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過去編 王女殿下の初陣
17 戦場の明暗
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大陸歴五三八年五月二十日。
北ブルグンディア軍第五軍司令部は、混乱していた。
「第十一師団司令部との通信途絶! 大規模な通信妨害が進行中!」
「第十二師団との連絡も取れません!」
「予備の魔力周波数への切り替えは!?」
「駄目です! そちらも妨害されています!」
「そもそも、敵の妨害を何故排除出来ない!」
「敵魔導師の魔力出力が大きい所為です! こちらの通信用水晶の魔力がそちらに上書きされてしまっているのです!」
「第六騎兵師団への通信妨害も確認されました!」
「発信源の特定を急げ! 敵魔導師を排除するのだ!」
「通信参謀、それよりも友軍の状況確認が先だ! これだけの通信妨害を行っているということは、敵は全面突破攻勢に出たのではないか!?」
「作戦参謀、ですから、その確認をすべき通信が妨害されているのです!」
「だったら各部隊に伝令を出せばよかろう! 航空参謀! 動かせる翼竜をありったけ投入して、各部隊との連絡維持に努めさせろ! 合わせて敵部隊の行動についても偵察させるのだ!」
そうした参謀たちの様子を、第五軍司令官ピエール・ド・ジョルジュ中将は険しい目で見ていた。
「参謀長、これはロンダリア側の攻勢と見るべきか?」
「これだけの通信妨害を行って、ただ時間稼ぎのための遅滞戦闘を行っているとは考えがたいでしょう」
「問題は、敵の戦力と、主攻がどの地点にあるかだな。やはり、敵は連中の主張する国境線を回復しようとしていると見るべきか」
実際、最初にそうした攻勢をとったのは北ブルグンディア側であった。敵が同様の考えを持っていたとしても、驚くには値しない。
「恐らくは、その通りかと」
「敵増援部隊の移動を察知出来なかったのか」
「竜兵部隊の偵察では、連隊規模の敵増援は確認されていただけで、全面的な攻勢に出るだけの戦力的余裕はないと判断されていました」
「その前提が、覆されたわけか」
悔しげに、ジョルジュは拳を握りしめる。
「軍の戦略予備の投入準備を急げ。どの方面からの攻勢にも対応出来るようにさせるのだ」
「はっ!」
その時、混乱する司令部に一人の従兵が駆け込んできた。
「失礼いたします! 宮廷魔導団、オリヴィエ・ベルトラン宮廷魔導師殿がジョルジュ閣下への至急の面会を求めております!」
「……」
一瞬、ジュルジュは面会するかどうか迷った。宮廷魔導団の戦地派遣は、あくまで彼ら宮廷魔導師たちの経歴に対する箔付け。徒に彼らを消耗させるわけにはいかない。
もし彼らが戦場に赴くと言い出し、万が一にも戦死するような事態となれば、自身の政治的立場が危うくなる。
しかし一方で、敵の全面攻勢を許し、万が一にも停戦交渉に不利な材料を作れば、やはり自身の政治的立場が危うい。
「通せ」
取りあえず、敵の魔導通信妨害を受けている以上、高位魔術師の意見も聞いてみる必要があると、ジュルジュ中将は判断した。
ベルトラン魔導師は、すぐにやって来た。
「閣下、単刀直入に申し上げます。我々宮廷魔導団に、敵通信妨害の排除を要請して下さい」
若い宮廷魔導師の声には、切羽詰まったものがあった。彼も、この事態を憂慮しているらしい。
「……」
一瞬、ジュルジュ中将は険しい表情を浮かべた。確実に排除出来るのか、と問いたかったのだ。だが、戦場に確実といえるものが何一つないことを、軍人として理解していた。
その問いかけが、無意味だと気付いたのだ。
「うむ。では、第五軍司令部として、宮廷魔導団に敵通信妨害の排除を要請する。頼んだぞ」
「はい、万難を排して、やり遂げてみせましょう」
ジョルジュ中将があっさりと承諾したことに、どこか拍子抜けした感覚を覚えつつもベルトランは力強く請け負った。
