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第四章 半島の暗雲編
72 王都到着
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東萊倭館を出た電信敷設交渉使節団一行は、国王の派遣した使者に導かれ、街道沿いに北上して帯城を目指していた。
「……まったく、大名行列かっての」
いささか辟易しながら言ったのは、景紀であった。皇国陸軍の軍服は着ておらず、羽織袴に家紋の付いた陣笠という、いささか古めかしく感じる装いをしていた。
「まあ、これが帯城へ向かう使節の伝統的な儀礼だから、仕方ないんじゃない?」
景紀と同じような格好をした冬花が、宥めるように言う。袴姿の冬花を見るのは、女子学士院在学時以来かもしれない。
帯城へと向かう使節団一行は、景紀率いる軍事視察団を警護役として、皇国ではほとんど見かけなくなった大名行列さながらの伝統的隊列を組んで進んでいた。
皇国ではかつて、列侯会議に出席する諸侯たちが自らの権勢を示すために多くの随員を連れて上京したという歴史があり、これを大名行列と呼んでいたが、今ではほぼ消滅している。
消滅の理由は、鉄道の敷設といった交通事情の劇的な変化よりも、行列の華美さを巡って将家間で競争が発生してしまったことが大きい。六家はこれに歯止めを掛けるべく、行列の人員や服装などの規定を細かく定め、結果として大名行列は衰退していった。
そして、鉄道の敷設による交通事情の変化が、大名行列に止めを刺した。
そうした大名行列と似たような行列を、景紀を含む使節団は作っているのである。
もちろん、行列を構成しているのは使節団と軍事視察団だけではない。東萊倭館から、国王への献上品や帯城倭館の日常消耗品などの輸送などを担う人夫なども連れてきている(なお、帯城倭館に納入する物資に紛れて景紀ら軍事視察団のための弾薬も輸送していた)。
行列はこれら人員と馬、そして使節団の長を務める首席全権代表(陽鮮側の言い方をすれば正使)などを乗せた籠などから構成されていた。
景紀の部下である若林曹長らも、軍服ではなく羽織袴姿で銃を担いでいる。近世と近代が入り混じる、なんともちぐはぐな行列であった。
「正直、まだ軍事視察団の団長で助かったかもな。全権代表なんか、王都で面倒臭そうな儀式がたくさん待っていそうだ」
秋津皇国と陽鮮王国の関係は結局のところ自国の主観的価値観を満足させるために存在していると、景紀はうんざりした思いを抱いていた。
どちらの国も、自国が相手よりも優越していると信じているのだ。
陽鮮王国は華夷秩序という思想によって東夷である秋津皇国よりも文明的・文化的に優れた国であると自認しており、秋津皇国は軍事力や産業化といった国力から自国の方が優れていると自負している。
価値観の基準がそもそも違うため、こうした認識の齟齬が今でも続いている。そもそも、互いに相手国のことを深く理解しようとしていないのだ。つまり、相互に価値観の断絶が存在する。
その意味では、両国間の関係を倭館を拠点とした交易中心とした両国の先人たちの知恵は、そうした価値観の断絶に現実的な解決を与えたものであるといえよう。
しかし、交通・通信技術の発達と西洋列強の東洋進出は、そうした両国間の関係を交易だけに留めておくことを難しくしていた。
もしかしたら、自分たちが旧来的な両国間関係における、最後の使節団になるかもしれないな。
そんなことを、景紀は考えていた。
「面倒臭いという観点で言えば、お互い様じゃない?」
そして、主君たる少年の影響もあるのか、冬花もまた両国間関係を冷めた目で見ているようであった。
「向こうは向こうで、通信使が古式ゆかしい行列を作って上京してくるわけだし」
「いや、よくこんなことを数百年単位で続けていこうという気になるよな」
「出たわ、景紀のものぐさ発言」冬花は苦笑を浮かべた。「とはいえ、その数百年続く伝統のお陰で、少なくとも東洋の国際秩序は保たれていたわけだから、そう悪い制度ではないはずよ」
「どうだかな」
景紀は、いささか懐疑的であった。
