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第一章 皇都の次期当主編
3 北国の姫の郷愁
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鳥が一羽、甲高い鳴き声と共に北へ向かって飛んでいった。
あの鳥はきっと、自分の故郷と同じ方向に向かっているのだろうと、佐薙宵は思った。
鳥は自在に空を飛び、自分の望むところへと向かっていける。それを羨ましいと思う自分もいれば、何を馬鹿なことを考えているのだろうと思う冷めた自分もいる。
将家の姫たる自分の運命など、それこそ生まれた瞬間に決まっているようなものだ。母の姿を見ていれば、それはおのずと判ってくる。
少なくとも、噂には聞くが未だ一度も訪れたことのない皇都に行き、そして未だ一度も会ったこともない男性に嫁ぐことに、宵は納得している。それは納得というよりは諦観に近い感情なのかもしれないが、自らの運命を呪うほど絶望しているわけでもない。
自分自身の魂が、自分自身の肉体を離れた所から観察している。そんな感情であった。
ある意味、達観しているといえるのかもしれない。
「姫様、如何されましたかな?」
馬車の反対側に座す老家令長が、怪訝そうに宵に問いかける。彼は、皇都へと向かう佐薙家の一行の最高責任者を務める立場にあった。
「いえ、鳥が飛んでいたので、見ていただけです」
落ち着いているというよりは、抑揚に乏しい声で宵は答えた。そのまま、彼女は視線を空から馬車の中へと移す。
宵を皇都に送り届けるための隊列は、彼女を世話するための侍女や護衛も含めて、二〇人ほどの人間で構成されていた。さらにそこに、結城家から派遣された随員五名が加わっている。
佐薙家側の最高責任者が家令長であるのに対し、結城家側の随員の代表は執政である。執政は将家当主を補佐してその政務に参画することの出来る役職のことであり、主に家老級の家臣が任命された。
将家家臣団の序列から見ても、執政の方が家令長よりも高い。自分の家が結城家に配慮してこのような人員配置になったのかどうか、宵は知る立場にはない。
とはいえ、この隊列が佐薙家と結城家の力関係が如実に表していることは彼女にも判っていた。ただし、結城家の随員が佐薙家の家令長に指示を出すことはなく、あくまで佐薙家の独立性に対して配慮はしてくれている。
皇都に到着し、自分が結城家に嫁いだ後、両家の力関係はどうなるのか。
ふと、宵はそのようなことを思った。
結城家の当主は半年ほど前から病にかかり、療養のために領地に下がったという。今、皇都で結城家の所領に関わる政務全般を取り仕切っているのは、自分が嫁ぐはずの十七歳の次期当主たる少年だという。
しかし、どこまで彼が実際に政務を執っているかは判らない。単に、家臣団によって担がれているだけの存在である可能性もある。
そして、自分の父もこの状況を最大限、利用しようとするだろう。
皇国東北地方北部一帯に所領を持つ佐薙家、だがその領地は未だ十分に近代的な産業が育っていなかった。領内の産業の中心は農業であり、これに若干の鉱山、炭田、油田が加わっている程度。領内で多数の工場を稼働させている六家に比べれば隔世の感がある。
皇都から各地に伸びる鉄道も、東北鎮台の置かれている中央政府直轄県・磐背県の首府・千代までで止まっており、佐薙家の領地である嶺奥国までは届いていない。
そのため、東北地方北部に位置する嶺奥国の主要交通手段は徒歩、人力車、馬車、馬鉄などであり、それすら冬になれば降雪のために途絶えてしまう。
当然ながら、そうした輸送能力の限られる地域に工場は進出してこない。
領民たちの願いは、何よりもまず鉄道の開通であった。
だからこそ父は、鉄道を敷設するために、事実上、当主不在となっている結城家への影響力拡大を図るだろう。
それと、領地を隣接する六家の一つ、長尾家との領地紛争の有利解決も―――。
自分は父を始めとする様々な思惑に絡め取られた人間に過ぎない。母がそうであったように、自分もそうなろうとしているだけなのだ。
あるいは、自分がこれから嫁ごうとする結城家の嫡男、景紀も自分と同じような人間であるのかもしれない。
もっとも、一度も会ったことのない人間に期待を抱くほど、宵は楽天家ではない。
実際に会ってみなければ景紀という人物の為人など判らないだろうから、下手な先入観を抱くわけにはいかない。だから宵は、自分が聞かされた景紀の人物像を大して信用していないし、自分から積極的に彼の為人を聞くようなこともしていない。そもそも、婚礼を前にして相手の悪い情報が入ってくるはずがないのだ。
「……皇都は、どのようなところなのでしょうか?」
とはいえ、これから自分が住むことになる場所のことは気になる。
「やはり皇国の都だけあり、活気がありますな」言葉を選ぶような素振りを見せながら、老家令長は答えた。「もちろん、我が国府たる鷹前も皇都に劣っているとは申しませんが、建物の高さには圧倒される思いです」
