秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第一章 皇都の次期当主編

18 皇都見物

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 六家会議から数日後。
 書庫で本を読んでいた宵の下に、景紀がやってきた。

「どうされました?」

 所狭しと書棚が並べられた空間で、宵は踏み台に腰掛けて膝の上で本を開いていた。

「……宵、別に部屋に持って帰って読んでも良いんだが」

 流石に見かねて、景紀が言う。
 薄暗い書庫の中で、宵は角灯の明かりを頼りに本を読んでいたようだった。

「それに、そろそろ本格的に冷えてくる季節だ。寒くないのか?」

 書庫にいる宵は小袖の上に打掛を羽織っただけの姿であり、足も白い足袋を履いているだけである。

「私は北国の出です。この程度の寒さなど、寒さの内に入りません」そう言って、宵は首を振った。「それに、ここにいた方が、色々な本をすぐに探すことが出来るので。私はあなたの支えになると言いました。いちいち持ち出すのも手間でしょう?」

 少女の顔は相変わらず人形じみて表情に乏しく、そこに不満の色は微塵もなかった。

「勉強熱心なのはいいんだがなぁ……」

 景紀はいささか納得のいっていない口調と共に、宵と膝に乗る書物の間で視線を行き来させた。
 宵が書庫に籠っている理由は、単純に勉学のためである。結城家の治める領地に関する行政文書、財政や金融といった経済、さらには農業などに関する学術書を、彼女は手当たり次第に読み漁っていた。
 屋敷に来てからの彼女の日課は、午前は武家の姫らしく薙刀など武術の稽古、これに不定期で茶道や華道の講習が入り、午後は書庫で資料の乱読。昼間に景紀と顔を合せるのは、食事の時程度というほどに書庫に籠り続ける日々を送っていた。
 だが、それは自らが望んだことなので、宵にとって特に不満はない。
 むしろ、屋敷内を好きに動き回れ、結城家の機密文書すら収められているだろう書庫への立ち入りを許してくれた景紀に感謝しているほどであった。

「景紀様は、書庫に籠った経験はないので?」

「俺はどちらかというと、書庫から本を持ち出して自分の部屋に積んでいく類の人間だな。ほら、書庫って分野別に棚が分かれてるだろ? 書棚の間をいちいち移動するより、一気に持ち出して手の届く範囲に置いておきたいんだ。まあ、その後、『ちゃんと片付けなさい』と冬花に叱られるまでが定番の流れではあるんだが」

「景紀様は、案外、だらしない方なのですね」

 くすりと、宵は微かな笑い声を漏らした。

「じゃなきゃ、中央集権国家なんて目指さないだろう?」

「いやまあ、それはいささか極端に振れすぎている気もしますが。本当に怠惰な人間ならば、当主の地位に胡座をかいて、放蕩三昧の日々を過ごしているでしょうから」

「それは単なる暗君だろ? 俺は暗君になりたいわけじゃあない」

「景紀様は怠惰なのか、それとも真面目なのか、判断に迷ってしまいますね」

 顎に指をあてて、宵はわざとらしい思案顔を作った。

「いつかの冬花と同じ事を言っていやがる」

 苦笑と共に、景紀は軽く悪態をついた。その仕草は、年相応の少年に見えた。

「……まあ、私が書庫に籠っているのは気にしないで下さい」

 宵は表情を普段通りの感情の希薄そうなものへと戻した。

「私にとっては、こうしていた方が気持ちが落ち着くんです」

 しみじみとした声と共に、宵は背後の書棚に平積みにされた和綴じの本の表紙をそっとなぞった。

「本と対話している間は、孤独を忘れさせてくれますから」

 それは、聞く者の胸を痛くするような言葉であった。この言葉だけで、彼女がどれだけ鷹前の城で孤独に過ごしていたかが判ってしまう。

「別に、今のお前は孤独ってわけじゃないだろ?」

 だからか、少しばかり強い口調で景紀は言ってしまった。冬花という少女の幼少期を知っているからか、彼は宵の置かれていた環境にも苛立ちに近い思いを抱いている。
 同情しているといえば、それは景紀の傲慢になろう。それでも、気に喰わないものがあるのは事実であった。

