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第一章 皇都の次期当主編
11 背後の敵
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一通り屋敷内の案内を終えると、景紀は宵を益永の奥方に預けた。
結城家内における宵の世話役は、当面の間、益永の細君ということになったのだ。彼女には、屋敷で生活する上での細かな注意点などを教えてもらうことになる。
宵には、結城家次期当主の正室として、家臣団に対する相応の統率力が求められるのだ。
武家当主の妻は、夫が戦地などに行って不在の間、家を守るという役割がある。戦国時代の末期から海外進出が進んだ結果、武家当主やその嫡子の大半が海外へと出征し、彼らの妻たちが内地に残された。そうした時代の名残が、未だ将家には残っているのだ。
だから、武家において女性は一定程度の社会的地位を認められている。
「宵については、ここでの生活に慣れてもらうのが最優先として……」
執務室に、景紀の声が響いた。
「問題は、あいつの父親だな」
「佐薙伯の昨晩の長広舌には、私もいささか驚きました」
結城家筆頭家老の益永忠胤が頷いた。
執務室にいるのは、景紀、冬花、益永の三名である。冬花は執務机の側で、従者然として控えていた。
「現在まで、嶺州軍の動きに関する情報は入っておりません。妙州軍についても、同様です」
淡々とした声で、冬花が報告した。
「これから本格的な冬だからな。流石に、大規模な軍事行動を起こすには時期が悪い」
「しかし、警戒は必要でしょうな」
益永は、思慮深げな声で付け加えた。
「長尾家からうちに何かないか?」
「今のところ、何も音沙汰はありません」
景紀が問えば、冬花は即座に答える。
「ふむ、恐らくは静観する構えなのでしょうな」
「まあ、東北地域の安定化は、もともとは長尾家が担うべき役目だったからな」
しかし、長尾家は佐薙家と婚姻関係を結んだ後の対応に失敗した。無理に嶺州への影響力を拡大しようとした結果、佐薙家との対立を深刻化させてしまったのである。そのため、東北地方の安定化は皇国二〇年来の政治的課題となっていた。
そして、次の策として佐薙家の姫の宵と景紀との間に、婚姻が結ばれることになったのだ。
ここで結城家までもが東北経営に失敗すれば、当面、あの地方に政治的安定が訪れることはないであろうし、嶺州の経済振興も遅れる。
そうなれば、皇国は政治的・経済的に不安定な土地を、内地に抱え続けることになってしまう。西洋列強の東洋進出が強まり、各地で動乱の火種が燻っている国際情勢下においては、国内の安定化は急務といえた。
だからこそ、景紀と宵の役目は重大であった。
「屋敷を御自ら案内していたところを見ますと、宵姫様とは良き関係を築きつつある模様。しかし問題は、それが東北地方の安定に必ずしも寄与しないということでしょうな」
益永は複雑な表情を浮かべた。
如何に政略結婚とはいえ、夫婦仲は円満である方がいい。そうでなければ、世継ぎの問題なども含めて、将家という巨大な組織に混乱が生じてしまう。長尾家と佐薙家の確執を見れば、それは明らかだろう。
その意味では、家臣として景紀と宵の関係が良好そうに見えるのは喜ぶべきことなのだ。
しかし一方で、本来であればそれによって両家の結びつきが強くなるはずのところ、噂通り佐薙成親との宵姫の親子関係が非常に希薄なものであるように見受けられたため、今後、佐薙家そのものとも良好な関係を構築出来るとは言い難い。
益永の内心としては、厄介な親子を結城家に押し付けられたという感が強かった。
もちろん、それをこの若君の前で言うつもりはないが。
「長尾家に関しては、昨日の成親伯の発言で妙な噂が立つ前に、使者を送っておけ。俺直筆の書状を書いておく」
「お願いいたします」
一方の景紀の内心も、実はこの筆頭家老と似たり寄ったりであった。
流石に宵の内心を知ってしまったので、彼女を疎ましく思ってはいない。しかし、宵の父親に関してはその限りではない。
面倒ではあるが、厄介事は早めに片付けて楽をしたいとは思う。
