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第二章 シキガミの少女と北国の姫編
33 結界の侵入者
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新八が操る馬車が止まるのと同時に、景紀は馬車から飛び降りた。
「ここか……」
「ああ、間違いなく姉上と姫様はここにいる」
その後ろから、鉄之介も降りてきた。
彼らの前には、古びた石造りの階段があった。小高く盛り上がった土地の上に生い茂る林の中へと、その石段は続いている。
場所は、皇都郊外。
建物が密集して栄えているように見える皇都であるが、郊外に出ると途端に農村地帯や雑木林が広がる。そうした中に、この場所はあった。
「随分と荒廃した場所ですね」貴通が石段を見上げながら言った。「古い砦か城の跡とかですかね?」
「いや、寺か何かだろうな」
陰陽師であるが故に、そうした場所の雰囲気に鋭いのか、鉄之介が断言した。
「どこか別の寺か神社が管理しているんだろうが、多分、手が届いていないんだろうな」
景紀は、さして関心のなさそうな口調で言った。皇都郊外でもだいぶ辺鄙な場所にあるので、お参りする人間もほとんどいないのだろう。
「こういう、人が寄りつこうとしない場所は天然の結界だからな」
ぶすりとした声で、鉄之介が解説する。彼が景紀に抱く複雑な心境が、そこから読み取れた。
「それに、今は逢魔が時が近付いてきているから、そもそも寺や神社を参拝する時間じゃないし、そこに呪術による結界も張ってあるとなれば、拉致した人間を監禁しておく場所としてはそれなりだろうよ」
鉄之介の占術で宵と冬花の居場所を探知した景紀らは、結城家の家臣たちが領地との往復に利用している無紋の馬車を駆ってここまで来た。
皇都の中心部から馬車で一時間弱。
夕方ではないものの、すでに日は傾き始めていた。冬の日暮れは早い。
この場に居るのは、景紀に新八、鉄之介と貴通の四人だった。
貴通だけは結城家の関係者ではなかったが、彼は無理を言って同行させて貰っていた。
『景くん』
宵と冬花の居場所を探知して屋敷を飛び出そうとした景紀に、貴通は強い口調で呼びかけたのだ。
『僕も連れて行って下さい。戦力は、多い方がいいでしょう?』
『……』
その時一瞬、景紀は渋い顔になった。貴通は兵学寮同期で親しい人間とはいえ、五摂家の人間である。危険な場所に連れて行くことは躊躇われたし、何よりも彼は冬花の正体を知らない。
そして、景紀が貴通を冬花に会わせたくない理由は、もう一つあった。
『……判った』
だが、それでも景紀は貴通を連れて行くことにした。如何に結城家次期当主の妻が攫われたとはいえ、領内でない皇都では、結城家臣団を動員することは出来ない。彼らには皇都での警察権が与えられていないからだ。
だから、景紀が個人で動かせる戦力が一人でも多く欲しかった。それに、貴通ならば気心が知れている。
『冬花がいない今、背中を預けられるのはお前くらいだからな。新八さんは単独で行動する類の人間だし、鉄之介は実戦経験がない』
『了解です、首席生殿』
そう言われた貴通は、嬉しそうに茶目っ気のある敬礼をしたのだ。
そして四人は今、この寂れた神社へと続く石段の前に居た。
景紀は腰に二振りの刀を差し、貴通も結城家から刀を借りて腰に差している。そして二人とも、懐に拳銃を忍ばせていた。
「鉄之介、結界を破れるか?」
景紀は、学生服から着替えて水干姿になっている鉄之介に問う。
「……やってみる」
緊張で硬くなった声と共に、鉄之介は呪符を取り出した。