彼は既に、アルベール魔導師を説き伏せて通信妨害排除への協力を取り付けていた。アルベール魔導師としても、魔術師の神聖性を汚した(と、本人は思っている)ロンダリア側魔術師への義憤を抱いており、説得はたやすかったのだ。
出来れば根本的解決のために、通信妨害の排除だけでなく、敵魔導師の討滅を行ってしまいたいが、敵魔術師の数が不明である現状では危険であった。
ベルトランとしては、敵通信妨害の排除に目標を絞るつもりであった。
だが、彼らの決断は遅きに失した感があった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロンダリア軍による全面攻勢は、まず砲兵隊による砲撃と竜兵による爆撃から始まった。
〇五四五時、第二、第四師団の砲兵隊は一斉に火蓋を切り、レーヌス河右岸に進出した北ブルグンディア軍に対して徹底的な準備砲撃を行った。同時に、西部方面軍管区から集められた翼竜二〇〇騎あまりによる空襲も敢行。
砲撃は実に三時間近くにも及んだ。このために、西部方面軍は備蓄弾薬の五割以上を消費したという。
オークウッド大佐は、徹底した火力の集中によって敵戦線の突破を図ったのである。
国境紛争の長期化は周辺諸国の介入を招きかねず、全面戦争の危機をもたらす。そう判断した彼は、戦時のための備蓄弾薬すら切り崩して、膨大な鉄量をレーヌス河右岸に進出した北ブルグンディア軍に叩き付けたのである。
午前九時過ぎ、ロンダリア軍は進撃を開始した。その両翼の南北への展開幅は敵正面南北三十キロに対して、七十キロあまり。
敵軍を大きく包み込むようにして包囲殲滅しようとするオークウッド大佐の作戦構想が、まさしく現れていた。
空と地上とでは、まるで別世界であった。
無数の爆炎、砲煙、土煙に塗れる下界に比べ、空の上は比較的平穏であった。
「……」
リュシアンは完全に表情の失せた顔で、翼竜を操っていた。彼の跨がる鞍には、大きめの水晶球が括り付けられていた。それが淡く光り、高空を飛ぶリュシアンの魔力波を周囲に拡散している。
敵の通信用魔力波はリュシアンの魔力によって上書きされ、その伝達を妨害され続けている。
オークウッド大佐が要請したのは、敵の魔導通信の妨害であった。この当時において最速の通信手段である魔導通信を妨害することで、敵軍の連携を断ち、撃破を容易とする。
参謀本部作戦課長はありとあらゆる手段を使って、作戦目標を完遂させようとしているのだ。
あの大佐はどこまで判っているのかな、とリュシアンは思った。いや、すべてを判った上で自分に要請を出したに違いない。
魔力を放出し続けるリュシアンは、ある意味で敵魔術師にとっては非常に見つけやすい目標だった。
未だ北王国の宮廷魔導団が戦場に姿を現していない以上、その存在は不確定要素になり得た。土壇場になって彼らが投入され、リュシアンの使用したような大規模な爆裂術式が使われれば、オークウッドの作戦構想は瓦解する。
リュシアンに妨害魔力波を流させているのは、敵の通信を妨害するためだけでなく、宮廷魔導官をリュシアンの下に誘導するためでもあるのだろう。
だから、今日はエルフリードを後ろに乗せていない。
連中の宮廷魔導師が翼竜に乗る技術を持っているかどうかは判らないが、囮とされる自分といては彼女の身が無意味に危険に晒される。
彼女が高所恐怖症で助かった、とリュシアンは率直に思う。
魔術師である自分と付き合いの長いエルフリードは、オークウッド大佐の要請がどのような意味を持つのか、即座に理解していたのだ。
敵魔導師に対する囮としてリュシアンを使うことを、彼女は見抜いていた。
だが、彼女はオークウッド大佐に反対の言葉を述べることはしなかった。彼の要請の軍事的必要性を理解していたが故だ。もし軍の魔導兵で通信妨害が出来るのならば、エルフリードは強硬に反対しただろう。軍人でもないリュシアンを戦場に赴かせるのは軍人としての責任を放棄しているとでも言ったに違いない。
しかし、敵の通信妨害を行える魔導師は、リュシアンしかいなかった。敵の魔力波を上書きできるだけの魔力量を持つのは、高位魔術師である彼しかいなかったのだ。
