秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第三章 列侯会議編

55 列侯会議

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朕列侯会議及衆民院ノ各員ニ告ク
朕茲ニ親臨シテ開院ノ式ヲ行フ
朕ハ国務大臣ニ命シテ嘉応十六年度ノ予算及必要ナル法律案ヲ議会ニ提出セシム
惟フニ各般進張ノ事業ハ実ニ国家ノ隆運ト関係ヲ相為ス朕ハ卿等カ愼重討議シ以テ協贊ノ任ヲ完クセムコトヲ望ム

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 皇暦八三四年十二月二十四日、来年度予算などを決定するための列侯会議・衆民院常会が、皇主の開院式勅語によって開会した。
 六家当主を中心とする列侯会議は、華族議員の他に国家に勲労ありと認められた勅選議員(元官僚や学者など)などから構成されている。公爵・侯爵議員は終身制であるが、それ以外の伯爵・子爵・男爵は任期七年で、同じ爵位の者同士による互選制であった。この他、皇族議員も列侯会議に議席を持っているが、出席しないことが慣例となっていた。
 また、衆民院と違い、解散はない。
 議員としての待遇は、公爵・侯爵議員は歳費が支払われず(つまりは無給)、逆に伯爵・子爵・男爵議員には歳費が支払われる。経済的に困窮している華族の中には、歳費を目当てに列侯会議議員になろうとする者もいるという。
 そして、六家が議会における拒否権を持っていることもあり、列侯会議は衆民院に対する優越が認められている。予算に関しては列侯会議の先議権が定められており、さらに各種議決について両院で意見が異なった場合には列侯会議の議決が優先されるのである。





 さて、翌二十五日、両院最初の本会議が開かれた。列侯会議議員たちは本会議場へと集まり、午前九時十五分に本会議が始まった。

「昨日開院式につきまして、聖駕の臨幸を忝う致しました時に賜りました勅語に対しまして奉答書を草案致しますることは各部より部長を以て本席に御依託相成りましてございます。よって右奉答書の案を起草致しましてございます。これを只今朗読致しまするによって別段御異議がござりませねば直ちに上奏の手続きを致しますでございます」

 列侯会議議長の声が、廟議堂列侯会議本会議場に朗々と響く。
 本会議最初の議題は、昨日の開院式勅語に対する奉答書の可否についてであった。

 臣 列侯会議議員等誠恐誠惶恭テ
叡聖文武皇主陛下ニ上奏ス
今ヤ皇国議会ノ開会ニ際シ車駕親臨シテ開院ノ成典ヲ挙ケ優渥ナル勅語賜フ臣等謹ンテ聖旨ヲ奉体シ専ラ皇国ノ隆盛ト人民ノ幸福トヲ以テ目的トシ皇室ノ藩屏タルノ実ヲ挙ケンカ為所見ヲ啓瀝シテ以テ
皇猷ヲ賛襄スル所アルヲ期セサラムヤ臣等恐懼ノ至ニ堪ヘス謹テ奉答ス

 そのような内容の上奏案が二度、議長によって朗読された。
 すると、議員の一人が立ち上がった。

「上奏案の議決に先立って、一つ、動議を出させていただきたい」

 そう言ったのは、景紀であった。

「結城景紀君」

「陛下に対して上奏を行う以上、その上奏案の議決は列侯会議議員として相応しい者たちによってなされなければならない。しかるに、陛下の御座所が存在するこの皇都に騒擾の種をもたらし、皇室第一の藩屏たる我ら六家への暗殺を企てた者がこの議場には存在している。よって、上奏案の可否を取る前に、その者、すなわち佐薙成親の列侯会議議員資格の剥奪の動議を行わせていただく」

「異議あり!」

 景紀が言い終わるのとほぼ同時に、佐薙成親の大声が議場に響く。

「すべては事実無根であり、我が輩もまた皇室の藩屏である! 先の事件は不逞浪士に拐かされた我が娘を助け出しただけであり、その者の言うが如き暗殺計画など存在していない! そもそも、何故将家当主でもない者がこの議場におるのだ!? 我が輩の方こそ、結城景紀の退席について動議を行いたい!」