「……そうですね」宵は少しだけ俯き加減になりながら、それでもそっと唇の端を持ち上げていた。「今は、景紀様や冬花様、新八様がいます」

「ただし、母親がいない、か?」

 その指摘に、ビクリと宵の肩が跳ねた。
 少し意地の悪い問いかけだったか、と景紀は反省する。だが、これは宵の反応を見極める上でも必要な問いかけだった。

「母上とは、二度と会わぬ覚悟で私は貴方に嫁ぎました。私はこれからは、結城家の人間として生きるつもりです」

 宵の声に、悲痛な色はなかった。硬い覚悟の心だけが、その声にはあった。彼女の中では、それは区切りの付けられた問題なのだろう。
 だけれども、それは十五の少女に背負わせるにはあまりにも酷な覚悟であるようにも思えるのだ。

「なあ、宵」

「何でしょうか?」

「俺は別に、絡繰り人形が欲しいわけじゃないんだ。お前の覚悟は嬉しく思うが、だからといってお前が自分を殺す必要はない。俺に文句を言いたきゃ言えばいいし、自分のしたいことを言ってもいいんだ」

「……」

 景紀がそう言うと、宵は少し戸惑ったような表情を浮かべた。
 婚儀の夜に続き、また彼女の覚悟を蔑ろにしてしまったかと景紀は思ったものの、宵の母親の問題は今後も残り続けるだろう。そしてこの問題は、宵の感情面の問題だけでなく、結城家と佐薙家の政治的な問題にも発展しかねないものでもあった。
 未だ佐薙家の領地に留められている彼女の母親は、宵に対する人質のようなものなのだ。
 しかも、宵の母は長尾家現当主・憲隆公の妹でもある。
 宵という少女とその母親を通して、間接的に結城家は同じ六家の長尾家と姻戚関係を持ったようなものなのだ。だからこそ、彼女の母親の安否については景紀としても気にせざるを得ない。

「まあ、お前の育ってきた境遇からすれば我が儘なんて考えつかんのかもしれないが、多少は我が儘になることも覚えた方が、人生、楽しいぞ」

「……善処します」

 よく判っていないような声音だったが、それでも宵はそう言った。

「ところで、景紀様。貴方が私の下を訪ねられた理由をまだ聞いていない気がしますが?」

「ああ、そうだった。宵、これからは皇都で暮らすことになるんだ。折角の機会だ。皇都見物、してみないか?」

 ニッと景紀は笑った。それは、友人をちょっとした冒険に誘うような、どこか悪戯っぽい笑みであった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 翌日、景紀、宵、冬花、新八の四人で皇都に繰り出すことになった。

「よっしゃぁ! 娑婆だぁ!」

 馬鉄を降りた瞬間、日頃の仕事で溜まった鬱憤を晴らすように景紀は勢いよく拳を振り上げた。すると、すかさず冬花が少年の後頭部をはたいた。

「結城家の次期当主ともあろう人間が、みっともないわよ」

「いや、丸一日俺の好きにして良いなんて、久しぶりだろ? 少しは羽目を外させろよ」

「……お二人とも、普段からそのような調子なのですか?」

 いささか面食らっているようにも見える表情で、宵が問うた。
 彼女はここ数日、書庫に籠っていたのと、結城家の侍女たちとの関係性構築などに時間を割いていたため、景紀と冬花が私的な場面で互いにどのように接し合っているのかまだ十分に理解していなかったのである。

「まあ、あの二人はいつもあんな調子やなぁ」

 面白そうにしている朝比奈新八は、今日も煙管を口に咥えている。

「ええ、宵姫様には是非とも、この男の扱いを覚えて頂きたいところです」

 冗談と言うには本気が混じり過ぎている冬花の口調に、宵は彼女なりの苦労があるのだと理解した。とはいえ、こういう苦労であれば楽しいだろう。
 むしろ、他愛ないじゃれ合いのようなものだ。

「おい待て、宵に変なことを吹き込むんじゃない」

 慌てたように言う景紀の口調も、どこか冗談じみている。二人のやり取りに、宵は小さく笑みを浮かべる。

「ええ、冬花様。是非とも、景紀様のことについて色々とお教えいただきたいです」

 宵はあえて景紀の方を見て、冬花に応じた。

「……宵さんや、ちょいと悪乗りし過ぎじゃないですかね?」

「おや、私のことを必要だとおっしゃられたのは景紀様ご自身では? ならば、貴方のことをよく知る冬花様にお話を伺うのは当然でしょう」

 悪戯っぽく、宵は言う。景紀や冬花との会話を楽しんでいる自分がいることに、彼女は気付いていた。
 このような感情は、久しく抱いていなかったものだ。自然と、口元が緩んでくる。