「はっ!」
裂帛の叫びと共に、複数の呪符を放つ。だが、呪符は石段の前で火花を散らして灰となってしまった。彼の術は、周辺を覆う結界にわずかな歪みを発生させただけであった。
「くそっ……!」
焦燥に駆られた動作で、鉄之介は再び呪符を取り出す。
「鉄之介、合わせろ」
すると、すっと景紀が鉄之介の前に出た。
「は?」
術者でもない人間が何を言っているんだ、と言いたげな怪訝な視線を鉄之介が向けると、景紀はちょうど腰に差す二振りの刀の内、一振りを抜くところであった。
それぞれ黒と白の鞘に収められた刀の内、白い方の刀。見れば、頭の部分に椿の装飾が下げられていた。
冬の間に咲く、花の装飾。
「えっ?」
呪術師である少年は、その刀身に霊力らしきものが宿っていることに気付いた。
「それは、姉上の……」
「鉄之介」
呆けたようになっている鉄之介を、景紀は鋭く呼んだ。
「わ、判った」
彼にも葛葉家嫡男としての意地がある。次期当主の前で、姉よりも劣る結果を出すわけにはいかなかった。
「はぁっ!」
今度こそ、という思いを込めて鉄之介は呪符を放った。同時に、景紀が刀を振り下ろした。鉄之介の目に、結界に生じた綻びが見えた。
「今だ!」
その綻びで生じた穴を維持するために霊力を込めながら、彼は叫ぶ。真っ先に景紀が石段へと突入し、貴通、新八と続き、最後に鉄之介が飛び込む。
鉄之介が霊力を込めるのを止めると、再び結界は塞がってしまった。
結局、彼の呪術では結界を破壊するのではなく、一時的に穴を開けるだけに留まったのだ。しかし、それでも結界内部へ侵入出来たことは確かであった。
「―――あああああああああああっ!」
石段を駆け上がる最中、悲痛な絶叫が彼らの耳に届いた。
「冬花……っ」
その叫びが誰のものであるのかを、景紀はすぐに悟った。刀を握る手に、知らず知らずのうちに力が入る。
「行きましょう」
景紀の隣に並んだ貴通が、決然たる口調で言った。
「ああ」
同期生の言葉に、景紀は低く剣呑に頷いた。
◇◇◇
シキガミの少女の痛ましい叫びは、何度も宵の耳に届いていた。
「……」
それでも、宵は口を閉ざしたままであった。
あの凜とした少女がここまでの悲鳴を上げる。きっと、目を覆うような責め苦に苛まれているのだろう。
だが、宵は無視することにした。無視する以外にないのだ。
自分は父の考えているような行動は取っていない。であるならば、冬花を人質に取られたところで、自分が口を割るべきことはない。
ここで冬花を庇おうとする台詞一つ出てこない自分は、きっと冷たい人間なのだろう。
しかし宵の冷静な部分は、徹底的に冷徹であった。ここで自分が冬花への責め苦を止めさせるために、嘘であっても父の望む言葉を言えば、それは結城家そのものへ不利益をもたらすことになる。
ならば、シキガミの少女は見捨て、自分は口を閉じている他ない。
そんな自分に嫌悪感を抱き、宵はぎゅっと唇を噛みしめた。
同時に、助けは来るのだろうかとも思う。
そして、きっと来るだろうと結論付ける。
景紀は必ず動くだろう。自分の夫となった少年は、そういう人間だ。自らの大切と思う者を、切り捨てられないだろう人間だ。自分とは違う。
「……気味の悪い人間だな、お前は」
冬花の悲鳴を聞かされても何も言わない宵に対して、佐薙成親は吐き捨てるように評した。
「いや、お前もあの混じり物の小娘を嫌悪していたということか」
「冬花様を悪く言うのは止めて下さい」
納得しかけた父に、宵は強い口調で言っていた。あまりにも自然に言葉が出てきたので、彼女自身も驚いていた。
