秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第四章 半島の暗雲編

65 教導兵団

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 景紀たちは結城家居城・河越城に三日ほど滞在した後、出立した。
 三日の間でやったことは政務の引き継ぎが中心であったが、もともと結城家の政務を担っていた景忠が復帰するだけのことであったので、手早く済んだ。
 最後の一日は宵に城下町を案内して、それで終わりであった。
 景紀と宵は冬花や済を始めとするわずかな随員とともに、東北の視察に赴くことになったのである。





 結城家領の北西部に、澄之浦と呼ばれる湖がある。
 皇国の内地において、第二の面積を誇る大湖であった。
 その湖に面して、広大な演習場が存在していた。

「……実戦を想定した演習とのことですけれども、なかなかの仕上がり具合ですね」

 景紀の視線の先では、騎兵や歩兵が忙しなく行き交い、砲兵が整然とした砲列を敷いていた。

「たった三ヶ月弱でここまで部隊としてまとめるとは」

「なに、私一人の功績ではない。もともとは、貴殿の発案なのだろう?」

 景紀の傍らに立っているのは、そろそろ老境に差し掛かろうかという年齢の軍人であった。
 この人物が、景紀が彼自身の考案による部隊の創設を任せていた百武好古中将であった。大将位は六家当主など主立った将家当主が任命されるという風潮が強い現在の皇国陸軍において中将というのは、実質的な最高位にまで上り詰めた軍人である。
 すでに齢六十五を過ぎたため後備役に編入されていたが、主家である結城家次期当主の要請に応えて、新設部隊の訓練総監を務めてくれている。
 景紀も、今日は演習の視察ということで陸軍騎兵科の軍服を着ている。騎兵科将校の軍服には黒地に金の刺繍がなされ、肩には中佐の階級章を付けていた。
 彼らの少し後ろには、洋風の乗馬服に身を包んだ宵と、いつかと同じく丈の短い洋袴ショートパンツに赤い火鼠の衣を羽織った冬花が控えていた。

「貴殿の論文は何度か読ませてもらった。ああ、穂積少佐のものもな。率直な話、時代の変化というものを感じざるを得んよ」

「将軍が兵学寮に入ったころは、前装式の滑腔銃、点火方式も燧石式でしたからね」

「もう五十年以上前になるのか」感慨深げに、百武中将は目を細めた。「銃は未だ前装式のものがあるにせよ、旋条ライフリングが彫り込まれ、点火方式も雷管式に変わった。陸軍の近代化には、私も随分と骨を折ったものだ」

「そのお陰で、今の皇国陸軍があります」

「だが、どうやら貴殿の時代もまた軍の変革が必要になりそうだな」

 多銃身砲が標的を蜂の巣にする様を見ながら、百武は言う。

「あのような兵器が並べられたところに突撃をかければ、騎兵も歩兵もひとたまりもあるまい。私が観戦武官として赴いたボナパルト戦争やアヘン戦争では、まだあのような兵器は存在していなかった。広南出兵にも私は部隊を率いて参加したが、その時もフランク軍はあのような兵器を装備していない。恐らく、今後数十年の間に、戦場は劇的に変わるだろう」

「それを思って憂鬱になったりはしませんか?」

「ふん、戦場が悲惨であることなど、今に始まったことではあるまい?」

 どこか小馬鹿にするように、老将軍は言った。その感情は、景紀の言葉に向けたものではないだろう。恐らく、この軍人が何度も見てきた戦場に向けられているのだ。

「貴殿も、匪賊討伐や新南嶺島での反乱である程度、戦場の実相というものは判っているはずであろう?」

「まあ、そうですね」剣呑な口調で、景紀は返す。「焼かれる村、奪われる農作物、犯される女性。きっと、そんなものが数十倍の規模で行われるのでしょう。それに加担しようとしている俺が言えた義理ではないでしょうが」

「そうだな。だが、華々しい武勇伝に憧れんだけ、貴殿はまともな人間なのだろう」

「将家の次期当主としては失格ですか?」

「いや、むしろそうであってくれなければ困る。戦場の実態も知らん人間に、将家の当主という軍閥の長は務められん」

「厳しいご指摘ですね」

 景紀は、苦笑じみた表情を浮かべる。

「まあ、今後の戦争に備えるためにも、俺はこの部隊を必要としているわけですが」

「だからこその教導兵団、か」

 景紀の考案によって新設された部隊には、未だ部隊番号が存在していない。単に「教導兵団」とのみ呼ばれる、旅団規模の部隊であった。

「まずは領軍で試し、有効性が確認されれば全皇国軍に広げていく。手順としては悪くなかろう」

「将軍から見て、俺の構想はどう思われますか?」

「戦場を面ではなく空間と捉えるなど、先進的ではあるだろうが面白い。会戦主義からの脱却。方向性は違えど、合戦の勝敗ではなく経済力の大小で決着がついた戦国時代と同じ、戦争の転換点が現れるだろうな」

