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第一章 皇都の次期当主編
19 ハイカラお姫様
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呉服店の奥へと消えていた宵が戻ってきたのは、それから一時間近く経ってからのことであった。
冬花に付き添われて出てきた宵は、薄紅色の矢絣模様の着物を身に付け、海老茶色の袴を穿いていた。皇都の女学生たちの間で流行している服装であった。
下ろしたままであった長くさらりとした黒髪は、頭の高い位置で一つに括られている。
足には洋風の革靴を履いている。
あまり履き慣れていないものである所為か、少し立ちにくそうにしていた。
「……どう、でしょうか?」
あまり馴染みのない服装となったからか、いつもの無表情が崩れた宵は少しだけ恥じらうように頬を染め、視線を俯き加減にして景紀から逸らしている。
「いや、良いと思うぞ。お前によく似合ってる」
その様子が微笑ましく、景紀は柔らかい声でそう言った。
「だ、そうですよ、宵姫様」
彼女に付き添っていた冬花が、宵を景紀の方に優しく押し出した。宵は頬をさらに赤く染めて、もじもじとしている。
「何か他に気に入った装飾品とかはあったか?」
「いえ、そんな、申し訳ないです」宵は慌てたように手を振った。「この着物だって、景紀様が買って下さるというのに、それ以上は本当に申し訳ないです」
「浪費癖があったら俺だって流石に困るが、宵の場合はそんな心配は無用だろ? 逆にお前の場合は、遠慮し過ぎて心配になるくらいだ」
「しかし……」
「今日は楽しむために皇都に繰り出したんだ。店内を回ってみるだけでも楽しいだろうし、欲しいか欲しくないかは見てから決めればいいさ」
「……はい」
正直、宵も装飾品などにまったく興味がないわけではない。しかし、それ以上に景紀にお金を使わせてしまうことへの申し訳なさがあるのだ。
ただ、流石にこれ以上の遠慮は景紀に対して失礼になると思い、宵は彼と共に店主の案内で呉服店の中を巡ることにした。
結局、遠慮が勝った宵が景紀に何か物をねだるということはなかったのだが。
◇◇◇
呉服店の中を見回っている内に、午前中は過ぎようとしていた。
買った服は店の者に屋敷へと送ってもらうことにして、彼らは店を出た。
時間も時間であるので、ひとまず食事処に向かうことにした。景紀の先導で、彼らは金座の一角にある瀟洒な造りの喫茶店に入ることとなった。
ちょうど昼食時ということで、店内には多くの客がいた。金座にある喫茶店ということもあり、男女ともに身なりのいい者たちばかりであった。
扉に備えられた鈴の音を響かせて、四人は入店する。すぐにやってきた給仕に、席へと案内される。
景紀の隣に新八が、宵の隣に冬花が座り、景紀と宵が互いに向かい合う形となった。
いささか年期の入った木製の調度品で統一された店内は、とても落ち着いた雰囲気であった。
「私はこうした店に入るのは初めてですので、注文は皆様にお任せします」
努めてきょろきょろと店内の様子を見ないようにしている宵は、そう言った。
机の中央に広げられたお品書きを見ても、宵には馴染みのない料理の名前が並んでいる。一部には聞いたことのある料理もあったが、ここは他の人に任せようと彼女は思った。
「じゃあ、僕は腹が減っとるから、オムライスにするわ」
真っ先に言ったのは新八だった。相変わらず西方弁の軽い口調ではあったが、先に料理を選ぶことで、宵が萎縮しないようにという気遣いが感じられた。
「んじゃ、俺はカレーライスだな」
「……私はそこまでお腹が空いていませんので、冬花様、お任せ出来ますか?」
新八と景紀の注文は、「ライス」という言葉の意味から考えても、宵の胃には重たそうであった。あまり食べると着物の帯がきつくなりそうであるし、実際にそれほど空腹を覚えていなかった。
「そうですね、宵姫様のお口に合いそうなものとなりますと……」
宵から注文を任された冬花はお品書きに目を通していく。
お品書きには、舶来の菓子であるケーキ類やワッフルなどの名もあったが、洋菓子が宵の口に合うかどうかは判らない。とはいえ、この北国の姫にとって初めての皇都見物でもあるので、少しは目新しいものを選んであげたいという思いがある。