「その伝統の所為で、外交関係はかなり硬直化しちまってる。交易を極端に制限したことが倭寇やアヘン戦争といった海賊行為や密貿易の遠因となったことも考えれば、もう少し柔軟性を持ってもいい気がするんだが」
「それは交易を中心に考えたがるうちの国や西洋の価値観ね。斉や陽鮮はまた別の理論で外交を考えているわよ」
「そう考えると、俺らの国は華夷秩序からすればだいぶ異端なんだよな。それも昨日今日に始まったところじゃなくて、古代に大王が皇主の称号を用い始めた頃からだから、だいぶ価値観の断絶は根深い問題だよな」
「それでも何とか上手く関係を保ってきたんだから、このまま何事もなく交渉がまとまればいいと思うのは、楽観的過ぎるかしら?」
「俺も、正直何事もなく帰国出来ればいいと思っている」
冬花の言葉に、景紀は硬い言葉で応じた。
「だが、情勢を過度に楽観視して後で痛い目を見るのはごめんだ。こうもきな臭い情報が集まっている以上、俺は面倒事が起こる前提でいくつもりだ」
「了解。私も、気を引き締めて掛かるわ」
「すまん。こんなところまでお前を連れてくることになって」
「いいわよ。景紀と一緒なら、異国だろうが極地だろうが、例え地獄だって付いていくわ。だって、私はあなたのシキガミだもの」
冬花の言葉には、少しも躊躇いというものがなかった。
地獄に堕ちるのは自分だけで十分だと景紀は思いつつも、それでも彼女はどこまでも自分に付いてこようとするのだろうなと、嬉しくもどこか悲しい感情が湧き上がってくる。
彼女をシキガミとして縛り付けてしまった自分がそう思うのは、多分偽善なのだろうが……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
陽鮮王国王都・帯城は、石造りの城壁に囲まれた城塞都市であった。
この地は周囲を四つの山に囲まれた盆地であり、都の南方には帯江と呼ばれる川が流れ、風水によって「陽」の地とされる帯江北側に壮麗な王宮・景徳宮が築かれている。
城壁には「四大門」と「四小門」という八つの門が設けられ、王都を訪れる者たちにその威容を誇っていた。
帯城倭館はこうした城壁内には設置されず、西大門にあたる「敦義門」の外側に建てられていた。高台に置かれた倭館の北側には「西池」と呼ばれる蓮池があり、二〇万人以上の住民が住まう城壁内の喧噪からは切り離されていた。また、京畿監営(監営とは、陽鮮の道庁。京畿監営は、王都帯城を含む京畿道を管轄する)にも近く、陽鮮側からの監視も容易な立地であった。
城壁外に倭館が置かれているのは、そもそも華夷秩序という外交関係においては相手国首都に使節を常駐させる習慣がないからである。
倭館はあくまでも交易の拠点であり、陽鮮王国側が秋津人と自国民との過度な接触を制限している状況下では、城壁内に外交拠点を設けることは許されなかった。つまり、東萊倭館は堀と塀によって外界と遮断され、帯城倭館は城壁外に置かれることで帯城の民と遮断されているわけである。
ただし、城壁外に倭館を設置していては正式な使節が帯城を訪れた際の応接に不便であることから、陽鮮側は城壁内に別に「東平館」という秋津人専用の館を用意している。これはいわゆる迎賓館のような施設であり、ここには倭館のように秋津人たちが常駐しているわけではない。
使節団一行は一旦、城壁外の倭館へと入り、そこで景紀ら軍事視察団と電信敷設交渉のための使節団に分かれた。そして、使節団のみが城壁内の東平館へと向かった。
秋津人専用の迎賓館たる東平館では、使節団による国王への挨拶などの儀式が行われることになっていた。とはいえ、陽鮮国王が東平館に出向くことはない。使節団は、国王の象徴である「殿牌」に対して挨拶するのである。
この儀式は、まず殿牌の前に秋津側使節が直立し、次いで四度の鞠躬を行うという形式である。この四拝礼は、陽鮮側の通信使が秋津皇国を訪れた際にも行っている。
なお後世、両国間の国民意識の高まりと共に、相手国の使節団を「朝貢使」と見なす歴史認識が出てくるが、相手国国王(皇国の場合は皇主)に対して四拝礼を行ったからといって、使節団が朝貢使であったことにはならない。そうした歴史認識もやはり、互いの国に対する優越感が根底にあるのだろう。