同時に、あの少女を案じている自分に対して、安堵にも似た感情が浮かぶ、自分は、初めての同年代の友人を見捨てられるほど、冷酷ではいられなかったことにほっとしているのだ。
「冬花様は、私の友人です」
「ふん、あの妖だかなんだか判らぬ娘が友人とはな」嘲るように、父は言う。「あのような混じり物を側に置く結城の小倅も、酔狂なものだ」
「……」
「……」
しばらくの間、親子というには余りにも心が離れすぎている二人の間で睨み合いが続いていた。
と、建物の外がにわかに騒がしくなってきた。
「御館様、敷地内に侵入者が」
「何?」
一瞬、成親の理解が遅れた。彼は、この場所がそう短い間で発見されるとは思っていなかったのである。呪術師という存在を知悉していないが故の、錯誤であった。
「……やむを得ん」
だが、成親も将家の当主である。立ち直りは早かった。
「手筈通り、進めておけ」
「はっ」
そう言って、部下の男は建物の外へと消えていった。一方、残された成親は無言で腰の刀を抜いた。
「……っ」
一瞬、宵の体が強ばった。やはり、己の死の可能性を前にしては、体が勝手に反応してしまうらしい。
だが、父の刀は宵の肉体を切り裂くことなく、彼女を縛める縄を切り裂いただけであった。
「……何の真似ですか?」
宵は、この期に及んで父が娘に対して哀れみを抱いたとは思っていない。
「答える必要はない」
そして、その予想通りに成親の声は冷めていた。彼は乱暴に娘の腕を掴んだ。
「来い」
そして、強引に宵を引っ張って建物の外へと連れ出したのだった。
◇◇◇
結界内に侵入者があったことに最初に気付いたのは、丞鎮と冬花であったろう。
丞鎮は結界を張った人間であるため、そして冬花はその優れた妖狐の聴覚によって、侵入者を察知することが出来たのだ。だが、その侵入者の正体に気付いたのは、冬花の方が先であった。
足音、そして交わされる会話。
景紀が、来てくれた。
激しい責め苦による苦痛で朦朧とする意識の中で、それだけははっきりと思うことが出来た。
安堵で一瞬だけ意識が遠くなったが、まだ気を失うわけにはいかない。この怪僧を、景紀に近付けてはいけないのだ。
「……」
一方、冬花を見下ろしていた丞鎮は彼女の表情の変化を見取っていた。
苦痛に歪んだ表情が一瞬だけ安堵に緩み、そして瞳に再び宿った強い光。
「……結城の小倅か」
彼女の表情を見て、侵入者の正体を悟った。そして、自身の結界に短時間とはいえ穴を開けた呪術師も付いている。
葛葉家当主が今、病身の結城景忠と共に領地に下がっていることは、丞鎮も把握している。現在、皇都にいる葛葉家の人間は、目の前の混じり物の小娘とその弟のみ。
そうした状況だからこそ、丞鎮は景紀の命を狙っているともいえる。
彼は最早、呪詛に冒された自身の体が長く持たないことを知っている。
二年前、すでに結城家次期当主との婚姻が成立し、将来的にかの家と繋がりを持つことになる佐薙家に上手く接近し、機会を窺っていた。そして、結城景忠は兄の怨霊の影響で持病を悪化させ、葛葉家当主と共に領地に下がった。
入れ替わりでその息子が皇都に出てきた時、丞鎮は彼の呪殺を決めた。如何に病に冒されているとはいえ、葛葉家の当主に守護された景忠を狙うのは難しい。それに、結城家本家には景紀以外の後継者がいない。これを殺害すれば、結城家は大混乱に陥るだろう。
まるで、亡き一族が仇を討てと冥府から囁いているかのような絶妙な頃合いだった。
これ以上の好機を待てるほど、自分の命は長くない。
「……」
丞鎮はもう一度、責め苦によって喘鳴を漏らす白髪の少女を見遣る。
