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第三章 列侯会議編
53 四天王
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「しかし、これでようやく得心がいきました」
「ん、何がだ?」
納得と共に呟かれた宵の言葉に対して、景紀が聞き返す。
「いえ、景紀様が今まで冬花様と貴通様を会わせていなかった理由です。いかに兵学寮と女子学士院で学ぶ場所が分かれていたにせよ、同じ皇都内です。休暇などもあるでしょうから、かなり意図的にしないと冬花様と貴通様が会わないという状況は作り出せないはずです」
「貴通を冬花に会わせると、こいつが自分に認識阻害の術式を掛けているって判っちまうからな。貴通が女であることは隠さなきゃならないし、かといって説明しなければ冬花は昨日みたいに貴通を警戒する」
「お二人を会わせると、景紀様としてはどちらかに対して不義理になってしまうと考えたのですね?」
「まあ、そうだな」
「僕も景くんが白髪の陰陽師の子を重用していることは聞いていましたから、会わないよう警戒していたというのもあります」
「なるほど、そうでしたか」
宵は頷いた。
「まあ、景紀らしいといえば、らしいわね」どこかしみじみと冬花は言った。「私に対してもそうだけど、景紀って人との関係で妙なこだわりを見せる時があるから」
「そこが景紀様の良さだと思いますが?」
惚気の雰囲気もなく、ただ淡々と事実を指摘する声音で宵が言う。
「ふふっ、景くんはいい理解者を得られたようですね」
貴通が微笑ましそうな笑みを兵学寮同期に向けた。
「ああ、自慢の嫁さんだよ」
それに対して景紀は、にやりとどこか悪戯っぽい笑みを貴通に返す。兵学寮時代の悪友同士の会話であった。
「……というか、鉄之介とはこの間、会っているのよね?」ふと、冬花は気付いた。「あの子、貴通様の偽装に気付いていなかったの?」
「一応、この認識阻害の術式は相応に高度なものだそうですよ。先ほどのように僕が自ら正体を明かすような行為をしない限り、外部から術式が破られたことはありませんし。まあ、あの時は景くんがかなり切羽詰まっていたので、僕としても正体が露見するか、術の所為で不審がられることは覚悟していましたが」
「それに、冬花は妖狐の血の影響が強く出た所為で、霊力とかそういうものの気配をかなり敏感に察知出来るんだろ? 単純にお前と鉄之介を比べられるものじゃないと思うんだが」
「まあ、そうかもしれないけど……」
しかし、葛葉家の次期当主としてどうなのだろう、と姉としては思わざるを得ないのだ。
「まあ、あいつも葛葉家を継ぐ人間である以上、将来的には陰陽師として相応の技量を身に付けて欲しいところではあるがな」
「やっぱり、浦部様のところで修行してもらうべきかしらね」
溜息交じりに、冬花はそう言った。この一件で、彼女の中でそれはほとんど確定事項になったようだ。
「ところで、一つ、よろしいでしょうか?」
と、すっと宵が手を挙げた。
「何ですか?」
「景紀様は、いつの時点で貴通様が女性であると気付かれたのですか?」
「だいたい、兵学寮に入ってから一年くらい経った頃でしたかね?」
貴通は確認するように、景紀を見た。
「まあ、十一か二か、それくらいの頃だったな」
「はい。認識阻害の術式で女性であることを偽れても、肉体そのものの変調まで誤魔化せるものではありませんからね。そこは、父も迂闊だったというべきでしょう」
つまり、十一歳の時に女性としての体の変化が訪れたということだろう。
「血を誤魔化すために、偽りの喧嘩をして、景くんに鼻血を流させたこともありました。本当に、在学中は景くんにお世話になりっぱなしでしたから」
「同室のよしみだよ」
景紀は何でもないことのように言うが、秘密の共有者として在学中、そして体が女に変化していく不安定な時期に、ずっと自分のことを支えてくれたことが貴通にとってどれだけありがたかったことか。
