秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第二章 シキガミの少女と北国の姫編

23 将家の財政

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 夜、景紀と寝所を共にしている宵は、白い寝巻に着替えたまま、布団の上に正座していた。
 徐々に寒くなってきており、部屋には火鉢が焚かれている。

「……お前、また俺が来るまで起きていたのか」

 ようやく部屋に景紀がやってくると、彼は少しだけ呆れたような視線を宵に向けた。

「まったく、先に寝ていて良いって言っているんだがな」

 少女を気遣うような、困ったような声で少年は言う。

「景紀様は、私に我が儘になって良いとおっしゃいました。だから、我が儘にさせてもらいます」

 あまり表情に変化はなかったが、宵の声にはからかうような響きが混じっていた。

「まったく、困ったお姫様だな」

 そう言う景紀の声には、嫌がる響きはない。

「それで景紀様、“宿題”の答え合わせ、今ここでさせていただいてもよろしいですか?」

「答えが気になって眠れない、ってやつか」景紀の口元が微笑みの形を作る。「いいぜ、答え合わせといこう」

「では参ります。……答えは“鉄道公債”ですね?」

「正解」

 にんまりと、景紀は笑った。宵も応ずるように、得意げな笑みを見せる。とはいえ、少女の表情の変化は微かであったが。

「解説は……」

「明日の朝食の席で構いません。今日も景紀様はお疲れでしょうから」

「うん、済まんな」

「それと、一つ謝罪が」

「何だ?」

「冬花様に、私の持つ為政者像を語ってしまったのですが、どうにもご不快にさせてしまったようで」

「ああ、それで書庫から戻ってきた冬花の様子が変だったのか」

 あの補佐官として完璧に見える白髪の少女が、景紀の前で動揺を隠せなかったということは、自分の発言は相当に衝撃的だったのだろう。あるいは、景紀批判となってしまったからか。
 いずれにせよ、迂闊な発言であったと宵は反省している。

「まあ、詳しくは聞かないが、為政者とはどうあるべきかと考えるのは別に悪いことじゃないと思うぞ。自分自身への引き締めにもなる。もっとも、俺はそれほど高尚な為政者像を持っていないがな」

「またそういうことをおっしゃる」

 宵は、少しむくれた表情をみせた。

「景紀様の隠居願望には反するかもしれませんが、私はあなたの作った中央集権国家を見てみたいのです」

「また酔狂な願いだな」

「将家同士のいがみ合いもなく、私と同じような年の子たちが身売りする必要のない、そんな国家を見てみたいのです」

 それは、少女にとっては切実な願いなのだろう。それを否定することは出来ないし、応えないというのも酷い話だろう。

「まあいいさ。隠居するその日までは、お前が見たいって思うものが見られるように色々とやってやるよ」

「私も、冬花様や新八様と共に、あなた様をお支えします」

 そう言って、二人が最初に出逢った日と同じように、宵は頭下げたのだった。

  ◇◇◇

 宵が結城家に嫁いでから意外に思ったことは多々あるが、その中でも朝食の席は格別だった。
 筆頭家老である益永忠胤を初め執政を中心とした重臣たちを集めて、自由闊達な議論をさせているのである。
 景紀はその議論に口を挟んだり、あるいは家臣たちの議論の成り行きを見守りたいときは黙っていたりと、適宜対応して家臣たちの意見をまとめているようであった。
 この日は、嶺州鉄道建設請負契約について家臣たちの間で議論が重ねられていた。
 特に工期を二期として千代―鷹前、鷹前―岩森間の鉄道敷設だけで佐薙家と契約すべきか、それとも第三期まで契約してしまい、八幡台・広舘経由の路線も結城家が敷設すべきではないかという点で、家臣たちの意見は割れていた。

「そもそも、八幡台・広舘経由の路線は工事費ばかりかかり、その後の維持費も相応のものになります。赤字路線が確定している以上、佐薙家から工事資金の回収は見込めませんし、それで経営権を引き渡されたところで、我々にとっては財政的負担にしかなりません」