「死んでも守る」というこの小娘の言葉を信じるならば、殺せば小倅にかけられた呪術的守護は強化されるのだろう。自身の命を、他者のために捧げる。その術式がどれほどの効果を持つのか、呪術師である丞鎮は理解している。
「……やむを得んな」
「いったい、どうしたのだ?」
丞鎮の呟きに、玄斎が怪訝そうに反応した。
「予想よりも早く、あの小倅が現れたようだ」
これは、丞鎮にも意外なことであった。恐らく日暮れか明日あたりまではこの場所は探知されないだろうと思っていたのだ。
その前提が、崩された。
「やるしか、ないか」
どこか陰鬱に響く声を共に、丞鎮は錫杖を握りしめる手に力を込めた。
「伊東玄斎、貴様は他の牢人と共に時間を稼げ。結城の小倅は殺しても構わん。私は雇い主を逃がしてやらねばならんのでな」
「いいだろう。時間稼ぎなどと言わず、あの小僧の首を貴様に届けてやろう」
「……」
玄斎の言葉に、丞鎮は何も返さなかった。この男は一度、結城の小倅を討つのに失敗しているのだ。だから怪僧は、ただ冷然たる視線をこの攘夷派浪士に向けただけであった。
そして丞鎮は玄斎と共に戸口の方へと足を向けようとした。
その瞬間だった。
「があぁぁぁぁぁ―――!」
「ぐっ!?」
獣じみた叫びと共に、冬花が丞鎮の足に噛みついてきたのだ。それは、この怪僧を絶対に景紀の元に行かせないという、少女の執念を感じさせるものだった。
だが、それも長くは続かなかった。
もう片方の足で丞鎮が冬花を蹴飛ばし、玄斎が反射的な動きで冬花の背中を肩口から切り裂いたのだ。
「あぁ……」
駄目だ、と冬花は思った。まだ、意識を失っては駄目だ。景紀を守らないと駄目だ。
己の血の中に沈む冬花は必死にそう思った。
だが、最早自分の意思で体を動かすことは完全に不可能だった。
喘鳴を漏らす冬花が最後に見たのは、自分をただ冷徹に見下ろす僧衣の男の姿であった。
その直後に、彼女の意識は完全に暗転した。
ドクン、と何かが脈打つ音が聞こえたような気がした。
「ここか……」
「ああ、間違いなく姉上と姫様はここにいる」
その後ろから、鉄之介も降りてきた。
彼らの前には、古びた石造りの階段があった。小高く盛り上がった土地の上に生い茂る林の中へと、その石段は続いている。
場所は、皇都郊外。
建物が密集して栄えているように見える皇都であるが、郊外に出ると途端に農村地帯や雑木林が広がる。そうした中に、この場所はあった。
「随分と荒廃した場所ですね」貴通が石段を見上げながら言った。「古い砦か城の跡とかですかね?」
「いや、寺か何かだろうな」
陰陽師であるが故に、そうした場所の雰囲気に鋭いのか、鉄之介が断言した。
「どこか別の寺か神社が管理しているんだろうが、多分、手が届いていないんだろうな」
景紀は、さして関心のなさそうな口調で言った。皇都郊外でもだいぶ辺鄙な場所にあるので、お参りする人間もほとんどいないのだろう。
「こういう、人が寄りつこうとしない場所は天然の結界だからな」
ぶすりとした声で、鉄之介が解説する。彼が景紀に抱く複雑な心境が、そこから読み取れた。
「それに、今は逢魔が時が近付いてきているから、そもそも寺や神社を参拝する時間じゃないし、そこに呪術による結界も張ってあるとなれば、拉致した人間を監禁しておく場所としてはそれなりだろうよ」
鉄之介の占術で宵と冬花の居場所を探知した景紀らは、結城家の家臣たちが領地との往復に利用している無紋の馬車を駆ってここまで来た。
皇都の中心部から馬車で一時間弱。
夕方ではないものの、すでに日は傾き始めていた。冬の日暮れは早い。
この場に居るのは、景紀に新八、鉄之介と貴通の四人だった。