きっとそれを、男であるが故に景紀自身はよく判っていないに違いないと、貴通は思う。
「んで、貴通は俺の幕下に入りたいってことでいいんだな?」
「はい。景くんには、これからご迷惑をおかけすることになるかと思いますが」
「とりあえず、うちの家臣団への根回しは絶対として、お前の父親の説得と、近衛師団にお前の転属要請をしないとな」
「すみません」
「いや、お前という人間が手に入るとなれば、この程度の面倒なんてどうってことないさ。呪術面は冬花、政治的助言は宵、諜報は新八さんと来て、軍事は貴通だ。なかなか、俺の周りにも人が揃ってきたって感じだな」
「私はまだまだ未熟なのですが……」
自らの名が連ねられていたことに恐縮したのか、宵がおずおずと抗議する。
「まあ、将来の先取り、ってところだな」
にっと景紀は宵に対して笑いかける。それだけ自分は期待されているのだと、宵はその思いを新たにした。
「判りました。後世の軍記物などで、景紀様の四天王として名を残せるよう、私も精進いたします」
少し、自分でも大きく出すぎたかな、と宵は思ったが、それでもその覚悟で景紀のことを支えていこうと、北国の姫は改めて思ったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日、景紀は朝一で使者を走らせて穂積通敏文相へ会見を申し込んだ。
使者は朝食会議が終わるころに屋敷に戻ってきて、通敏とは午後三時に大臣官邸にて会うこととなった。その間、景紀は貴通とともに近衛師団司令部と兵部省を訪れ、貴通の転属願いを行った。六家の要請であったことと、もともと重要な任務に就いていなかった貴通であったので、結城家幕下への転属はあっさりと承認された。
後日、人事局から正式な辞令が出されるとのことであった。
また、貴通を景紀の幕下に加えることについて、益永忠胤を始めとする主要な家臣からは特に反対の声が上がらなかった。兵学寮次席というのはそれだけのものであるし、愛妾の子とはいえ五摂家の人間が結城家に加わることは、それだけで家の権威付けにもなるからだ。ただし、貴通が女であることについては伏せてある。
当面は冬花に協力してもらい、女性であることを隠すことになるだろう。
そして、約束の時刻に景紀は冬花を護衛に伴って文部大臣官邸を訪れた。貴通は連れてきていない。
昨夜のようなことがあった以上、父親とは会わせない方がいいと景紀が判断したのだ。貴通も、すまなそうな顔をしながら彼に父の説得を頼んでいた。
官邸の応接間には、少し神経質そうな表情を浮かべた男性が待っていた。
「穂積大臣には、貴重なお時間を割いて頂いてありがたく思いますよ」
「うむ」
とりあえず慇懃に出た景紀であるが、一方の穂積通敏はいささか緊張気味に頷くだけであった。
「さて、今日、面会を希望したのは他でもありあせん。あなたの“息子”さんであり、俺の兵学寮同期である貴通のことについてです」
応接椅子に座ると、早速、景紀は本題に入った。
「……」
一方、通敏は警戒するように口を閉じている。
「彼から、我が結城家の幕下に加わりたいと言われまして、家臣の賛同も得られたことですし、近衛師団司令部と兵部省に転属願いを出してきました。“息子”さんをお預かりすることになりますので、ご挨拶をしておこうかと思いまして」
「……物事の順序が逆ではないか?」
少し苦い口調で、通敏は咎めるように言った。
「まずは父である私に話を通すのが、筋であると思うのだが?」
「貴通はあなたの“息子”ではありますが、一軍人でもあります。軍内部の人事に、軍人でもない文相閣下が口を出すことは穏当ではありませんよ」
現に政府内の人事に多大な影響力を及ぼしている自分たち六家のことは完全に棚に上げて、景紀は平然と言い放った。
「……」
結城家次期当主の少年の指摘に、通敏は苦々しく口元を歪める。