◇◇◇
倭館の建物は和鮮折衷の外観をしているものの、内装は畳や障子、襖などがしつらえられた和風のものが中心となっている。執務室など一部は洋間の代わりとして陽鮮の建築様式である板の間が設けられているが、それでも陽鮮住宅の特徴でもあるオンドル(床暖房の一種)は存在していない。
外観だけは陽鮮風建築の影響が見られるのは、建築の際に瓦などは陽鮮側が用意したためである。
建物は大きく分けて西館と東館に分かれている。
西館は今回のような臨時の使節のための宿泊施設であり、館長(古くは「館守」と言った)を始めとする常駐の外交官(陽鮮側の表現では「留館者」)は東館に住み、日々の業務を行っていた。その他、交易品などを収める蔵、使節随員のための長屋などが敷地内には存在していた。また、秋津人が好んで用いる風呂も、陽鮮人大工が「経験がない」といって渋っていたところ無理を言って作らせていた。
十万坪の敷地を誇る東萊倭館ほどではないものの、帯城倭館も使節団や軍事視察団の全員を余裕で収容出来るだけの規模は持っていたのである。
帯城倭館到着後、軍事視察団は軍装を整えて庭に集合していた。
「本視察団の目的は、言うまでもなく陽鮮軍の現状を調査し、その結果を兵部省に報告することである。また、その際に陽鮮側から要請ある場合には、陽鮮軍に対する教導の役割も果たすことになる」
整列した団員たちの前で、景紀は言った。
「しかしながら、我々は陽鮮側の許可なくして倭館敷地外に出ることは出来ない。この点、諸君らは十分注意し、陽鮮側官憲との無用の軋轢を起こさぬよう努めよ」
団員たちは、直立不動の姿勢のまま若い将校の話を聞いている。
「また、陽鮮王国は現在、政情不安を抱えており、各所から政変の予兆も報告されている。その際、倭館館員および使節団人員を守るのは我々の役目となる。軍人第一の務めは国土の防衛と国民の生命・財産の保護である。ゆめゆめそれを忘れず、この異国の地でも規律を保って行動することを団長として望む。私からは以上だ」
「結城中佐殿、質問をよろしいでしょうか?」
副団長として隣に控えていた貴通が挙手をする。
「何だ、穂積少佐」
「攘夷派による政変発生の場合、必然的に我が居留民への攻撃が予測されます。政変発生が確実となりたる場合、我々が事前に予防的な行動に出ることは許可されるのでしょうか?」
「本視察団に許されている軍事行動は、あくまで自衛措置のみである。政変を起こそうとする者たちを事前に摘発するのは、陽鮮側官憲の役割であり、内政干渉の観点からもそのような行動は許可出来ない。以上だ」
「了解いたしました」
予定調和的に、貴通はそう応じた。
団員たちから予想される質問を、彼女は代表して訊いたに過ぎないのである。彼女自身も、本気で予防的な行動が出来るとは考えていないだろう。
「他に質問はあるか?」
景紀は団員を見回した。挙手をする者はいない。
「よろしい。一旦解散とする。穂積少佐と若林曹長は私の部屋に来るように」
◇◇◇
景紀は将校であることもあり、西館内に個室を与えられていた。居室とそこに隣接する寝室という、いささか贅沢な待遇であった。
その居室に、景紀、冬花、貴通、若林先任曹長が集まっていた。
「こちらから予防的な行動が出来ないのはもどかしいですな」
畳の上に帯城周辺の地図を広げながら、若林は言った。
「本来であれば、呑気に交渉なんてやらずに、事前に帯城倭館の人間たちを避難させておくべき状況だ。無理にでも、交渉の場を東萊倭館にすべきだったんだ」景紀の声には険があった。「だが、斉が介入の姿勢を見せている以上、半島への影響力維持という観点から館員の避難を内地の連中は望んでいないんだろう。国家としての面子からも、斉に屈したように見られることは避けたいからな。だからこそ、斉が介入の姿勢を見せても当初の予定通り、帯城に電信敷設交渉団を送り込んだんだろうが」
「つまり、我々視察団も含めた秋津人たちは半島へ介入する口実を作るための生贄というわけですな」
若林も、どこか馬鹿らしい調子で言った。