「建物、ですか?」
「左様です。皇都の中心部には、官庁の庁舎や商店が城の天守の如くに立ち並んでおります。まあ、いささか洋風の建築様式を取り入れたために節操のない、猥雑な印象を受けないこともないのですが」
家令長は、そうした都市計画を策定した六家を中心とする中央政府を暗に批判しているようだった。
特に佐薙家は六家の一つである長尾家と領地問題を抱えているため、家臣団の中には六家中心の統治体制に不満を持っている者も多い。
今回の宵の婚礼に関しても、六家勢力によって佐薙家が吸収されて家や領地の独立性が失われてしまうのではないかと懸念を示す家臣たちもいる。彼らにしてみれば、仕えるべき主家の衰退は牢人となる危険性を孕んでいるので、なおさら切実であった。
だからこそ、父はそうした家臣たちの懸念を払拭するためにも、結城家から最大限の利益を引き出すため、自分と若き結城家の当主代理を利用しようとするだろう。
「私は異国の文物をあまり目にしたことが少ないので、それはそれで見てみたいものです」
「左様でございますか。皇都には異国の商人たちも多数おりますので、そうしたものを目にする機会は多いかと」
「それは、楽しみです」
本当にそう思っているかどうか疑わしいほど平坦な口調で宵は感想を口にした。皇都の様子に興味はあるが、それは自分の心を期待で震わせるほどのものではないのだ。
確かに、皇都に行けば異国の文物に触れられる機会もあるだろう。それはそれで面白そうではあるのだが、どこまで自分に自由が認められるかは判らない。
母は、父に嫁いでから国府・鷹前を出たことはないという。自分も恐らくは、二度と故郷の地を踏むことはないだろう。
鷹前に留まる母と会えなくなることだけが、宵にとっては心残りであった。
母は父の正室でありながら、子供は女子である宵一人だけである。父は皇都で公家出身の女性を側室にし、彼女との間に一男一女をもうけていた。佐薙家はその男子が継ぐことになるだろう。
将家においては、例え側室であっても後継者たる男児を産んだ女性の地位は高くなる。逆に正室であっても、男児を生めなければその扱いは冷淡なものになる。
佐薙家における母の立場を思えば、母一人を国に残していくことに、後ろ髪を引かれる思いであった。
だがその母も、娘との別れは覚悟していたのだろう。
鷹前を発つ前に、これからは結城家の人間として生きるようにと宵に伝えたのだ。
あるいはそれは、佐薙・結城両家の政治問題に宵が巻き込まれないようにするための助言であったのかもしれない。
再び、彼女は窓の外を見る。
先ほど見えた鳥は、もうどこにもいない。その行方を知りたいとも、特に思わなかったが。
あの鳥はきっと、自分の故郷と同じ方向に向かっているのだろうと、佐薙宵は思った。
鳥は自在に空を飛び、自分の望むところへと向かっていける。それを羨ましいと思う自分もいれば、何を馬鹿なことを考えているのだろうと思う冷めた自分もいる。
将家の姫たる自分の運命など、それこそ生まれた瞬間に決まっているようなものだ。母の姿を見ていれば、それはおのずと判ってくる。
少なくとも、噂には聞くが未だ一度も訪れたことのない皇都に行き、そして未だ一度も会ったこともない男性に嫁ぐことに、宵は納得している。それは納得というよりは諦観に近い感情なのかもしれないが、自らの運命を呪うほど絶望しているわけでもない。
自分自身の魂が、自分自身の肉体を離れた所から観察している。そんな感情であった。
ある意味、達観しているといえるのかもしれない。
「姫様、如何されましたかな?」
馬車の反対側に座す老家令長が、怪訝そうに宵に問いかける。彼は、皇都へと向かう佐薙家の一行の最高責任者を務める立場にあった。
「いえ、鳥が飛んでいたので、見ていただけです」
落ち着いているというよりは、抑揚に乏しい声で宵は答えた。そのまま、彼女は視線を空から馬車の中へと移す。
宵を皇都に送り届けるための隊列は、彼女を世話するための侍女や護衛も含めて、二〇人ほどの人間で構成されていた。さらにそこに、結城家から派遣された随員五名が加わっている。
佐薙家側の最高責任者が家令長であるのに対し、結城家側の随員の代表は執政である。執政は将家当主を補佐してその政務に参画することの出来る役職のことであり、主に家老級の家臣が任命された。
将家家臣団の序列から見ても、執政の方が家令長よりも高い。自分の家が結城家に配慮してこのような人員配置になったのかどうか、宵は知る立場にはない。
とはいえ、この隊列が佐薙家と結城家の力関係が如実に表していることは彼女にも判っていた。ただし、結城家の随員が佐薙家の家令長に指示を出すことはなく、あくまで佐薙家の独立性に対して配慮はしてくれている。
皇都に到着し、自分が結城家に嫁いだ後、両家の力関係はどうなるのか。
ふと、宵はそのようなことを思った。
結城家の当主は半年ほど前から病にかかり、療養のために領地に下がったという。今、皇都で結城家の所領に関わる政務全般を取り仕切っているのは、自分が嫁ぐはずの十七歳の次期当主たる少年だという。