その意味では、以前、冬花にも語ったように、結城家が上手く佐薙家を傘下に収めることが肝要であった。
「しかし、将来的に軍事衝突が発生する可能性は未だありましょう」
ただし、益永はなおもその懸念を表明する。
「ああ。実態がどうであれ、佐薙家は六家の一角である俺たち結城家の後ろ盾を得たようなものだ。昨日の伯の言葉を聞いている限り、長尾家に対して強硬な瀬戸際外交に出ないとも限らない。そして、それが失敗すれば、偶発的にせよ何にせよ、軍事衝突が発生する可能性は存在する。瀬戸際外交ってのは、そういうものだ」
景紀の声も、真剣そのものであった。
「今は、列侯会議が開かれる時期ですからな」
「ああ、恐らく、佐薙成親は六家が予算問題を巡って分裂状態にあることを判った上で、ああいう態度を取っているんだろう」
景紀にとってみれば、伊丹・一色両家と対峙しなければならない状況で、背後にもう一つの厄介事を抱えているようなものなのだ。これは、長尾家も同じである。
つまり、この状況で瀬戸際外交に打って出れば、結城家も長尾家も自分たちに譲歩的態度を取らざるを得ないと、佐薙成親が考えている可能性が高い。
さらに問題は、その状況に伊丹・一色の連中が付け込んで来るかもしれないということである。佐薙成親を利用して東北問題を拗らせ、結城家と長尾家にその責任を押し付けることで、列侯会議での優位を確立しようとする可能性はあった。
ただし、情報収集の結果、佐薙成親は攘夷派ではないことが判明している。むしろ、自分たちの納めた税が軍備拡張に使われることに反対する民権派議員と繋がりを得ようとしているきらいがあった。
六家にとって、民権派議員は自分たちの既得権益を脅かす敵である。佐薙伯は、敵の敵は味方の理論で動いているのだろう。
そして、それによって地元への利益誘導が達成出来れば、領内の経済が振興する。そうなれば、佐薙家としての税収も上がる。
そう考えれば、佐薙成親が民権派議員と接触していることは理解出来た。
同じことを、彼は景紀に対しても行おうとしたのだろう。もちろん、民権派議員の持たない結城家の軍事力・経済力という面を欲していたことは疑いない。
佐薙家が長尾家との対立を抱えている現状では、成親にとって結城家の軍事力・経済力は是が非でも手に入れたいものなのだ。
ただし、一方で結城家の力を頼りにしているということは、それだけ結城家が領地経営に介入する口実を得やすいということである。
昨日、景紀の提案した鉄道敷設事業に成親伯があっさりと同意したのも、それが影響している。
彼にとっては結城家から一定の援助を引き出せたと思っているのだろうが、景紀としては介入の糸口を手に入れたようなものである。
あとは、どちらが政治的主導権を握れるかという問題である。
それによって、佐薙成親が義父の立場で結城家への介入を深めることが出来るのか、あるいは結城家が佐薙家を呑み込むことが出来るのかが決まってくるだろう。
もっとも、景紀は佐薙伯の思惑通りに動いてやるつもりは毛頭ないのだが。
「とりあえず、この間の朝食会議で出てきた東北の農業問題についても、早めに佐薙伯に切り出す必要があるだろう。こちらが佐薙家に配慮している姿勢を見せると成親伯が変な勘違いを起こす危険性もあるが、こちらが一切、佐薙家に対する支援をしなければ、それはそれで危ういだろう。宵が長尾家の血を引いていることが、この場合、問題となるからな」
「はい。我が結城家が長尾家との結びつきを強めていると判断し、破れかぶれの行動に出る危険性も否定は出来ないでしょう。追い詰められた者は、何をしでかすか判りませんからな」
実際、戦国時代が終結してからの二〇〇年間でそうした反乱がまるで発生していないわけではなかった。
六家に滅ぼされるくらいならば一矢報いてから滅びる。追い詰められた将家の中には、そうした者たちもいたことだろう。
加えて、皇国の実質的な支配階級が武士であることも大きい。軍事集団である武家にとって、問題の最終的解決手段として武力を選ぶことに、それほどの心理的障壁がないのだ。反乱以外にも、要人暗殺といった事件は、この二〇〇年あまりの間に何度も発生している。