 佐薙成親による景紀退席の動議は、景紀と対立する伊丹・一色両公の同意を期待してのことだったのだろう。咄嗟にしては機転の利いた動議であったが、そもそもの問題としてそれが動議として取り上げられるようならば、最初から景紀はこの場にいない。

「結城景紀君は公爵議員・結城景忠君の代理としての出席が認められております」議長が事務的な口調で反論した。「列侯会議における拒否権を持つ六家に関しては、当主不在の場合はその嫡男ないしは当主に相当する者の代理での出席が認められており、また結城景紀君がすでに元服を済ませ、兵学寮を卒業していることを鑑みても、列侯会議出席は問題なきものであります」

 議長は佐薙成親の威圧するような怒声にも怯むことなく、むしろ淡々と説明を終える。

「私は結城景紀殿の動議に賛成である」

「私も、賛成する」

 そして、予め景紀が根回しをしてあった有馬貞朋、長尾憲隆が相次いで景紀の動議に賛意を示す。

「賛成」

「賛成」

「賛成」

 伊丹、一色、斯波も口々に賛成の声を上げる。
 伊丹正信や一色公直にしてみれば、空いた伯爵議員の席に、自分たちと思想を同じくする攘夷派将家を送り込める可能性がある以上、佐薙成親の失脚を阻止するだけの理由はない。
 その後も、六家に睨まれたくないという消極的理由から賛同を示す議員が相次いだ。

「動議成立の必要人数を越えましたので、結城景紀君の動議は成立いたしました。では、これより、佐薙成親君の列侯会議議員資格剥奪の可否についての採決を取りたいと思います」

 議長は予定調和的な平坦な口調で、佐薙成親に対する動議を宣言した。

「議長、採決の前にもう一点よろしいか?」

「結城景紀君」

「採決に際して、議員諸氏の判断の参考になる情報があるので、開示させていただく」

 景紀は、どこか神妙な口調で続けた。

「佐薙成親伯による電信維持費の横領の事実が判明いたしました。逓信省より全国の電信網を維持するために各領主に分配されている電信維持費を、佐薙成親伯は数年にわたって横領、その金は領軍の維持および武器の購入に充てられていた模様です。我が結城家の掴んだこの情報はすでに逓信省および内務省に通告し、本日正午に内務省および逓信省が公式にその事実を発表するとともに、後日、議会にて両大臣が詳細な説明を行うとのことです」

「でたらめだ!」

 再び、佐薙成親が怒声を発した。

「それこそ、我が佐薙家を陥れるための陰謀である! いったい、何の証拠があってそのような戯れ言を吐くのか!?」

「すでに逓信省および内務省地方局はこの件について内密に調査を開始しており、千代逓信局の幹部が佐薙伯からの賄賂を受け取って横領の隠蔽に協力していたとともに、不必要に高い金額を電信維持費として嶺州に配分していたことまで判明しています」

 逓信省は全国の鉄道網や通信網などの交通・通信を管轄しており、特に電信網に関しては植民地も含めた領土が東西南北に広く拡がっているため、全国一律の整備が必要であった。そのため、諸侯が統治権を持つ領国に関しては、逓信省が電信維持費という名目で予算を出して、それぞれの領国に電信を敷設させたのである。そして当然、一度電信を敷設すればその維持のためにも予算を割かなくてはならない。
 もちろん、電信維持費という名目で諸侯に配分される予算である以上、それ以外に対する使用は認められていない。
 しかし、佐薙成親は領地が豪雪地帯であるなど様々な理由を付けて多額の電信維持費を逓信省に要求するため、東北方面を管轄する逓信省千代逓信局の幹部に賄賂を送って多額の維持費請求を正当化するための資料などを作成、さらには横領の事実を隠蔽させる工作に協力させていたのである。
 長尾家ですら掴んでいなかったこの不正を景紀が知ることが出来たのは、冬花のお陰であった。
 冬花が佐薙家皇都屋敷に潜り込み、一部を入手した機密文書。
 その断片的な情報から、景紀はこれが会計の不正を隠蔽するための帳簿であることを見抜き、逓信省や内務省に内密に調査を求めたのである。
 そして先日、ちょうど景紀が冬花を見舞ったあの夜、その調査結果の第一報が結城家屋敷に届けられたというわけである。

