秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第三章 列侯会議編

番外編2 シキガミの弟と雷娘 中編

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 浦部八重にとって、女子学士院とは窮屈な場所であった。
 やれお淑やかにしろだの、礼儀作法を完璧にしろだの、とにかく八重をあれこれと束縛してくるのだ。
 そんなものよりも、自分はもっと呪術の鍛錬を行いたい。もっと強くなって、父様や兄様を支えられる陰陽師になりたい。
 そう思っていたところに、父から婚約の話を聞かされた。
 相手は、結城家に代々仕える陰陽師の家系、葛葉家の長男だという。葛葉家は、妖狐の血を引く陰陽師の家系として、術者の間では有名な話である。そんな家に嫁ぐかもしれないと言われたとき、八重の心に浮かんだのは、安堵と不満という二つの相反する感情であった。
 浦部家は代々、皇室の霊的守護を担ってきた術者の家系である。そんな家の娘であるから、結婚の相手も政治が優先されて術者の家ではなく、皇室に近しい五摂家などの華族の家になるかもしれないと密かに恐れていた。
 女子学士院の同級生の中には、婚約が決まって寿退学した者もいる。
 そういう者を見るたびに、八重の中で自分はどうなるのだろという漠然とした不安が過ぎった。
 だから、術者の家系に嫁げると判った時、八重はほっとしたのだ。
 そうは言っても、将来、夫になる術者の実力も判らずに嫁がされることには、納得のいかない思いもあった。術者でもない華族に嫁ぐのも嫌だが、大した実力もない術者の男の下に嫁ぐのも嫌であった。
 少なくとも、自分と同等程度に強い術者でなければ夫とは認めたくなかった。
 自分は龍王の血を引いているのだ。
 その血を濁らせるような相手と、夫婦めおとにはなりたくなかった。
 だから、冬季休暇が始まると同時に結城家皇都屋敷に押しかけてやった。正直、その葛葉鉄之介よりも、妖狐の血を色濃く引くという葛葉冬花と手合わせがしてみたかったというのもある。
 葛葉冬花という少女は、八重が女子学士院中等科に入学した頃の最上級生であった。接点はほとんどなかったし、その頃、自分はまだまだ未熟だと思っていたのであえて挑戦しに行こうとは思っていなかった(とはいえ、いつか手合わせしてやるとは思っていたが)。
 それに、最初の一年はまだ女子学士院の生徒としての茶道、華道などの礼儀作法などを身に付けるので忙しく、そんな暇はなかった。
 一年が過ぎ、二年生になった頃から八重は女子学士院を窮屈に感じるようになった。
 主に華族や士族の娘が集まる女子学士院は、八重のような活発な少女はごく少数派であった。薙刀などの武道の授業もあるが、八重を満足させられるものではない。
 八重にとっては女子学士院での授業や講座よりも、皇宮警察の若い訓練生に混じって済寧館で鍛錬している時間の方がよほど充実していた。
 とはいえ、彼らは術者ではない常人ただびとであるし、父を始め仕事に忙しい御霊部の者たちに挑みかかるわけにもいかなかった。
 八重は、同年代で術比べが出来る相手に飢えていた。
 だからこそ、日頃の鬱憤晴らしも兼ねて結城家に乗り込んでやったのだ。
 葛葉冬花という年上の少女は、噂通りの容姿をしていた。とはいえ、龍王の血を引く八重はその容姿を不気味だとは思わなかった。
 むしろ、そこまで妖狐の血が濃く出て羨ましいとすら思ってしまった。
 自分は龍王の血を引いているとはいえ、雷系統の術式を体にまとえることと、自身の霊力を龍の鱗や腕として物質化する程度しか出来ない。
 冬花との術比べは、結局、冬花が最後まで本気を出してくれなかったことで、八重にとっては少しだけ欲求不満の残るものであった。
 耳と尻尾の封印を解いた、本気の彼女の実力を見てみたいが、つまりはそれを引き出せなかった自分が未熟なのだろう。
 そして、その直後に出会った彼女の弟・葛葉鉄之介。
 父の厳つい顔を見慣れているからか、結城景紀も含めてとても強そうな人間には見えなかった。兄と比べても、そうだろう。
 ただ、同年代の術者ということで対抗意識はあった。
 こんな弱っちそうな奴に自分が負けてたまるか、と。
 自分より弱くて根性のない人間ならば、婚約などお断りだ。
 そしてその翌日。
 意外にも、鉄之介は根性のある男子であった。自分の拳に吹っ飛ばされてもめげずに向かってくる。
 正直、嬉しかった。楽しかった。
 八重は小さな頃から活発で、近所の男子に混じって合戦ごっこなどをして遊ぶような少女だった。だが、自分が女子学士院に入るような年齢になってくると、今まで一緒に遊んでくれた男子たちは八重を敬遠するようになった。
 十歳前後となると男女ともに性差を気にし出す年齢になり、年長のガキ大将ですら平然と殴り飛ばす八重を恐れるようになったのだろう。
 女子学士院に入ってからも、陰湿な上級生を殴り飛ばして問題になったこともある。そんなお淑やかさの欠片もない自分に、積極的に親しくなろうとする同級生はいなかった。
 だから、八重は鉄之介のことを弟弟子として認めた。
 婚約のことは一旦横に置いておくとして、こいつとは競い甲斐があると感じたのだ。
 それは浦部八重という少女にとって、ある意味で幸運な出逢いと呼べるものであった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「何だか、凄いことになっているな」