しかし、どこまで彼が実際に政務を執っているかは判らない。単に、家臣団によって担がれているだけの存在である可能性もある。
そして、自分の父もこの状況を最大限、利用しようとするだろう。
皇国東北地方北部一帯に所領を持つ佐薙家、だがその領地は未だ十分に近代的な産業が育っていなかった。領内の産業の中心は農業であり、これに若干の鉱山、炭田、油田が加わっている程度。領内で多数の工場を稼働させている六家に比べれば隔世の感がある。
皇都から各地に伸びる鉄道も、東北鎮台の置かれている中央政府直轄県・磐背県の首府・千代までで止まっており、佐薙家の領地である嶺奥国までは届いていない。
そのため、東北地方北部に位置する嶺奥国の主要交通手段は徒歩、人力車、馬車、馬鉄などであり、それすら冬になれば降雪のために途絶えてしまう。
当然ながら、そうした輸送能力の限られる地域に工場は進出してこない。
領民たちの願いは、何よりもまず鉄道の開通であった。
だからこそ父は、鉄道を敷設するために、事実上、当主不在となっている結城家への影響力拡大を図るだろう。
それと、領地を隣接する六家の一つ、長尾家との領地紛争の有利解決も―――。
自分は父を始めとする様々な思惑に絡め取られた人間に過ぎない。母がそうであったように、自分もそうなろうとしているだけなのだ。
あるいは、自分がこれから嫁ごうとする結城家の嫡男、景紀も自分と同じような人間であるのかもしれない。
もっとも、一度も会ったことのない人間に期待を抱くほど、宵は楽天家ではない。
実際に会ってみなければ景紀という人物の為人など判らないだろうから、下手な先入観を抱くわけにはいかない。だから宵は、自分が聞かされた景紀の人物像を大して信用していないし、自分から積極的に彼の為人を聞くようなこともしていない。そもそも、婚礼を前にして相手の悪い情報が入ってくるはずがないのだ。
「……皇都は、どのようなところなのでしょうか?」
とはいえ、これから自分が住むことになる場所のことは気になる。
「やはり皇国の都だけあり、活気がありますな」言葉を選ぶような素振りを見せながら、老家令長は答えた。「もちろん、我が国府たる鷹前も皇都に劣っているとは申しませんが、建物の高さには圧倒される思いです」
「建物、ですか?」
「左様です。皇都の中心部には、官庁の庁舎や商店が城の天守の如くに立ち並んでおります。まあ、いささか洋風の建築様式を取り入れたために節操のない、猥雑な印象を受けないこともないのですが」
家令長は、そうした都市計画を策定した六家を中心とする中央政府を暗に批判しているようだった。
特に佐薙家は六家の一つである長尾家と領地問題を抱えているため、家臣団の中には六家中心の統治体制に不満を持っている者も多い。
今回の宵の婚礼に関しても、六家勢力によって佐薙家が吸収されて家や領地の独立性が失われてしまうのではないかと懸念を示す家臣たちもいる。彼らにしてみれば、仕えるべき主家の衰退は牢人となる危険性を孕んでいるので、なおさら切実であった。
だからこそ、父はそうした家臣たちの懸念を払拭するためにも、結城家から最大限の利益を引き出すため、自分と若き結城家の当主代理を利用しようとするだろう。
「私は異国の文物をあまり目にしたことが少ないので、それはそれで見てみたいものです」
「左様でございますか。皇都には異国の商人たちも多数おりますので、そうしたものを目にする機会は多いかと」
「それは、楽しみです」
本当にそう思っているかどうか疑わしいほど平坦な口調で宵は感想を口にした。皇都の様子に興味はあるが、それは自分の心を期待で震わせるほどのものではないのだ。
確かに、皇都に行けば異国の文物に触れられる機会もあるだろう。それはそれで面白そうではあるのだが、どこまで自分に自由が認められるかは判らない。
母は、父に嫁いでから国府・鷹前を出たことはないという。自分も恐らくは、二度と故郷の地を踏むことはないだろう。
鷹前に留まる母と会えなくなることだけが、宵にとっては心残りであった。
母は父の正室でありながら、子供は女子である宵一人だけである。父は皇都で公家出身の女性を側室にし、彼女との間に一男一女をもうけていた。佐薙家はその男子が継ぐことになるだろう。
将家においては、例え側室であっても後継者たる男児を産んだ女性の地位は高くなる。逆に正室であっても、男児を生めなければその扱いは冷淡なものになる。
佐薙家における母の立場を思えば、母一人を国に残していくことに、後ろ髪を引かれる思いであった。
だがその母も、娘との別れは覚悟していたのだろう。
鷹前を発つ前に、これからは結城家の人間として生きるようにと宵に伝えたのだ。
あるいはそれは、佐薙・結城両家の政治問題に宵が巻き込まれないようにするための助言であったのかもしれない。
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