「ああ、貴通から聞きましたが、公爵閣下は我ら六家がその血筋を乗っ取ることを警戒されているようですね。ただ、俺は別に穂積家そのものにはまったく興味はありませんので、その点はご心配なく」
「……」
通敏は黙っている。ここで何かを言えば、六家の反感を買うかもしれないと思っているのだろう。公家華族としての生存戦略としては、それはそれで正しいといえる。
もともと、この父親が貴通を男として扱っていたのは、五摂家の血筋に六家のそれが混じり込むことを忌避してのことだ。景紀が穂積家を血筋的に支配しようとしているのではないと示せば、不承不承ではあっても貴通を手放さざるを得ないだろう。
ただ問題は、貴通が女で、景紀が男であることだ。それを、通敏がどう捉えるか。
「……“あれ”は、愛妾の子だ」ようやく、通敏は口を開いた。「奴一人だけが私の子であればまた話は違ったのだろうが、すでに家を継がせるべき子は別に存在している。だから、“あれ”に家を継がせるつもりはない」
「そもそも、貴通が家を継ぐこと自体に無理があるのでしょう?」
暗に、貴通の本当の性別を知っていることを告げる。
親友とも言える兵学寮同期を、父親とはいえ“あれ”呼ばわりしていることに苛立ちを覚えないでもないが、景紀は努めて慇懃な口調を維持した。
彼の言葉を受けて、通敏の眉間に皺が寄る。
「……なるほど。貴殿は“あれ”の秘密を知ってしまったということか」
景紀の言葉を、通敏は正確に理解していたようだった。
「ならば、貴殿も華族ならば判っていよう。男子は家を継ぐ。女子は他家に嫁がせ縁を結ぶ。それが、我ら華族が家に安寧をもたらす方法であると」
「つまり大臣は、まだ貴通を利用するつもりで?」
「継ぐことは出来ずとも、家のために貢献してもらうことは出来よう」当然とばかりに、通敏は言う。「貴殿が貴通をどう思っているか知らんが、私は近々、“あれ”を退役させるつもりだった」
「それで、愛妾との間の隠し子を引き取るという体にして、あいつを女に戻して政略結婚の道具にでも使うつもりだったのか?」
通敏の目論見が見え透いていたため、ついに景紀も慇懃な口調を維持するのが難しくなっていた。
「家の安寧のためだ。何もおかしなことはあるまい?」
「そうだな。不愉快じゃああるが、華族として明確に間違っているとは言えないだろうな」
「ならば、これ以上、貴殿も“あれ”に関わるのは止めて頂きたい。これ以上は、他家に対する干渉となりますぞ」
「昨夜、あいつのことを斬り付けておいて、今更何を言っているんだか」
景紀は、吐き捨てるように言った。例え頭に血が上った末の出来事であったとしても、咄嗟にそういう行動に出てしまう程度には、この父親は娘のことを家のための道具としてしか見ていなかったのだろう。
「このまま男として過ごさせることが、“あれ”にとって幸せだと貴殿は思っているのか?」
「さあな。それは俺やあんたが判断することじゃなくて、あいつ自身が判断することだ。少なくとも俺は、軍人として俺の幕下に加わりたいって言うあいつの意思を尊重する」
「貴殿がそこまで“あれ”に執着する意味が理解出来んのだが?」
「別に、執着しているわけじゃない。ただ、あいつの友人としてあいつのやりたいことを叶えてやりたいだけだ。あんただって、貴通があれだけ優秀ならもっと別の選択肢を与えてやってよかっただろうに」
「それは、戦時になると男が家を空ける武家の考えだな。公家にとって、女子とは婚姻によって家に繁栄をもたらす存在なのだ。いくら軍人として優れていようが、関係ない」
「それこそ、古代の摂関政治の理論だろうが」
「佐薙の姫を娶った貴殿が、それを言うのか?」
「自分の娘を家のための道具としてしか見ていないあんたに言われたくないな」
「貴殿も、いずれ子が生まれればそうなるであろうよ。所詮、公家も武家も、『家』という単位が最も重要なことには変らんのだからな。当主たるものは、それを第一に考える義務がある」
