秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第一章 皇都の次期当主編

16 隠し事

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 景紀と冬花は、ひとまず料亭へと戻った。新八の方は、また人目に付かぬ場所から周辺の警戒を行う役目に戻っている。

「なるほど。攘夷派浪士に、攘夷派の壮士、それに正体不明の呪術師か」

 長尾憲隆は、景紀から情報を聞いてそう呟いた。声には納得の響きはあったものの、さほど関心があるようには見えない。

「確証はないが、伊丹や一色が裏で糸を引いている可能性があるな」

「……断定できる証拠はありませんが」

 景紀は一瞬だけ間を置いた後、同意していると取れる口調で応じた。内心ではやはり、長尾公による自作自演の可能性も捨ててはいない。
 証拠がないため、伊丹・一色側の犯行か、長尾公の自作自演か、あるいは第三の勢力、特に結城家と長尾家の連携を阻止したい佐薙家あたりの差し金か、まるで判断がつかないのが厄介なところであった。

「まあ、連中が攘夷派の無頼漢を唆したところで、明確な証拠は残さんだろうな」

「同意します」

「ただ、厄介ではあるな」長尾憲隆は顎に手をあてた。「我々が攘夷派浪士に襲われたという事実が広まれば、軍事偏重の予算案に反対している者たちを萎縮させかねん。あの大蔵省の主計局長はその程度で黙らせられる人間ではないだろうが、万が一、局長が暗殺されるような事態となれば列侯会議も衆民院も紛糾する」

「あるいは、そうしたことが目的なのかもしれませんが」

 景紀は慎重に言葉を選んだ。
 今回の襲撃未遂事件は、それが明るみに出た場合、もっとも利益を得るのは攘夷派なのだ。これは、暗殺に成功しようと失敗しようと、襲撃の事実だけで人々から同じ反応を引き出せるからだ。
 後世の表現を用いるならば「テロ」とも言うべきこうした行為は、そうした民衆の恐怖心を煽ることで最大の効果を上げることが出来るのである。
 それを、景紀は十分に理解していた。
 そして、それ以上に厄介なことに、今の皇国にはそうした蛮行を賞賛する民衆が一定数いるということだ。国民たちが漠然と感じている外圧に果敢に対抗しようとする(と、民衆からは見える)攘夷派は、彼らにとってはまぎれもなく憂国の志士なのだ。

「今夜の件については、店の者たちにも厳重に口止めをしておかねばなるまい」

「はい。俺も長尾公の意見に賛成です。わざわざ攘夷派を利することもないでしょう」

 結局、この夜の襲撃未遂事件は公にしないことで、両者の意見は一致した。

「ただ、こうした事件が今後も続くようであれば、我々も対策を講じなければならないでしょう」景紀は言う。「その場合、裏で糸を引く者が誰であれ、伊丹・一色両家を列侯会議で攻撃する材料となります。彼らの言動が、不逞浪士を煽動し、畏れ多くも皇主陛下のお膝元である皇都の治安を乱していると喧伝するのです。あの二家は政治を暴力によって解決しようとしている、そう主張すれば列侯会議における彼らの権威を低下させることが出来ます」

「一つの議会戦術としては有効だろう。ならば、この件に関しては内密に有馬公にも伝えておくとしよう。公も攘夷派に狙われる立場にある。警告の意味としても、今夜の件を伝えることに異論はないかね?」

「むしろ、ここで有馬家に攘夷派の襲撃があったことを隠す方が、三家の連携に亀裂を入れかねませんからね」

「まあ、頼朋翁あたりはその辺りの警戒も万全であろうがな」

 皮肉そうに、長尾憲隆は言った。

「あの方は、生物的にも政治的にも天寿を全うしそうですからね」

「違いない」

 将家を背負う二人の人物は、それぞれに意地の悪い笑みを浮かべ合った。

  ◇◇◇

 景紀と冬花は辻馬車ではなく、徒歩で屋敷へと帰ることにした。

「……どうだ、冬花? 尾《つ》けられているか?」

「いいえ。探知用の式を周辺に飛ばしているけど、何もないみたい。不逞浪士らしい人間もいないし、術者の存在も感知出来ないわ」

 ガス灯の明かりに照らされた御影石の歩道の上を、二人は並んで歩いていた。

「とりあえず、今夜は諦めたか」

「みたいね」

 彼らが徒歩で帰ろうとしたのは、やはり術者の存在が気になるからであった。景紀を囮にして、相手術者が放つであろう式を探知する。そうしたことを考えていたのであったが、空振りに終わりそうであった。

「あの攘夷派浪士に追跡用の式を付けられなかったのは、私の失態だわ」

 冬花は悔恨を滲ませた声で言った。正体不明の術者から景紀を守ることだけで頭がいっぱいで、そこまで気が回らなかったのだ。
 冷静になってみれば、何が景紀のシキガミだと、景紀の言葉に浮かれていた自分自身を呪いたくなってしまう。
 しかし今から捜索用の式を放つにしても、行方が判らない以上、効率的に式を操ることが出来ない。
 道中、景紀の警護もしなければならない冬花にしてみれば、それは負担であった。

「まあ、あまり自分を責めるな」柔らかく、景紀は言う。「俺だって、術者の存在を失念していたんだ。冬花の責任じゃないさ」

「でも、私はあなたの警護役でもあるのよ。本来だったら、失態を責めるべきじゃない」

 冬花の声は、どこか頑なであった。

「俺に、怒って欲しいのか?」

「……」

 冬花は唇を引き結んで、黙り込んでしまった。その表情は、少しだけ辛そうに歪んでいた。
 失態を犯した自分を、主君に責めてもらいたい。その方が、自責の念に苛まれるよりも気が楽だ。だけれども同時に、景紀に責められたら悲しく思ってしまうだろう自分もいる。
 だから、彼女は否定の言葉も肯定の言葉も返せなかった。

