秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第一章 皇都の次期当主編

9 似たもの同士

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 式が終わると、床入りの儀となる。
 一方で、広間では両家重臣たちの間で祝宴が続けられていた。彼らは、床入りの儀がつつがなく終わったという報告が入るまで、宴を続けることになる。
 こちらの重臣連中の動きを封じられたな、と景紀は思う。
 もし佐薙家がこの婚儀に合わせて、長尾家領妙州との領地境界問題解決のための軍事行動を起こすのならば、少なくとも執政を始めとする重臣が宴に酔っている結城家の初動対応は確実に遅れを取る。
 とはいえ、景紀はそこまで深刻な懸念はしていなかった。
 現状、嶺州において大規模な動員を示す情報はもたらされていなかったからだ。特に佐薙家と領地を接する長尾家は結城家・佐薙家の婚儀の前後における嶺州軍の動きに目を光らせているはずであり、その長尾家が何らの動きを見せていない以上、最低限、今夜に関しては問題ないだろうと考えている。
 そして、今は十一月。皇国北部は、これから冬が厳しくなる季節である。大陸の凍土に兵を送っている長尾家の領軍は、佐薙家の領軍以上に冬季戦に長けている。そう考えれば、如何に結城家と婚姻関係を結んだとはいえ、佐薙家の側が軽率な軍事衝突を望むとは思えない。
 少なくとも、当面は先ほどの祝宴の際と同じように、佐薙成親が執拗に結城家からの有形無形の支援を求めるくらいだろう。
 どうも、あの男は自分を若造と侮っているようだ。
 厄介な人間が義父になったものだとは思うが、有馬の老人ほどの狡猾さはなさそうである。
 もしかしたら本当に厄介な人間は宵姫の方かもしれない、と景紀は思う。しかし、彼女の父親を相手にする時のような、ある種の面倒さは感じない。
 以前、冬花との会話にもあったが、景紀は家臣団を始めとする多くの人間の前では「結城家次期当主」という名の仮面を被っている。その方が、何かと都合が良いからだ。
 初対面で自身の内心を覗き込んできた人間は、ほとんどいない。兵学寮の同期生に一人いるが、思えばその程度だ。十歳になったばかりの自分は、まだ仮面の被り方が上手くなかったのだろう。
 そして、そういう人間は、面白い。
 だからこそ、景紀は宵という少女に興味を抱いたのである。
 ただ一つ、彼は気になることがあった。それは、宵姫の目だった。

  ◇◇◇

 行燈の灯る部屋の中で、宵は端然と正座していた。
 十五歳だというが、線の細い少女であった。それに、その体つきはまだどこか幼さを残していた。
 顔立ちは、「北方一の美姫」と喧伝されていた母の面影があるのか、幼さを残しながらも端正なつくりであった。髪は華族の姫らしく長く伸ばし、腰の辺りまで届いている。濡羽色といってよい、黒く艶やかな髪であった。
 恐らく、美少女と称して構わないのだろうが、その顔はひどく表情に乏しい。
 単に緊張で強ばっているというわけではなく、普段から無表情なのだろう。気怠そうな目付きも相俟って、少し不機嫌そうな印象を受ける。

「お前、面白い奴だな」

 彼女の対面に胡座をかいた景紀は、膝に肘をついて頬杖をつきながら言った。

「面白い、ですか?」

 こてん、と宵は首を傾げる。本来は可愛らしい仕草なのだろうが、何分、無表情で薄暗い空間、そして長髪の黒髪でそれをやられると、いささか不気味さの方が先に立つ。

「俺を人間不信だって評したことだ」

「事実では?」

 これから夫婦となるべき少年に対して、宵は容赦がなかった。あるいは、それを指摘しても景紀が怒らないことも見抜いているのかもしれない。
 だとしたら、凄まじい観察眼である。

「ああ、そうだな。俺は確かに、人間不信の気がある」

 幼い頃、乳兄妹きょうだいであり幼馴染でもあった白髪の少女に家臣やその子供たちが向けていた視線や言葉。
 それを間近で聞いていた景紀は、幼いながらに人間というものの持つ醜さに気付いていた。だから、彼は人間というものを本質的には信頼していない。
 家臣たちにはあくまで結城家の次期当主として接しており、景紀個人をさらけ出している相手は冬花を始めとするごく少数の人間だけである。
 それを、挨拶の際にたった一度だけ言葉を交わした少女に見抜かれるとは。

「私と同じ目をしているような気がしましたので」

 そう、宵姫は素っ気なく言う。

「人間というものが本質的に信頼出来ない。そのことを、私は周囲の者たちが母や私に向ける態度で学びました」

「だから私は佐薙家の間者ではない、って言いたいのか?」

 宵は小さく溜息をついた。

「はぁ、景紀様のそれも想像以上に根深いですね」心なしか、呆れたような声音になっていた。「というよりも、自らの家臣も大して信用していないのであれば、私が佐薙の間者かどうかなど、どうでもいいことでは? 信頼出来ない人間が一人増えただけでしょうに」