「だったら、跡継ぎたる息子が一人いるんだからそれで満足だろ? これまでずっと貴通は家の安寧のために尽くしてきたんだ。いい加減、解放してやれ」
「……」
通敏は黙って、景紀の顔を見つめていた。そこから、何かを読み取ろうとしているかのような視線であった。
「……そうまでしてあの娘を欲しがるか。もしや貴殿、“あれ”を抱いたのか?」
「ふざけるのもいい加減にしろよ、てめぇ」
反射的に、景紀は低い声で通敏を威圧していた。
「貴通は一度だって、女であることを理由に俺を誘惑しようとはしなかった。そんなことをすれば、俺たちの関係に亀裂が入ると判っていたからだ。あいつはただ、自分という存在を肯定してくれる居場所が欲しかっただけなんだよ」
「……」
少年の剣幕に、通敏は黙り込んでしまった。
「あんたにとっては、過度に結城家に接近している印象を与えたくないんだろうな。だったら、貴通を出奔したことにでも、勘当するにでも、好きにすればいい。貴通は、その覚悟で結城家に来ようとしているんだからな。俺だって、あんたが余計なことをしなければ、穂積家そのものに手出しするつもりはない」
「……私は今、文部大臣だ。家の中での醜聞は、政治的な痛手となる」
「それは俺が配慮してやる問題じゃないな」景紀は冷たく切り捨てた。「そもそも、あいつに男であることを演じさせた時点で、どこかで綻びが出ることは覚悟しておくべきだったろうに。安易に血の純潔に拘ったツケが回ってきただけだろ?」
「列侯会議が迫っている今、私に大臣を辞められては困るのではないか? 貴殿の所為で私が辞職したとなれば、貴殿は頼朋翁にどう釈明するつもりだ?」
「それは脅しのつもりか?」呆れたように、景紀は返す。「だとしても程度が低いな。今、大臣を辞めるってことは、攘夷派に付くって俺たち三家や世間からは見られるぞ。そうなれば、攘夷派が政権を取るまで再び大臣になる機会は巡ってこないし、巡ってきたとしても、文官でしかないあんたは攘夷派政権の中で大した地位は得られないだろうよ」
「……」
通敏は悔しげに顔を歪めた。やはり、辞任のほのめかしは脅しに過ぎなかったのだろう。
「とにかく、俺からの話は以上だ。後は残された穂積家の人間の中で、家の安泰を図ればいい」
そう言って、景紀は立ち上がった。
背後に控えていた冬花がさっと扉に手を掛けて開け、景紀が部屋を退出すると自らもまた扉を潜って景紀の背中を追いかけた。
◇◇◇
「もう一波乱あるかと緊張していたけど、何とか片付いたわね」
馬車に乗り込んで結城家屋敷を目指しながら、冬花が言った。
「まあ、こっちは六家な上に、父親が子供を斬り付けたっていう醜聞を握っているんだ。反発はあっても、納得するしかなかっただろうよ」
「でも、あんまり他所から人材引き抜いたりすると要らぬ反発を買うこともあるから、気を付けた方がいいかもしれないわよ」
「俺も相手が貴通だからやったんだ。でなきゃ、五摂家の人間を配下に加えるなんて、明らかな面倒事の種を自分から掴みにいこうとはしないさ」
「そんなに、貴通様のことを気に入っているの?」
少し拗ねたように、冬花は訊いてしまった。彼女としては、十歳から十五歳までという、人間の成長が肉体的にも精神的にも著しい時期を景紀とともに過ごしたあの少女に、少しだけ嫉妬のような感情を覚えてしまうのだ。
「ああ。軍人としても頭脳もそうだが、結構、気が合うしな」
「ふーん」
「まあ、そうむくれるなって」
苦笑交じりに景紀が言い、冬花は子供じみた自分の態度を恥じて顔を背けてしまう。
「……でも、そうよね」ちょっと頬を染めながら、冬花は言った。「私は呪術とか事務処理とかで景紀を支えられているけど、軍事的な教育は受けていないし、宵姫様も同様。貴通様が軍事面で景紀を支えるってことになれば、確かに宵姫様の言う通り“四天王”ってことになるわよね」
「ははっ、そうだな」
にやり、と景紀は笑う。
「だから、これからも頼りにしているぜ、俺のシキガミ」