佐薙家がその例外であること考えるほど、楽観的にはなれないのだ。
「その意味では、領地経営に介入する糸口を作れるだけ、佐薙家へ支援の方がまだ良策だろう。とはいえ、前にも言ったように介入も支援も、結城家という単位ではなく、皇国という単位で行うよう、他の執政たちにも徹底させておけ」
「かしこまりました」益永は一礼する。「しかし、なお最悪の想定はしておくべきでしょう」
「その時は」
景紀は、一切の躊躇なく、冷徹に告げた。
「佐薙家が、これまで消えていった将家と同じ運命を辿るだけだ」
◇◇◇
「はぁ……」
益永忠胤が執務室を退出すると、景紀は溜息を共に椅子に深く沈み込んだ。今は、景紀と冬花の二人だけの空間だ。
「いや、あそこまで厄介な人間だとは思わなかったぞ」
嘆息するように、六家嫡男の少年はぼやく。そのぼやきの対象が誰であるのか、陰陽師の少女はすぐに理解した。
「まさか、婚儀の席上で軍事支援を求めてくるとはね。目出度い雰囲気がぶち壊しだったんじゃないの?」
「まあ、何人かの重臣たちはギョッとしていたな」
「始めに無理難題を提示して、徐々に要求を下げていく。交渉術の基本と言えば基本かもしれないけど、あれはやり過ぎね」
「そこまでして、長尾家と対立の道を選ぶのか? それで明るい未来があるとは思えないけどな」
「本質的には、攘夷派と一緒ね。打算も合理性もなく、ただ敵意だけが肥大化している」
二人は互いに、辛辣な感想を言い合う。
「まったく、腹に一物抱えている奴も厄介だが、何をやりたいのかがあからさま過ぎる奴ってのも、大概だな」
皮肉と嫌味が混じり合った声で、景紀は佐薙成親をそう評した。
「前に、佐薙家を喰ってやる、みたいな啖呵を切っていたじゃない。早くやっちゃいなさいよ」
冬花にしては珍しく、景紀をけしかけるような響きの声だった。
彼女が特定の政治目的を、景紀に自ら進言することはまれだった。景紀の為そうとすることに対して、問題点を指摘したり苦言を呈したりすることはあるが、ここまで積極的な発言は滅多にしない。それは、冬花が彼の補佐官としての分を弁えているからだ。
「意外だな。お前、この間は呆れていただけだったのに」
「佐薙伯の態度が、気に喰わないからよ」
本気で不機嫌そうに、冬花は唇をねじ曲げる。
用人の娘でしかない彼女は、結城家の重臣たちが参加した昨夜の婚礼の儀の場にいなかった。しかし、彼女の声は、まるでその場を見てきたかのような当事者としての感情が籠っていた。
「あの男、景紀を明らかに侮っていたわ」
「聞こえていたのか?」
「ええ、聞いていたわ」
景紀は吐き捨てるように言った冬花を見て、やれやれといった微苦笑を浮かべた。
「まあ、向こうがこっちを侮っているなら付け入る隙も多いだろうさ。そうカリカリするな」
「でも……」
「別に俺は、万人に認められる人間になりたいわけじゃない」
冬花の言葉を遮るようにして、景紀は宥めるように言った。
あまり彼女が成親伯への不満を抱いていると、彼女と宵との関係性にも悪影響が出る可能性があった。出来れば、景紀は二人に仲良くしてもらいたいと思っている。冬花のためにも、宵のためにも。
「俺は、俺自身の近しい人間に認められていればそれでいい。冬花が俺のシキガミでありたい、って思ってくれているのなら、俺はそれで満足さ」
「……その言い方は、ずるいわよ」
自身の不満を封じられてちょっとだけ唇を尖らせながらも、冬花はいたたまれない気分で自身の髪を弄くった。
「……じゃあ、あなたは私をシキガミとして認めてくれているの?」
言ってから、私は何を言っているんだと冬花は内心で自分自身を罵倒したくなった。これでは、まんま拗ねて駄々をこねて、構って構ってと言っている幼子のようではないか。
「ああ、お前は俺のシキガミだ。今までも、これからも、ずっとな」
揺るぎない、少年からの返答。
もしかしたら自分は、彼と宵姫が意外に距離を縮めている光景を見せられて、不安に思っていたのかもしれない。そう、冬花は思う。
別に、宵姫のような立ち位置に憧れを抱いているわけではない。
自分は、この少年のシキガミであれれば、それでいい。
それを、確認したかっただけなのかもしれない。