「クリームあんみつは如何でしょう?」
あんみつならば、よほど甘い物嫌いでない限りはそうそう口に合わないということもないであろうし、アイスクリームが乗っていることで、彼女にとって目新しさもあるだろう。
「では、それでお願いいたします」
宵は、特に疑問を挟まなかった。
一方の冬花は、パンケーキを頼むことにした。
新八が頼んだオムライスは、宵の目から見ても色鮮やかな食べ物であった。
焦げあと一つない綺麗な黄色い卵焼き、その上に乗せられた小さな緑色の豆、卵焼き包まれた紅葉色に染められた炊き込みご飯らしきお米。
一方、景紀の注文したカレーライスは、宵の目から見るといささか奇異な食べ物のように映った。
香りは確かに食欲を刺激しそうであるのだが、如何せん、もの凄く濃くして味噌が溶け残った味噌汁が掛かったような見た目には閉口せざるを得なかった。
何と言うか、とても塩辛そうである。
「……気になるのか?」宵の視線に気付いた景紀が尋ねてくる。「まあ、初めて見る人間からすれば、汁物としていささか雅さに欠ける料理なんだろうが」
「……念のためお尋ねいたしますが、美味しいのですか?」
宵のカレーライスを見る視線は、この料理に対する多大な疑念が籠っていた。
「食ってみるか?」
まだ匙をつけていない白と焦げ茶色で構成された料理を、景紀は宵に差し出した。
「……では、一口だけ」
一瞬の躊躇があったものの、宵の心は未知の料理に対する好奇心の方が勝った。銀製の匙を使って、ご飯と汁を等分に掬って口に運ぶ。
一瞬、舌をピリリとした刺激が駆け抜けるが、それが口の中で白米の甘みと不思議と混ざり合って見事な調和を成している。今までに食べたことのない味わいであった。
「……美味です」
「だろ? もう少し食うか?」
「いえ、景紀様が注文されたものですから、私はまたの機会にでも」
「そうか。まあ、食いたくなったらうちの料理人にでも頼んでやるから、いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます」
そうして男二人の料理が届いた後で、宵のクリームあんみつと冬花のパンケーキが届く。
あんみつそのものは宵も食べたことはあるが、そこに乳白色の氷菓子が乗っているものは初めて見た。それに、流石皇都というべきか、器の中に入ったあんみつは果物で綺麗に飾り付けられていた。
餡の濃紫に、寒天の透明感、白玉の弾力感に加えて、薄紅と緑の求肥、蜜柑に黄桃に林檎の砂糖漬け。
小さな器の中に入った黒蜜をかければ、また違った趣を演出する。
一方、冬花の頼んだパンケーキは綺麗にきつね色に焼き上げられ、香ばしい匂いを漂わせていた。二枚の薄い生地の上に白い牛酪《バター》の欠片が乗せられ、かけられた蜂蜜が煌めいている。
「いただきます」
礼儀正しく手を合せてから、宵は銀匙を手に取った。
まずはアイスクリンという氷菓子を一掬いして、口に入れる。冷たい刺激と、溶けて舌に広がるさっぱりとした甘み。
「……お気に召しましたか?」
横から微笑みを浮かべた冬花が宵の顔を覗いていた。
「はい」黒髪の少女は、満たされたように口元を緩めている。「皇都の方々は、皆このような甘味を食べているのですか?」
「いや、まあ、流石にそんな頻繁に食べはしないだろうし、こういう店はそれなりに金を持っている連中が使うところだからな」答えたのは景紀だった。「庶民はそば屋や茶店を使うのが一般的だ」
実際、宵が口にしたアイスクリームは一つで米二升分の値段がする高級品であった。この時代、舶来の菓子のほとんどは、まだまだ上流階級のみが口に出来るものだったのである。
「まあ、そういうところの知識はまた追々、俺が教えてやるから、今はそいつの味を楽しめ」
「是非、お願いいたします」
景紀に軽く頭を下げつつ、宵は再びクリームあんみつの味を堪能することに戻った。
この味を皇国に住む民があまねく味わえるようになったならば、きっとこの国は今よりももっと良いところとなるだろう。自分の故郷から身売りをせざるを得なくなる同年代の少女たちが出ることもなくなるに違いない。
きっとそれこそが、自分がこの少年に嫁いだ意味であったのかもしれない。
だからこの甘味の味は忘れないようにしよう、と未だ十五の少女は自身に誓ったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