「もう……」
その言葉に、冬花はいっそう頬を赤くしてしまったのだった。
「ん、何がだ?」
納得と共に呟かれた宵の言葉に対して、景紀が聞き返す。
「いえ、景紀様が今まで冬花様と貴通様を会わせていなかった理由です。いかに兵学寮と女子学士院で学ぶ場所が分かれていたにせよ、同じ皇都内です。休暇などもあるでしょうから、かなり意図的にしないと冬花様と貴通様が会わないという状況は作り出せないはずです」
「貴通を冬花に会わせると、こいつが自分に認識阻害の術式を掛けているって判っちまうからな。貴通が女であることは隠さなきゃならないし、かといって説明しなければ冬花は昨日みたいに貴通を警戒する」
「お二人を会わせると、景紀様としてはどちらかに対して不義理になってしまうと考えたのですね?」
「まあ、そうだな」
「僕も景くんが白髪の陰陽師の子を重用していることは聞いていましたから、会わないよう警戒していたというのもあります」
「なるほど、そうでしたか」
宵は頷いた。
「まあ、景紀らしいといえば、らしいわね」どこかしみじみと冬花は言った。「私に対してもそうだけど、景紀って人との関係で妙なこだわりを見せる時があるから」
「そこが景紀様の良さだと思いますが?」
惚気の雰囲気もなく、ただ淡々と事実を指摘する声音で宵が言う。
「ふふっ、景くんはいい理解者を得られたようですね」
貴通が微笑ましそうな笑みを兵学寮同期に向けた。
「ああ、自慢の嫁さんだよ」
それに対して景紀は、にやりとどこか悪戯っぽい笑みを貴通に返す。兵学寮時代の悪友同士の会話であった。
「……というか、鉄之介とはこの間、会っているのよね?」ふと、冬花は気付いた。「あの子、貴通様の偽装に気付いていなかったの?」
「一応、この認識阻害の術式は相応に高度なものだそうですよ。先ほどのように僕が自ら正体を明かすような行為をしない限り、外部から術式が破られたことはありませんし。まあ、あの時は景くんがかなり切羽詰まっていたので、僕としても正体が露見するか、術の所為で不審がられることは覚悟していましたが」
「それに、冬花は妖狐の血の影響が強く出た所為で、霊力とかそういうものの気配をかなり敏感に察知出来るんだろ? 単純にお前と鉄之介を比べられるものじゃないと思うんだが」
「まあ、そうかもしれないけど……」
しかし、葛葉家の次期当主としてどうなのだろう、と姉としては思わざるを得ないのだ。
「まあ、あいつも葛葉家を継ぐ人間である以上、将来的には陰陽師として相応の技量を身に付けて欲しいところではあるがな」
「やっぱり、浦部様のところで修行してもらうべきかしらね」
溜息交じりに、冬花はそう言った。この一件で、彼女の中でそれはほとんど確定事項になったようだ。
「ところで、一つ、よろしいでしょうか?」
と、すっと宵が手を挙げた。
「何ですか?」
「景紀様は、いつの時点で貴通様が女性であると気付かれたのですか?」
「だいたい、兵学寮に入ってから一年くらい経った頃でしたかね?」
貴通は確認するように、景紀を見た。
「まあ、十一か二か、それくらいの頃だったな」
「はい。認識阻害の術式で女性であることを偽れても、肉体そのものの変調まで誤魔化せるものではありませんからね。そこは、父も迂闊だったというべきでしょう」
つまり、十一歳の時に女性としての体の変化が訪れたということだろう。
「血を誤魔化すために、偽りの喧嘩をして、景くんに鼻血を流させたこともありました。本当に、在学中は景くんにお世話になりっぱなしでしたから」
「同室のよしみだよ」
景紀は何でもないことのように言うが、秘密の共有者として在学中、そして体が女に変化していく不安定な時期に、ずっと自分のことを支えてくれたことが貴通にとってどれだけありがたかったことか。
きっとそれを、男であるが故に景紀自身はよく判っていないに違いないと、貴通は思う。
「んで、貴通は俺の幕下に入りたいってことでいいんだな?」
