の任に全力を尽くすつもりでおります」
十歳以上年下の上官の内にほの暗い感情が宿っていることを悟りながら、若林は言った。
「しかし、それはあくまでも援軍を見込んでのことでありました。古来、援軍の望みなく籠城戦を全う出来た軍は存在いたしません。それなのに、本国は我々が全滅するまで派兵を一切しない可能性があるというのですか?」
「すべては政治だ、曹長」嗤うように口を歪ませて、景紀は若林の懸念に応じた。「国内の征鮮論者たちは陽鮮出兵の口実を求め、外務省は華夷秩序外交の変革を求め、そして頼朋翁は介入の時期を見定めようとしている。誰も彼もが、実は半島での動乱を欲しているのだ」
「いったい、何のために?」
「皇国が東亜の情勢において主導的立場を確立するためだ」景紀は断じた。「だからこそ、誰も彼もが大義名分を求める。俺たちは、そのための道具に過ぎんというわけさ」
「……何とも、迷惑な話でありますな」
諧謔と諦観の交じり合った声と共に、若林曹長は溜息をついた。
「だが、安心しろ」景紀は、そんな部下にどこか不敵に笑ってみせる。「俺は、誰かの道具になってむざむざと死ぬつもりはない。そんな死に方は、冗談じゃねぇ。そのために、俺は冬花と貴通を連れてきたんだ」
隣でそれを聞かされていた貴通は、少しだけ恥じらうように目線を伏せた。
「まあ、中佐殿がその意気であらせられるなら、我々はそれに従うまでですよ」
若林は下士官としての実直そうな声で応じた。少なくとも、この少年ならば土壇場になっても狼狽えることはないだろうと、上官に対する安心感を覚えていた。
「景紀様」
その声と共に、屋根にかけてあった梯子からひょいと宵が顔を出した。
「どうした?」
「館長と使節団の間で暴動に対する対処法について意見が分かれておりまして、景紀様のご意見も伺いたいとのことです」
「……まだまとまらないのか」
呆れ気味に、景紀は言った。
今、冬花は帯城城内に放った式のもたらした情報と、本国との間の通信の処理に追われており、妖狐の聴力を用いて館内の者たちを探るだけの余裕がなくなっていた。そのため、景紀も館内で誰がどのような意見を唱えているのかを把握出来なくなっていたのである。
「はい、館長は慎重派で、一方の使節団の者たちは領事官職務規則に基づく海軍部隊の派遣を要請すべきと主張して、まとまりがつかなくなっています」
「ったく、本国がしっかりとした訓令を出さないからこういうことになる」景紀はぼやいた。「判った。今行く」
「お願いいたします」
屋根の淵から、宵の顔が下がる。そのまま梯子を下りていったのだ。
「と、いうわけだが」景紀は貴通と若林曹長を振り返った。「俺は、最善は引き揚げ、次善は海軍部隊の派遣要請だと思っている。ただ事態の推移を見守るだけだと、情勢が急激に悪化した場合に対処が遅れるからな」
「それでよろしいかと」貴通が、景紀の意見に頷いた。「最低でも、海軍部隊の派遣要請だけは出すべきでしょう。その方向で、館長を説得すべきかと」
「自分も穂積少佐殿と同意見です」若林曹長が言う。「暴徒がここに押し寄せてから海軍部隊の派遣を要請しては、間に合いません。帯城は海から距離もありますし」
「じゃあ、ちょっと館長たちのところに行ってくる。何か情勢の変化があれば、すぐに知らせてくれ」
そう伝えて、景紀はするすると梯子を降りていった。
◇◇◇
陽鮮風の板敷きの間に舶来物の調度品などが置かれた館長室では、深見館長、森田首席全権、広瀬次席全権の三人が激論を交わし合っていた。
「深見館長、陽鮮政府がこの騒擾を鎮圧する力を失ったのは明白なる事実だ。ただちに、海軍部隊の派遣を要請していただきたい」
冬花の治癒魔術によって傷の完全に癒えた森田首席全権が、そう深見館長に迫る。
「まだ騒擾は城内で収まっている。この倭館にまで危機が迫っているとは考えがたい」一方の深見真鋤館長は、慎重姿勢を崩していない。「ここで我が国が不用意に陸戦隊を上陸させれば、陽鮮側を刺激し暴動の矛先をこちらに向けかねない。海岸線までは、最も近いところで二〇キロはある。不用意な強硬策には賛同出来ない」
「すでに首席全権閣下は陽鮮人に斬り付けられ、倭館には賊が侵入しているのですぞ」叩き付けるように、次席全権の広瀬信弘が言う。「館長の情勢認識は楽観的に過ぎると言わざるを得ません。陽鮮の王子・王女殿下の身柄の安全を確保するためにも、海軍部隊の派遣は必須でしょう」
「両殿下の安全を確保すべきは陽鮮側であり、我々が“安全を確保するため”として両殿下をお連れするのはれっきとした内政干渉、王族を誘拐したとの誹りは免れ得ぬであろう」