午後は四人で皇都の名所を巡ることとなった。
再び馬鉄に乗って、宮城の北東に位置する恩賜公園へと向かう。
馬鉄を降りる前から、公園内の寺にある五重塔が見えていた。木々の合間に、朱塗りの塔が聳え立っている。
公園を訪れる人間が多いのか、景紀たちと共に多くの乗客が公園前の駅で降りた。
いささか緑に欠ける皇都の中で、その場所には多くの樹木が生えている。特に桜の木が目立つ。これからどんどん冬が深まっていく季節ではあるのだが、そのような季節が終わり、春になればさぞ壮観だろうと宵は思った。
四人はまず公園内の寺に参拝し、その後、公園内を巡ることになった。
宵にとって、石造りの噴水など公園内には物珍しいものが沢山あった。そうしてしばらく公園内を散策すると、横に広がった三階建ての建物が現れた。
その建築物は、外壁は石造りで洋風なのであるが、屋根は城の天守や櫓のような外見をしている。いわゆる、帝冠様式と呼ばれる建築様式の建物であった。
宵の故郷である嶺奥国の政庁にあたる佐薙家の居城にも、天守はある。しかし建物の荘厳さという点では、目の前の建築物に劣るだろう。
「あれは、皇都皇室博物館だ」
景紀がそう説明した。宵も知識としては知っている、皇国初の本格的博物館である。なるほど、だからこそ地方の諸侯の城などよりも、よほど荘厳な造りをしているのか。
「あそこに入るのですか?」
「興味なかったら、もっと別の場所を案内するが?」
「いえ、むしろ是非ともお願いしたいくらいです」
宵の目に輝きが宿ったことに気付いた景紀が、小さく安堵の笑みを浮かべた。彼自身が気に入っている場所なのだが、宵が気に入るとは限らない。だが、その心配は杞憂だったようだ。
「じゃあ、行ってみるか」
入り口のところで入場料を払い、来館者名簿に記帳して、四人は建物内へと入った。
玄関広間《エントランスホール》は吹き抜けとなっており、磨き抜かれた大理石造りの大階段が二階、三階へと続いている。
「今はちょうど、茶器の特別展をしているところだったな」
館内の案内板を一瞥した景紀が、思い出したように言った。
「確か、結城家《うち》も協賛として資金や展示品を提供していたわね」
「まあ、どんな名物茶道具を持っているかは、将家の格付けにも繋がるからな。六家は自分たちの見栄のためにこぞって家伝の茶道具を提供しただろうよ」
冬花の言葉に、景紀は皮肉そうに応じた。
「景紀様は、茶器にあまりご興味がないのですか?」
「いや、それなりに興味があるし、いい茶器があったら欲しいとは思うが、わざわざ皇室博物館にまで六家の意地の張り合いを持ち込まなくてもいいだろうに、と思っているだけさ」
宵の問いに、景紀はいささか辟易したように答えた。この少年は、過度に外面を取り繕うことが嫌いなのだろう。単に、面倒臭がっているという面もあるのだろうが。
とはいえ、宵も景紀の意見には同意であった。茶道として芸能・文化の域にまで高められたとはいえ、本来は客人をもてなすための礼儀作法が根底にあったはずであり、それが政争の具にされては本来の意義を失うばかりであろう。
「とはいえ、せっかくの機会ですから見て回りませんか?」
宵は景紀の袖を軽く引っ張った。批判的な思いはあるにせよ、六家や豪商たちが収集した茶器が展示されているのである。見ておいて損はないだろう。
「まあ、そうだな。別に、茶器に罪があるわけでもないしな」
気を取り直したらしい景紀と共に、宵は博物館の中を見て回った。
彼女にとって博物館に展示されている美術工芸品は、特別展・常設展問わず興味を引かれるものであった。
展示品のところに掲げられている解説文もしっかりと読み、それらの物が作られた当時の人々の生活に思いを馳せる。それは少女にとって、書物と対話している時と同じくらい、満たされる時間であった。
結局、展示に夢中になった宵は、午後のすべてを館内の見学に費やしてしまった。
それに気付いた宵が申し訳なくなって景紀に謝ったのだが、「お前が満足いくまで見ればいいさ」とまったく気にしていない様子であった。
なお、景紀が一番気に入っていたのは、刀剣が展示されている区画であった。
