王女殿下の死神

三笠 陣

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過去編 王女殿下の初陣

38 魔術戦の果て

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「……」

 白煙の中に姿を消したエスタークス魔導官とエルフリード王女を、ベルトランは警戒していた。
 水魔法に対して不利な火焔魔法を、まさかこうした形で使うとは。
 北ブルグンディアの魔導師は、素直にロンダリアの少年魔導官を賞賛していた。しかし一方で、あれだけの規模の水蒸気爆発を起こすために使った魔力は相当なものであろうとも思っている。
 それに、あの少年は身体強化エンチャントの魔術を使ってもいたようだ。
 そうなれば、魔力的・肉体的な負荷は相当なものだろう。
 このまま、立ちこめる白い霧に紛れてレーヌス河の向こう側まで逃げ切れるとは思えない。
 治癒魔法を使えば肉体的な負傷は治すことが出来るが、その分、自身の魔力を消費して魔術師としての継戦能力を低下させる。まさしく一長一短であり、この状況であれば魔力の消費は致命的だろう。
 こちらもだいぶ魔力を消費してしまったが、全体としての優位は動かない。
 魔術戦の巻き添えを喰らわないよう、ジョルジュ将軍に兵を退かせて貰ったが、あの少年魔術師が魔力を消耗していれば、再度、周辺地域に兵を入れて捜索するという手段もとれる。
 未だ王女とその護衛の魔術師は北ブルグンディアの支配地域内で孤立しており、捕らえられる可能性は残っている。
 正直、ベルトランとしてはなおも一抹の不安を拭えずにいるが、ここまで状況が進んでしまったのならば、そして王女捕縛命令に変更や撤回がないならば、やるしかないと思っていた。
 風魔術で霧を吹き飛ばし、己の周囲の視界を確保しながらベルトランは少年魔術師の出方を窺う。
 と、不意に感じた、魔力反応。

「……まさか」

 その反応の大きさに、彼は瞠目する。

「奴は、まだ余力を残していたというのか……?」

 直後、白煙の向こう側から爆発音が響いてきた。





 霊装、外れずの弓〈フェイルノート〉を展開。
 魔力を“視る”ことの出来るリュシアンの魔眼が、射貫くべき標的を捉えていた。
 魔力で矢を生成し、番える。そして、放った。
 その瞬間、相手の魔力反応が増大した。こちらが魔力を放出したことで、向こうもこちらの存在に気付いたのだ。
 白煙を切り裂いて飛翔した矢が、相手の魔導剣に叩き落とされる。
 二つの魔力がぶつかり合い、そして爆発。
 未だ地表付近を覆っていた水蒸気が、それによって完全に吹き飛ばされた。

「……」

 リュシアンの視線の先には、歯軋りでもしていそうなほどに敵意に顔を歪ませた少女魔剣士の姿があった。
 振り切ったままの魔導剣に、彼女の魔力が流れ込んだ。そして、振り上げられる。
 斬撃の形に刀身から放たれた薄赤の魔力波動を跳躍して回避し、リュシアンは空中で弓を引いた。再び放たれる、魔力の矢。
 それを、リリアーヌは刀身に魔力を纏わせることで魔力防御壁を形成して防ぐ。
 その時、新たな魔力反応。
 リュシアンは空中で風魔法を操り、体勢を反転させる。そして、再び〈フェイルノート〉から矢を放った。
 一本の矢は飛翔の最中に細かく枝分かれし、リュシアンに向かって放たれた氷のつぶてを撃ち落とす。