「しかし、ヴィンランド合衆国の船が本土近海にも出没している以上、海上からの攻撃に備えねばならん。そのためにも、内陸部を走る路線は絶対に必要だ」

 朝食の席では、財務担当の執政と軍務担当の執政が互いに譲らず、議論は平行線を辿っていた。

「軍事的に見て内陸の路線が必要だとはいえ、それの財政的負担を我々が背負う必要はありません。佐薙家が国庫下渡金でも貰い、自らの財政的負担の下に行うべきです」

「それでは開通までに時間がかかり過ぎる。やはり、工事は第三期まで請け負うか、そもそも海岸沿いの路線を諦めて内陸経由の路線を敷設すべきだ」

「だから、山間部を通る路線は採算が取れないので資金の焦げ付きが起こる可能性が大です。財務を担当させて頂いている立場からすれば、そのような路線の建設に責任は一切負えません」

「ならば大蔵省を説得すればよいではないか。我々の方で国庫下渡金を貰い、その資金で建設すればよい」

「それは国庫下渡金の趣旨に反します。あれは自国領の振興のための予算であり、他国領のために使うことは制度上、不可能です」

「ならば我が領内の事業に下渡金を使い、その分の金を嶺州の鉄道敷設に回せばよいではないか」

「それでは大蔵省が納得しません。他国の鉄道敷設に回せる金があるならば、その分を領内の振興に回せと突っぱねられるだけです」

 そうした二人の議論を横で聞いている家臣たちは、いささか辟易し始めていた。筆頭家老の益永も、頭痛を堪えているような表情をしている。
 それらを傍で見ている宵も、いい加減、飽き始めていた。

「……そこまでにしておけ」

 そこでようやく、景紀が口を挟んだ。彼も、そろそろうんざりし始めていた頃なのだ。
 二人の執政がここまでの議論で景紀に決断を求めなかったのは、お互い、若い主君の威を借りていると周囲に思われたくないためだ。このあたりにも、未熟な当主代理に付け込もうとする人間の牽制という、相互監視の目的が達せられていることが判る。

「お前たちの言い分は判ったが、いささか不毛になりつつある。金は有限である以上、どこかで折合いを付けねばなるまい」

 宵に向けるのとは違う、次期当主としての景紀の声。彼がどのような決断を下すのか、家臣たちは少し緊張しているようだった。
 ただ、彼の意見を知っている宵には、不安はなかった。これで、山間部の民を見捨てずに済む。

「やはり、内陸の路線は財政的負担が大きすぎる。海岸沿いの路線を、結城家の資金の下に行うべきだろう」

「しかし、内陸の路線建設に関して他家が乗り出さないとも限りません。何せ、我々が建設請負方式という新たな方法を示すのですから。そうなれば、我々が佐薙家に及ぼす影響力が限定される可能性も」