エルフリードの顔は、リュシアンの主である自身の権限を侵されたこと、そしてリュシアンに危険な役割を担わせようとするオークウッドに対する不満と怒りで歪んでいた。
そして彼女は、次にリュシアンに対して己が出来ることはないかと問うたのだ。
だが、エルフリードは自ら翼竜に乗ることが出来ない。操縦技術を持っていないのだ。リュシアンの後ろに乗せることも、今回は危険だった。
翼竜の出発を見送った時のエルフリードは、無力感と不安がない交ぜになった表情をしていた。
どこかでのその感情が変に暴発しなければいいが、とリュシアンは思うが、今はどうすることも出来ない。
「……」
ぐるりと首を回し、リュシアンは地上も含めた周囲を警戒する。
敵魔導師が翼竜に乗れなければ、地上から遠距離攻撃系の術式を放ってくるだろう。あるいは、こちらの魔力波を上回る魔力量で通信妨害に対抗してくるか。
ただ、どちらにせよ、手遅れだろう。
すでにこちらの作戦は発動され、部隊は前進を開始している。初動段階での迎撃の遅れは、今さらリュシアンの通信妨害を排除したところで取り返せるものではない。
敵軍の司令官がよほどの名将であり、こちらの攻勢のすべてに対して適切な対応を取ってくれば別であろうが、レナ高地を攻めあぐねていたことから考えても、名将といえる人物ではないだろう。
敵の各部隊が頑強な抵抗を示す可能性はあるものの、おおよその趨勢は決しただろうと、リュシアンは素人考えで思う。
不意に、水晶球の光が不規則に点滅し始めた。
「ああ、こっちで来たか」
敵魔導師が、通信妨害に対抗してきたのだ。水晶球から放たれるリュシアンの魔力が、上書きされつつあるのだ。だが、特に何も感慨は浮かばない。
魔術師との対決ならば、師匠のクラリスの下で何度も経験している。今さら恐れはない。しかも、これは生死の懸かった魔術戦ではなく、単なる魔力量勝負みたいなものだ。
「……いいよ、付き合ってやる」
自身の胸の内に熱量はない。それでもリュシアンの心には、北ブルグンディアの宮廷魔導官への対抗心のようなものが芽生えていた。
自分は、エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオル王女の専属魔導官だ。
この程度で負けるような魔術師が、彼女を守れるはずがないのだから。
◇◇◇
敵の通信妨害は執拗だった。
いや、もしかしたらこちらとの魔力波の駆け引きを楽しんでいるのかもしれない。そんな印象すら、ベルトランは抱いていた。
彼はアルベール魔導師に自軍の魔導通信網の再構築を要請すると共に、自らは敵魔導師の妨害魔力波の排除に努めていた。
彼の周囲には、幾つもの魔力波長に設定された複数の水晶球が並べられている。だが、そのどれも巧妙に魔力が上書きされ、通信回線は復旧していない。
こちらが魔力で上書きすれば、相手もまた上書きしてくる。
まさしく、イタチごっこであった。
正直、このままではどちらかが先に魔力切れを起こして倒れてしまうだろう。最悪、共倒れだ。ロンダリアの魔導師はそれを恐れていないのだろうか。
いや、違う。ベルトランは即座に否定した。
仮に、相手魔導師が自分たちと同じ宮廷魔導師級の高位魔術師だとすれば、先に魔力切れを起こすのはこちらだ。
「ジョルジュ閣下、妨害を行っている魔導師は空にいます。恐らく、翼竜に乗っているのでしょう。これを撃墜出来ませんか?」
自分と相手との違い。それは、魔力波を放つ位置の違いである。
高所から魔力波を放つ方が、より遠くまで届くので魔力効率がよい。地上にいるこちらは、相手と同じ距離まで届かせたければ、相手以上の強力な魔力波を放たなければならない。
せめてレナ高地が確保出来ていれば、とベルトランは思う。
あの高地の上ならば、それなりに効果的に魔力波を放つことが出来ただろう。だが、今を以てもあの高地を支配しているのはロンダリア側なのだ。
「いや、無理でしょう、ベルトラン魔導師殿」