貴通だけは結城家の関係者ではなかったが、彼は無理を言って同行させて貰っていた。
『景くん』
宵と冬花の居場所を探知して屋敷を飛び出そうとした景紀に、貴通は強い口調で呼びかけたのだ。
『僕も連れて行って下さい。戦力は、多い方がいいでしょう?』
『……』
その時一瞬、景紀は渋い顔になった。貴通は兵学寮同期で親しい人間とはいえ、五摂家の人間である。危険な場所に連れて行くことは躊躇われたし、何よりも彼は冬花の正体を知らない。
そして、景紀が貴通を冬花に会わせたくない理由は、もう一つあった。
『……判った』
だが、それでも景紀は貴通を連れて行くことにした。如何に結城家次期当主の妻が攫われたとはいえ、領内でない皇都では、結城家臣団を動員することは出来ない。彼らには皇都での警察権が与えられていないからだ。
だから、景紀が個人で動かせる戦力が一人でも多く欲しかった。それに、貴通ならば気心が知れている。
『冬花がいない今、背中を預けられるのはお前くらいだからな。新八さんは単独で行動する類の人間だし、鉄之介は実戦経験がない』
『了解です、首席生殿』
そう言われた貴通は、嬉しそうに茶目っ気のある敬礼をしたのだ。
そして四人は今、この寂れた神社へと続く石段の前に居た。
景紀は腰に二振りの刀を差し、貴通も結城家から刀を借りて腰に差している。そして二人とも、懐に拳銃を忍ばせていた。
「鉄之介、結界を破れるか?」
景紀は、学生服から着替えて水干姿になっている鉄之介に問う。
「……やってみる」
緊張で硬くなった声と共に、鉄之介は呪符を取り出した。
「はっ!」
裂帛の叫びと共に、複数の呪符を放つ。だが、呪符は石段の前で火花を散らして灰となってしまった。彼の術は、周辺を覆う結界にわずかな歪みを発生させただけであった。
「くそっ……!」
焦燥に駆られた動作で、鉄之介は再び呪符を取り出す。
「鉄之介、合わせろ」
すると、すっと景紀が鉄之介の前に出た。
「は?」
術者でもない人間が何を言っているんだ、と言いたげな怪訝な視線を鉄之介が向けると、景紀はちょうど腰に差す二振りの刀の内、一振りを抜くところであった。
それぞれ黒と白の鞘に収められた刀の内、白い方の刀。見れば、頭の部分に椿の装飾が下げられていた。
冬の間に咲く、花の装飾。
「えっ?」
呪術師である少年は、その刀身に霊力らしきものが宿っていることに気付いた。
「それは、姉上の……」
「鉄之介」
呆けたようになっている鉄之介を、景紀は鋭く呼んだ。
「わ、判った」
彼にも葛葉家嫡男としての意地がある。次期当主の前で、姉よりも劣る結果を出すわけにはいかなかった。
「はぁっ!」
今度こそ、という思いを込めて鉄之介は呪符を放った。同時に、景紀が刀を振り下ろした。鉄之介の目に、結界に生じた綻びが見えた。
「今だ!」
その綻びで生じた穴を維持するために霊力を込めながら、彼は叫ぶ。真っ先に景紀が石段へと突入し、貴通、新八と続き、最後に鉄之介が飛び込む。
鉄之介が霊力を込めるのを止めると、再び結界は塞がってしまった。
結局、彼の呪術では結界を破壊するのではなく、一時的に穴を開けるだけに留まったのだ。しかし、それでも結界内部へ侵入出来たことは確かであった。
「―――あああああああああああっ!」
石段を駆け上がる最中、悲痛な絶叫が彼らの耳に届いた。
「冬花……っ」
その叫びが誰のものであるのかを、景紀はすぐに悟った。刀を握る手に、知らず知らずのうちに力が入る。
「行きましょう」
景紀の隣に並んだ貴通が、決然たる口調で言った。
「ああ」