 益永が、予定調和的な疑問を差し挟む。

「当然、その点については考えている。だから、内陸部の路線を工事第三期として、一括で佐薙家と契約を結ぶべきだ」

「財政的負担は、どうされるので?」

「第三期については、確かに資金回収の見込みが不明だ。だからこそ、我々の財政負担を減らすべく、鉄道公債を発行することを考えている」

「しかし、赤字路線の公債です。買い手がいるかどうか」

 財務担当の執政は、景紀の意見に懐疑的なようであった。

「うちが買えばいい」

 それに対して、景紀の答えはあっさりしたものであった。
 実は、将家の財源には、大きく分けて二つの系統が存在する。
 一つは、領国経営による税収入によるものである。これは、いわば公的な財源ともいえるもので、基本的に領国経営はこの税収を以て予算が組まれている。将家が地方行政組織であることを示す、典型的な事例であるといえよう。
 一方で、そうした地方行政組織としての側面の他に、将家にはあくまでの一つの「家」という側面も持っている。つまり、景紀やその父親である景忠といった「個人」の資格で持っている収入源も存在しているのだ。
 これは領内の直轄地、すなわち金山・銀山や単純に不動産の運用で得られる収益、あるいは植民地の利権などによる収入である。
 こちらは公的な財源ではなく、あくまでも景忠や景紀個人の「収入」と見なされている(だから当然、課税対象である)。
 そして、個人と行政組織が混在する将家の複雑なところであるのだが、家老を始めとする行政担当の家臣団に対しては公的な財源から家禄が支払われ、用人系統の家臣団には結城家の個人的収入から家禄が支払われる。
 これは、行政担当の家臣団は地方行政組織における一員と見なされるのに対し、用人は結城家個人が雇っている人間と見なされているからである。
 さらに、領国での歳出が歳入を上回った場合は、直接、「家」の資金から税収に補填するのではなく、公債を発行するという手順を踏んでから不足する財源を補うことになっている。
 こうした複雑さは、本来は曖昧である将家の領国支配の「公」と「私」を分けるための措置であった。

「それでは、御館様と若様が負債を背負うことになるのでは?」

 執政の一人は当然の懸念を述べた。主家の衰退は家臣団としても牢人となる可能性を孕んでいるので、例え結城家の個人的財産の使い道であっても、口を出さずにはいられないのだ。

「それは承知している。しかし、俺や父上の持っている資金はこういう時に使うためにあるものだ。今すぐには役に立つとは思えない研究をしている研究所や研究者なんかにも、俺はこの金を提供しているぞ。八幡台・広舘の鉄道も、長期的に見れば領民たちの利益になるだろう。そのためならば、多少の負債は構わんと思っている」

 そこまで言って、景紀は急に悪い顔になった。民を思うような言葉に感銘を受けていた者たちを、一気に醒めさせるような、そんな表情であった。

「まあ、正直なところ、南海興発の業績が順調でな」

 南海興発とは、結城家が南洋群島、新南嶺島の開発のために興した会社である。現地に実際の経営者がいるにせよ、その代表は結城家当主であった。南洋総督府とも密接に結びついており、国策会社とも呼べる存在でもあった。

「特に新南嶺島の金山、銅山開発で相当な収益を出している。それに、最近じゃあガタパーチャの需要が高まっていて、これの販売に関してはうち、まあ、実態としては南海興発が独占している」

 ガタパーチャとは熱帯に生育するゴムの木の一種であり、ここから採取される樹脂は海底電信線の被覆材となる。世界的に電信網の整備が進んでいる現在、このガタパーチャの需要は急激に高まっていた。
 しかも、このガタパーチャの取れる地域のほとんどを秋津皇国とアルビオン連合王国の二ヶ国が支配しているか、あるいは権益を獲得していた。つまり、実質的に世界のガタパーチャ市場の半分を、結城家が独占していると言っても過言ではなかったのである。

「だからまあ、鉄道公債をまとめて買い上げるだけの資金は金庫に眠っているんだ」

 景紀の言葉を聞いて、財務担当の執政は苦笑いを隠せなかった。

「……財務担当に言わせていただければ、それを結城家公庫に納めて頂けると大変助かるのですが」

「これだから財務官僚ってのは」財務担当執政の冗談じみた言葉に、景紀も冗談じみた調子で返す。「金のある奴と見ればここぞとばかりに税を毟り取ろうとするから困る」

 互いが冗談と判った上でのやり取りに、家臣たちの間に漣のような笑いが広がった。
 景紀の発案による朝食会議に慣れてきた家臣たちは、時折こうして冗談を挟む余裕すら持つようになっていた。これは景紀が家臣から侮られているというよりも、自由闊達な議論の延長線上から出たものだろうと、この場の様子を観察している宵は思う。
 主君に遠慮して、あるいは自らの体面を気にして、本音の半分も出ないような御前会議よりも、この朝食会議の方が余程、有意義だろう。
 景紀は自分のことを“面白い奴”と評したが、宵に言わせれば景紀もまた、十分に“面白い奴”なのだ。
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