 にやり、と老将軍は不敵な笑みを浮かべる。

「特に、龍兵を地上の兵と共同させるという発想は面白い。それに……」

 百武中将は上空に視線をやった。そこには、翼龍に曳かれて浮かぶ白い物体があった。

「龍兵だけでなく、あの気球は面白いな。それほど積載量はないが、騎兵の突破速度に歩兵を随伴させられるのは大きな利点だ」

 気球自体は今から五十年ほど前に開発されたものであり、西洋ではボナパルト戦争の頃にはすでに戦場に投入されていた。ただし、この頃の気球の軍事利用は敵情偵察と弾着観測に限られていた。
 その後、気球を使って海の横断を試みる冒険者なども現れ、動物である翼龍を使用したのとはまた違った飛行方法を人類は編み出していたのであった。
 その気球を翼龍に引かせることで、翼龍単体では運べない物資を運ばせようという発想が出てくるのも、ある意味、必然の帰結であったろう。

「あの使い方は、どこで考えたのだ?」

「南洋群島の視察の際です」景紀は答える。「南海興発が、島と島との迅速な輸送にあれを使っているのを見まして、兵員輸送にも使えるのではないかと考えたんです」

「ただ問題は、気球は銃弾一つで容易く使用不能になることだな」

「まあ、そこは課題ではあります。龍兵による制空権の確保は絶対ですし、降下する地上もある程度制圧している必要があるでしょう」

「そのための、貴殿の新戦術構想か。機動戦、と確か表現していたな」

「はい」

「龍兵による爆撃によって敵を混乱、それに乗じて騎兵が戦線を突破、突破した戦線に歩兵を送り込み制圧。敵司令部の処理速度を上回る速さで戦闘に決着を付けようというわけか」

「とはいえ、未だ俺の思考実験に過ぎない面もありますが」

「実際のところ、実戦の場で成果を挙げないとなかなか理解されないところに、軍という組織の特徴があるのだろうな」

 皇国陸軍の近代化に貢献した人間ならではの感慨であった。
 基本的に、軍というものは保守的なものである。新兵器や新戦術といった、有用かどうかも判らないものに国家の命運を預けるわけにはいかないからである。逆に、だからこそ、そうしたものを取り入れて戦場で勝利した軍人は、天才的戦術家として歴史に名を残すことになるわけであるが。

「正直なところ、成果を挙げる場がない方が国家にとっては幸せなことかもしれませんが」

「将家の次期当主としては問題発言であろうが、まさしく国家にとってはその通りであろうな」

 景紀の発言を面白がるように、百武将軍は笑い声を上げた。

「古代の兵法家も言っている。戦わずして勝つのが最善の道である、と」

 すると、上空を飛んでいた龍兵の一部が景紀らの元に降下してきた。
 搭乗員を乗せた翼龍は、滑らかな翼捌きで着陸を果たす。落下防止のために鞍と繋がっていた安全索を外し、二人の龍兵が景紀らの元に駆け寄ってきた。

「どうですか、景くん。部隊をご覧になって」

 驚いたことに、その内の一人は貴通であった。思わず景紀は目を見開いた。

「お前、龍に乗れたのか?」

「ふふっ、びっくりしてくれて嬉しいですよ」

 達成感のある笑みを、貴通は顔に浮かべる。

「実は景くんを驚かせてやろうと、加東隊長に頼んで景くんには内緒で訓練していたんです」

「まあ、まだ飛んで戻ってくるのがやっとなひよっこ搭乗員ですがね」

 そう言ったのは、貴通と共に景紀の元にやって来た男であった。景紀が教導兵団龍兵部隊の隊長に任命した人物で、加東正虎という。階級は龍兵大尉。

「龍兵としての素質って意味じゃ、若様の方が上でしたな」

 そして、加東大尉は景紀が幼少期に乗龍を教わった人物でもあった。彼の名前を聞いた際、「虎なのに龍と仲良くしているのですか?」と言い、加東も含めた周囲の龍兵に大笑いされた思い出がある。
 景紀も含めた結城家の人間は、得手不得手はあるものの翼龍に乗れる者が多い。結城家が南洋の広大な島嶼部の植民地を管轄しているため、島と島との移動のために船よりも翼龍の方が便利であるからだ。
 だから景紀も乗馬などと共に翼龍の乗り方を覚え、相応の腕前を持っている。実際、南洋群島の視察に行った際は、冬花と共に翼龍で島々を巡ることも多かった。

