秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第二章 シキガミの少女と北国の姫編

36 情報操作

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「それで、景くん」

 貴通がそう言った時、すでに日はかなり傾いていた。

「この騒ぎに、どう収拾をつけるつもりですか?」

「鉄之介、お前の数珠についていた水晶に、映像は記録したか?」

 貴通に問いに答える前に、景紀は鉄之介に確認した。

「ああ、あんたとあの男との遣り取りから、姫様が斬り付けられるところまで記録に収めている」

「なるほど。この子を連れてきたのは、そういう意味もあったんですね」貴通は納得と共に頷いた。「将家当主による略取誘拐と傷害。佐薙成親伯に政治的打撃を与えるには十分な証拠になりますね。問題は、その証拠が呪術を利用したものだということですが。捏造と主張される可能性も高いでしょうから」

 その声は、状況を分析する冷静な冷徹さが宿っていた。

「それで、牢人たちの死体はどうするんです? ああ、そっちの怪僧の死体もですが」

 そして、確認するような口調で貴通が再び問う。

「俺は冬花を弄んだ奴は、絶対に許さんと決めている。例え相手が将家の当主でもな」

 景紀の口調には、断乎とした響きがあった。これは何を言っても聞かないだろうと、周囲の者が思うほどの声音である。

「ここは兵学寮ではありませんよ」

 だが、そうした同期生の言葉に対して、貴通は慎重に言葉を選びつつ言った。

「景くんのシキガミを侮辱したからといって、無闇に報復するわけにはいきません」

「判っている」苛立たしげに、景紀は吐き捨てた。「だから、命は狙わないでおいてやる。ただし、政治生命は絶つ」

「はあ、まあ、それで景くんが収まるのであれば」

 貴通は軽く溜息をついた。兵学寮時代から、この同期生は自身のシキガミのことになると過敏であった。
 将家男子が通う兵学寮も、華族女子などが通う女子学士院も皇都に存在する。
 そのため兵学寮では時折、女子学士院に姉妹が通っている人間が冬花の話題を口にすることがあった。それが彼女を侮辱する内容であれば、景紀は上級生であろうと容赦なく叩きのめしたのだ。
 貴通が実際に冬花と会うのは今回が初めてであったが、彼も景紀がこの妖狐の少女をどれだけ大切に思っているのかを知っている人間の一人だ。

「鉄之介、まずはこの廃寺一帯に人除けの結界を張れ」

「……判った」

 鉄之介はなおも姉のことを案じていたが、姉の主君は必ず報復するという。彼にとっては多少、気に食わない次期当主ではあるものの、今は指示に従うことにした。

「死体の処理とかは、うちの隠密に任せるなり、警察に手を回して回収させるなりする。とりあえず、急いで屋敷に戻るぞ」

 屋敷に戻らなければ、指示も下せない。それに、このままの状態の冬花を放っておくことは出来ないし、肌襦袢一枚の宵も体調を崩してしまう。

「宵、下に馬車を止めてある。少しの距離、歩けるか?」

「はい、問題ありません」

「すまん」

 裸足で足も冷たいであろうに、宵はいつもの口調を崩さなかった。

「ぃよっと」

 地面に座り込んでいた景紀は、腰を浮かせる。

「貴通、悪いがちょっと手伝ってくれ」

 景紀は倒れている冬花を抱き起こそうとしていた。相変わらず、白髪の少女は気を失ったままである。

「それでしたら、私が」

 咄嗟に、宵は冬花に手を伸ばしていた。弛緩したシキガミの少女の体を景紀が背負いやすいよう、手を添える。景紀は冬花の腕を前に回し、彼女の大腿を腕で固定する。
 前屈みになりつつ、景紀は立ち上がった。