展示された刀を興味深そうに見ている少年の姿を横で眺めていた宵は、ああこの人も何だかんだ言って将家の人間なのだな、と微笑ましくも納得してしまった。
そうして宵にとって初めての皇都見物が終わる頃には、すでに日は暮れていたのであった。
冬花に付き添われて出てきた宵は、薄紅色の矢絣模様の着物を身に付け、海老茶色の袴を穿いていた。皇都の女学生たちの間で流行している服装であった。
下ろしたままであった長くさらりとした黒髪は、頭の高い位置で一つに括られている。
足には洋風の革靴を履いている。
あまり履き慣れていないものである所為か、少し立ちにくそうにしていた。
「……どう、でしょうか?」
あまり馴染みのない服装となったからか、いつもの無表情が崩れた宵は少しだけ恥じらうように頬を染め、視線を俯き加減にして景紀から逸らしている。
「いや、良いと思うぞ。お前によく似合ってる」
その様子が微笑ましく、景紀は柔らかい声でそう言った。
「だ、そうですよ、宵姫様」
彼女に付き添っていた冬花が、宵を景紀の方に優しく押し出した。宵は頬をさらに赤く染めて、もじもじとしている。
「何か他に気に入った装飾品とかはあったか?」
「いえ、そんな、申し訳ないです」宵は慌てたように手を振った。「この着物だって、景紀様が買って下さるというのに、それ以上は本当に申し訳ないです」
「浪費癖があったら俺だって流石に困るが、宵の場合はそんな心配は無用だろ? 逆にお前の場合は、遠慮し過ぎて心配になるくらいだ」
「しかし……」
「今日は楽しむために皇都に繰り出したんだ。店内を回ってみるだけでも楽しいだろうし、欲しいか欲しくないかは見てから決めればいいさ」
「……はい」
正直、宵も装飾品などにまったく興味がないわけではない。しかし、それ以上に景紀にお金を使わせてしまうことへの申し訳なさがあるのだ。
ただ、流石にこれ以上の遠慮は景紀に対して失礼になると思い、宵は彼と共に店主の案内で呉服店の中を巡ることにした。
結局、遠慮が勝った宵が景紀に何か物をねだるということはなかったのだが。
◇◇◇
呉服店の中を見回っている内に、午前中は過ぎようとしていた。
買った服は店の者に屋敷へと送ってもらうことにして、彼らは店を出た。
時間も時間であるので、ひとまず食事処に向かうことにした。景紀の先導で、彼らは金座の一角にある瀟洒な造りの喫茶店に入ることとなった。
ちょうど昼食時ということで、店内には多くの客がいた。金座にある喫茶店ということもあり、男女ともに身なりのいい者たちばかりであった。
扉に備えられた鈴の音を響かせて、四人は入店する。すぐにやってきた給仕に、席へと案内される。
景紀の隣に新八が、宵の隣に冬花が座り、景紀と宵が互いに向かい合う形となった。
いささか年期の入った木製の調度品で統一された店内は、とても落ち着いた雰囲気であった。
「私はこうした店に入るのは初めてですので、注文は皆様にお任せします」
努めてきょろきょろと店内の様子を見ないようにしている宵は、そう言った。
机の中央に広げられたお品書きを見ても、宵には馴染みのない料理の名前が並んでいる。一部には聞いたことのある料理もあったが、ここは他の人に任せようと彼女は思った。
「じゃあ、僕は腹が減っとるから、オムライスにするわ」
真っ先に言ったのは新八だった。相変わらず西方弁の軽い口調ではあったが、先に料理を選ぶことで、宵が萎縮しないようにという気遣いが感じられた。
「んじゃ、俺はカレーライスだな」
「……私はそこまでお腹が空いていませんので、冬花様、お任せ出来ますか?」
新八と景紀の注文は、「ライス」という言葉の意味から考えても、宵の胃には重たそうであった。あまり食べると着物の帯がきつくなりそうであるし、実際にそれほど空腹を覚えていなかった。
「そうですね、宵姫様のお口に合いそうなものとなりますと……」
宵から注文を任された冬花はお品書きに目を通していく。
お品書きには、舶来の菓子であるケーキ類やワッフルなどの名もあったが、洋菓子が宵の口に合うかどうかは判らない。とはいえ、この北国の姫にとって初めての皇都見物でもあるので、少しは目新しいものを選んであげたいという思いがある。
「クリームあんみつは如何でしょう?」
あんみつならば、よほど甘い物嫌いでない限りはそうそう口に合わないということもないであろうし、アイスクリームが乗っていることで、彼女にとって目新しさもあるだろう。
