秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第三章 列侯会議編

46 シキガミ少女の自室にて

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「どうだ、調子の方は?」

 夕食の時刻、景紀は冬花の部屋を訪れていた。

「うん、だいぶ霊力の方も回復してきたみたい」

 布団から身を起こした彼女が、微かな笑みを浮かべた。午前に見せた弱々しい笑みと比べ、だいぶ生気が戻っていた。

「そっか、そりゃあ良かった」

 そんな少女の顔を見て、景紀もほっとしたように口元を緩めた。
 ただ、霊力の回復に努めていたためか、今の彼女は狐耳と尻尾の封印を行っていなかった。尖り気味の耳が頭の上に乗り、白い着流しの裾からは毛並みの良い尻尾が飛び出ている。
 とはいえ、景紀は幼少期から彼女の本来の姿を見ているので、今更驚くこともない。いつもと変わらずに、冬花に接する。

「ほれ、夕飯」

 景紀の手には、盆が握られていた。その上には、湯気の立つ碗が載っている。それを、景紀は畳の上に置いた。盆の上には、梅干しのおかゆと玉子の汁物が載っていた。

「料理掛に言って作ってもらったんだが、その様子だともう少ししっかりしたものの方が良かったか?」

「いえ、十分よ。それにしても、用人の娘のためにわざわざ特別に料理を作らせるなんて、景紀も随分と無茶したわね」

「ははっ、そこは当主代理の権限を使って作らせたから、安心してくれ」

 冗談めかして、景紀は言う。

「もう……」

 呆れたように、冬花は溜息を付く。しかし、その顔はどこか微笑ましげだった。

「じゃあ、頂くわ」

 冬花はおかゆの入った茶碗に手を伸ばした。お椀は少し熱いくらいであったが、それが景紀の心遣いのように思えて、逆に心地よい。
 木匙で梅干しを崩し、おかゆと一緒に口に運ぶ。梅干しの酸味がご飯のほのかな甘みと溶け合い、体に栄養が染み渡っていくようだった。

「……」

 と、二口目を掬おうとしておかゆに匙を入れたところで、冬花は視線に気付いた。
 唇の端を微かに持ち上げた穏やかな表情で、景紀が彼女を見ていたのだ。

「……」

 少しだけ不満げな表情を、冬花は景紀に向けた。

「ん、どうした?」

 何気ない口調で、冬花の主君たる少年は訊いてくる。

「ちょっと、見られていると食べ辛いんだけど……」

 上半身をよじって景紀の視線から逃れようとしながら、冬花はむくれたように言う。

「いや、悪い悪い」景紀は楽しげに笑った。「冬花が元気になったようで、ほっとしてさ」

 どうしてのこの主君は、平然とこういうことを言ってくるのだろうか? 頬が熱くなった冬花は、恨みがましげにそんなことを思う。

「まあ、そんなら少し席を外していようか」

「それは駄目」

 反射的に、冬花は言い返していた。自分でも、駄々っ子のような声だと思ってしまう。まったく、自分も何を言っているのだろう……。これでは景紀に文句を言えない。
 冬花は自分の内心を誤魔化すように、少し自棄やけになっておかゆを口に運ぶ速度を速めた。

「……」

 そんな少女の様子を、景紀は微笑ましいもの見るような目をしながら見守っていた。

「―――景紀様、冬花様、よろしいでしょうか?」

 冬花がおかゆを食べ終わりかけた時、不意に襖の外で宵の声が響いた。それまで少し気恥ずかしげな様子であった少女の表情が、一瞬にして強ばる。
 景紀が平然としている所為で忘れかけていたが、彼女は今の自分の姿を思い出したのだ。
 昨日、怪僧に捕らわれて以来、冬花は宵と会話を交わしていない。今朝、有馬翁のところへ向かう景紀の見送りに来た宵と、わずかな時間、顔を合わせただけだ。

「ああ、良いぞ」

 だが、景紀は冬花の許しを待たず、宵を呼び入れてしまった。少女が抗議をする暇も、布団を被って身を隠す暇もない。
 すっと行儀の良い洗練された動きで、宵が部屋の襖を開けた。
 冬花は部屋の出入り口から完全に顔を背け、俯いてしまう。微かに震える手を誤魔化すように、茶碗を両手できつく握りしめた。

「ああ、冬花様。ご回復なされたようで何よりです」

 だが、そんな冬花とは対照的に、宵は景紀と同じく、耳と尻尾の生えた冬花の姿を見ても動じることはなかった。

「冬花」

 そっと優しく、景紀は少女の名を呼んだ。それで少し、彼女の震えは収まった。

「俺の判断を、信じられないか?」

 以前、冬花は自らの秘密を宵姫に打ち明ける時期を、景紀に任せた。だから、景紀が大丈夫だと判断しならば、何も心配ないはずなのだ。
 冬花はそう自分に言い聞かせるが、それでも自らの本性を宵姫が目撃した状況が状況である。怯えにも似た臆病な感情が胸を支配するのも、無理からぬことであった。