「……やはり、一筋縄ではいかんか」

 すとんと着地したリュシアンの耳に、ほとんど独り言のようにベルトランの声が届く。

「少年、あれだけ魔力を消費しておいて、何故まだ動ける?」

 警戒心故の固い声で、ベルトランは怪訝そうに問うた。

「さあね」

 リュシアンは冷たく答えた。そんな問いを敵国人に発して、まともな答えが返ってくるはずがないだろうに。
 それに、魔術師は自らの手の内を秘匿しようとする生き物だ。

「ふっ、それもそうだな」

 自嘲気味に、ベルトランの口元が吊り上がる。

「だが、こちらも任務なのでな。おいそれと退くわけにはいかん」

 ベルトランが手を振ると、再び空中に氷の槍や剣が現れる。だが、その数はリュシアンの予想通り、少なかった。
 魔導剣による攻撃を乱発していたリリアーヌ・ド・ロタリンギアだけでなく、オリヴィエ・ベルトランも先ほどの水流を操ったことで、すでに魔力の大部分を消耗しているのだ。
 実際、二人の顔には、明確に疲労の色が滲んでいた。
 ベルトランがリュシアンの隙を突いてエルフリードの隠れている場所を捜そうとしないのも、それが理由だろう。いかに宮廷魔導師とはいえ、消耗した状態ではリュシアンに各個撃破されてしまうと考えているに違いない。
 エルフリードに守護のお守りがあるとベルトランが判っているならば、なおさらだろう。
 頭の良い敵は確かに厄介ではある。だがそれは合理的な判断が出来るという意味でもあり、故に相手の行動を読みやすくもある。
 リュシアンの魔力が回復していると気付けば、この水魔法を得意とする魔術師は少女魔剣士と共に自分を討ち取りに来るだろう。
 リュシアンのその考えは正しかったようだ。

「はあぁぁぁ―――!」

 リュシアンの意識がベルトランに向かっている隙を突けると考えたのだろう、リリアーヌが力強い踏み込みと共に突きを放ってきた。
 リュシアンは身体強化エンチャントの術式で強化した脚力を使って身を捻り跳躍、放たれた魔力波動を回避する。
 薄赤の魔力光線が地面を抉っていく。
 だが、リュシアンが身を躱した先に、ベルトランが氷の武器を射出する。火焔使いの少年は即座に右手を振るって火焔魔法を発動。
 飛来する氷の礫を瞬時に蒸発させた。
 いかに水系統の魔術が火焔魔法に有利とはいえ、氷としてしまってはリュシアンにとって対処は容易である。
 そしてリュシアンが火焔魔法で防御するのと同時に、地上にいるリリアーヌが魔導剣を振るった。
 空中で風魔法を操り、リュシアンは己の体を捻る。幾本もの魔力光線が、夜空に伸びた。

「よせ、ロタリンギア魔導師!」

 魔術の乱発に、ベルトランが制止の声を上げる。だが、リリアーヌは聞き入れなかった。

「今ここで彼を討たねば、将来に禍根を残しますわ!」

 少女魔剣士はリュシアンを見据えながら、切羽詰まった声で叫ぶ。国境線を越えられては、あの白髪の少年魔導師を討ち果たすことが出来なくなる。だからこその、少女の焦りであった。

「……」

 一方のリュシアンは、冷静に魔力光線の射線を見極めて、躱していく。
 くるりと空中で回転し、体を捻って着地。そこを狙ったベルトランの足場崩しの術も、即座に跳躍することで回避。
 少女魔剣士に向けて、〈フェイルノート〉を構える。それに応ずるように、地上のリリアーヌが魔導剣を右脇に構えた。

「ふっ―――」

 吐く息と共に、リュシアンは形成した矢を手放した。
 弦から放たれた魔矢と、刀身から放たれた魔力波動が激突。
 刹那のせめぎ合いの後、閃光と共に爆発が起こった。
 爆音が耳を聾し、土煙が視界を塞ぐ。

「くっ……!」

 腕で顔を覆いながら、リリアーヌは苦悶の呻きを上げた。魔力的にも肉体的にも酷使された少女の体は、轟音と爆風に堪えるので精一杯であった。
 土埃に苛まれながら、リリアーヌは片目を開けて白髪の少年の姿を探す。
 上空、すぐ頭上で魔力の反応

「―――っ!?」

 咄嗟に、リリアーヌは顔を上げた。
 そして見たのは、妖しく光る一対の赤い瞳。
 すでに、〈フェイルノート〉には魔力で編まれた弓が番えられていた。

「しまっ―――」

 最後まで、少女魔剣士は言葉を紡ぐことが出来なかった。リュシアンの手から離れた矢が、閃光となって彼女を呑み込んでいく。
 爆発。
 その威力によって地面は円形に抉られる。その窪んだ地面の中心に、動かなくなった少女が横たわっていた。

「で」

 危なげなく着地したリュシアン。再び、〈フェイルノート〉を構える。

「あんたは、どうするの?」

 少年の視線の先には、空中に三つの魔法陣を浮かべたベルトランがいた。その顔に浮かぶ疲労の色は、いっそう酷くなっているようであった。魔法陣を構成する魔力も、安定していない。
 一方で、リュシアンの魔力にはまだだいぶ余裕があった。エルフリードの血を取り込んだお陰で、消耗していた魔力が回復していたのだ。