「すまん」

「いえ、この程度は」

 どちらかといえば、この程度しか出来ない自分がもどかしい。宵は景紀の斜め後ろを歩きつつ、顔を伏せた。

「こっちは結界を張り終わったぞ」

 と、鉄之介が報告する。

「ああ、判った」

「じゃあ、早く屋敷に戻りましょうか」

 貴通が先導するように石段へと向かった。すぐ傍にいる景紀と併せて、宵の視界を塞ぐような位置取りだった。
 少しだけ宵が怪訝に思っていると、景紀が言った。

「宵、石段ではあまり周りを見るな」

「死体でもあるのですか?」

 淡々とした調子を崩さずに、宵は確認した。少し考えれば、判ることであった。景紀たちは、父の手勢か雇われた者たちを突破して自分と冬花の元に辿り着いたのだ。その過程で、景紀や新八、貴通と呼ばれる少年に斬られた人間もいるだろう。
 とはいえ、目の前で怪僧・丞鎮が殺される場面を見せられているので、宵にとっては今更であった。
 それでも、景紀が自分に気を遣ってくれていることが判り、宵は少しだけ安心した。
 こんな無様を晒し、冬花を苦しませることになった自分を、この少年はまだ見捨てずにいてくれている。
 景紀に背負われている冬花になおも申し訳ない気持ちを抱えながらも、宵は少しだけ少年に体を寄せた。
 そうして、彼らは石段を降りていった。

  ◇◇◇

 彼らが結城家屋敷に戻った時、すでに日は暮れる寸前であった。
 景紀は屋敷の侍女に宵と冬花のことを頼むと、筆頭家老の益永忠胤や隠密担当の家臣らを呼び出して手早く指示を下した。
 まずは有馬頼朋翁と内務省警保局への根回し、そして情報操作のための買収工作、その他今回の事件の真相を結城家有利にねじ曲げるための工作について命令した。

「佐薙の野郎が手を打つ前に金をばらまけ。俺たちにとって有利な情報のみが広まるようにしろ」

 剣呑な口調で、彼は次々と指示を下していく。
 益永らは大きな疑問を挟まずに主君からの命令に従った。そのように円滑に進んだのは、屋敷の主要な者たちが今回の拉致監禁事件を知っていたからだ。
 屋敷を出る前に景紀は益永にある程度の事情は話していたし、景紀不在中には多喜子が益永に説明をしてくれていたらしい。
 彼女が結城家屋敷に来た時点で今回の誘拐事件の犯人が佐薙家であると判明はしていなかったが、多喜子は事件を利用して結城家と長尾家の結びつきを強めようとしたのだろう。
 事件の犯人が攘夷派(と、その背後にいる伊丹、一色両家)であろうと、佐薙家であろうと、長尾家にとって敵対勢力であることには変わりない。それら敵対勢力に対抗するために、彼女は自身をあえて人質とすることで結城家に対して誠意を見せ、政治的共闘関係を揺るぎないものにしようとしたのだろう。
 抜け目のないことであった。
 問題は、いかにして今回の事件を佐薙成親の失脚に結びつけるかであった。

「今回は、ご迷惑をお掛けしました」

 執務室で景紀が苛々と机を指で叩いていると、湯浴みと着替えを済ませた宵がやってきた。彼女に付き添うようにして、多喜子も現れる。

「……お前、まだ帰ってなかったのか?」

「何やら楽しい陰謀を巡らせているようですから、私も混ぜて貰おうかと思ったんですよ」

 茶目っ気のある笑みを浮かべつつ、多喜子は言った。
 そんな彼女の様子に、ずっと景紀の傍に控えて様子を見守っていた貴通が顔をわずかに歪ませた。長尾家の人間に、状況を不用意に掻き回されることを懸念したのだろう。
 かなり傾いた夕日に照らされた執務室にいるのは、景紀、貴通、宵、多喜子の四人だけであった。
 景紀は強いて多喜子を追い出すようなことはしなかった。