「ありがとう、景紀」
だから、今はその満足感を胸に、色々な感情を封じておこうと、冬花は思ったのだった。
結城家内における宵の世話役は、当面の間、益永の細君ということになったのだ。彼女には、屋敷で生活する上での細かな注意点などを教えてもらうことになる。
宵には、結城家次期当主の正室として、家臣団に対する相応の統率力が求められるのだ。
武家当主の妻は、夫が戦地などに行って不在の間、家を守るという役割がある。戦国時代の末期から海外進出が進んだ結果、武家当主やその嫡子の大半が海外へと出征し、彼らの妻たちが内地に残された。そうした時代の名残が、未だ将家には残っているのだ。
だから、武家において女性は一定程度の社会的地位を認められている。
「宵については、ここでの生活に慣れてもらうのが最優先として……」
執務室に、景紀の声が響いた。
「問題は、あいつの父親だな」
「佐薙伯の昨晩の長広舌には、私もいささか驚きました」
結城家筆頭家老の益永忠胤が頷いた。
執務室にいるのは、景紀、冬花、益永の三名である。冬花は執務机の側で、従者然として控えていた。
「現在まで、嶺州軍の動きに関する情報は入っておりません。妙州軍についても、同様です」
淡々とした声で、冬花が報告した。
「これから本格的な冬だからな。流石に、大規模な軍事行動を起こすには時期が悪い」
「しかし、警戒は必要でしょうな」
益永は、思慮深げな声で付け加えた。
「長尾家からうちに何かないか?」
「今のところ、何も音沙汰はありません」
景紀が問えば、冬花は即座に答える。
「ふむ、恐らくは静観する構えなのでしょうな」
「まあ、東北地域の安定化は、もともとは長尾家が担うべき役目だったからな」
しかし、長尾家は佐薙家と婚姻関係を結んだ後の対応に失敗した。無理に嶺州への影響力を拡大しようとした結果、佐薙家との対立を深刻化させてしまったのである。そのため、東北地方の安定化は皇国二〇年来の政治的課題となっていた。
そして、次の策として佐薙家の姫の宵と景紀との間に、婚姻が結ばれることになったのだ。
ここで結城家までもが東北経営に失敗すれば、当面、あの地方に政治的安定が訪れることはないであろうし、嶺州の経済振興も遅れる。
そうなれば、皇国は政治的・経済的に不安定な土地を、内地に抱え続けることになってしまう。西洋列強の東洋進出が強まり、各地で動乱の火種が燻っている国際情勢下においては、国内の安定化は急務といえた。
だからこそ、景紀と宵の役目は重大であった。
「屋敷を御自ら案内していたところを見ますと、宵姫様とは良き関係を築きつつある模様。しかし問題は、それが東北地方の安定に必ずしも寄与しないということでしょうな」
益永は複雑な表情を浮かべた。
如何に政略結婚とはいえ、夫婦仲は円満である方がいい。そうでなければ、世継ぎの問題なども含めて、将家という巨大な組織に混乱が生じてしまう。長尾家と佐薙家の確執を見れば、それは明らかだろう。
その意味では、家臣として景紀と宵の関係が良好そうに見えるのは喜ぶべきことなのだ。
しかし一方で、本来であればそれによって両家の結びつきが強くなるはずのところ、噂通り佐薙成親との宵姫の親子関係が非常に希薄なものであるように見受けられたため、今後、佐薙家そのものとも良好な関係を構築出来るとは言い難い。
益永の内心としては、厄介な親子を結城家に押し付けられたという感が強かった。
もちろん、それをこの若君の前で言うつもりはないが。
「長尾家に関しては、昨日の成親伯の発言で妙な噂が立つ前に、使者を送っておけ。俺直筆の書状を書いておく」
「お願いいたします」
一方の景紀の内心も、実はこの筆頭家老と似たり寄ったりであった。
流石に宵の内心を知ってしまったので、彼女を疎ましく思ってはいない。しかし、宵の父親に関してはその限りではない。
面倒ではあるが、厄介事は早めに片付けて楽をしたいとは思う。
その意味では、以前、冬花にも語ったように、結城家が上手く佐薙家を傘下に収めることが肝要であった。
「しかし、将来的に軍事衝突が発生する可能性は未だありましょう」
ただし、益永はなおもその懸念を表明する。