「……お前、良い顔するようになったな」

 それを見た景紀が、どこか嬉しそうに言った。
 それほどまでに、自分は悲壮感を出していたのだろうか? 宵にはよく判らなかった。自分としては、結城家の人間になるという覚悟を決めていただけなのだ。
 しかし、それが景紀から見たら悲壮に感じたのだろう。

「そうだな、じゃあまずは、呉服屋から行ってみるか。宵の服も見繕ってみたいからな」

「私の服、ですか?」

 今、宵は鷹前から持ってきた外出用の着物に身を包んでいる。
 一方、景紀は詰め襟の洋風シャツの上に着物を羽織った袴姿、冬花はいつも通り丈が短く両肩が露出している着物姿、新八はわざと着物を着崩しており、宵の目から見るといささかだらしなく見える。
 三人とも脇に刀を差しているので、自分たち一行が武士身分であることは周囲から一目瞭然であった。

「……その、大変申し上げにくいのですが」

 周囲を憚るように、冬花が宵の耳元でそっと囁く。

「宵姫様のお召し物は、皇都の若い華族女子たち間ではいささか流行遅れといいますか、仕立てが良くとも地方人のように見えてしまうのです」

 かなり婉曲に伝えてくれたが、要するに田舎臭い、あるいはお上りさんのように見えてしまうということだろう。

「今後は、姫様も華族のご令嬢の方々から茶会の招待がかかるかもしれませんので、やはり流行《はやり》の服は相応に揃えておいた方がよろしいかと」

「益永の細君からも、お前の服を何着か見繕っておくよう言われているからな」

 そういうことか、と宵は思った。
 武家の妻は、当主たちが不在の際、その名代を務めることもある。宵が他家の人間たちから服装という些細な点で侮られることがないよう、景紀や冬花、済《なる》は気を遣ってくれたのだろう。
 馬鉄の駅から、四人は歩いて行く。
 皇都の地理がまるで判らない宵は、景紀の後についていく形となる。彼は歩幅を合わせてくれているのか、その背中の斜め三歩後ろを歩く宵との距離は常に一定のままだった。
 皇都の商業地区として有名な金座は、その目に映るすべてが北国の少女にとって新鮮で物珍しかった。
 広い道の中央に複線となっている馬鉄の線路が敷かれ、その両脇の車道を馬車や人力車などが行き交っている。
 御影石らしき石で仕切られた歩道を行き来する人々の服装も、宵にとって馴染みのある和装から、鷹前ではほとんど見かけることのない洋装の人間まで、様々である。
 等間隔に並ぶガス灯も、皇都の繁栄ぶりを示しているようであった。
 そして、鷹前から皇都に来る最中に佐薙家の老家令長から聞かされた建物の数々。石造りや煉瓦造りの建物は、確かに城の天守や櫓を連想させた。しかし、城のような無骨さはなく、見る者に優美さを感じさせる。
 そうした洋風の建築物もある一方、見世蔵様式の建物もあり、金座地区は和と洋の建築物が混在した商業区画であった。

「なあ、皇都も悪くないだろ?」

 すると、宵の方を振り返った景紀が、微笑ましそうに問うてきた。

「……すみません、私、つい」

 冷静になってみると、自分が初めての場所に浮かれている子供のように思えてしまい、宵は急に気恥ずかしくなった。確かに、これではお上りさんだ。

「まあいいだろ、別に。初めての場所ってのは、誰だって浮かれた気分になるさ」

「そうですが……」

 華族の娘として、浮かれすぎるのも体裁が悪い気がするのだ。ましてや、自分は六家の人間になったのだ。相応の振る舞いというものが求められるだろう。

「ご安心を、宵姫様」

 宵の心中を察したのか、横に付き添っている冬花が神妙な口調で言った。

「誰よりも浮かれているのは景紀様ですから。恐らく、この一行で一番恥ずかしい振る舞いをしているのは我らが若君様です」

「……冬花さんや、少しは主君に対する敬意ってものを示してくれないか?」

 ちょっとだけ傷付いたような声で、景紀が文句を言っている。

「敬意を示して欲しければ、相応の振る舞いをすることね」

 一方、冬花は主君であるはずの少年の言葉をばっさりと切り捨てた。

「まあ、そういうわけですから宵姫様、本日は存分にお楽しみ下さい。そのための皇都見物ですから」

 もしかしたら、景紀はあえて浮かれた振る舞いをしていたのだろうか。周囲からお上りさんのように見られてしまう(というよりも、事実、お上りさんなのだが)自分を気遣って。