同期生の言葉に、景紀は低く剣呑に頷いた。
◇◇◇
シキガミの少女の痛ましい叫びは、何度も宵の耳に届いていた。
「……」
それでも、宵は口を閉ざしたままであった。
あの凜とした少女がここまでの悲鳴を上げる。きっと、目を覆うような責め苦に苛まれているのだろう。
だが、宵は無視することにした。無視する以外にないのだ。
自分は父の考えているような行動は取っていない。であるならば、冬花を人質に取られたところで、自分が口を割るべきことはない。
ここで冬花を庇おうとする台詞一つ出てこない自分は、きっと冷たい人間なのだろう。
しかし宵の冷静な部分は、徹底的に冷徹であった。ここで自分が冬花への責め苦を止めさせるために、嘘であっても父の望む言葉を言えば、それは結城家そのものへ不利益をもたらすことになる。
ならば、シキガミの少女は見捨て、自分は口を閉じている他ない。
そんな自分に嫌悪感を抱き、宵はぎゅっと唇を噛みしめた。
同時に、助けは来るのだろうかとも思う。
そして、きっと来るだろうと結論付ける。
景紀は必ず動くだろう。自分の夫となった少年は、そういう人間だ。自らの大切と思う者を、切り捨てられないだろう人間だ。自分とは違う。
「……気味の悪い人間だな、お前は」
冬花の悲鳴を聞かされても何も言わない宵に対して、佐薙成親は吐き捨てるように評した。
「いや、お前もあの混じり物の小娘を嫌悪していたということか」
「冬花様を悪く言うのは止めて下さい」
納得しかけた父に、宵は強い口調で言っていた。あまりにも自然に言葉が出てきたので、彼女自身も驚いていた。
同時に、あの少女を案じている自分に対して、安堵にも似た感情が浮かぶ、自分は、初めての同年代の友人を見捨てられるほど、冷酷ではいられなかったことにほっとしているのだ。
「冬花様は、私の友人です」
「ふん、あの妖だかなんだか判らぬ娘が友人とはな」嘲るように、父は言う。「あのような混じり物を側に置く結城の小倅も、酔狂なものだ」
「……」
「……」
しばらくの間、親子というには余りにも心が離れすぎている二人の間で睨み合いが続いていた。
と、建物の外がにわかに騒がしくなってきた。
「御館様、敷地内に侵入者が」
「何?」
一瞬、成親の理解が遅れた。彼は、この場所がそう短い間で発見されるとは思っていなかったのである。呪術師という存在を知悉していないが故の、錯誤であった。
「……やむを得ん」
だが、成親も将家の当主である。立ち直りは早かった。
「手筈通り、進めておけ」
「はっ」
そう言って、部下の男は建物の外へと消えていった。一方、残された成親は無言で腰の刀を抜いた。
「……っ」
一瞬、宵の体が強ばった。やはり、己の死の可能性を前にしては、体が勝手に反応してしまうらしい。
だが、父の刀は宵の肉体を切り裂くことなく、彼女を縛める縄を切り裂いただけであった。
「……何の真似ですか?」
宵は、この期に及んで父が娘に対して哀れみを抱いたとは思っていない。
「答える必要はない」
そして、その予想通りに成親の声は冷めていた。彼は乱暴に娘の腕を掴んだ。
「来い」
そして、強引に宵を引っ張って建物の外へと連れ出したのだった。
◇◇◇
結界内に侵入者があったことに最初に気付いたのは、丞鎮と冬花であったろう。
丞鎮は結界を張った人間であるため、そして冬花はその優れた妖狐の聴覚によって、侵入者を察知することが出来たのだ。だが、その侵入者の正体に気付いたのは、冬花の方が先であった。
足音、そして交わされる会話。
景紀が、来てくれた。
激しい責め苦による苦痛で朦朧とする意識の中で、それだけははっきりと思うことが出来た。
