秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第四章 半島の暗雲編

62 領地への帰還

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 極東の島国・秋津皇国は皇暦八三五年の春を迎えようとしていた。
 冬の寒さもようやく過ぎ去っていった四月初旬、結城家皇都屋敷の茶室に、景紀は兵学寮同期生の穂積貴通を招いていた。

「約束、果たしたぞ」

 にやり、と笑みを浮かべて景紀は自らが点てた茶を男装の少女に差し出す。

「ふふっ、景くんは律儀ですねぇ」

 兵学寮時代と変わらぬ丁寧な口調とともに、貴通は泡立つ抹茶が入った茶碗を受け取る。
 彼女が少女であることが冬花に発覚してしまったあの日、他愛もない話の中で景紀と貴通は結城家屋敷での花見の約束をしていたのだ。
 屋敷の庭園を一望出来る茶室からは、そよ風に揺れる満開の桜が見えた。淡い色の花が庭園を彩り、風に舞った花びらが池へと落ちて薄紅色に染め上げる。
 柔らかい陽光と相俟って、ゆっくりとした時間が茶室の中に流れていた。

「僕も、査閲官としての役割を果たしていますよ」

「ああ、報告書は読ませて貰った」

 父親である穂積通敏と決別した貴通は、景紀の幕下に加わり、査閲官として兵学寮首席である同期生の新戦術の構想を実現するための部隊創設の任務に携わっていたのだ。
 昨年の末には皇都を離れて、部隊の編成作業やその訓練に当たっていた。景紀も議会の合間を縫って貴通とともに部隊の創設を主導していたが、やはり時間が限られる分、貴通を始めとした関係者に任せるしかなかったのである。

「三ヶ月で随分、部隊として様になってきたらしいな」

「景くんが訓練総監に付けてくれた百武将軍の手腕もありますよ。流石、皇国陸軍の近代化に携わっていた方です。景くんの新戦術も、柔軟に吸収していましたよ」

「老人を扱き使うな、とか文句を言っていたりしないか?」

 冗談めかして、景紀は問う。

「まあ、『若様は私を死ぬまで扱き使い気でらっしゃる』と苦笑交じりに言っていたことはありますよ」

 その時のことを思い出したのか、貴通は秀麗な顔に柔和な笑みを浮かべる。

「でもまあ、将軍自身も新しい時代に対応するための部隊創設に意欲的でしたし、『これが主家への最後の御奉公と思って勤めさせてもらう』とまでおっしゃっていました」

「ああいう人間がうちの家臣団の中にいてくれて、本当に助かるよ。ああ、もちろんお前もだぞ、貴通」

「ふふっ、判ってますって」

 景紀の言葉を、貴通は心底嬉しそうに受け止めた。彼女にとってみれば、景紀と頻繁に会うことは出来なかったとはいえ、この数ヶ月は兵学寮と同じくらいに充実した時間だったのだろう。

「議会の方も、大した波乱もなく終わってよかったですね」

「ああ」景紀は頷いた。「もっとも、あそこまでゴタついた六家会議を何とかまとめたんだ。議会の方は波乱なく終わってくれなきゃあ困る」

 皇暦八三五年度の予算などを通過させるための皇国議会常会は、三月末で終わっていた。六家間で懸案となっていた予算案は無事、皇国議会の協賛を得ることが出来、議会は六家側にとって望ましい形で幕を下ろした。

「ただまあ、軍備拡張か国内振興か、って問題は六家間で先送りにされた感じがあるからな。また今年度の六家会議で揉めそうだ。まあ、その前に片付けたい問題はいくつかあるんだが」

「議会も終わりましたし、諸侯は領地に帰る季節ですからね。結城家領内の問題や、東北の鉄道敷設問題なんかに取りかかるつもりで?」

 全国に散らばる領地を治める将家は、議会の時期になると上京してくるが、そうでない時期は領地にいることの方が多い。中央政府と密接に繋がっている六家は、必ずしもこうした例に当てはまるわけではないのだが、それでも六家も領地を持つ諸侯である以上、一定の期間は領地での政務を行うことになる。

「そこはまあ、父上次第だな」

 昨年、病に倒れた結城家現当主であり景紀の父である結城景忠公爵は、全快とはいかないものの病が癒え、政務に復帰出来る程度にはなっていた。ただし、景紀が景忠の代理として議会に出席していたため、結城家内の混乱を避けるためにも議会終了までは静養に努めていたのである。