「その点に関しては、冬花に全力で同意だな。まあ、今日はかなり私的な外出だ。あんまり堅苦しくしても、つまらないだろ?」

 ……いや、景紀の振る舞いは案外、本心からのものなのかもしれなかった。というか、本心からのものなのだろう。

  ◇◇◇

 宵が街並みや行き交う人々に気をとられていたため、少し歩みは遅くなったものの、最初の目的地である呉服屋に辿り着いた。
 黒い見世蔵造りの重厚な店舗は、掲げられている看板と併せて老舗らしい風格を感じさせた。
 衣桁に掲げられている着物の生地も、どれも高級なものであった。

「おや、結城の若様、いらっしゃいませ」

 店に入ると早速、番頭が声を掛けてきた。
 商品同様、番頭の立ち居振る舞いには品があり、粗雑な印象はまったくなかった。

「ああ、ここは皇都に住む華族や豪商なんかから贔屓にされている店でな、かくいう結城家も何度か服を仕立ててもらっている」

 景紀が宵に向かって説明した。

「そちらは先日、ご婚儀を挙げられた佐薙の姫様ですな。遅まきながら、手前からもお祝い申し上げます」

「それで、主人はいるか?」

「はい、ただ今お呼びいたしましょう」

 そう言うと番頭は近くにいた丁稚に声を掛け、店の主人を呼びに行かせる。しばらくして、店の奥から主人が出てきた。

「これはこれは結城の若様、本日はどうもご足労頂き恐縮にございます。お呼び出しいただければ、こちらからお屋敷の方にお伺いいたしましたものを」

「いや、今日はうちの妻に皇都を見物させたくてな」

 景紀が宵を示す。

「ご婚儀の件は聞き及んでおります。遅まきながらも、お祝い申し上げさせていただきます」

「それで、今日は宵姫の服を新調したくてな」

「なるほど。そういうことでございましたか」

 そう言って店の主人は、不躾にならない視線で宵の服装を観察する。

「ふむ、なるほど。何か、ご希望はございますかな?」

「だ、そうだが?」

 景紀が宵の方を見て尋ねる。だが正直、宵には皇都の華族女性の間で流行っている服装など知らない。そして着物の色や柄については、特に希望はなかった。

「店の皆様にお任せします」

 だから、宵はそう答えた。

「では、奥へ御案内いたしましょう。……おい、君、姫様を御案内して差し上げろ」

 主人は若い女性の奉公人に声を掛ける。

「すまん、冬花も付き添ってやってくれないか」

 確かに、流石に女性の服の採寸に男が付いていくのも拙かろう。

「判ったわ。さっ、宵姫様、こちらへ」

 宵は冬花や店員の女性に導かれて、呉服店の奥へと通されることになった。
 そうなると、景紀と新八は店内で待つことになる。

「女性の服選びは長いで?」

 少しからかうように、新八が景紀に言った。

「まあ、女性がどんな姿で出てくるのかを待つのもまた男の楽しみさ」

「若は随分と、あのお姫様を気に入っとるようやな?」

「まあな」

「冬花の嬢ちゃんが拗ねんよう、気を付けとき。あと、嬢ちゃんに気ぃ遣いすぎて今度はお姫様が拗ねんようにな」

「まあ、善処する」

 唇を苦笑の形にねじ曲げて、景紀は応じた。

「……それで、新八さん?」

 不意に、景紀の声が低くなる。

「僕は気付いとらん。そういうのは冬花の嬢ちゃんの領分や」

「ふむ……」

 それまでのどこか道楽者めいた表情から一転して、景紀の顔が鋭くなる。

「やっぱり、若も先日の術者の存在が気になっとるん?」

「当然だな。俺は被虐趣味者じゃないんだ。また式とかを放って付きまとわれてるかもしれないと思うと、良い気分にはならないだろ?」

「まあ、皇都をウロウロしとれば、またそのうち嬢ちゃんが気付くやろ」

「だな」

 景紀は頷く。瞳には、剣呑な光が宿っていた。

「そのために、わざわざ仕事を一日空けて皇都を巡ろうとしているんだからな」
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