「これまさに公盗の巨魁と言わざるべからざる所業であります。議員諸氏においては、この事実をよく吟味した上で採決に臨まれんことを願う次第である」

 そう言って、景紀は言葉を切った。

「では、採決に移りたいと思います」

 やはり淡々と、議長は宣告する。

「待て! そのような動議は認められない!」だが、佐薙成親はなおも抵抗する。「我が輩は佐薙家当主として、皇室の藩屏としての責務を今日まで果たしてきた! しかるに、その者は何だ! “皇室第一の藩屏”などと言うが、当主にすらなっていないただの若造に過ぎんではないか! そのような若造の言いがかりによってこのような動議を可決すれば、それこそ列侯会議は鼎の軽重を問われることになること、明白である! 皇国の将来に禍根を残すことになろうぞ!」

 宵との婚礼の儀の際もそうだったが、この男はなかなかに弁舌の才があるらしい。景紀は内心で皮肉な笑みを浮かべながらそう思った。声が大きく、語調も威圧的なものであるので、下位の者に対しては相応の効果を発揮するだろう。こういう人間が朝食会議の場にいたら面倒だな、と景紀は何となくそう思う。
 とはいえ、状況次第では佐薙成親の怒号に呑まれる人間も出てくるだろうが、現状、この議場での勝敗はほぼ決したようなものである。
 口を開ければ開くほど、追い詰められて醜態を晒しているようにしか見えない。

「佐薙成親君、静粛に願います」

 そして、議長も佐薙成親の怒声に付き合うつもりはないのか、粛々と動議を進めようとしている。

「佐薙成親君の列侯会議議員資格剥奪に賛成の方はご起立を願います」

「おい貴様! 何を勝手なことを言っているのか!?」

 景紀を罵倒するだけでは飽き足りなかったのか、今度は議長にまで喰って掛かっていた。しかし、動議が成立している以上、議長の対応に間違った部分は存在しない。
 そして、議長の言葉によって、列侯会議議員たちが次々と立ち上がっていく。起立した人間は、すぐに議場を埋め尽くした。

「……賛成多数。よって、本動議は可決されました」議場を見渡して、議長は言う。「よって、佐薙成親君は直ちに議場より退出することを命じます」

「待て! すべてはその若造の言い掛かりであることが証明出来る! その動議結果を一時凍結することを求める!」

「佐薙成親君は直ちに議場より退出して下さい」

 議長の言葉は相変わらず淡々としていて、取り付く島もない。
 佐薙成親は憤怒の形相で景紀を睨んでいたが、景紀の方はそれを柳に風と受け流す。すでに、佐薙成親は政治的に“終わった”人間でしかないのだ。

「守衛官、守衛官はいるか!」

 ここで初めて、動こうとしない佐薙成親に業を煮やしたらしい議長が大声を発した。
 廟議堂には、院内の警務全般を担当する守衛と呼ばれる警備官が配置されている。彼らは内務省警保局の警察官などではなく、議会独自の警察的組織であった。
 このため、特権として帯刀などが認められている武士階級の列侯会議議員であっても、議場に武器は持ち込めず、議員控え室に事前に置いておくことになる。
 議長の声に従って、議場の外で待機していた守衛が駆け込んできた。

「列侯会議議員資格剥奪につき、佐薙成親伯を拘束、議場から退出させよ!」

「はっ!」

 守衛たちが、石のように自らの議席から動こうとしない佐薙成親の両腕を掴み、無理矢理に立ち上がらせようとする。
 だが、その瞬間に佐薙成親の腕が動いた。
 一人の守衛の腹部に肘打ちをしてその体を頽れさせると、机の上に飛び乗って鬼の形相で景紀に向けて突進してきたのである。