「このまま父上が隠居を決めるか、政務に本格的に復帰するのか、そこは実際に会って話し合うことになるだろうな」

「ついでに東北地方の視察に行かれる予定だとか? その途中で、例の部隊の視察もしていくのでしょう?」

「ああ、そのつもりだ」

 景紀は、父の回復によって結城家が自分と父で二重権力状態に陥って混乱することを懸念していた。そのため、父が政務に復帰するのであれば、自分はある程度、結城家から距離を置くべきだと考えていた。
 そこで、佐薙成親の失脚によってその子・大寿丸が伯爵家を継ぐに相応しい年齢になるまで結城家が統治を代行することになった嶺州への視察に赴こうというわけである。嶺州鉄道の建設を始めとした領内の経済振興のためにも、一度、東北地方を見回っておく必要があった。

「もうすでに父上や家臣団、中央政府の方には根回しをしてある。数日後には、皇都を発つつもりだ」

「では、どんな部隊に仕上がったか、是非とも景くんのお目にかけたいと思います」

「ああ、楽しみにしてるぜ」

 かつての兵学寮首席生と次席生は、そうして久しぶりに訪れた穏やかな時間を他愛もない会話を交わしながら過ごしていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 数日後―――。
 汽車はわずかな揺れを残して、結城家領彩城国首府・河越の駅へと停止した。
 乗客たちが次々と降りていく中、一等車に乗っていた景紀や冬花、宵らも列車を降りる。

「若様。無事のご帰還、お喜び申し上げます」

 乗降口から降りると、乗降場プラットホームに一人の男性が景紀らを出迎えた。

「英市郎か。出迎えご苦労」

 男は、結城家家臣の葛葉英市郎であった。冬花の父親でもある。

「駅前広場の方に、出迎えの馬車を待機させております」

「ああ、すまんな」

 軽い遣り取りを交わしながら、四人は駅舎を出る。
 益永忠胤を始めとする執政・参与など重臣の大半は、すでに景紀の帰還に先立って居城へ帰還していた。皇都に残っている官僚系家臣団は渉外担当の執政を中心とした者たちのみであり、その他は皇都屋敷の管理を任されている用人など、皇都に常駐している家臣のみが屋敷に残されている。
 なお、景紀が個人的に雇っている元牢人の忍、朝比奈新八については、すでに河越入りを果たしており、結城家家臣団の動向を探っていた。
 駅舎を出ると、皇都に劣らぬ人々の活気を感じ取ることが出来た。
 河越駅前の広場には、客を待つ辻馬車や人力車がずらりと並んでいる。道にはガス灯の街灯が等間隔に設けられており、近代的に整備された街並みが見て取れた。
 四人は、御者が待機している結城家の家紋のついた馬車に乗り込んだ。
 景紀と宵、英市郎と冬花が隣り合って座り、互いに向き合う形になる。

「父上の平癒祈願、ご苦労だったな。父上が回復なされたのも、貴殿の助けによるところが大きいだろう」

「勿体ないお言葉でございます」

 走り出した馬車の中で、英市郎は恐懼したように頭を下げる。

「されど、怨霊と病の関係を見抜けませんで、慚愧に堪えぬ思いです」

「お前と医師が父上の病状を診て、飲酒による病だと判断したのだろう? その点について、俺はお前を責めるつもりはない」

「しかし……」

「そもそも、怨霊と父上が倒れられたことの関係について、確証はない」景紀は英市郎の言葉を遮った。「あくまで、丞鎮とかいう怪僧が言っていたことを冬花が聞いただけだ。この件は、俺の胸の内に秘めておく。これ以上は話題にするな」