「半島に居留民がいなければ、そもそも介入する口実すら作れませんからね」今度は、溜息をつきたそうな調子の貴通。「ただし、実際に現地で自国民を保護する立場の僕たちからすれば、本当に呑気なものだとは思いますが」
使節団は、森田茂夫首席全権代表、広瀬信弘次席全権を始めとして、書記官三名、通訳官三名、医務官一名、警護役の外務省警察五名から成り、総勢十四名。
一方、倭館には深見真鋤館長とその夫人、副館長とその夫人の計四名に、書記官一名、通訳官一名、医務官一名、料理掛四名、秋津人女中四名、外務省警察四名の計十五名が勤務している。
外務省警察の九人はいざという時には戦力となるが、それでも保護しなければならない自国民は宵、鉄之介、八重も含めれば二〇人となる(いざという時には鉄之介と八重も戦力に数えるが)。
これを、視察団の四十六名と冬花で守り切らなければならないわけである。
「使節が東平館に滞在中に政変が起こった場合、厄介なことになるな」
景紀は地図を睨んでいた。
東平館は景徳宮の南東、王宮正門から伸びる帯城目抜き通りに面している。そして当然ながら、倭館と東平館の間には、帯城の城壁が聳え立っている。
使節団が東平館滞在中に政変が発生した場合、これらの障害を突破して彼らを保護しなければならないのである。
「いざという場合には、私が術式で城門を破壊します」
「……」
冬花の言葉に、景紀は悩ましい表情を見せる。確かに、爆裂術式などを用いれば城門の破壊は可能だろう。
景紀としても、通信掛だけでなく戦力として冬花の呪術を当てにしている面もある。
「……まあ、一つの手段として考慮に入れておくが、あまり派手に動くと陽鮮国内の攘夷派がよりいっそう過激な行動で秋津人たちの排斥に動くかもしれない。そこは状況を見て判断する」
「判りました」
「とりあえず、冬花は周辺に式を放って地形などの調査、出来れば城内にも潜入させられるといい。ただし、向こうの呪術師に気付かれないよう、慎重にな。貴通は俺と一緒に館内の物資の確認、籠城のための食糧がどれくらいあるか調べる。それと、いざという場合に障害物として使える家具類もだ。若林曹長は兵の練度維持のため、庭で適宜、教練を行わせてくれ」
「はっ」
「とりあえず、行動開始だ」
「……まったく、大名行列かっての」
いささか辟易しながら言ったのは、景紀であった。皇国陸軍の軍服は着ておらず、羽織袴に家紋の付いた陣笠という、いささか古めかしく感じる装いをしていた。
「まあ、これが帯城へ向かう使節の伝統的な儀礼だから、仕方ないんじゃない?」
景紀と同じような格好をした冬花が、宥めるように言う。袴姿の冬花を見るのは、女子学士院在学時以来かもしれない。
帯城へと向かう使節団一行は、景紀率いる軍事視察団を警護役として、皇国ではほとんど見かけなくなった大名行列さながらの伝統的隊列を組んで進んでいた。
皇国ではかつて、列侯会議に出席する諸侯たちが自らの権勢を示すために多くの随員を連れて上京したという歴史があり、これを大名行列と呼んでいたが、今ではほぼ消滅している。
消滅の理由は、鉄道の敷設といった交通事情の劇的な変化よりも、行列の華美さを巡って将家間で競争が発生してしまったことが大きい。六家はこれに歯止めを掛けるべく、行列の人員や服装などの規定を細かく定め、結果として大名行列は衰退していった。
そして、鉄道の敷設による交通事情の変化が、大名行列に止めを刺した。
そうした大名行列と似たような行列を、景紀を含む使節団は作っているのである。
もちろん、行列を構成しているのは使節団と軍事視察団だけではない。東萊倭館から、国王への献上品や帯城倭館の日常消耗品などの輸送などを担う人夫なども連れてきている(なお、帯城倭館に納入する物資に紛れて景紀ら軍事視察団のための弾薬も輸送していた)。
行列はこれら人員と馬、そして使節団の長を務める首席全権代表(陽鮮側の言い方をすれば正使)などを乗せた籠などから構成されていた。
景紀の部下である若林曹長らも、軍服ではなく羽織袴姿で銃を担いでいる。近世と近代が入り混じる、なんともちぐはぐな行列であった。
「正直、まだ軍事視察団の団長で助かったかもな。全権代表なんか、王都で面倒臭そうな儀式がたくさん待っていそうだ」