「俺はお前ほど、人生諦めていないんでな。どうでもいいということはない。少なくとも、人生破滅は御免だ。猜疑心に凝り固まった人間ってのは、大抵は粛清を恐れた部下によって逆に暗殺されるのがオチだからな。そこは慎重にいくさ」

「私、人生を諦めているように見えますか?」

「俺から見れば」

 宵の目にあるのは、どうしようもない諦観だった。だから景紀は、その瞳の色が気になったのだ。

「そうですか」どこかしみじみとした口調で、宵は言った。「諦めているように見えましたか」

 ハッ、と突然宵は嘲笑の息を漏らした。表情も、迷子になって自棄《やけ》になった幼子のように歪んでいた。
 ずっと無表情だった少女が、初めて見せた人間らしい一面であった。
 その表情のまま、彼女は続けた。

「別に、最初から諦めていたわけではないんですよ。父上の言いなりになるつもりはありませんでしたが、私は私で別方向からあなたを利用するつもりだったんです。少なくとも、私はほら、この通り民の税でそれなりの暮らしをしているわけですし」

 そう言って、宵は白い夜着の袖を示した。簡素な衣服ではあるが、それでも将家の使う生地だけあって、庶民のものよりは遙かに上等だろう。

「知っていますか? 嶺州は冷害が起きやすい地方なので、一度でも冷害が起きれば農家は困窮して、娘が身売りせざるを得なくなるんですよ。それに比べたら、父上に疎まれようとも、政略結婚の道具にされようとも、生活だけは保障されている私なんて、恵まれた娘なんです」

 彼女は彼女なりに、自らの領地に住む人々のことを案じていたらしい。
 そして、その感情は父親のものよりもよほど純粋なものだろう。少なくとも、祝宴の席で軍事的支援を要請するような人間よりも、景紀としては好感が持てる。

「私は私なりのやり方で結城家に食い込んで、嶺州の利益になるようにする。それがせめてもの、私の役割であるように感じたので」

 宵は、唇を自嘲の形にねじ曲げた。

「でも、景紀様を見ていたらどうでもよくなりました。あなたは、私が何もせずとも、嶺州の利益になるような施策を考えているようですし」

 彼女は、相応の覚悟を以て景紀の妻となるつもりだったのだろう。
 だというのに、その覚悟などまるで必要ないかのように、景紀は嶺州の領地経営への介入を始めてしまった。宵にとっては、自分自身の覚悟が馬鹿らしく思えたことだろう。
 今まで鷹前で母と共に孤立し、ようやく自分のやるべきことを見つけたと思ったら、それすら取り上げられてしまったのだ。
 何だか、無性にこの少女に謝らねばならない気がしてきた。
 景紀には、宵のような高尚な覚悟などない。
 自分はむしろ、そうした将家の人間としての義務から逃れたいと思っている方に属するのだ。
 隠居を望んでいるもの、究極的には彼の人間不信が原因である。将家の当主という、権謀術数渦巻く世界から逃避したいという願いが、景紀の根底にはあるのだ。
 あるいは世の中には、有馬頼朋翁のようにそうした世界にこそ生き甲斐を見出す人間がいるのかもしれないが、ならばそうした連中だけで陰謀ごっこを果てしなく続けてくれと思うのだ。
 家臣たちからの次期当主として期待されていることも、景紀にとっては鬱陶しかった。彼らは自らの主君像を景紀に投影しているだけであり、それは期待というよりもある種の幻想だと景紀は考えている。
 歴史をひもとけば、民草がいかに為政者に対して勝手な幻想を抱いているかが判る。
 そうした幻想を演出するのも、為政者、ひいては将家当主の役目だという意見もあるだろうが、そうした為政者は古代西洋の都市国家で見られた煽動政治家《デマゴーグ》と何ら変わりはない。
 民衆の要求するものと国益とは、時として合致しない。現在の皇国でいえば、攘夷論者たちがそれに当たるだろう。西洋列強諸国に誰彼構わず戦争を吹っ掛けて、勝てるとでも思っているのだろうか?
 だからこそ、景紀は民衆という存在にある種の冷めた感情を向けているのである。
 一方で、宵は人間不信に陥っていながらも、民草を冷めた目線で見つめるほどには徹底していない。それがどうしてなのか、彼女のことをまだよく知らない景紀には判らない。
 だけれども、きっと彼女にも自分にとっての冬花のような存在……恐らくは母親だろうが……がいたのだろう。
 少なくとも、景紀は冬花を人間として信頼している。何故彼女を信頼出来るかと問われれば返答に困るが、敢えて言うならば「結城景紀」という個人と「葛葉冬花」という個人が繋がっているから、であろうか。
 そこには家同士の関係も、打算も何もない。ただ、幼い日に交わした無邪気で純粋な契約があるだけだ。
 そして、幼い頃の冬花と目の前の宵が、どこか重なるように思えた。
 “不吉の子”として蔑まれ自分の居場所を求めて泣いていた少女と、景紀に自らの覚悟を奪われて途方に暮れている少女。
 宵を追い込んでしまった自覚があるだけに、景紀はいささかいたたまれない気分であった。