「若様の寛大なお心に、感謝申し上げます」

「これからも、父上のために尽くしてやってくれ」

「はっ、ありがたいお言葉でございます」

 もう一度、英市郎は頭を下げた。

「ときに、我が娘は若様のお役に立てておりますかな?」

「ああ、呪術的警護官としても、補佐官としても、問題なくやってくれている」

 目の前で自分に関する主君と父親の会話を聞かされて、冬花は少しだけ居心地が悪そうにしていた。

「それを聞けて安心いたしました」

「俺の方こそ、お前から娘と息子を取り上げるような形となってしまってすまんな」

「いえ、何れ子は親元から離れるものでございます。鉄之介も学士院で勉学に励んでいるようで、親として文句はありません」

「その鉄之介だが、婚約の件について英市郎、お前の意見はどうなんだ?」

 冬花の弟、鉄之介に浦部八重との婚約の話が持ち上がっていることは、すでに冬花を通して英市郎には報告済みであった。

「私も、妻の若菜も、賛成です。親としても、呪術師としても、八重殿は愚息には勿体ない娘だと思っています」

 景紀たちが領地に帰還する少し前、学士院の春休みを利用して鉄之介は一足先に帰省していた。その時、浦部八重も付いてきていた。
 やはり、何だかんだであの二人は馬が合っていたらしい(鉄之介あたりは断乎として否定しそうだが)。
 昨年の来襲事件以来、鉄之介は学士院での授業の他に、宮内省御霊部長の浦部伊任からその娘・八重とともに呪術の薫陶を受けることになった。
 年下の女子に負けたくないという男子としての意地もあったのだろう。鉄之介は今まで以上に呪術や武術の鍛錬に打ち込んでいた。
 一方、年下であるはずの八重は、何故か鉄之介に対して姉ぶろうとしていたようで、彼女もまた鉄之介に負けじと父の教えを次々に吸収していったという。恐らく、伊任から呪術を教わるのは自分の方が先だったということで、姉弟子の気分なのだろう。
 そうした良い意味での互いの対抗意識もあってか、二人の間には奇妙な連帯感が生まれていた。
 未だ二人は互いを婚約者とは認めていないが、呪術師としての才能は認め合っているようであった。
 そうした結果として、鉄之介の帰省に八重は付いていった。
 本人たちがどう思っているのかは知らないが、傍から見れば親に婚約者の女性を紹介する息子の図だろう。
 もっとも、指摘したところで鉄之介が反発するだけだろうから、景紀は黙っているが。

「となると、後は本人たちの問題だな」

「はい、それでよろしいかと思います」

「とりあえず、鉄之介が学士院中等科を卒業するまで、もしくは最悪、八重が女子学士院中等科を卒業するまでに決めさせればいいだろう」

「若様にはご面倒をおかけいたしますが」

「構わん構わん」景紀は軽い調子で手を振った。「家臣の面倒を見るのは主君の役目だ。この程度、恐縮されるようなことでもない」

「いえ、我が葛葉家は若様に対して恩義があります。妖狐の血を暴走させた結果とはいえ、この娘は若様を傷付けたのです。その責を負って、本来であれば私は腹を切らねばならなかったのですから」

「その話はもういい」

 景紀は固い声で告げた。
 見れば、冬花の顔がかすかにではあるが、申し訳なさそうに歪んでいた。彼女にとっても、妖狐の血を暴走させて守るべき主君を傷付けてしまった記憶は、未だ忘れ去ることの出来ないものなのだ。それも、一度ならず二度までも冬花は景紀を傷付けてしまっている。
 だが、そんな表情を景紀はさせたくなかった。

「それよりも、宵に河越の街並みや歴史についてでも教えてやって欲しい」

 だから、話題を切り替えた。
 先ほどから景紀と葛葉家の話ばかりなってしまい、会話から疎外されてしまっている宵のために、景紀はそう言った。

「ああ、そうですね。では、僭越ながら……」

 英市郎による城下町の説明が進みながら、やがて馬車は結城家居城の門を潜っていった。

  ◇◇◇

 五ヶ月以上も遅れてしまったが、景紀は正式に両親に対して宵との婚儀がつつがなく終わったこと(だいぶ語弊のある表現ではあるが)を報告した。
 儀礼的なやりとではあったが、少なくとも和やかな雰囲気の下で報告を終わらせることが出来た。

「……景紀、少し散歩に付き合え」

 報告が済むと、父である景忠は庭園へと景紀を誘った。

「はい」

 景紀も断る理由もないので、親子して城の庭園へと出る。
 景紀が皇都に出て以来、およそ半年ぶりに見る父の姿は、想像していたよりも老けているように見えた。これも、病の影響だろう。また、倒れた影響で体に痺れが残っているらしく、以前は突いていなかった杖を持っている。
 杖を突きながらゆっくりと庭園を巡る父の後ろを、景紀は付いていく。