 この日の列侯会議が終わり、その足で宮城二の丸の済寧館を訪れた景紀は、感嘆とも呆れともつかぬ声でそう言った。
 道場では鉄之介と八重、互いの術式が駆け回り、伊任の張った結界に衝突して小さく火花を散らす。鉄之介は木刀を持ち、八重の方は薙刀を持ち、術の合間で打ち合っている。

「……ってうか、あの八重って子はなかなかやるな。鉄之介の奴、防戦一方じゃないか」

「姉として、応援すべきか情けなく思うべきか、迷うところね」

 そして、冬花は少しだけ悩ましげに呟いた。
 今日の彼女は、昨日、皇国ホテルでの茶会と同じように、白のシャツに黒い短洋袴ショートパンツをはき、その上に赤い火鼠の羽織をまとっていた。着物だと、どうしても尻尾が圧迫されてしまうからだ。
 今、彼女は短洋袴ショートパンツの腰の部分から尻尾を飛び出させ、頭の上に狐耳を乗せていた。それを、被り布付きの赤い羽織で隠している。

「鉄之介殿は、なかなか気骨のある少年だな」

 そう言って近付いてきたは、伊任の嫡男・伊季だった。

「妹の性格に怖じ気づく同年代の者は多いのだが、鉄之介殿は怯まず何度もあの子に向かっていている」

「まあ、反骨精神だけは旺盛な奴だからな」

 それが向けられる先が主に自分であるので、景紀は若干苦笑しながら言う。

「それにしても、あんなに楽しそうな八重の表情は久しぶりに見た。鉄之介殿には感謝したいくらいだ」

「ああ、なるほど……」

 訳知り顔で頷いたのは、冬花だった。

「どういうことだ?」

「いえ、少し女子学士院の後輩から聞き出した話なのですが」近くに伊季がいるため、冬花は景紀に対する口調を改めた。「浦部八重という少女は手の付けられないお転婆娘で、陰湿な嫌がらせをする上級生でも容赦なく叩きのめしたのだとか……」