「はい。景くんには、これからご迷惑をおかけすることになるかと思いますが」
「とりあえず、うちの家臣団への根回しは絶対として、お前の父親の説得と、近衛師団にお前の転属要請をしないとな」
「すみません」
「いや、お前という人間が手に入るとなれば、この程度の面倒なんてどうってことないさ。呪術面は冬花、政治的助言は宵、諜報は新八さんと来て、軍事は貴通だ。なかなか、俺の周りにも人が揃ってきたって感じだな」
「私はまだまだ未熟なのですが……」
自らの名が連ねられていたことに恐縮したのか、宵がおずおずと抗議する。
「まあ、将来の先取り、ってところだな」
にっと景紀は宵に対して笑いかける。それだけ自分は期待されているのだと、宵はその思いを新たにした。
「判りました。後世の軍記物などで、景紀様の四天王として名を残せるよう、私も精進いたします」
少し、自分でも大きく出すぎたかな、と宵は思ったが、それでもその覚悟で景紀のことを支えていこうと、北国の姫は改めて思ったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日、景紀は朝一で使者を走らせて穂積通敏文相へ会見を申し込んだ。
使者は朝食会議が終わるころに屋敷に戻ってきて、通敏とは午後三時に大臣官邸にて会うこととなった。その間、景紀は貴通とともに近衛師団司令部と兵部省を訪れ、貴通の転属願いを行った。六家の要請であったことと、もともと重要な任務に就いていなかった貴通であったので、結城家幕下への転属はあっさりと承認された。
後日、人事局から正式な辞令が出されるとのことであった。
また、貴通を景紀の幕下に加えることについて、益永忠胤を始めとする主要な家臣からは特に反対の声が上がらなかった。兵学寮次席というのはそれだけのものであるし、愛妾の子とはいえ五摂家の人間が結城家に加わることは、それだけで家の権威付けにもなるからだ。ただし、貴通が女であることについては伏せてある。
当面は冬花に協力してもらい、女性であることを隠すことになるだろう。
そして、約束の時刻に景紀は冬花を護衛に伴って文部大臣官邸を訪れた。貴通は連れてきていない。
昨夜のようなことがあった以上、父親とは会わせない方がいいと景紀が判断したのだ。貴通も、すまなそうな顔をしながら彼に父の説得を頼んでいた。
官邸の応接間には、少し神経質そうな表情を浮かべた男性が待っていた。
「穂積大臣には、貴重なお時間を割いて頂いてありがたく思いますよ」
「うむ」
とりあえず慇懃に出た景紀であるが、一方の穂積通敏はいささか緊張気味に頷くだけであった。
「さて、今日、面会を希望したのは他でもありあせん。あなたの“息子”さんであり、俺の兵学寮同期である貴通のことについてです」
応接椅子に座ると、早速、景紀は本題に入った。
「……」
一方、通敏は警戒するように口を閉じている。
「彼から、我が結城家の幕下に加わりたいと言われまして、家臣の賛同も得られたことですし、近衛師団司令部と兵部省に転属願いを出してきました。“息子”さんをお預かりすることになりますので、ご挨拶をしておこうかと思いまして」
「……物事の順序が逆ではないか?」
少し苦い口調で、通敏は咎めるように言った。
「まずは父である私に話を通すのが、筋であると思うのだが?」
「貴通はあなたの“息子”ではありますが、一軍人でもあります。軍内部の人事に、軍人でもない文相閣下が口を出すことは穏当ではありませんよ」
現に政府内の人事に多大な影響力を及ぼしている自分たち六家のことは完全に棚に上げて、景紀は平然と言い放った。
「……」
結城家次期当主の少年の指摘に、通敏は苦々しく口元を歪める。
「ああ、貴通から聞きましたが、公爵閣下は我ら六家がその血筋を乗っ取ることを警戒されているようですね。ただ、俺は別に穂積家そのものにはまったく興味はありませんので、その点はご心配なく」
「……」
