秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第二章 シキガミの少女と北国の姫編

31 人質

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「お前、どうしてここにいる?」

 屋敷の客間に通されていた長尾多喜子は、端然とした姿勢で畳の上に正座していた。表情は神妙なものであり、茶会の席で宵や冬花に見せた茶目っ気などどこにも感じられなかった。
 景紀に乱暴に問いかけられた多喜子は、その姿勢のままちらりと少年を見上げた。

「そのご様子ですと、宵さんと冬花が我が屋敷からの帰路、何者かに襲撃された件はお耳に入っているようですね?」

「ああ」

 景紀は苛立ちながらも、多喜子がわざわざ屋敷まで出向いた理由を悟っていた。使者を仕立てれば済むはずの用件なのに、多喜子が訪れた理由は、一つしかない。

「つまり、お前は今回の件に長尾家が関わっていないと示したいわけだな?」

「はい。我が家の隠密から緊急の報告が入った時には、流石に私も驚きました。そこで、急いで馬車を仕立ててこちらに来た次第です」

「自分の家の無実を証明するための、事件解決までの人質というわけか」

「はい。案外、頭が回っているようで安心しました」

 多喜子の言葉にからかう響きはなく、本気でそう思っているようであった。景紀は苛立たしげに舌打ちをする。

「私は自他共に認める腹黒ですが、雅さに欠ける行為には手を出しません。やるのならば、陰謀を巡らせて佐薙家を陥れます。わざわざ宵さんと冬花を襲撃しようとは思いません」

「ああ、そうだな。お前は、昔からそういう奴だった」

「時間が惜しいのでしょう? 私の方はめぼしい情報は持っていません。何せ、急いで来た上、所詮は他家が巻き込まれた事件ですからうちの隠密も積極的には動いてくれませんので」

「だろうな。家臣たちには、お前を丁重にもてなすように言っておく。じゃあな」

 それだけ言うと、景紀は手荒く客間の襖を閉め、足音荒く執務室へと向かった。





 執務室には、すでに貴通、新八、鉄之介が待っていた。
 景紀は執務机に回り込むと、引き出しから小瓶を取り出した。そして机の上に皇都の地図を広げる。

「鉄之介」

 そう言って、景紀は小瓶を投げた。相変わらずぶすりとした表情の鉄之介が、それを片手で受け止めた。

「……これは、血、なのか?」

 葛葉家の嫡男は、小瓶の中に入った赤黒い液体を見た。小瓶に呪術的な仕掛けが施してあるらしく、中の血液は凝固していない。

「ああ、宵の血だ。それを使って、占術であいつの居場所を見つけろ」

 景紀は、広げた地図を鉄之介の方に押し出した。

「あんた、姉上を見捨てるつもりなのか!?」

 瞬間、激昂した鉄之介が呪符を取り出して一歩、景紀の方へ踏み出した。

「―――っ!?」

 だが、直後に彼は固まることになる。

「その呪符を離しぃ」

 後ろから首を掻き切るような恰好で、新八が刀を彼の首筋に回していたためだ。そして、貴通は懐から抜いた回転式拳銃を彼のこめかみに突き付けていた。

「僕も、他人ひと様の家を血で汚したくありませんので」

 穏やかな口調のまま、貴通は鉄之介を脅す。

「くそっ……!」

 鉄之介が言われた通りに呪符を床に落とし、二人は突き付けていた得物を離す。

「安心しろ、俺は冬花を見捨てたりはしない。俺は、あいつの主だからな」

 景紀は当然のことのように断言した。

「念の為と思って、冬花の血も保管してある」彼はもう一つの小瓶を引き出しから取り出した。「だが、俺は結城家次期当主だ。先に見つけなきゃならんのは宵だ。そしてそれは、冬花も判っているはずだ。あいつは、俺のシキガミだからな」

「何なんだよ、あんたと姉上は……」

 萎れた声で、鉄之介は手の中にある血の小瓶を見つめた。自分と姉の間にはない絆が、景紀と姉の間にはある。そのことが、陰陽師の少年にとって悔しかったのだ。

「……ああ、もう! 判ったよ、やりゃあいいんだろ、やりゃあ!」

 どこか自棄やけくそ気味に、鉄之介は叫んだ。自分だって、あの人の家族なのだ。

「だけど、姉上も必ず助けろよ! 姉上は、あんたのシキガミなんだろ!」

「ああ、必ず助けるさ」

 どこか傲慢にも聞こえる声で、景紀は断言した。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「うっ……」