「……普段の生活を送るにはさして支障がないのだが、馬に乗ることは最早出来んそうだ。刀も、上手く握れん」

 自嘲混じりに、景忠は言う。

「……これを機に、飲酒は控えるべきかと」

「景紀よ、お前まで医師や薬師と同じ言うのだな」

「息子として、当然の忠告です」

 呆れ混じりの溜息を、景紀は吐き出す。

「まあ、これからは節制に努めるとしよう」

 どこまで本気か判らぬ口調で、景忠は言う。

「それで、わざわざ母上や宵まで引き離して、俺に話したいことがあるのでしょう?」

「ふふっ、相変わらず可愛げのない子供だ」

 どこか子供の成長を喜ぶような、純粋な眼差しを父は子に向ける。

「俺はとうに元服を済ませているんですがね」

「それでも、親にとって子はいつまで経っても子のままなのだ。それが、たった一人の子供となればなおさら、な。お前も、宵姫との間に子が出来ればそうなろう」

「……」

 景紀は、父の言葉に曖昧な笑みを浮かべるだけだった。

「さて、お前の仕事ぶりに関しては、忠胤から詳しく聞いている。上手く執政・参与連中を掌握しておるようだな」

「まあ、今のところは」

「だが、城内の者の一部には、お前にやり方に反感を持っている者たちもいる」

「それは、父上が重用していた者たちでしょう?」

 景忠からの指摘に、景紀はうんざりとした口調で応じた。

「父上が重用していたからといって、俺が重用するとは限りませんよ。主君の側近となる用人はそうした不安定な地位にあるのだと、歴史が証明しています。俺に粛清されないだけ、感謝してほしいくらいです」

「しかし、誰もが歴史を教訓と出来るわけではない」

「教訓に出来ないのならば、その者はその程度の存在であったというだけです。ますます、俺が重用する理由が見当たりません」

「厳しい指摘だな」

 息子に論破されて、景忠は苦笑を見せた。

「ならば、お前が重用している葛葉の娘は、歴史を教訓に出来る者だと?」

「少なくとも、冬花は重臣連中との軋轢を生じさせるようなことはしていませんから」

「私も、その者たちの能力を見定めて、重用すべき家臣を選んだのだがな」

「父上の側近としてならば、俺としても認めるのにやぶさかではありませんよ。ただし、やはり俺が彼らを重用するかどうかは別問題です」

「その結果、家臣団の統制に揺らぎが生じるとしても、か?」

「官僚系家臣団と用人系家臣団の別は、いずれはっきりさせねばならない問題です。そうでなければ、将家が続く限り、両系統の家臣団が家内で対立する危険性を孕んだままになります」

「しかし、ここまで私に忠を尽くしてくれた家臣たちだ。能力もある。政務についての経験も豊富だ。まだ若いお前の役にも立つだろう。そういう意味でも、お前にも私の側近たちを相応に尊重してもらいたい」

「それでは、執政、参与といった重臣連中からの不満の声が上がりましょう。代替わりは、そうした家臣団内部の綱紀粛正を行う絶好の機会だと思いますが?」

「お前、この私を隠居させるつもりなのか?」

 息子からのはっきりとした物言いに、景忠は少しむっとした声を出す。

「俺としては、父上がご健在な内は父上が政務を執られるべきだと思っていますよ」

 ここで父と敵対するつもりはないので、景紀は丁寧な調子でそう言った。

「父上が隠居したところで、俺に不満を持つ用人連中は父上の復権を狙うことになるでしょう。そうなれば、家臣団内の対立だけでは済まなくなります。親子の対立。家を完全に割ることになるでしょう」

「要するにお前は、私が健在な内に私の重用する者たちをどうにかしろ、と言っているわけだな?」

「円滑な代替わりを行いたければ、それは必須でありましょう」

 景紀の結城家の政務継承は、景忠の病という突発的事態によって生じたものである。景紀はそのために結城家の全権を掌握することになり、実際にそれは成功していたのだが、やはり父親が生きていることと急速な権力掌握によって生じた歪みが、景忠の病状回復を契機として表面化しつつあるというのが、現在の状況なのだろう。
 景紀の当主代理という地位は、父と子が協力して円滑な家督の継承が行われるよう綿密な下準備の末に与えられたものではないのだ。
 息子からの言葉に、景忠は深く息をついた。

「……やはり、お前に政務を任せたのはちと早すぎたようだな」

 諦観とも失望とも取れぬ声で、結城家当主は言った。
 息子の優秀さは認めつつも、自分の望む方向にその能力を発揮したかったことに対して、納得し難い思いを抱いている声であった。

「父上のご期待に添えず、申し訳ありません」

 景紀は内心を悟らせぬ慇懃な口調で、そう返したのであった。
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