秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第四章 半島の暗雲編

68 陽鮮ヘ

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 五月初旬に鷹前入りを果たして以来、景紀は嶺州の経済振興政策の実施や領内の視察をして日々を過ごしていた。
 すでに城の桜の花は散り、若々しい葉にその位置を譲っていた。
 この間、景紀は冷害がたびたび襲う嶺州の農業を改善すべく、北溟道で開発された寒さに強い品種の稲などの農作物を持ち込み、試験農場を開設して農業の振興を図り、さらには佐薙家時代に銃砲製造のために建設された釜岩の製鉄所をさらに拡大して領内の工業化促進を図ろうとした。
 こうした領内振興政策の他、海軍の要請もあり、天然の要害となっている嶺奥湾に新たな軍港を建設するための現地視察などにも赴いている。
 また同時に、領軍である嶺州駐屯の旅団の再編も行われていた。ただし、将校や下士官に佐薙家家臣団出身の者が多いため、景紀が再編を主導すると彼らによる反発を生む恐れがあった。この点については兵部省も憂慮しており、部隊の再編に関しては将兵が皇主陛下から勅語を賜る形式で行うことになった。
 つまり、今まで領主に仕えているという軍人の意識を、皇主、ひいては国家に仕えているという意識に変えようとしたのである。これらはすでに中央政府直轄県となった元将家領において行われていることであり、皇国軍は徐々に封建的な面を残した軍隊から、国民軍へと変革されつつあった。
 主を失った佐薙家家臣団については、穏健派を中心に残したため、景紀が嶺州の振興策を実行する際の反発は少ない。また、過度に彼らを追放することで実務を担当する役人がいなくなり、職務が滞るということも最小限に抑えていた。
 結城家側が派遣した役人との間に多少の軋轢はあるものの、領国統治に支障を来すほどのものではない。
 嶺州が経済的に発展するにはまだなお時間がかかることが予想されたが、それでも景紀はその土台を作ることには成功したわけである。
 そうして景紀が概ね東北視察の目的を果たしつつあった六月初旬、一通の通信が鷹前城に届いた。





「景紀、河越から電報が届いたわ」

 城内の執務室で経済振興策に関する報告書を眺めていた景紀の元に、冬花が緊張した様子で飛び込んできた。

「見せろ」

 景紀は、冬花から紙片を受け取った。さっと目を通す。そこには、片仮名でこう書かれていた。

『ヨウセンヘノシセツハケンケツテイニツキズイインヲメイズ。ツイテハシキユウトウジヨウサレタシ(陽鮮ヘノ使節派遣決定ニ付キ随員ヲ命ズ。就テハ至急登城サレ度)』

「……」

 読み終えた紙片を、景紀は傍らで同じように書類を読んでいた宵に回す。その表情は、厳しいものであった。
 宵もまた、読み終えると普段の無表情をさらに感情の読み取れないものにした。

「……これは、どう解釈すべきなのでしょうか?」

 紙片を景紀に戻しつつ、宵が疑問を口にする。

「やはり、結城家内の二重権力状態を恐れた者たちが、景紀様を実質的に国外追放しようとしていると見るべきでしょうか?」

「この電報だけだと、判らん」

「まさか、景紀を城に誘き出して暗殺するとかはないわよね?」

 冬花も深刻な調子であった。

「まあ、歴史上、そういう罠を仕掛けた奴がいないわけではないからな。俺は父上の唯一の子だが、だからといって結城家の人間が俺の排除を試みないとも言い切れん。直系が断絶すれば分家から次の当主を選べばいいだけだからな。あるいは俺を殺して、分家の誰かを父上の養子にするとか」