問いかけに答えたのは、ジョルジュ司令官の航空参謀を務める者だった。
「現在、戦場上空の制空権はロンダリアのものです。伝令に出した竜兵も一部が未帰還となり、さらに我が軍の竜舎も爆撃を受け、一部の翼竜が地上撃破されました」
「……」
ベルトランの顔が苦渋に歪んだ。
「……ジュルジュ閣下、正直に申し上げます。我々も努力いたしますが、即時の通信妨害の解除は極めて困難と認めざるを得ません」
ベルトランは、早期に敗北を認める決断をした。
ジュルジュ中将が彼に過度の期待をしていた場合、彼の出す命令に深刻な誤謬が生じる可能性があったからだ。魔導通信なしでの第五軍の掌握を、ベルトランとしては進言せざるを得なかった。
「……やむを得んか」
ジョルジュ司令官は呻くように頷いた。
「右岸の部隊に対して伝令を出せ。現占領地の固守を命じるのだ。ここで後退しては、停戦交渉に悪影響が及ぶ。軍直轄戦略予備の出撃準備を急がせろ」
ジョルジュは、守勢持久作戦をとろうとしたのである。
ロンダリア側の攻勢は停戦交渉において有利な材料を作ろうとして、我が軍に多少なりとも打撃を与えようとしているに過ぎない。そう、ジュルジュ中将は判断していた。
ロンダリア側が虎の子ともいえる高位魔術師を戦場に投入してきているのは、追い詰められた証拠であるとも考えていた。
通信を妨害されたことは確かに痛手ではあったが、第十一、第十二師団はまだ十分に戦力を残している。上手くすれば、攻勢のために突出してきたロンダリア軍を逆包囲出来るだろう。
そうしたジョルジュ司令官の考えは、攻勢主義・白兵決戦主義を金科玉条とする北ブルグンディア陸軍の精神を凝縮したものであるといえた。
問題は、敵の攻勢の重点がどこにあるかであった。それが判断出来なければ、戦力の集中は行えない。
この時ジョルジュ中将は、それを南翼であると判断していた。
南翼には、未だロンアダリア軍が頑強に保持しているレナ高地が存在する。この高地との連絡線を確保しようとするロンダリア軍を破砕すれば、この国境紛争を引き分け以上に終わらせることが出来るだろう。
ジョルジュ司令官はそう判断していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロンダリア軍の攻勢第一日目は、ほぼ順調に推移していた。
通信を遮断されたことによる北ブルグンディア軍の初動の遅れに助けられた面もあり、特に南翼を担当する独立混成第一旅団はその日の夕刻までには敵第六騎兵師団を撃破し、レナ高地への連絡線の回復に成功していた。
一方の北ブルグンディア側は通信が妨害されたことにより、第五軍司令部によるロンダリア軍の動向の把握は遅れに遅れた。さらには前線部隊と軍司令部との間の翼竜を利用した迅速な連絡も、制空権の喪失から順調には進まなかった。
このため北ブルグンディア軍は連隊、ないしは大隊単位での抵抗を行わざるを得ず、ためにその間隙を突かれて戦線各所でロンダリア軍によって分断されていった。
それでも一部の部隊が頑強に抵抗し、特に北翼ではロンダリア軍の進撃を一時的にせよ停滞させていた。
だが、そうした前線指揮官の決死の抵抗にも関わらず、北ブルグンディア軍は戦線全域において劣勢に立たされていたのである。
北ブルグンディア軍第五軍司令部は、混乱していた。
「第十一師団司令部との通信途絶! 大規模な通信妨害が進行中!」
「第十二師団との連絡も取れません!」
「予備の魔力周波数への切り替えは!?」
「駄目です! そちらも妨害されています!」
「そもそも、敵の妨害を何故排除出来ない!」
「敵魔導師の魔力出力が大きい所為です! こちらの通信用水晶の魔力がそちらに上書きされてしまっているのです!」
「第六騎兵師団への通信妨害も確認されました!」
「発信源の特定を急げ! 敵魔導師を排除するのだ!」
「通信参謀、それよりも友軍の状況確認が先だ! これだけの通信妨害を行っているということは、敵は全面突破攻勢に出たのではないか!?」