「それにしてもまあ、あんな小っちゃい子供が、今じゃあ一人前の中佐殿とは」

 かつての教え子の成長を喜ぶように、加東はにやりとした笑みを浮かべる。

「また貴官には世話になる。部隊のことも宜しく頼む」

「ええ、お任せを。中佐殿」

 先ほどまでの砕けた態度を改め、加東隊長はぴしりと整った敬礼を見せる。

「ところで、どうです? そちらの姫様も、興味があれば龍に乗ってみますかい?」

 景紀や百武の後ろに控えていた宵が龍を興味深そうに見ていたのを目敏く見抜き、加東はそんなことを言った。
 それでようやく、景紀も背後の宵の様子に気付いた。互いの目が合う。景紀にとって迷惑ではないかと心配するような宵の瞳。

「よいのではないかな?」助け船を出したのは、百武将軍であった。「若様も空から演習の様子を俯瞰してみるとよかろう。それに、姫様も六家当主の妻となるのであれば、ある程度、戦に関することにも見聞を広めておいてもらわねばならんからな」

「だ、そうだ。宵」

「……では、お言葉に甘えまして」

 少し躊躇いがちにそう言い、宵は頭を下げた。

  ◇◇◇

 予備の翼龍に景紀と冬花が鞍を据え付けている間に、宵の方も翼龍に乗る準備を整えていた。とはいえ、すでに乗馬用の服を着ているので、落下防止用の安全索を取り付けるための革帯を体に巻いて、上空の寒さを和らげるための龍兵用外套を羽織る程度である。

「じゃあ宵、乗ってくれ」

 景紀が手綱を握っている翼龍の前部の鞍に、宵は跨がる。翼龍の方もよく訓練されているようで、首から先を下げて、その付け根附近に固定された鞍に人間が乗りやすいようにしてくれていた。
 宵が鞍に跨がると、景紀は彼女の体に巻き付けられた安全索を鞍と結びつけ、固定する。しっかりと彼女の安全索が固定されているのを確認してから、景紀も後部の鞍に跨がる。宵はちょうど、手綱を握る彼の両腕に挟み込まれ、その体に背を預けるような格好になった。

「じゃあ、行くぞ」

「はい」

 その声とともに、二人の乗る翼龍は一鳴きして滑走を始めた。翼を広げ、やがて空へと浮き上がる。
 ぶわりとした風が、宵の顔面にかかった。
 どんどん地面が遠ざかっていき、鞍に跨がっているはずなのに全身を浮遊感が包み込む。
 翼龍はゆるやかな円を描くように、演習場の上空を旋回していく。景紀の少し後ろでは、冬花の乗る翼龍が付き添うように飛行していた。
 遮られるもののない視界。
 空は青く、はるか彼方の山々まで見通せる。
 澄之浦の水面に陽光が反射して、まるで銀を散りばめたかのようにきらきらと輝いている。
 それは、地上から見るのとはまるで違う世界であった。
 空から見る皇国の山河は美しく、また新鮮な趣を持っていた。
 宵は景紀の腕の中にいることも忘れ、ただただ目に映る光景に見入っていた。

「……気に入ったか?」

 不意に、耳元で景紀の声が響いた。

「はい」

 どこか陶然とした声で、宵は少年の言葉に応じる。
 翼龍は滑るような動作で、飛行を続けていく。

「とはいえ、この空まで戦場として利用しようっていうだんから、俺もなかなかに狂っているよな」

 景紀は、宵とは違った感慨を抱いているようであった。
 こんなに世界が美しく見える場所も、やがては血生臭い戦場になる。そのことに、宵は反発を覚えなかった。下に見えるあの綺麗な山河も、戦国時代には血みどろの合戦が繰り広げられたのだ。今更、驚くには値しない。