 景紀は、悩ましげに紙片を睨んでいる。

「だが、こう言われた以上、登城しないわけにもいかないだろ? 下手に拒絶すれば、それこそ父上に対して叛意ありと騒ぎ出す連中が出てきかねない」

「そうね」

 主君の安全を第一に考えるシキガミの少女は、不承不承といった形で頷く。

「とりあえず、千代までの馬車の用意と、千代から河越への列車の切符を確保すればいいかしら?」

「いや、あまり悠長な行程だと、俺たちを陥れたい奴らに罠を入念に張り巡らせる時間を与えることになる」

 景紀は厳しい声で言った。

「冬花。翼龍で河越に向かう。急いで千代の逓信省の地方局と東北鎮台司令部に飛行許可を取れ。移動用の翼龍二匹の確保もだ。千代で新しい翼龍に乗り換えるから、その用意も千代側でしてくれるように伝えてくれ」

「判ったわ」

 冬花は景紀の言葉を受けると、即座に電報を打つべく駆けていった。

「……景紀様」

 二人だけとなると、宵が鋭い声で言った。

「私も、その翼龍に同行させていただいてよろしいですか?」

「……」

 一瞬、景紀は悩ましい表情を見せた。
 自分たちを貶める罠があるかどうかは、現状、推測の域を出ない問題である。電報の情報量が少なすぎるのだ。単純に、宵の言うように景紀を一時的に国外に追いやりたいだけなのかもしれない。
 ただ、それならばわざわざ政情不安定な陽鮮ではなく、南洋群島や泰平洋中部に浮かぶ同盟国・ペレ王国など皇国の勢力圏にすればいいだけの話でもある。景紀を陽鮮に行かせる理由が判らない。
 あるいは、伊丹・一色両公が外務省に何らかの工作を行ったか。
 攘夷派の中には、陽鮮半島を国防上、重要視し半島に出兵してかの国を皇国の完全な勢力圏下に置くべしとの主張をする者もいる。一方で、陽鮮王国側にも先代国王の攘夷政策の影響もあって対外強硬派も多く、秋津人に対しても不遜な東夷として敵視する勢力が存在する。
 もしかしたら、六家の嫡男という極上の餌を陽鮮国内の対外強硬派の前にぶら下げ、景紀が害されたことを口実に陽鮮出兵を目論んでいるのではないか。
 思考は堂々巡りであり、まったく結論が出ない。

「……いや、宵は済たち随員をまとめて後から来てくれ。政務の引き継ぎなんかも、お前に任せていいか?」

 悩んだ末、景紀はそう言った。

「かしこまりました」

 宵は、それで納得したようだった。彼女なりに、この一ヶ月間、鷹前で進めてきた政務を突然放り出して結城家領に帰るわけにはいかないことを理解してくれたようだ。
 こうして、景紀たちは一ヶ月弱の東北巡遊を終え、領国へと戻ることになったのである。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 その日のうちに翼龍を駆って鷹前を発った景紀と冬花は、日暮れ前までに千代に到着。そこで一泊して日の出と共に河越へと向かった。
 翌日の昼頃には河越へと到着したのであるから、かなりの強行軍であった。また同時に、それは翼龍という移動手段の高速性をも示すものであった。
 河越城に詰める結城家家臣たちは、あまりに早い景紀の帰参に驚いていたようであった。

「若様、ご無事の帰還、何よりでございます」

 城でまず景紀と冬花を出迎えたのは、筆頭家老の益永忠胤であった。彼は、景紀を結城家次期当主として認めている人物である。この段階で、城内での景紀暗殺といった可能性は低くなった。
 ただし、景紀の側に控える冬花はまだ警戒心を緩めていなかった。

「陽鮮への使節団派遣について、鷹前では情報の入りが遅いものでな。いったい、どうして突然、俺が陽鮮に行くことになったのだ」

「はっ、若様の疑念はもっともでございます」

 恐縮したように、景紀の元教育掛の家老は言う。そして、城の政庁の廊下を歩きながら、一瞬だけ周囲を憚るように視線を巡らせた。

「実は、この件については我々執政・参与といった重臣の多くも寝耳に水でして」

 なるべく周囲に聞こえない声音で、益永は説明した。

「皇都から有馬頼朋閣下より御館様宛の書状が何度か届いたのですが、それらの取り次ぎを担当していたのは里見殿でして、私も具体的にどのような遣り取りがあったのかは判らないのです。ただ、若様を陽鮮に行かせようというのは、有馬翁閣下の発案らしいということだけは判っています」