通敏は黙っている。ここで何かを言えば、六家の反感を買うかもしれないと思っているのだろう。公家華族としての生存戦略としては、それはそれで正しいといえる。
もともと、この父親が貴通を男として扱っていたのは、五摂家の血筋に六家のそれが混じり込むことを忌避してのことだ。景紀が穂積家を血筋的に支配しようとしているのではないと示せば、不承不承ではあっても貴通を手放さざるを得ないだろう。
ただ問題は、貴通が女で、景紀が男であることだ。それを、通敏がどう捉えるか。
「……“あれ”は、愛妾の子だ」ようやく、通敏は口を開いた。「奴一人だけが私の子であればまた話は違ったのだろうが、すでに家を継がせるべき子は別に存在している。だから、“あれ”に家を継がせるつもりはない」
「そもそも、貴通が家を継ぐこと自体に無理があるのでしょう?」
暗に、貴通の本当の性別を知っていることを告げる。
親友とも言える兵学寮同期を、父親とはいえ“あれ”呼ばわりしていることに苛立ちを覚えないでもないが、景紀は努めて慇懃な口調を維持した。
彼の言葉を受けて、通敏の眉間に皺が寄る。
「……なるほど。貴殿は“あれ”の秘密を知ってしまったということか」
景紀の言葉を、通敏は正確に理解していたようだった。
「ならば、貴殿も華族ならば判っていよう。男子は家を継ぐ。女子は他家に嫁がせ縁を結ぶ。それが、我ら華族が家に安寧をもたらす方法であると」
「つまり大臣は、まだ貴通を利用するつもりで?」
「継ぐことは出来ずとも、家のために貢献してもらうことは出来よう」当然とばかりに、通敏は言う。「貴殿が貴通をどう思っているか知らんが、私は近々、“あれ”を退役させるつもりだった」
「それで、愛妾との間の隠し子を引き取るという体にして、あいつを女に戻して政略結婚の道具にでも使うつもりだったのか?」
通敏の目論見が見え透いていたため、ついに景紀も慇懃な口調を維持するのが難しくなっていた。
「家の安寧のためだ。何もおかしなことはあるまい?」
「そうだな。不愉快じゃああるが、華族として明確に間違っているとは言えないだろうな」
「ならば、これ以上、貴殿も“あれ”に関わるのは止めて頂きたい。これ以上は、他家に対する干渉となりますぞ」
「昨夜、あいつのことを斬り付けておいて、今更何を言っているんだか」
景紀は、吐き捨てるように言った。例え頭に血が上った末の出来事であったとしても、咄嗟にそういう行動に出てしまう程度には、この父親は娘のことを家のための道具としてしか見ていなかったのだろう。
「このまま男として過ごさせることが、“あれ”にとって幸せだと貴殿は思っているのか?」
「さあな。それは俺やあんたが判断することじゃなくて、あいつ自身が判断することだ。少なくとも俺は、軍人として俺の幕下に加わりたいって言うあいつの意思を尊重する」
「貴殿がそこまで“あれ”に執着する意味が理解出来んのだが?」
「別に、執着しているわけじゃない。ただ、あいつの友人としてあいつのやりたいことを叶えてやりたいだけだ。あんただって、貴通があれだけ優秀ならもっと別の選択肢を与えてやってよかっただろうに」
「それは、戦時になると男が家を空ける武家の考えだな。公家にとって、女子とは婚姻によって家に繁栄をもたらす存在なのだ。いくら軍人として優れていようが、関係ない」
「それこそ、古代の摂関政治の理論だろうが」
「佐薙の姫を娶った貴殿が、それを言うのか?」
「自分の娘を家のための道具としてしか見ていないあんたに言われたくないな」
「貴殿も、いずれ子が生まれればそうなるであろうよ。所詮、公家も武家も、『家』という単位が最も重要なことには変らんのだからな。当主たるものは、それを第一に考える義務がある」
「だったら、跡継ぎたる息子が一人いるんだからそれで満足だろ? これまでずっと貴通は家の安寧のために尽くしてきたんだ。いい加減、解放してやれ」
「……」