「あんまり、一人で背負《しょ》い込もうとするなよ」

 景紀は、この少女にそんな表情をしてもらいたくて、シキガミにしたのではない。シキガミであることを、重荷に感じて欲しくないのだ。
 白髪赤眼という容姿の所為か、冬花の自己評価は低い。それが彼女の責任感や生真面目さにも繋がっているのだろうが、こういう些細な失敗をしてしまった場合は逆に悪い方向に働いてしまう。

「いくら陰陽師だって、一人で何でもかんでも出来るわけじゃない。お前は術者から俺を守ってくれたんだ。それは、シキガミとして誇って良いことだぞ」

「……若様の、馬鹿」

 時として、慰めの言葉は人の心を傷付ける。しかしその言葉は、彼のシキガミであることを自らの拠り所とする冬花にとって嬉しく、またこそばゆいものでもあった。
 彼にシキガミとして認めてもらえる、それだけで少女にとっては十分なのだ。
 そして、だからこそ今の自分に妥協したくないと思う。
 そんな複雑な感情が、胸の内で渦巻いている。

「……そんなこと言われたら、落ち込んでいられないじゃない」

「俺は冬花に落ち込んでいられるよりも、笑っていてくれる方が嬉しい」

 そんな言葉を、景紀は何の衒いもなく言ってのける。

「……もう、馬鹿」

 本当に馬鹿なのは自分だと自覚しつつも、冬花はその言葉を繰り返した。





 屋敷への帰路は、本当に何事もなく終わろうとしていた。
 次の交差点を曲がれば結城家屋敷が見えるというところまで来て、ふと思い出したように冬花が口を開いた。

「今夜の件、宵姫様には何て伝えるの?」

 その言葉に、景紀はちょっとだけ悩む素振りを見せた。

「……俺は、伝えない方がいいと思ってる。あいつは皇都に来て日が浅い。結城家に来ても、だ。あまり、余計な心配はかけたくない」

「確かに、今の時期は結城家での生活に慣れることに専念して欲しくはあるわね」

 冬花も、基本的には景紀と同意見であった。ただし、一方で気になることもあった。

「でも、妻としては夫に隠し事をされるのはいい気分じゃないと思うわ」

「そん時は、素直に謝って怒られるさ」景紀は自嘲に近い苦笑を浮かべた。「それに、あいつは聡い。まったく理解してくれない、ってことはないだろうさ」

「……随分と、宵姫様を信頼しているのね?」

 かすかに、冬花は声の中に不機嫌さを混ぜてしまった。何となく、景紀のシキガミとして面白くないものを感じてしまったのだ。

「まあ、それなりに、な」

 そんな冬花の様子に、景紀は少し微笑ましげな表情を浮かべた。

「だからまあ、冬花の秘密も、そのうち打ち明けられると思うぞ」

 景紀がそう言った途端、白髪の少女は気まずそうに目を伏せてしまった。宵に対して、冬花は主君に隠し事を強いているのだ。その意味では、景紀が宵を信頼していることは、冬花にとって喜ぶべきはずのことなのだ。
 景紀が一生、宵に対して秘密を貫くことになるとなれば、それは冬花が主君に重荷を背負わせていることになってしまう。

「……その時、宵姫様は、どんな反応をするのかしらね?」

 だけれども、自らの秘密を宵に知られることに、冬花は不安を拭い去ることは出来なかった。

「宵は、お前が他の連中と容姿が違うことを、別に気味悪がってはいなかっただろ?」

 そんな冬花の不安を払拭するように、景紀が言う。冬花と長く過ごしてきた彼にとって、相手が冬花を気味悪がっているのかどうかというのは、すぐに見抜けてしまう。
 だから、あの北国の姫が冬花の容姿を嫌悪していないことは彼にとって嬉しかった。彼女にも、自分のシキガミを認めてもらえたような気がしたのだ。

「……でも、これはもう髪が白いとか、瞳が赤いとかっていう問題じゃないのよ」

 言葉と共に、冬花は着物の袖の中できゅっと拳を握っていた。

「―――誰が何と言おうと、俺は冬花を綺麗だと思っている」

 冬花の言葉に被せるように、景紀は強く断言した。

「だから、そのことを気にするのは止めろ」

 景紀は、いっそ命令するように鋭く言い放った。

「……ふふ、強引ね」

 吐息を漏らすように、冬花は笑った。例え誰に自分の存在を否定されようと、それこそ自分自身ですら否定しようとも、景紀さえ肯定してくれるならば、それだけで自分は生きていけるのだ。
 そんな彼の強引さが、ありがたかった。

「俺はお前の主だからな。これくらいは許せ」

 景紀は悪びれもせず、むしろ命令口調のまま言った。

「そうね。宵姫様に私の秘密を告げる頃合いについては、景紀に全部任せるわ」

 妄執や依存と言われようと、冬花は景紀のシキガミなのだ。主君が宵姫を信頼しているのならば、それに任せるべきだ。自分がそのことで思い悩む必要はない。
 例えどのような結果になろうとも、この少年だけは自分を受入れ続けてくれるだろう。

「それにな、冬花」

 途端、景紀はそれまでの口調を改め、どこか気楽な調子で言った。

「お前も宵の奴も、お互いをまだよく知らないだろ。まあ、それを言ったら俺もなんだが。だからまあ、まずは新八さんも含めた俺たち四人、関係性を深めるところから始めようと思うんだ」

「関係性を深める?」

 そう聞き返した冬花に、景紀は悪戯を企む子供のような笑みを浮かべていた。
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