「ああ。実態がどうであれ、佐薙家は六家の一角である俺たち結城家の後ろ盾を得たようなものだ。昨日の伯の言葉を聞いている限り、長尾家に対して強硬な瀬戸際外交に出ないとも限らない。そして、それが失敗すれば、偶発的にせよ何にせよ、軍事衝突が発生する可能性は存在する。瀬戸際外交ってのは、そういうものだ」
景紀の声も、真剣そのものであった。
「今は、列侯会議が開かれる時期ですからな」
「ああ、恐らく、佐薙成親は六家が予算問題を巡って分裂状態にあることを判った上で、ああいう態度を取っているんだろう」
景紀にとってみれば、伊丹・一色両家と対峙しなければならない状況で、背後にもう一つの厄介事を抱えているようなものなのだ。これは、長尾家も同じである。
つまり、この状況で瀬戸際外交に打って出れば、結城家も長尾家も自分たちに譲歩的態度を取らざるを得ないと、佐薙成親が考えている可能性が高い。
さらに問題は、その状況に伊丹・一色の連中が付け込んで来るかもしれないということである。佐薙成親を利用して東北問題を拗らせ、結城家と長尾家にその責任を押し付けることで、列侯会議での優位を確立しようとする可能性はあった。
ただし、情報収集の結果、佐薙成親は攘夷派ではないことが判明している。むしろ、自分たちの納めた税が軍備拡張に使われることに反対する民権派議員と繋がりを得ようとしているきらいがあった。
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そして、それによって地元への利益誘導が達成出来れば、領内の経済が振興する。そうなれば、佐薙家としての税収も上がる。
そう考えれば、佐薙成親が民権派議員と接触していることは理解出来た。
同じことを、彼は景紀に対しても行おうとしたのだろう。もちろん、民権派議員の持たない結城家の軍事力・経済力という面を欲していたことは疑いない。
佐薙家が長尾家との対立を抱えている現状では、成親にとって結城家の軍事力・経済力は是が非でも手に入れたいものなのだ。
ただし、一方で結城家の力を頼りにしているということは、それだけ結城家が領地経営に介入する口実を得やすいということである。
昨日、景紀の提案した鉄道敷設事業に成親伯があっさりと同意したのも、それが影響している。
彼にとっては結城家から一定の援助を引き出せたと思っているのだろうが、景紀としては介入の糸口を手に入れたようなものである。
あとは、どちらが政治的主導権を握れるかという問題である。
それによって、佐薙成親が義父の立場で結城家への介入を深めることが出来るのか、あるいは結城家が佐薙家を呑み込むことが出来るのかが決まってくるだろう。
もっとも、景紀は佐薙伯の思惑通りに動いてやるつもりは毛頭ないのだが。
「とりあえず、この間の朝食会議で出てきた東北の農業問題についても、早めに佐薙伯に切り出す必要があるだろう。こちらが佐薙家に配慮している姿勢を見せると成親伯が変な勘違いを起こす危険性もあるが、こちらが一切、佐薙家に対する支援をしなければ、それはそれで危ういだろう。宵が長尾家の血を引いていることが、この場合、問題となるからな」
「はい。我が結城家が長尾家との結びつきを強めていると判断し、破れかぶれの行動に出る危険性も否定は出来ないでしょう。追い詰められた者は、何をしでかすか判りませんからな」
実際、戦国時代が終結してからの二〇〇年間でそうした反乱がまるで発生していないわけではなかった。
六家に滅ぼされるくらいならば一矢報いてから滅びる。追い詰められた将家の中には、そうした者たちもいたことだろう。
加えて、皇国の実質的な支配階級が武士であることも大きい。軍事集団である武家にとって、問題の最終的解決手段として武力を選ぶことに、それほどの心理的障壁がないのだ。反乱以外にも、要人暗殺といった事件は、この二〇〇年あまりの間に何度も発生している。
佐薙家がその例外であること考えるほど、楽観的にはなれないのだ。
「その意味では、領地経営に介入する糸口を作れるだけ、佐薙家へ支援の方がまだ良策だろう。とはいえ、前にも言ったように介入も支援も、結城家という単位ではなく、皇国という単位で行うよう、他の執政たちにも徹底させておけ」