「作戦参謀、ですから、その確認をすべき通信が妨害されているのです!」
「だったら各部隊に伝令を出せばよかろう! 航空参謀! 動かせる翼竜をありったけ投入して、各部隊との連絡維持に努めさせろ! 合わせて敵部隊の行動についても偵察させるのだ!」
そうした参謀たちの様子を、第五軍司令官ピエール・ド・ジョルジュ中将は険しい目で見ていた。
「参謀長、これはロンダリア側の攻勢と見るべきか?」
「これだけの通信妨害を行って、ただ時間稼ぎのための遅滞戦闘を行っているとは考えがたいでしょう」
「問題は、敵の戦力と、主攻がどの地点にあるかだな。やはり、敵は連中の主張する国境線を回復しようとしていると見るべきか」
実際、最初にそうした攻勢をとったのは北ブルグンディア側であった。敵が同様の考えを持っていたとしても、驚くには値しない。
「恐らくは、その通りかと」
「敵増援部隊の移動を察知出来なかったのか」
「竜兵部隊の偵察では、連隊規模の敵増援は確認されていただけで、全面的な攻勢に出るだけの戦力的余裕はないと判断されていました」
「その前提が、覆されたわけか」
悔しげに、ジョルジュは拳を握りしめる。
「軍の戦略予備の投入準備を急げ。どの方面からの攻勢にも対応出来るようにさせるのだ」
「はっ!」
その時、混乱する司令部に一人の従兵が駆け込んできた。
「失礼いたします! 宮廷魔導団、オリヴィエ・ベルトラン宮廷魔導師殿がジョルジュ閣下への至急の面会を求めております!」
「……」
一瞬、ジュルジュは面会するかどうか迷った。宮廷魔導団の戦地派遣は、あくまで彼ら宮廷魔導師たちの経歴に対する箔付け。徒に彼らを消耗させるわけにはいかない。
もし彼らが戦場に赴くと言い出し、万が一にも戦死するような事態となれば、自身の政治的立場が危うくなる。
しかし一方で、敵の全面攻勢を許し、万が一にも停戦交渉に不利な材料を作れば、やはり自身の政治的立場が危うい。
「通せ」
取りあえず、敵の魔導通信妨害を受けている以上、高位魔術師の意見も聞いてみる必要があると、ジュルジュ中将は判断した。
ベルトラン魔導師は、すぐにやって来た。
「閣下、単刀直入に申し上げます。我々宮廷魔導団に、敵通信妨害の排除を要請して下さい」
若い宮廷魔導師の声には、切羽詰まったものがあった。彼も、この事態を憂慮しているらしい。
「……」
一瞬、ジュルジュ中将は険しい表情を浮かべた。確実に排除出来るのか、と問いたかったのだ。だが、戦場に確実といえるものが何一つないことを、軍人として理解していた。
その問いかけが、無意味だと気付いたのだ。
「うむ。では、第五軍司令部として、宮廷魔導団に敵通信妨害の排除を要請する。頼んだぞ」
「はい、万難を排して、やり遂げてみせましょう」
ジョルジュ中将があっさりと承諾したことに、どこか拍子抜けした感覚を覚えつつもベルトランは力強く請け負った。
彼は既に、アルベール魔導師を説き伏せて通信妨害排除への協力を取り付けていた。アルベール魔導師としても、魔術師の神聖性を汚した(と、本人は思っている)ロンダリア側魔術師への義憤を抱いており、説得はたやすかったのだ。
出来れば根本的解決のために、通信妨害の排除だけでなく、敵魔導師の討滅を行ってしまいたいが、敵魔術師の数が不明である現状では危険であった。
ベルトランとしては、敵通信妨害の排除に目標を絞るつもりであった。
だが、彼らの決断は遅きに失した感があった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロンダリア軍による全面攻勢は、まず砲兵隊による砲撃と竜兵による爆撃から始まった。
〇五四五時、第二、第四師団の砲兵隊は一斉に火蓋を切り、レーヌス河右岸に進出した北ブルグンディア軍に対して徹底的な準備砲撃を行った。同時に、西部方面軍管区から集められた翼竜二〇〇騎あまりによる空襲も敢行。
砲撃は実に三時間近くにも及んだ。このために、西部方面軍は備蓄弾薬の五割以上を消費したという。
オークウッド大佐は、徹底した火力の集中によって敵戦線の突破を図ったのである。