通敏は黙って、景紀の顔を見つめていた。そこから、何かを読み取ろうとしているかのような視線であった。
「……そうまでしてあの娘を欲しがるか。もしや貴殿、“あれ”を抱いたのか?」
「ふざけるのもいい加減にしろよ、てめぇ」
反射的に、景紀は低い声で通敏を威圧していた。
「貴通は一度だって、女であることを理由に俺を誘惑しようとはしなかった。そんなことをすれば、俺たちの関係に亀裂が入ると判っていたからだ。あいつはただ、自分という存在を肯定してくれる居場所が欲しかっただけなんだよ」
「……」
少年の剣幕に、通敏は黙り込んでしまった。
「あんたにとっては、過度に結城家に接近している印象を与えたくないんだろうな。だったら、貴通を出奔したことにでも、勘当するにでも、好きにすればいい。貴通は、その覚悟で結城家に来ようとしているんだからな。俺だって、あんたが余計なことをしなければ、穂積家そのものに手出しするつもりはない」
「……私は今、文部大臣だ。家の中での醜聞は、政治的な痛手となる」
「それは俺が配慮してやる問題じゃないな」景紀は冷たく切り捨てた。「そもそも、あいつに男であることを演じさせた時点で、どこかで綻びが出ることは覚悟しておくべきだったろうに。安易に血の純潔に拘ったツケが回ってきただけだろ?」
「列侯会議が迫っている今、私に大臣を辞められては困るのではないか? 貴殿の所為で私が辞職したとなれば、貴殿は頼朋翁にどう釈明するつもりだ?」
「それは脅しのつもりか?」呆れたように、景紀は返す。「だとしても程度が低いな。今、大臣を辞めるってことは、攘夷派に付くって俺たち三家や世間からは見られるぞ。そうなれば、攘夷派が政権を取るまで再び大臣になる機会は巡ってこないし、巡ってきたとしても、文官でしかないあんたは攘夷派政権の中で大した地位は得られないだろうよ」
「……」
通敏は悔しげに顔を歪めた。やはり、辞任のほのめかしは脅しに過ぎなかったのだろう。
「とにかく、俺からの話は以上だ。後は残された穂積家の人間の中で、家の安泰を図ればいい」
そう言って、景紀は立ち上がった。
背後に控えていた冬花がさっと扉に手を掛けて開け、景紀が部屋を退出すると自らもまた扉を潜って景紀の背中を追いかけた。
◇◇◇
「もう一波乱あるかと緊張していたけど、何とか片付いたわね」
馬車に乗り込んで結城家屋敷を目指しながら、冬花が言った。
「まあ、こっちは六家な上に、父親が子供を斬り付けたっていう醜聞を握っているんだ。反発はあっても、納得するしかなかっただろうよ」
「でも、あんまり他所から人材引き抜いたりすると要らぬ反発を買うこともあるから、気を付けた方がいいかもしれないわよ」
「俺も相手が貴通だからやったんだ。でなきゃ、五摂家の人間を配下に加えるなんて、明らかな面倒事の種を自分から掴みにいこうとはしないさ」
「そんなに、貴通様のことを気に入っているの?」
少し拗ねたように、冬花は訊いてしまった。彼女としては、十歳から十五歳までという、人間の成長が肉体的にも精神的にも著しい時期を景紀とともに過ごしたあの少女に、少しだけ嫉妬のような感情を覚えてしまうのだ。
「ああ。軍人としても頭脳もそうだが、結構、気が合うしな」
「ふーん」
「まあ、そうむくれるなって」
苦笑交じりに景紀が言い、冬花は子供じみた自分の態度を恥じて顔を背けてしまう。
「……でも、そうよね」ちょっと頬を染めながら、冬花は言った。「私は呪術とか事務処理とかで景紀を支えられているけど、軍事的な教育は受けていないし、宵姫様も同様。貴通様が軍事面で景紀を支えるってことになれば、確かに宵姫様の言う通り“四天王”ってことになるわよね」
「ははっ、そうだな」
にやり、と景紀は笑う。
「だから、これからも頼りにしているぜ、俺のシキガミ」
「もう……」
その言葉に、冬花はいっそう頬を赤くしてしまったのだった。
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