 宵は意識を取り戻して、一瞬、前後不覚に陥ってしまった。

「いっ……!」

 体を動かそうとして、それが出来ないことに気付く。体に深く食い込むほどに、自分の体が縄で柱にいましめられていた。
 それに、寒さも肌を刺す。
 身にまとっているものが、白い肌襦袢一枚だけにされていたのだ。自分をかどわかした者たちに脱がされたのだろう。そのことにぞっとする思いを抱いたものの、結局、それで現状がどうにかなるものではないと平静に戻る。
 この辺りの気持ちの切り替えの早さと心を凪いだ状態にすることだけは、鷹前の孤立した生活で身に付けた唯一、自慢出来ることだろう。
 刺客に襲われた時もそうだったが、自分は状況が悪くなればなるほど平静でいられるらしい。
 着物を脱がされたのも、きっと得物を隠し持っていることを警戒してのことだろう。

「ここは……」

 いつもの調子を取り戻した頭で、彼女は周囲を確認した。
 どうやら、自分は古びた建物の中にいるらしい。床は痛んだ板張りで、畳一つない。所々、床が抜けて穴が空いている。
 自分が括り付けられている柱は建物の中程にあるようで、外の景色が少し離れたところに見える。その外の景色も荒涼としており、どうやらここは廃屋らしい。
 太陽が見えないので正確な時刻は判りようもないが、外の明るさからそれほど日は傾いていないように見える。
 つまり、自分はまだ皇都からほど近い場所にいるということだ。数日、意識を失っていたということがなければ、だが。

「……いっそ気味が悪いほど、冷静だな」

 嫌悪感を含んだ声が、薄暗い屋内に響く。聞き覚えのある声。
 宵は声のした方を向いた。視線が、自然と冷めたものとなる。

「……なるほど、景紀様のご懸念は正しかったようですね」妙な納得と共に、彼女は呟いた。「とはいえ、ここまでの暴挙に出るとは、景紀様も予想外だったでしょうが。……父上」

 黒髪の少女の視線の先にいたのは、佐薙成親であった。ここまで人目を忍んで来たのか、皇都でよく見かける一般の町人風の恰好をしている。その横に、一人の男が付き従っていた。佐薙家の隠密に所属する家臣であろうか?

「暴挙、か」

 不愉快そうに、成親は言った。互いの言葉に、親子の情などまるで見当たらない。

「六家に対抗するためには、多少の荒事もやむを得ん。我らがいつまでも従順であると思い込むのは、六家の傲慢というものだ」

「事が露見すれば、佐薙家は破滅でしょうね」侮蔑というよりは呆れの籠った声で宵は続けた。「結城家次期当主の妻を誘拐するなど、かの家への宣戦布告に等しいでしょうに」

 いったい、父をここまでの短慮に追いやった原因は何なのだろうかと宵は考えてしまう。
 やはり、六家に対する過度の警戒心と敵愾心であろうか?
 この男は、自分や景紀とは違った意味で人間不信に陥っているということなのだろう。

「先に我らをおびやかしたのは六家の方ではないか。だというのに、貴様は早々にあの結城の若造に取り込まれおって」

 成親の声には、沸々とした宵への怒りが感じられるものであった。

「貴様をここまで育てたのは誰であるか」怒りを押し殺した呻くような声で、佐薙家当主は続ける。「貴様はその恩を忘れ、佐薙家に仇なしたのだ」

「いったい、何を以てそのように断言されるので?」

「知ったことを! 貴様らは今後の嶺州経営のことで長尾家と密約を交わし、あまつさえ貴様は佐薙家そのものを貶めようとしたであろうに!」

「何を根拠に?」

「貴様が今日、長尾家の茶会に招かれた。そしてあの小僧は有馬の老人のところへ。いったい、どのような奸計を巡らせているのだ、言え!」

 成親の声には、追い詰められた者特有の切迫感があった。
 なるほど、と宵は納得した。この父親は、結城、有馬、長尾三家が結託して、東北経営に介入し領地経営の実権を佐薙家から奪おうとしていると思い込んでいるわけだ。
 そして、自分が父への恨みから佐薙家を陥れようとしていると考えたのだ。
 自らの既得権益が脅かされるならば、多少の暴挙も許容範囲ということか。武断主義に陥りやすい将家らしいといえば、らしいが。