秋津皇国と陽鮮王国の関係は結局のところ自国の主観的価値観を満足させるために存在していると、景紀はうんざりした思いを抱いていた。
どちらの国も、自国が相手よりも優越していると信じているのだ。
陽鮮王国は華夷秩序という思想によって東夷である秋津皇国よりも文明的・文化的に優れた国であると自認しており、秋津皇国は軍事力や産業化といった国力から自国の方が優れていると自負している。
価値観の基準がそもそも違うため、こうした認識の齟齬が今でも続いている。そもそも、互いに相手国のことを深く理解しようとしていないのだ。つまり、相互に価値観の断絶が存在する。
その意味では、両国間の関係を倭館を拠点とした交易中心とした両国の先人たちの知恵は、そうした価値観の断絶に現実的な解決を与えたものであるといえよう。
しかし、交通・通信技術の発達と西洋列強の東洋進出は、そうした両国間の関係を交易だけに留めておくことを難しくしていた。
もしかしたら、自分たちが旧来的な両国間関係における、最後の使節団になるかもしれないな。
そんなことを、景紀は考えていた。
「面倒臭いという観点で言えば、お互い様じゃない?」
そして、主君たる少年の影響もあるのか、冬花もまた両国間関係を冷めた目で見ているようであった。
「向こうは向こうで、通信使が古式ゆかしい行列を作って上京してくるわけだし」
「いや、よくこんなことを数百年単位で続けていこうという気になるよな」
「出たわ、景紀のものぐさ発言」冬花は苦笑を浮かべた。「とはいえ、その数百年続く伝統のお陰で、少なくとも東洋の国際秩序は保たれていたわけだから、そう悪い制度ではないはずよ」
「どうだかな」
景紀は、いささか懐疑的であった。
「その伝統の所為で、外交関係はかなり硬直化しちまってる。交易を極端に制限したことが倭寇やアヘン戦争といった海賊行為や密貿易の遠因となったことも考えれば、もう少し柔軟性を持ってもいい気がするんだが」
「それは交易を中心に考えたがるうちの国や西洋の価値観ね。斉や陽鮮はまた別の理論で外交を考えているわよ」
「そう考えると、俺らの国は華夷秩序からすればだいぶ異端なんだよな。それも昨日今日に始まったところじゃなくて、古代に大王が皇主の称号を用い始めた頃からだから、だいぶ価値観の断絶は根深い問題だよな」
「それでも何とか上手く関係を保ってきたんだから、このまま何事もなく交渉がまとまればいいと思うのは、楽観的過ぎるかしら?」
「俺も、正直何事もなく帰国出来ればいいと思っている」
冬花の言葉に、景紀は硬い言葉で応じた。
「だが、情勢を過度に楽観視して後で痛い目を見るのはごめんだ。こうもきな臭い情報が集まっている以上、俺は面倒事が起こる前提でいくつもりだ」
「了解。私も、気を引き締めて掛かるわ」
「すまん。こんなところまでお前を連れてくることになって」
「いいわよ。景紀と一緒なら、異国だろうが極地だろうが、例え地獄だって付いていくわ。だって、私はあなたのシキガミだもの」
冬花の言葉には、少しも躊躇いというものがなかった。
地獄に堕ちるのは自分だけで十分だと景紀は思いつつも、それでも彼女はどこまでも自分に付いてこようとするのだろうなと、嬉しくもどこか悲しい感情が湧き上がってくる。
彼女をシキガミとして縛り付けてしまった自分がそう思うのは、多分偽善なのだろうが……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
陽鮮王国王都・帯城は、石造りの城壁に囲まれた城塞都市であった。
この地は周囲を四つの山に囲まれた盆地であり、都の南方には帯江と呼ばれる川が流れ、風水によって「陽」の地とされる帯江北側に壮麗な王宮・景徳宮が築かれている。
城壁には「四大門」と「四小門」という八つの門が設けられ、王都を訪れる者たちにその威容を誇っていた。
帯城倭館はこうした城壁内には設置されず、西大門にあたる「敦義門」の外側に建てられていた。高台に置かれた倭館の北側には「西池」と呼ばれる蓮池があり、二〇万人以上の住民が住まう城壁内の喧噪からは切り離されていた。また、京畿監営(監営とは、陽鮮の道庁。京畿監営は、王都帯城を含む京畿道を管轄する)にも近く、陽鮮側からの監視も容易な立地であった。