 流石に話に尾ひれがついている可能性も否定出来ないので、冬花はあくまで伝聞であることを示した上で景紀に説明した。

「まあ、ほとんど事実だな」

 そして、シキガミの少女の言葉を伊季が肯定する。
 確かにそんな性格の娘では女子学士院の校風に合わないかもしれないな、と景紀は納得する。

「何と言うか、兵学寮の方に居れば悪評ではなく武勇伝として語り継がれそうな奴だな」

 二人の言葉を聞き、景紀は苦笑せざるを得なかった。自分も貴通と共にそうした武勇伝を残してしまっているが故が、実感出来ることだったのだ。

「まあ、そういう訳であの子には歳の近しい友人に恵まれていないところがあってな。鉄之介殿がそういう人間になってくれるのならば、兄としては安心出来る」

「武家の家臣の嫁に来るんだったら、むしろそのくらいの気性の持ち主の方が相応しいだろうな」

「景紀殿がそう言ってくれると、助かる。もし八重が嫁ぐことになったら、貴殿はあの子の主君になるわけだからな。正直、本当に嫁のもらい手が見つかるかどうか、兄としては不安に思っていたのだ」

 兄として、妹を案ずる気持ちが伝わってくる台詞であった。

「何だかんだで、気が合っているんじゃないのか、あの二人?」

「やはり、貴殿もそう思うか?」

「愚弟も防戦一方なくせに何だか楽しんでそうですし、割れ鍋に綴じ蓋ってところですかね?」

 三者三様に、鉄之介と八重の相性を勝手に論じ合う。

「こりゃあ、婚約の話はこっちが無理に進めるよりも、当人たちの自然な流れに任せた方が上手くいくかもな」

「はい、それがよろしいかと思います」

 主君の言葉に、冬花は同意する。

「伊季殿、何だったら冬休みが終わった後も、放課後とかで鍛錬をしてもらえるよう、伊任殿にそれとなく伝えておいてくれないか?」

「ああ、そうだな」ふふっと龍王の血を引く青年は軽く笑った。「兄としても、妹を寂しがらせるのは心苦しい。とはいえ、あの子のことだ。鉄之介殿のことが気に入ったらこちらから言い出さなくても、自分から父上に言うか、そちらの屋敷に押しかけるだろう」

「ははっ、違いない」

「あの、それってそのたびに屋敷の結界に罅を入れられるってことですよね? 流石に勘弁してもらいたいのですけど?」

 何とも嫌そうな声で抗議の声を上げた冬花に、景紀と伊季は揃って苦笑を浮かべるのだった。

  ◇◇◇

 ばしゃり、と鉄之介は桶の中の水を手で掬って顔を洗った。
 冬だというのに、冷えた井戸水は心地よかった。全身から流れる汗が引いていくような感じがする。それだけ、試合で体が熱くなっていたのだろう。

「ふぅー……」

 息をつきながら、鉄之介は先ほどでの八重との試合を思い出す。
 五回戦までやって、勝てたのは最後の一回のみ。それでも、悔しいというよりもその一勝にどこか達成感じみたものを覚えていた。
 久々に、全身の霊力を活性化させた気がする。全身の疲労すら、心地よく感じるくらいだ。
 ばしゃり、ともう一度鉄之介は水で顔を流した。

「はい、これ」

 ふと目を開けると、八重が清潔な布を差し出していた。彼女もまた術比べの熱が残っているのか、少しだけその頬は赤かった。前髪が汗で額に張り付いている。

「あ、ああ」

 少し戸惑いながらも、鉄之介はそれを受け取った。顔を拭く。

「……ありがとう、助かった」

「あはっ、あんた、昨日みたいに減らず口叩くのかと思ったら、ちゃんとお礼を言えるのね」

「お前は俺を何だと思ってんだよ」

 八重の言葉が、何だか弟の成長を喜ぶ姉のような口調だったので、鉄之介はつい唇を尖らせてしまう。

「不快にさせちゃったらごめんなさい。でも、あんたっていう人間が知れてよかったわ」

「……お前、意外に気が利く奴なんだな」

「そうよ、私はあんたの姉弟子なんだから」

 ふん、と八重は得意そうに鼻を鳴らした。そこに年下の少女が無理に背伸びしているような違和感はなく、実に堂に入った振る舞いであった。
 姉弟子という言葉に年上の男子として面白くない思いが湧き上がる一方、そうした態度を見せられて納得してしまう自分がいた。