「その陽鮮側は、すでに両殿下の安全を確保する余力はないと見るべきでしょう」森田首席全権が言う。「お二人がなおも倭館に留まっているのがその証拠。これは、陽鮮国王から両殿下の保護を我が皇国に委任されたと解釈すべきです」
「それは貴殿らの勝手な解釈だ」ぴしゃりと、強い口調で深見館長は反論する。「いずれ城内の情勢が収まれば、両殿下は王宮にお帰りになられる。貴殿らの意見は、徒に皇国と陽鮮王国との間に争乱の種を蒔こうとするものだ。私は、秋鮮友好のためにこの館の館長を任ぜられたのだ。それに反するような行為を、とるわけにはいかん」
「いったい、館長はどこの国の代表であられるのか」広瀬次席全権の苛立った声が、室内に響く。「その言い草は、まるで皇国臣民ではなく倭館駐在陽鮮人の如きものですぞ」
「両国間の友好関係樹立のためには、現地の人々の心に寄り添うことが大切だ。そのような侮辱的発言は慎まれよ」
館長と二人の全権の視線が、鋭く激突し合う。両者の意見は平行線であり、怒鳴り合いに発展しそうなほどに険悪な空気が館長室に充満していた。
「お話中失礼。結城景紀、参りました」
そうした肌を刺すような空気を無視して、景紀は部屋へと入った。
「ああ、結城殿」
三人の視線が、一斉に若い六家次期当主に向く。
「今後の対応について、貴官の意見を伺いたいのだ」
「はっ、小官としては帯城倭館に居留する者全員の引き揚げが妥当であると考えます」
深見館長の問いに、景紀は端的に答えた。
「それは本国から許可が出ていない現状では、不可能だ」
景紀が状況を認識していないと考えたのか、森田全権が指摘する。
「判っております」景紀は平然と応じた。「あくまで、意見を求められましたので最善の策を申し上げただけです」
「では、次善の策は何だと考える?」
「領事官職務規則に基づく、海軍部隊の派遣要請です」
「結城中佐」苦みを堪える声で、深見館長が言う。「貴官は以前、海軍の出動を要請する状況ではないとの私の意見に賛同していたのではなかったのか?」
「首席全権閣下が敦義門で斬られた時よりも、状況は悪化しております。意見が変化するのは、当然のことでしょう」
景紀は深見真鋤館長の難しい立場を理解しつつも、はっきりと言い切った。
この公使的存在の外交官は、陽鮮王国との友好と国益の増進という二つの目標の間で板挟みに遭っているのだ。隣国との友好が国益に繋がる場合は良いのだが、そうでない事態が訪れると、途端に二律背反に陥ってしまうのである。
それでも、国益の増進を第一に考えられる外交官ならば葛藤はないのだろうが、生憎と深見館長は両国の友好関係を維持したいと考えているようだ。少なくともその表情を見る限り、数百年続く倭館の歴史を自分の代で終わらせてしまうことに対して、両国の先人たちに対して申し訳ない思いを抱いているように察せられる。
秋津皇国と陽鮮王国が常に友好関係にあったとは言えないが、それでも安定した交隣関係を数百年にわたって試行錯誤しながら維持してきたことは事実だろう。
海軍部隊の派遣要請は、即座に両国が戦争状態に陥るわけではないが、それでも外交の敗北に近い結果だろう。長年、現地で両国間関係の維持に努めてきた館長にとってみれば、認めがたいのかもしれない。
一方の全権代表たちは、そもそもが華夷秩序を脱することを目指している外交官たちなので、交隣関係という華夷秩序の範囲内の外交関係が破綻することに、それほど抵抗を覚えないのかもしれない。
「結城中佐、貴官は陽鮮との間に武力衝突が発生した場合、倭館の者たちを守り切る自信があるのかね?」
若者が血気に逸っているのではないかと心配するような、館長の声。
「軍人の役目とは、国土の防衛と国民の生命・財産の保護であります。そのお言葉は、皇国陸軍に対する侮辱であります」
明確に答えず、景紀は無理矢理に反論を封じるような言い方をする。正直、館長と全権代表たちの論争に付き合いたくなかったのだ。
「少なくとも、今は帯城の混乱は城壁内に収まっています。この隙に、海軍部隊の派遣を要請すると共に、我々も倭館を脱出。海岸にて陸戦隊と合流すれば、恐らく最小限度の損害で引き揚げが可能でしょう。暴兵・暴民が倭館を包囲するような事態となってからでは、手遅れになります」
「熙王子殿下、貞英公主殿下はどうする?」
「当然、安全のためにお連れ申し上げます。如何に我が国臣民でないとはいえ、王子殿下と姫殿下を見捨てたとあっては、皇国陸軍末代までの恥ですから」
「……」
深見館長は、孤立無援であった。
だが、景紀は同情を覚えない。こちらにはこちらの任務があるし、館長には館長の役割があると割り切っている。
深見館長は机の上で組んだ手の上に顎を乗せて瞑目し、眉間に皺を寄せていた。決断が下せずに、懊悩しているのだろう。