城壁外に倭館が置かれているのは、そもそも華夷秩序という外交関係においては相手国首都に使節を常駐させる習慣がないからである。
倭館はあくまでも交易の拠点であり、陽鮮王国側が秋津人と自国民との過度な接触を制限している状況下では、城壁内に外交拠点を設けることは許されなかった。つまり、東萊倭館は堀と塀によって外界と遮断され、帯城倭館は城壁外に置かれることで帯城の民と遮断されているわけである。
ただし、城壁外に倭館を設置していては正式な使節が帯城を訪れた際の応接に不便であることから、陽鮮側は城壁内に別に「東平館」という秋津人専用の館を用意している。これはいわゆる迎賓館のような施設であり、ここには倭館のように秋津人たちが常駐しているわけではない。
使節団一行は一旦、城壁外の倭館へと入り、そこで景紀ら軍事視察団と電信敷設交渉のための使節団に分かれた。そして、使節団のみが城壁内の東平館へと向かった。
秋津人専用の迎賓館たる東平館では、使節団による国王への挨拶などの儀式が行われることになっていた。とはいえ、陽鮮国王が東平館に出向くことはない。使節団は、国王の象徴である「殿牌」に対して挨拶するのである。
この儀式は、まず殿牌の前に秋津側使節が直立し、次いで四度の鞠躬を行うという形式である。この四拝礼は、陽鮮側の通信使が秋津皇国を訪れた際にも行っている。
なお後世、両国間の国民意識の高まりと共に、相手国の使節団を「朝貢使」と見なす歴史認識が出てくるが、相手国国王(皇国の場合は皇主)に対して四拝礼を行ったからといって、使節団が朝貢使であったことにはならない。そうした歴史認識もやはり、互いの国に対する優越感が根底にあるのだろう。
◇◇◇
倭館の建物は和鮮折衷の外観をしているものの、内装は畳や障子、襖などがしつらえられた和風のものが中心となっている。執務室など一部は洋間の代わりとして陽鮮の建築様式である板の間が設けられているが、それでも陽鮮住宅の特徴でもあるオンドル(床暖房の一種)は存在していない。
外観だけは陽鮮風建築の影響が見られるのは、建築の際に瓦などは陽鮮側が用意したためである。
建物は大きく分けて西館と東館に分かれている。
西館は今回のような臨時の使節のための宿泊施設であり、館長(古くは「館守」と言った)を始めとする常駐の外交官(陽鮮側の表現では「留館者」)は東館に住み、日々の業務を行っていた。その他、交易品などを収める蔵、使節随員のための長屋などが敷地内には存在していた。また、秋津人が好んで用いる風呂も、陽鮮人大工が「経験がない」といって渋っていたところ無理を言って作らせていた。
十万坪の敷地を誇る東萊倭館ほどではないものの、帯城倭館も使節団や軍事視察団の全員を余裕で収容出来るだけの規模は持っていたのである。
帯城倭館到着後、軍事視察団は軍装を整えて庭に集合していた。
「本視察団の目的は、言うまでもなく陽鮮軍の現状を調査し、その結果を兵部省に報告することである。また、その際に陽鮮側から要請ある場合には、陽鮮軍に対する教導の役割も果たすことになる」
整列した団員たちの前で、景紀は言った。
「しかしながら、我々は陽鮮側の許可なくして倭館敷地外に出ることは出来ない。この点、諸君らは十分注意し、陽鮮側官憲との無用の軋轢を起こさぬよう努めよ」
団員たちは、直立不動の姿勢のまま若い将校の話を聞いている。
「また、陽鮮王国は現在、政情不安を抱えており、各所から政変の予兆も報告されている。その際、倭館館員および使節団人員を守るのは我々の役目となる。軍人第一の務めは国土の防衛と国民の生命・財産の保護である。ゆめゆめそれを忘れず、この異国の地でも規律を保って行動することを団長として望む。私からは以上だ」
「結城中佐殿、質問をよろしいでしょうか?」
副団長として隣に控えていた貴通が挙手をする。
「何だ、穂積少佐」
「攘夷派による政変発生の場合、必然的に我が居留民への攻撃が予測されます。政変発生が確実となりたる場合、我々が事前に予防的な行動に出ることは許可されるのでしょうか?」