「そうか」

 景紀は小さく溜息をついた。頼朋翁が何か画策しているようだが、少なくとも景紀を害することを目的としたものではないだろう。ただし、何かしらの難題を押し付けられそうな予感はするが。
 しかし、問題は頼朋翁よりも、景忠の側用人である里見善光である。

「表向きはあくまで父上と頼朋翁の私信の遣り取り。そう主張されれば、確かに里見が書状の取り次ぎを行うこと道理はある。だが、内容が政治に関わる以上、それを重臣との間で情報共有しないということには問題があるな」

「はい。今思えば、この点、冬花殿は皇都で実に上手くやっていたと思わざるを得ません」

 景紀の寵臣への阿諛追従ではなく、本気の口調で益永は言っていた。それだけ、里見善光の露骨なやり方への反発が重臣たちの間で広まっているのだろう。
 これは、景紀時代との落差も大きく影響しているに違いない。冬花は、補佐官として集約した情報を独占するようなことは決してなかった。
 一面的に見れば、重臣連中と里見善光の対立の尖鋭化は、景紀や冬花が原因ともいえなくもない。

「まあ、俺のシキガミだからな」

 とはいえ、景紀としては自身の従者が高い評価を受けることに喜びを感じてもいる。最近は宵と冬花について、正室がどうの、側室がどうの、子を成すことがどうの、という話があっただけに、なおさらであった。

「恐らく、御館様からは詳細は有馬翁閣下と相談するように、と言われることと思います」

「判った。それだけ聞けただけでも十分だ。すまんが、これからも父上のことを支えてやってくれ」

「はっ、勿体ないお言葉でございます」

 益永が深く頭を下げて、景紀を景忠の執務室へと送り込んだ。





 城内に設けられた政庁の執務室では、景紀の父・景忠が書類に目を通しており、その傍らに里見善光が控えていた。
 一方、景紀の背後にも冬花が控えている。
 執務室に入った一瞬、里見は白髪赤眼の少女に粘着質な視線を向けた。決して好意的はない、暗い情念を秘めたような視線であった。
 だが、冬花はそれに気付かない振りをした。ただ端然と、景紀の背後に控え続ける。
 執務室は、皇都屋敷と似た造りになっていた。瀟洒な洋風の造りである。
 やはり、当時の結城家当主の趣味であろう。河越城政庁の執務室と皇都屋敷の執務室は、事実上、双子のような関係に違いない。

「景紀、お前には陽鮮に行ってもらうことになった」

 執務机の向こう側の父・景忠はそう言った。

「以前、陽鮮国王が軍事顧問団の派遣を皇国に乞うていたことは知っているか?」

「はい」

 景紀は頷いた。
 昨年の六家会議が開かれていた時期、長尾公との会合でもわずかにその話題が上っていた。

「だが、皇国では現状、軍事顧問団の派遣は陽鮮国内の政争を激化させる要因であるとして否定的な者が多い」

 現陽鮮国王・仁宗は開化派として有名であるが、その父で太上王の康祖は逆に攘夷主義者として有名である。仁宗国王は陽鮮軍の近代化のために皇国の軍事顧問団を受入れたいのであろうが、一方で夷狄の軍に教えを請うことになれば一部の攘夷主義者は激しく反発するだろう。
 そうなれば、康祖の復位を狙う攘夷派が政変を起こしかねない。今ですら、かなり危うい均衡の上に陽鮮王国の政治は成り立っているのである。