「奸計など巡らせておりません」

 宵はきっぱりと言い切った。
 座して死を待つくらいならば、打って出る。そうした精神状態の末に、成親は今回の行動に出たのだろう。
 景紀の考案した建設請負方式は、その意図に反して、佐薙側の激烈な反応を引き起こしてしまったわけである。
 もっとも、これを景紀の責任だとは、宵は感じていなかった。単に、疑心暗鬼に陥った父親が悪いのだ。六家への警戒心と敵愾心に凝り固まった父の前には、冷徹な計算も合理性も損得勘定もなかったのだ。ただどこまでも六家に抗うということしか頭にないのだ。
 その結果が、今回の誘拐に繋がったというわけか。

「嘘をつくな!」

 パン、と成親は持っていた扇で宵の頬を叩いた。宵の唇が切れ、つうっと血が滴る。それでも、少女の瞳が揺れることはなかった。

「では何故、この時期に長尾家に行った!? 言え、言わぬか!」

 ぐぃと宵の髪を掴み、乱暴に引っ張る。

「どうせ、あなたは自分の望む答えしか聞き入れるつもりはないのでしょう? ならば、私からは何も言うことはありません」

 パン、と再び宵は扇で頬を打たれた。

「小娘が、虚仮にしおって! やはり貴様も六家の血を引く者だったというわけか!」

 半分はあなたの血ですがね、と宵は心の中で皮肉を述べる。口の中が痛むが、別に堪えられないほどではない。

「よかろう。ならば貴様は、鷹前に残してきた貴様の母がどうなっても構わんというのだな?」

 険しい声で、成親は脅しつけた。そこには、自らの正室や娘を慮る心情など微塵もない。

「……」

 母親のことを持ち出された瞬間、宵は黙り込んでしまった。血の滴る唇を舐めることもなく、ただ睨むような視線を父親に向けている。

「貴様の母に呪詛を掛けておいた。貴様が素直に喋らぬのであれば、あれがこの冬を越すことはないであろうよ」

「……ふふっ」

 この男の言葉に、宵は思わず笑い声を漏らしてしまった。

「何がおかしい?」

 叱り付けるように、成親は言った。何故、この娘は最愛の母の命を人質にされている状況で笑っていられる?

「はははっ……、おかしいですって」

 まさか自分でもここまで面白がるとは思っておらず、宵は自身の心に意外の感を受けながらも、言葉を続けた。

「だって、ここまで景紀様の予想の範疇で動くなんて、これが笑わずにいられませんよ。母上への呪詛? そんなもの、景紀様はとっくに予想していましたよ。あなたが思い通りにならない娘を操るために、母上のことを人質に取るであろうことなど。まあ、流石の景紀様も、あなたが私の誘拐という暴挙に出ることまでは予測していないようでしたが」

「……下らぬはったりを。そのようななこと、あるはずがない」

 宵の言葉というよりも、自身の内部に生じた不安を打ち消すように、成親は強く否定の言葉を紡いだ。

「すでに母上を守護するための式は、鷹前に飛ばしてあります」

「……」

 成親は押し黙ってしまった。
 計画では、成親は母親への呪詛と丞鎮の術による記憶の封印という二重の手段によって、宵の口を封じるつもりであった。流石に、宵の口から今回の件が露見する危険性をまったく無視して娘の前に立つほど、成親も無謀ではない。
 これならば、例え結城家の家臣である陰陽師集団・葛葉家の者たちが彼女の記憶の封印を解いたとしても、呪詛を掛けられた母親という人質によって宵の口を噤ませることが出来た。
 だが、その一方の手段が、すでに破綻しているのである。
 佐薙成親は、きつく自らの扇を握りしめた。

「……」

 宵は、そんな父親の姿に若干の哀れみを抱いていた。
 所詮、この程度の人物だったのか。この程度の男に、自分の母親は苦しめられていたというのか。

『―――あああああああああああっ!』

「っ!?」

 不意に響いた悲痛な叫びに、宵はハッとなった。あの声は、冬花の声だ。何故、自分は今まであの少女のことを忘れていたのか。冷静なつもりだったが、この状況に気が動転していたということか。
 ぎゅっと、宵は唇を噛みしめた。切れた唇から流れ込んだ血の所為で、ひどく鉄臭い。

「……そういえば、もう一人、人質となりそうな者を捕らえていたな。あのような汚らわしき混じり物に関わることなど怖気が震うので、丞鎮の好きにさせていたが」

 父親の唇が、笑みの形に歪んだ。嫌な笑い方だな、と宵は思った。

「とはいえ、あれを人と呼ぶべきかは、いささか疑問符が付こうが」
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