「本視察団に許されている軍事行動は、あくまで自衛措置のみである。政変を起こそうとする者たちを事前に摘発するのは、陽鮮側官憲の役割であり、内政干渉の観点からもそのような行動は許可出来ない。以上だ」
「了解いたしました」
予定調和的に、貴通はそう応じた。
団員たちから予想される質問を、彼女は代表して訊いたに過ぎないのである。彼女自身も、本気で予防的な行動が出来るとは考えていないだろう。
「他に質問はあるか?」
景紀は団員を見回した。挙手をする者はいない。
「よろしい。一旦解散とする。穂積少佐と若林曹長は私の部屋に来るように」
◇◇◇
景紀は将校であることもあり、西館内に個室を与えられていた。居室とそこに隣接する寝室という、いささか贅沢な待遇であった。
その居室に、景紀、冬花、貴通、若林先任曹長が集まっていた。
「こちらから予防的な行動が出来ないのはもどかしいですな」
畳の上に帯城周辺の地図を広げながら、若林は言った。
「本来であれば、呑気に交渉なんてやらずに、事前に帯城倭館の人間たちを避難させておくべき状況だ。無理にでも、交渉の場を東萊倭館にすべきだったんだ」景紀の声には険があった。「だが、斉が介入の姿勢を見せている以上、半島への影響力維持という観点から館員の避難を内地の連中は望んでいないんだろう。国家としての面子からも、斉に屈したように見られることは避けたいからな。だからこそ、斉が介入の姿勢を見せても当初の予定通り、帯城に電信敷設交渉団を送り込んだんだろうが」
「つまり、我々視察団も含めた秋津人たちは半島へ介入する口実を作るための生贄というわけですな」
若林も、どこか馬鹿らしい調子で言った。
「半島に居留民がいなければ、そもそも介入する口実すら作れませんからね」今度は、溜息をつきたそうな調子の貴通。「ただし、実際に現地で自国民を保護する立場の僕たちからすれば、本当に呑気なものだとは思いますが」
使節団は、森田茂夫首席全権代表、広瀬信弘次席全権を始めとして、書記官三名、通訳官三名、医務官一名、警護役の外務省警察五名から成り、総勢十四名。
一方、倭館には深見真鋤館長とその夫人、副館長とその夫人の計四名に、書記官一名、通訳官一名、医務官一名、料理掛四名、秋津人女中四名、外務省警察四名の計十五名が勤務している。
外務省警察の九人はいざという時には戦力となるが、それでも保護しなければならない自国民は宵、鉄之介、八重も含めれば二〇人となる(いざという時には鉄之介と八重も戦力に数えるが)。
これを、視察団の四十六名と冬花で守り切らなければならないわけである。
「使節が東平館に滞在中に政変が起こった場合、厄介なことになるな」
景紀は地図を睨んでいた。
東平館は景徳宮の南東、王宮正門から伸びる帯城目抜き通りに面している。そして当然ながら、倭館と東平館の間には、帯城の城壁が聳え立っている。
使節団が東平館滞在中に政変が発生した場合、これらの障害を突破して彼らを保護しなければならないのである。
「いざという場合には、私が術式で城門を破壊します」
「……」
冬花の言葉に、景紀は悩ましい表情を見せる。確かに、爆裂術式などを用いれば城門の破壊は可能だろう。
景紀としても、通信掛だけでなく戦力として冬花の呪術を当てにしている面もある。
「……まあ、一つの手段として考慮に入れておくが、あまり派手に動くと陽鮮国内の攘夷派がよりいっそう過激な行動で秋津人たちの排斥に動くかもしれない。そこは状況を見て判断する」
「判りました」
「とりあえず、冬花は周辺に式を放って地形などの調査、出来れば城内にも潜入させられるといい。ただし、向こうの呪術師に気付かれないよう、慎重にな。貴通は俺と一緒に館内の物資の確認、籠城のための食糧がどれくらいあるか調べる。それと、いざという場合に障害物として使える家具類もだ。若林曹長は兵の練度維持のため、庭で適宜、教練を行わせてくれ」
「はっ」
「とりあえず、行動開始だ」
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