「言ったはずだ。これは、任務なのだと」

 実直そうな口調で、ベルトランが答える。

「あっそ」

 リュシアンは鬱陶しげにそう言うのと、ベルトランの浮かべる魔法陣が揺らいだのは同時だった。
 三つの魔法陣から、水流が勢いよく射出される。高圧で放たれる水は、物を切断するだけの威力がある。
 リュシアンも同時に〈フェイルノート〉を放っていた。
 弦を放れた矢は三本。火焔魔法の術式が込められた魔矢が水流と衝突した瞬間、再び水蒸気爆発が起こる。
 二人の間を遮る白煙。
 それを貫いて、双剣を抜いたリュシアンがベルトランに肉薄する。身体強化エンチャントの術式で、瞬きの間に距離を詰めた。

「……」

 リュシアンは、相手の眉間に赤剣〈ベガルタ〉を突きつけた。

「……」

 そして、リュシアンの眼前にもベルトランの構えた魔導杖まどうじょうが突きつけられていた。指揮棒のような、古典的な形態の魔導杖。この魔術師にとって、唯一の近接戦闘用武器だったのだろう。
 二人の間に、緊張感を孕んだ沈黙が落ちる。
 だが、先に動いたのはリュシアンだった。体を後ろに倒し、足を振り上げる。靴底に伝わる、相手の腕を蹴り飛ばす感触。
 即座に体勢を戻した白髪の少年は、その動作の流れの中で突き上げるようにベルトランの腹部に破魔の魔剣〈ベガルタ〉を突き立てた。

「ぐっ……」

「……」

 その瞬間、リュシアンの周囲を取り囲むように展開されようとしていた魔法陣が消滅する。
 ベルトランは、超至近距離から高圧水流でリュシアンを討とうとしていたのだろう。だがその術式も、彼に〈ベガルタ〉を突き立てたことによって消失してしまったのだ。

「……」

 リュシアンは、無言で相手の腹部から剣を引き抜いた。

「ぐぁ……」

 ベルトランは苦悶の呻きと共に、両手で腹部を押さえて膝をついた。

「……」

 そんな敵国の魔術師の姿を、リュシアンは無感動な瞳で見下ろしていた。そこには、勝利の喜びなどまるで感じさせない、冷徹さを湛えた無表情な少年がいるだけだった。
 リュシアンは〈ベガルタ〉を振るい、血を払うと赤い魔剣を鞘に収めた。

「……殺さないのか」

 苦痛に脂汗を浮かべながら、ベルトランが白髪の少年魔術師を見上げる。

「本当は、殺しておいた方があんたらの戦力を削れて良いんだろうけど、これ以上、国境紛争での揉め事を大きくしたくない」

 北ブルグンディアの宮廷魔導師を三人も殺害すれば、北ブルグンディアの魔術的国力は大きく低下する。それは確かに戦術的には正解なのだろうが、そこまですれば北ブルグンディア政府内部で、対ロンダリア強硬派が勢いづくことになるだろう。対ロンダリア報復を叫ぶ彼らによって、北ブルグンディアでは戦争準備が進められてしまうかもしれない。
 リュシアンとしては外相である伯父のモンフォートを苦境に立たせたくはないし、何よりも両国間の戦争に発展させるために自分はここに来たのではないという意識がある。

「あんた、まだ治癒魔法を使うだけの魔力は残ってるでしょ? あんた自身と、あの魔導剣の女の子の傷くらいは治せるんじゃないの?」

 リュシアンが〈フェイルノート〉によって吹き飛ばしたリリアーヌは、意識を失ったまま地面に倒れ伏している。だが、死んではいないはずだった。

「ふん、なるほど。それが狙いというわけか」

 自身の敗北を認めるような、諦観と納得の滲んだ声でベルトランは答えた。
 治癒魔法で傷を塞ぐことで、肉体的には回復するだろう。だが逆に、魔力を消耗して、魔術師としての能力は当面の間、発揮出来なくなる。つまり、リュシアンとエルフリードの追撃が不可能となるのだ。

「じゃあね」

 最早二人の魔術師への関心を失ったとばかりに、リュシアンは地に蹲るベルトランの横を通り抜けた。

「ああ、一応言っておくけど」ふと、リュシアンは足を止める。「これ以上、俺たちを追いかけようとは思わないことだね。北ブルグンディアの兵士たちにも、そう伝えておいてよ」

 淡々とした口調であるが故に、その言葉はより強く少年の感情を伝えていた。
 エルフリードを守るためならば何ものをも容赦しないという、リュシアンの固い決意が声に宿っていた。
 これ以上の人殺しは行わないと言いながらも、姫を守るためならば人殺しも厭わないという、その矛盾。
 少年の持つ歪さに、改めてベルトランは得体の知れない思いを抱く。
 彼が立ち去っていくリュシアンに目線を一切向けなかったのは、無意識の内に少年の在り方を恐れていたからかもしれない。
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