「では、それでお願いいたします」
宵は、特に疑問を挟まなかった。
一方の冬花は、パンケーキを頼むことにした。
新八が頼んだオムライスは、宵の目から見ても色鮮やかな食べ物であった。
焦げあと一つない綺麗な黄色い卵焼き、その上に乗せられた小さな緑色の豆、卵焼き包まれた紅葉色に染められた炊き込みご飯らしきお米。
一方、景紀の注文したカレーライスは、宵の目から見るといささか奇異な食べ物のように映った。
香りは確かに食欲を刺激しそうであるのだが、如何せん、もの凄く濃くして味噌が溶け残った味噌汁が掛かったような見た目には閉口せざるを得なかった。
何と言うか、とても塩辛そうである。
「……気になるのか?」宵の視線に気付いた景紀が尋ねてくる。「まあ、初めて見る人間からすれば、汁物としていささか雅さに欠ける料理なんだろうが」
「……念のためお尋ねいたしますが、美味しいのですか?」
宵のカレーライスを見る視線は、この料理に対する多大な疑念が籠っていた。
「食ってみるか?」
まだ匙をつけていない白と焦げ茶色で構成された料理を、景紀は宵に差し出した。
「……では、一口だけ」
一瞬の躊躇があったものの、宵の心は未知の料理に対する好奇心の方が勝った。銀製の匙を使って、ご飯と汁を等分に掬って口に運ぶ。
一瞬、舌をピリリとした刺激が駆け抜けるが、それが口の中で白米の甘みと不思議と混ざり合って見事な調和を成している。今までに食べたことのない味わいであった。
「……美味です」
「だろ? もう少し食うか?」
「いえ、景紀様が注文されたものですから、私はまたの機会にでも」
「そうか。まあ、食いたくなったらうちの料理人にでも頼んでやるから、いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます」
そうして男二人の料理が届いた後で、宵のクリームあんみつと冬花のパンケーキが届く。
あんみつそのものは宵も食べたことはあるが、そこに乳白色の氷菓子が乗っているものは初めて見た。それに、流石皇都というべきか、器の中に入ったあんみつは果物で綺麗に飾り付けられていた。
餡の濃紫に、寒天の透明感、白玉の弾力感に加えて、薄紅と緑の求肥、蜜柑に黄桃に林檎の砂糖漬け。
小さな器の中に入った黒蜜をかければ、また違った趣を演出する。
一方、冬花の頼んだパンケーキは綺麗にきつね色に焼き上げられ、香ばしい匂いを漂わせていた。二枚の薄い生地の上に白い牛酪《バター》の欠片が乗せられ、かけられた蜂蜜が煌めいている。
「いただきます」
礼儀正しく手を合せてから、宵は銀匙を手に取った。
まずはアイスクリンという氷菓子を一掬いして、口に入れる。冷たい刺激と、溶けて舌に広がるさっぱりとした甘み。
「……お気に召しましたか?」
横から微笑みを浮かべた冬花が宵の顔を覗いていた。
「はい」黒髪の少女は、満たされたように口元を緩めている。「皇都の方々は、皆このような甘味を食べているのですか?」
「いや、まあ、流石にそんな頻繁に食べはしないだろうし、こういう店はそれなりに金を持っている連中が使うところだからな」答えたのは景紀だった。「庶民はそば屋や茶店を使うのが一般的だ」
実際、宵が口にしたアイスクリームは一つで米二升分の値段がする高級品であった。この時代、舶来の菓子のほとんどは、まだまだ上流階級のみが口に出来るものだったのである。
「まあ、そういうところの知識はまた追々、俺が教えてやるから、今はそいつの味を楽しめ」
「是非、お願いいたします」
景紀に軽く頭を下げつつ、宵は再びクリームあんみつの味を堪能することに戻った。
この味を皇国に住む民があまねく味わえるようになったならば、きっとこの国は今よりももっと良いところとなるだろう。自分の故郷から身売りをせざるを得なくなる同年代の少女たちが出ることもなくなるに違いない。
きっとそれこそが、自分がこの少年に嫁いだ意味であったのかもしれない。
だからこの甘味の味は忘れないようにしよう、と未だ十五の少女は自身に誓ったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
午後は四人で皇都の名所を巡ることとなった。
再び馬鉄に乗って、宮城の北東に位置する恩賜公園へと向かう。