「邪魔だぁ、どけぇ!」

 途中、さらに数人の列侯会議議員が佐薙成親によって突き飛ばされた。
 議場が騒然となり、さらに数人の守衛が駆け込んでくる。

「天誅っー!」

 ほとんど本能的な暴力衝動に駆られたかのように殴りかかってきた佐薙成親の腕を、景紀は流れるような動作で掴み、一本背負いの要領で床に叩き付ける。

「ぐぁ……」

「-――ふっ」

 佐薙成親の呻きと、景紀が短く息をつく音が重なった。そして、佐薙成親が痛みで動けなくなっている隙に守衛が彼を拘束し、議場の外へと連行していく。

「離せ! 離さんか! 我が輩は伯爵であるぞ! 何の権限があって貴様らは我が輩にこのような仕打ちをしておるのか!」

 議場から連れ出されるまで、北国の領主は往生際悪く喚いていた。
 そして扉が閉じられ、議場には戸惑いと困惑の混じった空気と沈黙が流れた。
 佐薙成親に突き飛ばされた人間はいたが、それで大きな怪我を負った人間はいないようであった。
 コンコンと議長が木槌を打つ音が、議場に響き渡る。

「議員諸君は着席を」

 その声に導かれるようにして、列侯会議本会議場は元の秩序を取り戻した。

「それではこれより、先ほど朗読いたしました上奏案についての採決を行いたいと思います」

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 その後、佐薙成親の議員資格剥奪動議とは対照的に上奏案は何の波乱もなく可決され、議長はそのまま上奏のために参内することとなった。そのため、列侯会議は一時間の休憩が設けられ、議員たちはそれぞれの控え室へと下がっていった。

「議場が武器持ち込み禁止でよかったわね」

 シキガミの少女はあからさまにほっとした表情を浮かべている。
 景紀の側近中の側近である冬花であっても、議員でない以上、議場まで付いていって景紀を護衛するわけにはいかないのだ。景紀が議場に出ている間は、控え室で待機していることが求められる。
 冬花としては、実にもどかしい時間であった。

「まあ、そうだな」景紀は、冬花の言葉に頷く。「そうでなけりゃ、列侯会議が開設されて以来、議場で血生臭い事件が絶えなかっただろうな」

「列侯会議を開設した当時の六家当主たちの英断ね。武士から刀を取り上げるなんて規程、よほど強硬に推進しなきゃ出来なかったでしょうに」

「まあ、それに俺にはお前と宵が作ってくれたお守りがあるしな」

 そう言って、景紀は首元からお守りを取り出して冬花に見せる。
 その信頼感が嬉しくて、思わず冬花は口元を緩めてしまった。

「そう、なら、よかった」

「ああ」

 つられたように、景紀も小さく冬花に向かって笑みを見せた。

「それで、これで佐薙成親は完全に失脚ってことになるのかしら?」

「不正の証拠は揃っているんだ。宗秩寮(宮内省宗秩寮。華族などに関する事務を司る)にも根回しして、爵位の剥奪を行わせる準備もしている」

「でも、佐薙伯が『不正は家臣が勝手にやったことだ』って言い出したらどうするの?」

「例えば、俺が冬花に会計の不正とかを命じたらどうする?」

「それが救恤きゅうじゅつ金の捻出のためだとか必要悪なら従うけど、私腹を肥やすためなら全力で止めるわよ」

 生真面目な口調で、冬花は即答した。

「うん、まあ、冬花ならそういう答えになりそうだな」

 少し質問を間違えたかと景紀は思った。とはいえ、そういう少女の忠誠心は嬉しく思う。

「だがまあ、世の中、冬花みたいな忠臣ばかりじゃないのが現実だ」

 忠臣、という言葉に冬花は少しだけ気恥ずかしそうな表情を浮かべた。

「不正を命じられた側は、いずれ発覚したときに命令者から全責任を押し付けられることを恐れる。つまり、佐薙の奴が横領の責任を一部の家臣に押し付けようとすれば、家臣の側は自分が不正を命じられた証拠を取り出してきて、自分は仕方なく不正に荷担しただけだと自己弁護を始めるだろうな。いずれにせよ、佐薙家は家臣団も含めて、その統制を失って混乱するだろうよ」

「不正が発覚した時点で、佐薙成親に逃げ道は残されていなかったってわけね」

「まあ、そうだな」

 頷いて、景紀は冷たい笑みを浮かべるのだった。
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