「すでに龍兵が存在する時点で、この空は戦のために利用されているのです。景紀様が気にすることでもないでしょう」

「お前は良い奴だな」

 ふっと小さく、景紀は笑ったようだった。宵の位置からは彼の顔が見えないが、多分、自嘲の嗤いだろう。
 だから少しだけ、宵は背中にある景紀の体に体重をかけた。上空の空気は冷たいが、そこだけが温かい。
 きっと景紀も同じであるといいなと思いつつ、宵は初めての翼龍飛行を満喫していた。

  ◇◇◇

 地上に戻ると、まだ教導兵団の演習は続いていた。

「あともう三ヶ月もすれば、実戦投入に耐え得る程度には鍛えられるだろう」

 百武将軍は演習場を見回しながら、そう言った。

「それで、若君」中将の口調から、結城家家臣の口調に切り替えた老軍人は続ける。「この兵団は、実質的にあなたの兵団だ。用い方次第では、結城家という軍閥の中に、さらに軍閥が出来上がることになろう。それを、自覚しておられるのだろうな?」

 景紀の人生の三倍近い軍歴を持つ男の視線が、若い次期当主を射貫く。

「それは当然に」だが、一方の景紀は平然とした口調で応じた。「ただ、俺は父上を隠居に追いやってまで、当主の座に就こうとは思いません」

「だが、周囲の者はどう思うかな?」

「そのために、俺はこれから東北視察に出るわけです」

「私は一介の武弁に過ぎん。だから政治には関わり合いにならんようにして、これまで生きてきた」

 皇国陸軍の近代化に貢献したこの老将軍ならば、兵部大臣や南洋総督などの地位に就くことも可能であった。しかし、百武好古はそのどれも固辞し、後進の育成に努めながら後備役に編入される歳を迎えていた。

「だが、ここ数ヶ月の主家の様子を見ていると、政治を気にしない私ですらいささか憂慮を覚えずにはいられん。御館様のお側には、まだ里見善光がついているようだな?」

「彼は父上の側近中の側近ですから」

「だが側近であることと、主君に忠誠心を抱いているかということは別問題だ」

 老将軍の視線が、景紀の背後に控える冬花に向く。

「そこの葛葉家の娘は、なるほど若君に忠誠心を抱いているのだろう。だが、同じことが里見善光にも言えるのか?」

「無条件に主君に忠誠を誓える人間など、ごくわずかでしょう。地位や名誉、金銭、そうしたものを与えてくれるから仕えるという人物もいます。その内の一人が、里見殿であっても俺は不思議に思いませんが」

「だが、誰もが若君のように割り切れる人間ではない」

 そこで、百武は一度、言葉を切った。

「……いや、違うな。誰もが若君のように冷めた目で人間を見ることは出来ない、というべきかな?」

「……」

 景紀は何も返さず、ただ皮肉そうな冷笑を浮かべるだけだった。

「御館様もそうだ。家臣が自分に無条件の忠誠を抱いてくれていると、主君としては信じたい。そうした主君の内心を察して、それに沿うように振る舞うことが出来るのが里見という男だ」

 益永ら重臣も含めた結城家家臣団の中で、長老に位置する将軍の言葉は相応の重みがあった。恐らく、百武は小姓時代から里見善光のことを知っているのだろう。

「それが家臣として間違った態度だとは思わん。だが、それによって主君からの寵愛を得過ぎれば、他の家臣との軋轢も生じよう」

「それは、誰に対しての忠告ですか? 俺ですか、それとも冬花に対してですか?」

「どちらもだ」百武は厳しい口調で言う。「若君は若君で結城家の分裂させぬよう気を配る必要があろうし、そこの葛葉家の娘もまた、自身の振る舞いで家臣同士の間に軋轢を生じさせ、さらにはそれが主君と家臣との軋轢にまで発展せぬように気を配らねばなるまい」

「ご忠告、しかと心に刻んでおきます」

 黙って話を聞いていた冬花が、従者然とした態度で老将軍に一礼した。

「私は、この兵団を仕上げ次代を担う若者に託すのが主家に対する最後の御奉公だと思っている。だから若君よ、この老骨が何の憂いもなく往生出来るよう、結城家のことを宜しくお頼み申し上げる」

「将軍のこれまでの献身に報いることが出来るよう、最善を尽くしましょう」

 その“最善”が将軍の望むものと一致しているかどうか疑問に思いつつも、景紀は六家の次期当主らしい鷹揚な態度でそう答えたのだった。
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