馬鉄を降りる前から、公園内の寺にある五重塔が見えていた。木々の合間に、朱塗りの塔が聳え立っている。
公園を訪れる人間が多いのか、景紀たちと共に多くの乗客が公園前の駅で降りた。
いささか緑に欠ける皇都の中で、その場所には多くの樹木が生えている。特に桜の木が目立つ。これからどんどん冬が深まっていく季節ではあるのだが、そのような季節が終わり、春になればさぞ壮観だろうと宵は思った。
四人はまず公園内の寺に参拝し、その後、公園内を巡ることになった。
宵にとって、石造りの噴水など公園内には物珍しいものが沢山あった。そうしてしばらく公園内を散策すると、横に広がった三階建ての建物が現れた。
その建築物は、外壁は石造りで洋風なのであるが、屋根は城の天守や櫓のような外見をしている。いわゆる、帝冠様式と呼ばれる建築様式の建物であった。
宵の故郷である嶺奥国の政庁にあたる佐薙家の居城にも、天守はある。しかし建物の荘厳さという点では、目の前の建築物に劣るだろう。
「あれは、皇都皇室博物館だ」
景紀がそう説明した。宵も知識としては知っている、皇国初の本格的博物館である。なるほど、だからこそ地方の諸侯の城などよりも、よほど荘厳な造りをしているのか。
「あそこに入るのですか?」
「興味なかったら、もっと別の場所を案内するが?」
「いえ、むしろ是非ともお願いしたいくらいです」
宵の目に輝きが宿ったことに気付いた景紀が、小さく安堵の笑みを浮かべた。彼自身が気に入っている場所なのだが、宵が気に入るとは限らない。だが、その心配は杞憂だったようだ。
「じゃあ、行ってみるか」
入り口のところで入場料を払い、来館者名簿に記帳して、四人は建物内へと入った。
玄関広間《エントランスホール》は吹き抜けとなっており、磨き抜かれた大理石造りの大階段が二階、三階へと続いている。
「今はちょうど、茶器の特別展をしているところだったな」
館内の案内板を一瞥した景紀が、思い出したように言った。
「確か、結城家《うち》も協賛として資金や展示品を提供していたわね」
「まあ、どんな名物茶道具を持っているかは、将家の格付けにも繋がるからな。六家は自分たちの見栄のためにこぞって家伝の茶道具を提供しただろうよ」
冬花の言葉に、景紀は皮肉そうに応じた。
「景紀様は、茶器にあまりご興味がないのですか?」
「いや、それなりに興味があるし、いい茶器があったら欲しいとは思うが、わざわざ皇室博物館にまで六家の意地の張り合いを持ち込まなくてもいいだろうに、と思っているだけさ」
宵の問いに、景紀はいささか辟易したように答えた。この少年は、過度に外面を取り繕うことが嫌いなのだろう。単に、面倒臭がっているという面もあるのだろうが。
とはいえ、宵も景紀の意見には同意であった。茶道として芸能・文化の域にまで高められたとはいえ、本来は客人をもてなすための礼儀作法が根底にあったはずであり、それが政争の具にされては本来の意義を失うばかりであろう。
「とはいえ、せっかくの機会ですから見て回りませんか?」
宵は景紀の袖を軽く引っ張った。批判的な思いはあるにせよ、六家や豪商たちが収集した茶器が展示されているのである。見ておいて損はないだろう。
「まあ、そうだな。別に、茶器に罪があるわけでもないしな」
気を取り直したらしい景紀と共に、宵は博物館の中を見て回った。
彼女にとって博物館に展示されている美術工芸品は、特別展・常設展問わず興味を引かれるものであった。
展示品のところに掲げられている解説文もしっかりと読み、それらの物が作られた当時の人々の生活に思いを馳せる。それは少女にとって、書物と対話している時と同じくらい、満たされる時間であった。
結局、展示に夢中になった宵は、午後のすべてを館内の見学に費やしてしまった。
それに気付いた宵が申し訳なくなって景紀に謝ったのだが、「お前が満足いくまで見ればいいさ」とまったく気にしていない様子であった。
なお、景紀が一番気に入っていたのは、刀剣が展示されている区画であった。
展示された刀を興味深そうに見ている少年の姿を横で眺めていた宵は、ああこの人も何だかんだ言って将家の人間なのだな、と微笑ましくも納得してしまった。
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