「……お前ってさ、中々面倒くさい性格だな」

 結局、色々な感情や思考が頭を過ぎった末に景紀の口から発せられたのは、そんな感想だった。

「はい?」

「お前、俺を信じてどうするよ? 俺が嶺州の利益になるようなことをしている? もしかしたら俺がお前の故郷を乗っ取ろうとしているのかもしれないぜ」

 宵の言葉は、矛盾しているのだ。人間というものに不信感を抱いていながら、どこかでまだ人間という存在を信じている。だから景紀のやろうとしていることを信じ、自分の覚悟も役割も無意味となってしまったと言うのだ。
 だったら、結城景紀という存在を疑わせることで彼女に持ち直してもらおうと思ったのだ。

「それはそれで構わないのでは?」

 だが、宵の返答は意外なものであった。

「この国が本当の意味で一つの“秋津皇国”となるのに、将家が沢山あっては困りますから」

「ははっ、お前って本当に面白い奴だな」

 思わず、景紀は笑ってしまった。この線の細い十五歳の少女は、確固たる国家像を持っている。

「よりにもよって、六家の次期当主の妻になるこの瞬間に、それを言うか!」

 宵の言葉は、自らの故郷が結城家の支配下に入ることを許容する一方で、その結城家すら将来は不要と言っているに等しいのだ。

「景紀様も、そうした将来を思い描いているのでは?」

「根拠は?」

「嶺州の鉄道敷設について、あなたは『中央政府も希望している問題だ』という趣旨のことを言っておられました。中央政府の権威を認めていなければ、そうした発言は出にくいはずです。特に、景紀様は六家の次期当主。列侯会議における拒否権を考えれば、中央政府の意向など如何様にでもねじ曲げられるお立場にあるはず。であるにも関わらず、中央政府を立てるような物言いをされた。それはつまり、そういうことなのでは?」

「……」

 自分の口が笑みの形を作るのを、景紀は自覚していた。
 この少女は、本当に面白い。
 そこまでものが見えていて、どうして諦観を抱いてしまうのか? 彼女の頭脳を以てすれば、なお、景紀を利用することは可能であろうに。

「お前、俺を利用してやりたいことは、嶺州の民の安寧だけなのか?」

「嶺州に利益をもたらすために、私はあなたに嫁いだのですから」

 やはり、どこか諦念を滲ませた声で宵は答える。

「そこまでものが見えているなら、嶺州なんて小さなこと言わないで、いっそ中央集権国家を目指してみるのはどうだ?」

「景紀様と共に、ですか?」

「ああ、そうだ」

「将来的には、有馬頼朋翁のような立場を目指されるおつもりで?」

「俺がそういう人間に見えるか?」

「見えませんね。どちらかというと、景紀様は人間関係を煩わしく思って政治の世界からは完全に引退したいと考える類いの人間だと思いますので」

 そこで、宵はちょっとだけ眉を寄せて考える素振りを見せた。

「……ああ、そのための中央集権国家ですか。最終的には立憲君主制による議会制民主主義が目的?」

 そこまで見抜かれていたか。
 やはり、この少女は面白い。
 見えている世界は、きっと自分と同じ。だけれども、立っている場所は自分とは違う。

「……景紀様は、私が必要ですか?」

 不安がるような、期待するような、そんな宵の声音。
 それは、女として、妻として必要かという意味ではないだろう。彼女はそもそも、妻という立場にそれほど思い入れがないように感じる。でなければ、覚悟と役割を奪われたとは思わないだろう。
 彼女は、何かしら政治的な居場所を求めているように感じる。
 もしかしたらその感情は、将家同士の政治問題を理由に疎んじられた母の姿を見ての欲求なのかもしれない。

「ああ、必要だ」

 端的に、景紀は答えた。

「ふふっ、それを聞いて安心しました」

 この時初めて、宵は景紀の前で微かながらも笑みを浮かべた。ああ、この少女はこんな顔も出来るんだなと、景紀は安堵にも似た感情を覚える。

「流石に、陰陽師といえど女の人を侍らせている殿方に嫁ぐのには、いささか勇気が要りましたので」

 宵の口調は、冗談めかしていた。とはいえ、完全なる冗談というわけでもないのだろう。彼女の父親は側室との間に、後継者たる男子をもうけている。宵が自分の母親と同じ運命を辿るのではないかと、不安を抱いていたとしてもおかしくはない。
 覚悟とは別のところで、彼女は景紀の妻となることへの恐れがあったのだろう。

「冬花のことか」

 しかし、景紀にとっては宵と冬花の関係はある種の不安要素ではあった。冬花は信頼しているが、今日まで一度も会ったことのない宵が、彼女のことをどう思うかは未知数だったのだ。

「あいつとは、仲良くしてくれると助かる」

「ではもう一度、私を必要だと言って下さい。その方と同じように、私を必要として下さい」

 宵は背筋をぴんと伸ばし、景紀を見つめた。少女の中で何かしらの覚悟を決めるような、強い眼差しだった。
 景紀もまた、それに応ずるように姿勢を正した。

「俺にはお前が必要だよ、宵姫」

 返ってきた声には、はっきりとした熱が宿っていた。

「判りました。私の生涯をかけて、あなたを支えてみせましょうとも」
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