安堵で一瞬だけ意識が遠くなったが、まだ気を失うわけにはいかない。この怪僧を、景紀に近付けてはいけないのだ。
「……」
一方、冬花を見下ろしていた丞鎮は彼女の表情の変化を見取っていた。
苦痛に歪んだ表情が一瞬だけ安堵に緩み、そして瞳に再び宿った強い光。
「……結城の小倅か」
彼女の表情を見て、侵入者の正体を悟った。そして、自身の結界に短時間とはいえ穴を開けた呪術師も付いている。
葛葉家当主が今、病身の結城景忠と共に領地に下がっていることは、丞鎮も把握している。現在、皇都にいる葛葉家の人間は、目の前の混じり物の小娘とその弟のみ。
そうした状況だからこそ、丞鎮は景紀の命を狙っているともいえる。
彼は最早、呪詛に冒された自身の体が長く持たないことを知っている。
二年前、すでに結城家次期当主との婚姻が成立し、将来的にかの家と繋がりを持つことになる佐薙家に上手く接近し、機会を窺っていた。そして、結城景忠は兄の怨霊の影響で持病を悪化させ、葛葉家当主と共に領地に下がった。
入れ替わりでその息子が皇都に出てきた時、丞鎮は彼の呪殺を決めた。如何に病に冒されているとはいえ、葛葉家の当主に守護された景忠を狙うのは難しい。それに、結城家本家には景紀以外の後継者がいない。これを殺害すれば、結城家は大混乱に陥るだろう。
まるで、亡き一族が仇を討てと冥府から囁いているかのような絶妙な頃合いだった。
これ以上の好機を待てるほど、自分の命は長くない。
「……」
丞鎮はもう一度、責め苦によって喘鳴を漏らす白髪の少女を見遣る。
「死んでも守る」というこの小娘の言葉を信じるならば、殺せば小倅にかけられた呪術的守護は強化されるのだろう。自身の命を、他者のために捧げる。その術式がどれほどの効果を持つのか、呪術師である丞鎮は理解している。
「……やむを得んな」
「いったい、どうしたのだ?」
丞鎮の呟きに、玄斎が怪訝そうに反応した。
「予想よりも早く、あの小倅が現れたようだ」
これは、丞鎮にも意外なことであった。恐らく日暮れか明日あたりまではこの場所は探知されないだろうと思っていたのだ。
その前提が、崩された。
「やるしか、ないか」
どこか陰鬱に響く声を共に、丞鎮は錫杖を握りしめる手に力を込めた。
「伊東玄斎、貴様は他の牢人と共に時間を稼げ。結城の小倅は殺しても構わん。私は雇い主を逃がしてやらねばならんのでな」
「いいだろう。時間稼ぎなどと言わず、あの小僧の首を貴様に届けてやろう」
「……」
玄斎の言葉に、丞鎮は何も返さなかった。この男は一度、結城の小倅を討つのに失敗しているのだ。だから怪僧は、ただ冷然たる視線をこの攘夷派浪士に向けただけであった。
そして丞鎮は玄斎と共に戸口の方へと足を向けようとした。
その瞬間だった。
「があぁぁぁぁぁ―――!」
「ぐっ!?」
獣じみた叫びと共に、冬花が丞鎮の足に噛みついてきたのだ。それは、この怪僧を絶対に景紀の元に行かせないという、少女の執念を感じさせるものだった。
だが、それも長くは続かなかった。
もう片方の足で丞鎮が冬花を蹴飛ばし、玄斎が反射的な動きで冬花の背中を肩口から切り裂いたのだ。
「あぁ……」
駄目だ、と冬花は思った。まだ、意識を失っては駄目だ。景紀を守らないと駄目だ。
己の血の中に沈む冬花は必死にそう思った。
だが、最早自分の意思で体を動かすことは完全に不可能だった。
喘鳴を漏らす冬花が最後に見たのは、自分をただ冷徹に見下ろす僧衣の男の姿であった。
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