「陽鮮の開化派の間でも、攘夷派の反発を受けて流石に軍事顧問団は性急に過ぎると思い直したらしい。工業・経済的な面での近代化を、まずは目指すようだ。そこでこの度、陽鮮国内に電信網を整備する計画が持ち上がっているらしくてな。すでに我が国と陽鮮南部の商港都市・東萊の間には海底電信線が敷設されているが、それを王都・帯城まで伸すことを国王が我が国に求めている」

 電信網は海底電信線も含め、この十数年で西洋諸国やヴィンランド合衆国を中心に世界的な拡大を見ていた。秋津皇国も西洋諸国と同時期から電信網の整備を進めており、斉や陽鮮ではそうした技術が未発達であったことも加わり、皇国は東洋での電信敷設の中心的存在となっていた。
 これによって、東洋の通信網を掌握している皇国は、通信手数料で巨額の利益を得るに至っている。
一方、西洋ではいち早く電信網の整備に着手したアルビオン連合王国が同様に通信手数料による利益を得ていた。特に連合王国は電信網と経済を密接に連携させ、世界の金融市場の中心地となることに成功していた。
 逆に皇国は国内に封建的な体制が依然として残っている弊害もあり、金融制度の面ではアルビオン連合王国に遅れを取っている。

「その電信敷設のための交渉に使節団を派遣することになったのだが、同時に“軍事視察団”の派遣も決定されてな」

「“軍事顧問団”ではなく、“軍事視察団”ですか?」

 皮肉そうに、景紀は問い返した。

「ああ、“軍事視察団”だ」

「つまり、“顧問団”だと東夷に教えを請うことになるから、“視察団”とすることで陽鮮の武威を東夷に見せつける、という陽鮮側の対内向けな言い換え表現というわけで?」

「恐らくな」景忠は頷いた。「だが、実際に軍事顧問団的な役割をするかどうかは、陽鮮側の態度次第だろう。名前を取り繕っても、実態が顧問団ではやはり強硬な一部の攘夷派の反発があるだろうからな」

「その“視察団”とやらの一員に、俺を加えたいと?」

「いや、一員ではなく団長として行ってもらう。有馬翁から、お前を団長にねじ込みたい旨、書状があってな。善光からも、お前の見聞を広めるためには良かろうと言われた」

「なるほど」

 景紀の視線が里見善光に向くが、里見は軽く一礼して涼しい表情のままである。有馬翁の目的は判らないが、やはり里見善光は重臣たちから支持を受ける景紀を国外に追いやりたいのだろう。
 結城家の分裂を防ぐという意味ではそこまで悪い判断ではないだろうが、いささか露骨ではある。景紀と重臣との分断を図り、その隙に自身の結城家内での立場を確固たるものにし、景忠死後も一定程度の権力を維持しようと画策しているのかもしれない。
 景忠はまだ高齢というほどではないが、一度病に倒れ、体に後遺症が残っている以上、いつまた政務を執れない状態に陥っても不思議ではない。そうした主君の健康状態が、里見善光がいささか強引ともいえる形で家臣団内での影響力拡大を目指そうとしている背景なのだろう。
 とはいえ、有馬翁の方で決定してしまったのであれば、今更、景紀が異を唱えたところで意味はない。

「お前は南洋群島の視察に出た際、新南嶺島で起こった牢人どもの反乱を見事、鎮圧した実績がある。政情不安が囁かれる陽鮮ではあるが、上手くやっていけるものと信じている。詳細は、皇都の有馬翁と決定するように」

「かしこまりました。父上のご期待に添えるよう、尽力いたします」

 景紀は腰を折って一礼し、冬花と共に執務室を後にした。

  ◇◇◇

「冬花、千代に電報を打て。宵はそのまま皇都屋敷に向かえ、とな」

「了解。宵姫様たち一行が千代に到着したら伝わるよう、手配しておくわ」

 城内を駆けていく冬花の後ろ姿を見遣りながら、景紀は何とも面倒なことが舞い込んだものだと内心で嘆息していた。
 もしかしたらこれは佐薙成親よりもたちの悪い案件かもしれない、と。
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