「……なあ、お前は普段から武術の稽古もやってるのか?」

 釣瓶を手繰り寄せている八重に、鉄之介はそう問いかけた。

「ええ、皇宮警察の訓練生なんかと一緒にね。流石に術を使うわけにはいかないけど」

「実戦の経験はあんのか?」

「ないわよ。私、まだ十三だし。正式に御霊部の人間になっているわけでもないから。あんたは?」

「俺は、一度だけ。この間の、事件の時に」

「ああ、お父様が言っていた、あなたのお姉さんが妖狐の血を暴走させたってあれね。あれ、あんたが止めたの?」

「いや……」ぎゅっと拳を握って、鉄之介は告白した。「止めたのは、あいつ―――景紀だ」

「ああ、あの結城家の次期当主。さっき、お姉さんと一緒に見に来ていたわよね」

「結局、俺はなんも出来なかった。それどころか、初めて人殺しを見て青くなっていただけだ」

 八重との試合で感じていた充足感が、途端に鉄之介の中で萎んでいった。結局、自分は年下の少女にすらろくに勝てない、半人前の陰陽師なのだ。
 と、ぱしゃん、と顔に水が掛けられた。

「……何すんだよ」

 思わず、八重に抗議の声を上げてしまった。だが、そんな鉄之介の鼻先に少女の指が突き付けられる。

「いい? ウジウジ悩んでいる暇があったら、次同じようなことになったら上手く出来るように頑張る、修行する」

 八重は片手を腰にあてて、もう片方の手の人差し指を鉄之介に突きつけていた。

「武術の腕が足りないって判っているなら、それをやればいいのよ。相手が欲しいっていうなら、私がやってあげるから」

 強く一方的な口調であるのに、どこか年相応の少女らしい優しさが混ぜ込まれている、そんな声だった。

「せっかくこうして一緒に稽古することになったんだから、一緒に強くなればいいのよ」

 何の迷いもなく、衒いもなく、八重はそう言ってのけるのだ。
 そのさっぱりとした態度が、鉄之介にはどこか眩しく感じた。姉や景紀との関係でずっと悩んでいる自分とは、大違いだ。

「……お前、ずりぃ奴だな」

 ぼそりと、少年は憎まれ口を叩く。
 この少女は、ただの“口の悪いお転婆娘”ではない。確かに態度は大きいし、男子としての意地を刺激されてしまうが、それでも八重という少女は他者を思い遣る心を持っている。
 そんなものを見せられたら、嫌でも自分の婚約者になるかもしれないということを意識させられてしまう。
 素直に自分の気持ちを認めることも出来ず、鉄之介は八重が水を汲んだ桶を奪い取って思い切り水を被った。

「ちょっ!? 流石に風邪引くわよ!?」

 八重が思わず頓狂な声を上げるが、鉄之介は気にせずぶんぶんと首を振って水を弾く。
 そんな声を出させたことに少しだけ勝った気分になりながら、鉄之介は言った。

「よし、八重! 今の言葉、忘れるなよ!」

 多分、その時、自分は初めて彼女の名を呼んだだろう。

「ぜってぇ、お前より強くなってやるんだからな!」

 一瞬だけ鉄之介の宣言をきょとんとした顔で聞いていた八重だったが、すぐにその言葉を理解したのだろう。

「ええ、受けて立ってやるわ、覚悟しておきなさい」

 八重は腕を組んで胸を反らし、とびきり嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言ったのだった。
 ああ、やっぱりこいつはずるいな、とその表情を見て鉄之介はもう一度、そう思った。
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