「かしこまりました」益永は一礼する。「しかし、なお最悪の想定はしておくべきでしょう」
「その時は」
景紀は、一切の躊躇なく、冷徹に告げた。
「佐薙家が、これまで消えていった将家と同じ運命を辿るだけだ」
◇◇◇
「はぁ……」
益永忠胤が執務室を退出すると、景紀は溜息を共に椅子に深く沈み込んだ。今は、景紀と冬花の二人だけの空間だ。
「いや、あそこまで厄介な人間だとは思わなかったぞ」
嘆息するように、六家嫡男の少年はぼやく。そのぼやきの対象が誰であるのか、陰陽師の少女はすぐに理解した。
「まさか、婚儀の席上で軍事支援を求めてくるとはね。目出度い雰囲気がぶち壊しだったんじゃないの?」
「まあ、何人かの重臣たちはギョッとしていたな」
「始めに無理難題を提示して、徐々に要求を下げていく。交渉術の基本と言えば基本かもしれないけど、あれはやり過ぎね」
「そこまでして、長尾家と対立の道を選ぶのか? それで明るい未来があるとは思えないけどな」
「本質的には、攘夷派と一緒ね。打算も合理性もなく、ただ敵意だけが肥大化している」
二人は互いに、辛辣な感想を言い合う。
「まったく、腹に一物抱えている奴も厄介だが、何をやりたいのかがあからさま過ぎる奴ってのも、大概だな」
皮肉と嫌味が混じり合った声で、景紀は佐薙成親をそう評した。
「前に、佐薙家を喰ってやる、みたいな啖呵を切っていたじゃない。早くやっちゃいなさいよ」
冬花にしては珍しく、景紀をけしかけるような響きの声だった。
彼女が特定の政治目的を、景紀に自ら進言することはまれだった。景紀の為そうとすることに対して、問題点を指摘したり苦言を呈したりすることはあるが、ここまで積極的な発言は滅多にしない。それは、冬花が彼の補佐官としての分を弁えているからだ。
「意外だな。お前、この間は呆れていただけだったのに」
「佐薙伯の態度が、気に喰わないからよ」
本気で不機嫌そうに、冬花は唇をねじ曲げる。
用人の娘でしかない彼女は、結城家の重臣たちが参加した昨夜の婚礼の儀の場にいなかった。しかし、彼女の声は、まるでその場を見てきたかのような当事者としての感情が籠っていた。
「あの男、景紀を明らかに侮っていたわ」
「聞こえていたのか?」
「ええ、聞いていたわ」
景紀は吐き捨てるように言った冬花を見て、やれやれといった微苦笑を浮かべた。
「まあ、向こうがこっちを侮っているなら付け入る隙も多いだろうさ。そうカリカリするな」
「でも……」
「別に俺は、万人に認められる人間になりたいわけじゃない」
冬花の言葉を遮るようにして、景紀は宥めるように言った。
あまり彼女が成親伯への不満を抱いていると、彼女と宵との関係性にも悪影響が出る可能性があった。出来れば、景紀は二人に仲良くしてもらいたいと思っている。冬花のためにも、宵のためにも。
「俺は、俺自身の近しい人間に認められていればそれでいい。冬花が俺のシキガミでありたい、って思ってくれているのなら、俺はそれで満足さ」
「……その言い方は、ずるいわよ」
自身の不満を封じられてちょっとだけ唇を尖らせながらも、冬花はいたたまれない気分で自身の髪を弄くった。
「……じゃあ、あなたは私をシキガミとして認めてくれているの?」
言ってから、私は何を言っているんだと冬花は内心で自分自身を罵倒したくなった。これでは、まんま拗ねて駄々をこねて、構って構ってと言っている幼子のようではないか。
「ああ、お前は俺のシキガミだ。今までも、これからも、ずっとな」
揺るぎない、少年からの返答。
もしかしたら自分は、彼と宵姫が意外に距離を縮めている光景を見せられて、不安に思っていたのかもしれない。そう、冬花は思う。
別に、宵姫のような立ち位置に憧れを抱いているわけではない。
自分は、この少年のシキガミであれれば、それでいい。
それを、確認したかっただけなのかもしれない。
「ありがとう、景紀」
だから、今はその満足感を胸に、色々な感情を封じておこうと、冬花は思ったのだった。
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