「冬花様」

 宵はそんなシキガミの少女の様子を見て、彼女の正面に回る。そして、躊躇わずに冬花の手を自らの手で包み込んだ。

「……」

 戸惑ったように、不安そうに、冬花はのろのろと顔を上げた。

「冬花様、あなたはシキガミとして景紀様をお支え申し上げようと誓ったのでしょう? ならば、何を恥じることがありましょうや? 冬花様のそのお心は、とても尊いものなのですから」

 力強く断言する宵。その瞳は、しっかりと正面から妖狐の少女を見つめていた。

「……っ」

 その言葉を受けて、冬花はきゅっと下唇を噛んだ。少女の赤い瞳は、薄らと潤んでいる。

「……ありがとう、ございます」

 消え入りそうな声で、それでもほっとしたように、冬花はそう言ったのだった。

「これからも、私たちで景紀様を支えて参りましょう」

「はい……」

 そんな二人の少女の様子を、景紀は優しく見守っていた。
 部屋には、そんな三人を包み込むような温かい沈黙が流れていた。





「それで景紀様、先ほど景紀様宛の書状が届きました」

 冬花が落ち着きを取り戻すと、宵はそう言って懐に挟んだ書状を取り出した。二通、あった。

「どちらも、内務省からのものです。一通は警保局長・皇都警視庁警視総監の連名、もう一通は地方局長からのものです」

 内務省警保局は警察部門を所管する組織であり、皇都警視庁は皇都の警察を管轄する組織であった。その長である警保局長、皇都警視庁警視総監は内務次官と並んで「内務省三役」と呼ばれるほどの重要な役職であった。
 一方の内務省地方局は地方行政を担当する組織であり、中央政府直轄府県の行政に対する監督権を持つと共に、諸侯の支配する全国の領国の行政を監察する役割を負っている。特に後者の役割に関しては律令制の時代に設置された勘解由使や観察使などにその源流が見られるが、現在では六家による諸侯監視機関としての面が強い。
 つまり、内務省地方局に要監察対象とされた諸侯は、実質的に六家から睨まれている諸侯という意味合いになる。
 その地方局から結城家に対して書状が届けられたということは、いずれかの諸侯が反六家的行為を行っている疑いがあるということを臭わせた。
 とりあえず、景紀はおおよその内容に見当が付く警保局・警視庁の書状から広げた。

「……やっぱな」

 そして実際、その内容は景紀の予想通りであった。

「宵、読んでみろ」

 彼は書状を宵に渡す。それを受け取った宵は、さっと書状に目を通す。

「昨日の事件に関する、結城家への捜査協力願いですね」

 警保局・警視庁連名の書状は、結城家に対して昨日の事件に関して捜査の協力を要請するものであった。「命令」ではなく「要請」となっているのは、諸侯の治外法権に配慮してのことであろう。これが弱小諸侯であればまた違ったのであろうが、結城家は六家であり、下手な対応をすれば警保局長や警視総監の首が飛ぶ。
 実際、手紙の内容は非常に慇懃であり、宵への見舞いの言葉などが丁寧な筆致で綴られていた。

「今朝の朝食会議でお前が言った通り、この事件で結城家に後ろめたいことが何もないことを証明するためにも、要請には応じるべきだろうな。それに、その方が宵の健気さを演出出来る」

「結局、景紀様はその方向を貫くおつもりなのですね」少し呆れたように、宵は溜息をついた。「まあ、私はあなたを支えると言いましたから、別に良いのですけれども、どうも変に持ち上げられると、むずがゆい気がすると言いますか、何と言いますか……」

 黒髪の少女は、悩ましげに眉根を寄せた。
 佐薙家では蔑ろにされていた経験からか、どうにも自身の評価を上げるような工作をすることに、心の奥底で違和感を禁じ得ないらしい。

「まあ、これも今の俺たちには必要なことだ。俺は佐薙成親を失脚させたい。お前は嶺州の民のために結城家から協力を引き出したい。そのための手段だからな」

「かしこまりました」

 そう景紀に言われては、宵としても引き下がるわけにはいかない。

「……んで、もう一通は、っと」

 景紀は、内務省地方局からもたらされた書状をばさりと広げた。

「……」

 内容を読み進めると、景紀の目が興奮で大きく開いた。そして、口元が邪悪に歪んでいく。

「景紀?」

 そんな主君の様子を見て、冬花が怪訝そうな声をかけた。

「素晴らしい、実に結構」

 誰が見ても悪人の笑みを浮かべながら、景紀はそんな言葉を呟く。そして、書状から顔を上げると冬花を見た。

「冬花、よくやった。お前の手柄だ」

「はい?」

 何のことを言われているのか理解出来ず、冬花は首を傾げた。だが、景紀はそんなシキガミの少女の反応に頓着することなく、再び書状に目を落とす。

「よしっ! これで佐薙成親を追い落とす算段が完全についたな。……宵」

「はっ」

 短く応えの言葉を返した宵に、景紀は剣呑な表情を向ける。

「やるぞ。いいな?」

「ご随意に」

 宵の声もまた、景紀の表情に負けず劣らず硬質な冷たさが宿っていた。

「景紀様の敵は、すなわち私の敵なれば。例えそれが、実の父であろうとも」
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