最悪、景紀は軍は外務省の指揮下にはないという理由で、独自の行動を取る覚悟でいた。他人に運命を委ねるくらいならば、自分でどうにかしようと考えているのだ。冬花や貴通といった、頼れる人間を連れてきたのもそのためだ。
と、不意に部屋の扉が叩かれた。心なしか、乱雑な叩き方であった。
「金です。お話中失礼いたします」
そして、扉の把手を回して金光護が入ってくる。その傍らには、貞英公主がいた。金は切迫した表情で、貞英は悲痛そうな表情であった。
「先ほど、京畿監営から緊急の使者がやって来ました。王都にて、王世子・李欽殿下による伝教が発せられ、これよりすべての政務は自分が執ると各地に使者を送り始めたようです」
「伝教とは、つまりは勅命であったと記憶しているが?」
不可解そうに、深見館長が尋ねた。
「はい、その通りです。王世子殿下が伝教を発されることは、通常ではあり得ぬことです。つまり……」
『簒奪じゃ! 兄上は、父上から王位を奪ったのじゃ!』
貞英の陽鮮語の叫びが響く。
「簒奪です」金は秋津語で説明した。「王都で政変が発生し、仁宗陛下は行方不明。京畿監営でも詳しい情報は判らず、混乱が広がっております。ただ、王世子殿下は『斥邪討倭』を唱えているようで、倭館の警備を厳重にするようにと、監営からの使者は申しておりました」
「監営から警備の兵を派遣していただくことは出来ないのですか?」
深見館長が縋るように尋ねた。
倭館も皇国からすれば在外公館である以上、受入国はその安全を保障する義務がある。これが国際条約として明文化されるのはまだ先の話ではあるが、少なくとも国際慣習法としてはこの時代でも十分に確立された概念であった。
陽鮮がそうした西洋生まれの外交慣習を理解しているとは思えなかったが、それでも倭館警備の責任は陽鮮側にも存在する。だからこそ、深見館長はそう尋ねたのである。
「残念ですが、監営内には城内の暴動に合流しようとする兵もいるようで、彼らを抑えるので手一杯のようです」
金が力なく首を振り、部屋の中に一瞬の沈黙が降りる。
それは驚きで思考が停止してしまった者、今後の情勢について判断を下そうと思考を巡らせている者、双方が黙ってしまったからだ。
「深見館長」
短く思考を終えた景紀が、鋭く言った。
「陽鮮側が我が国臣民の保護の任をまっとう出来ないと認めた以上、直ちに領事官職務規則に基づく海軍部隊の派遣および倭館からの引き揚げ許可の要請をすべきです。併せて、皇国として王位の簒奪は容認出来ないとの声明を発するべきでしょう。小官からの意見は以上です」
景紀はそう言うと、今度は貞英と金に向き直った。
「公主殿下と金殿に、少し手伝って欲しいことがあります。ひとまず、宵の部屋に行って下さい。部下たちに一通りの指示を下し終わったら、俺もそちらに向かいます」
「あ、ああ」
『う、うむ』
言葉こそ丁寧だが、有無を言わせぬ景紀の気迫に、二人の陽鮮人は気圧されたように頷いた。
「では、小官は失礼いたします」
景紀はさっと敬礼すると、部屋を駆け出していった。
「……くそっ、手遅れにならなきゃいいが」
冬花のところに向かいながら、景紀は一人罵る。
王位簒奪という蛮行。そして、国王の生死は不明であるが、第二王子と第一王女の身柄はこちらの手の中にある。頼朋翁が欲していた介入の口実が、最も望ましい形で見事に転がり込んできた格好である。
後は、アルビオン連合王国などの国際世論を味方に付け、半島情勢に介入する。
まさしく、皇国にとって政治的好機である。
「だが、そんなことは俺の知ったことではない」
皇都の連中にとっての好機は、こちらにとっての危機である。
あるいは帯城で暴動が起こったと判明した直後に海軍部隊の派遣を要請していれば、もう少し余裕のある行動をとれたかもしれないが、今となっては詮無い話だ。
ただちに冬花に陽鮮王宮で発生した事件を本国に送信するように指示を下し、一方で倭館が襲撃された場合および脱出の際の経路などを想定した命令を下さなければならない。
王世子が斥邪討倭を唱えている以上、この場所が襲われないということなど、あり得ないだろう。
だが、今ならばまだ辛うじて間に合うはずだ。どこからの邪魔も入らなければ、の話ではあるが。
「くそっ、頼むから外務省も兵部省も、こっちの意見具申を素直に聞き入れてくれよ」
それが儚い祈りであったと気付かされるのは、この日の夕刻のことであった。
『発、兵部大臣。宛、軍事視察団長。陽鮮国王ノ安否ニ付至急確認サレ度。生存ノ場合、貴部隊ハ可能ナレハ救出作戦ヲ行フヘシ。尚引揚援護ノ為ノ海軍部隊ハ現在出動準備中。貴部隊ハ別命アル迄倭館防衛ニ努メラレ度』
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