「それで、景紀様は今回の件をどうされるおつもりで?」

 宵もちらりと多喜子に警戒の視線を送りつつ、問うた。彼女もまた、長尾家を警戒しているのだろう。

「攘夷派浪士がお前を人質にして俺を誘き出し、殺害しようとしたところを返り討ちにされた、という筋書きで情報を広めるつもりだ」

「父上に関しては?」

 宵の声には、どこか探るような響きがあった。

「佐薙伯は攘夷派浪士に金を渡し、結城、長尾両家に対する暗殺計画を企てていたという情報を流そうと思っている。それに、宵の母親に対する呪殺未遂の件もある」

 宵は屋敷へと向かう馬車の中で、父が母に呪詛を掛けたと言っていたことを景紀に伝えていた。

「ああ、それでしたら私からも一つ情報を」

 どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら、多喜子は人差し指を立てた。

「恐らく、結城家の方でもある程度情報を掴んでいるかと思いますが、佐薙家には呪術師である僧侶が出入りしています」

「丞鎮のことか?」

「ええ、やはりご存じでしたか」多喜子は続ける。「ただ、結城家にとっての葛葉家と違って、あくまで佐薙成親が個人的に雇った者です。息子の大寿丸の病を治したとはいえ、その存在を気味悪がる家臣や屋敷の使用人もいるようです。呪詛がらみでしたら、そうした者たち、特に使用人に金を掴ませて成親伯に不利な証言をさせることも出来ましょう」

 長年、佐薙家との対立を続けてきた長尾家の情報は、その内容と精度において結城家のそれよりも勝るだろう。
 多喜子がどこまで景紀に真実を伝えているかは不明なところであったが、少なくとも現状で長尾家が景紀と敵対する理由はない。むしろ、結城家とともに佐薙家の弱体化を狙いたいところだろう。
 特に多喜子は、幼少期から景紀と冬花の関係を知っている。景紀が佐薙成親への報復を考えていると判断し、それを煽ろうとしている可能性もあった。
 ただ、景紀にとって不愉快な発言でもあった。
 別に、あの怪僧に同情しているわけではない。周囲から気味悪がられているという点を、冬花と重ね合わせてしまったためだ。

「しかし、あいつを完全に失脚させるには、少し材料が足りないな」

 不満そうに、景紀は呟く。冬花を責め苛んだ人間を確実に失脚させ、出来れば再起不能なまでの政治的打撃を与えたい。
 だが現状、佐薙伯には「攘夷派に誘拐された娘を救出した」という言い逃れが出来る。もちろん、映像を記録した鉄之介の水晶があればそれなりの政治的打撃を与えられるだろう。
 しかし、それで景紀が望むような形で佐薙成親が失脚してくれるかといえば、いささか弱い。
 もともと、宵もその母も佐薙家内では冷遇されていた。彼女たちを長尾家寄りの人間として敵視している家臣もいたかもしれない。そう考えると、宵の誘拐を理由に佐薙伯を糾弾し失脚させれば、最悪、佐薙家家臣団が反六家で団結することとなり、以後の領地経営への介入に支障を来すことになるだろう。
 出来れば、そうした家臣も含め、まとめて失脚してもらいたい。
 流石の佐薙家家臣団全体が、反長尾・反六家で一枚岩というわけではないだろう。当主が反長尾派の急先鋒であるために、要職に就けない穏健派家臣が必ず存在するはずだ。
 出来ればそうした人間たちへの根回しを行い、佐薙成親とその取り巻き連中を完全に退場させる。
 それが、景紀の望む結末であった。

「景紀様」すると、宵が再び口を開いた。「景紀様は、父上を完全に失脚させるおつもりでしょうか?」

 その声には反対の響きはなかったが、緊張感を孕んだ硬いものであった。

「ああ。お前と冬花をあんな目に遭わせた時点で、俺はお前の父親とやっていこうとする気は失せた」

「そう、ですか……」

 着物の袖のところで、宵がぎゅっと拳を握ったのは判った。そして、不安そうに瞳を揺らしながら問うてきた。

「……先日の、嶺州鉄道建設請負契約も、白紙撤回なのでしょうか?」

「こちらの誠意を踏みにじったのは、佐薙成親だ」

 その剣呑な口調に、いつもは淡々とした無表情を見せている黒髪の少女の顔が辛そうに歪んだ。
 宵の視線が迷うように泳ぎ、口が何かを言いたげに何度か開いては閉じられる。そして、その目がきゅっと閉じられた。

「景紀様!」

 そして、宵は意を決したように叫んだ。
 その場に膝を付いて、頭を床にこすりつける。

「冬花様への仕打ちに対するお怒りはごもっとも! ですが、私は嶺州の民のためにあなたに嫁ぐ覚悟を決めたのです! ですから何卒、鉄道契約の白紙撤回だけはお許し下さい!」

 それは慟哭にも似た、少女の悲痛な叫び声であった。
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