国境紛争の長期化は周辺諸国の介入を招きかねず、全面戦争の危機をもたらす。そう判断した彼は、戦時のための備蓄弾薬すら切り崩して、膨大な鉄量をレーヌス河右岸に進出した北ブルグンディア軍に叩き付けたのである。
午前九時過ぎ、ロンダリア軍は進撃を開始した。その両翼の南北への展開幅は敵正面南北三十キロに対して、七十キロあまり。
敵軍を大きく包み込むようにして包囲殲滅しようとするオークウッド大佐の作戦構想が、まさしく現れていた。
空と地上とでは、まるで別世界であった。
無数の爆炎、砲煙、土煙に塗れる下界に比べ、空の上は比較的平穏であった。
「……」
リュシアンは完全に表情の失せた顔で、翼竜を操っていた。彼の跨がる鞍には、大きめの水晶球が括り付けられていた。それが淡く光り、高空を飛ぶリュシアンの魔力波を周囲に拡散している。
敵の通信用魔力波はリュシアンの魔力によって上書きされ、その伝達を妨害され続けている。
オークウッド大佐が要請したのは、敵の魔導通信の妨害であった。この当時において最速の通信手段である魔導通信を妨害することで、敵軍の連携を断ち、撃破を容易とする。
参謀本部作戦課長はありとあらゆる手段を使って、作戦目標を完遂させようとしているのだ。
あの大佐はどこまで判っているのかな、とリュシアンは思った。いや、すべてを判った上で自分に要請を出したに違いない。
魔力を放出し続けるリュシアンは、ある意味で敵魔術師にとっては非常に見つけやすい目標だった。
未だ北王国の宮廷魔導団が戦場に姿を現していない以上、その存在は不確定要素になり得た。土壇場になって彼らが投入され、リュシアンの使用したような大規模な爆裂術式が使われれば、オークウッドの作戦構想は瓦解する。
リュシアンに妨害魔力波を流させているのは、敵の通信を妨害するためだけでなく、宮廷魔導官をリュシアンの下に誘導するためでもあるのだろう。
だから、今日はエルフリードを後ろに乗せていない。
連中の宮廷魔導師が翼竜に乗る技術を持っているかどうかは判らないが、囮とされる自分といては彼女の身が無意味に危険に晒される。
彼女が高所恐怖症で助かった、とリュシアンは率直に思う。
魔術師である自分と付き合いの長いエルフリードは、オークウッド大佐の要請がどのような意味を持つのか、即座に理解していたのだ。
敵魔導師に対する囮としてリュシアンを使うことを、彼女は見抜いていた。
だが、彼女はオークウッド大佐に反対の言葉を述べることはしなかった。彼の要請の軍事的必要性を理解していたが故だ。もし軍の魔導兵で通信妨害が出来るのならば、エルフリードは強硬に反対しただろう。軍人でもないリュシアンを戦場に赴かせるのは軍人としての責任を放棄しているとでも言ったに違いない。
しかし、敵の通信妨害を行える魔導師は、リュシアンしかいなかった。敵の魔力波を上書きできるだけの魔力量を持つのは、高位魔術師である彼しかいなかったのだ。
エルフリードの顔は、リュシアンの主である自身の権限を侵されたこと、そしてリュシアンに危険な役割を担わせようとするオークウッドに対する不満と怒りで歪んでいた。
そして彼女は、次にリュシアンに対して己が出来ることはないかと問うたのだ。
だが、エルフリードは自ら翼竜に乗ることが出来ない。操縦技術を持っていないのだ。リュシアンの後ろに乗せることも、今回は危険だった。
翼竜の出発を見送った時のエルフリードは、無力感と不安がない交ぜになった表情をしていた。
どこかでのその感情が変に暴発しなければいいが、とリュシアンは思うが、今はどうすることも出来ない。
「……」
ぐるりと首を回し、リュシアンは地上も含めた周囲を警戒する。
敵魔導師が翼竜に乗れなければ、地上から遠距離攻撃系の術式を放ってくるだろう。あるいは、こちらの魔力波を上回る魔力量で通信妨害に対抗してくるか。
ただ、どちらにせよ、手遅れだろう。
すでにこちらの作戦は発動され、部隊は前進を開始している。初動段階での迎撃の遅れは、今さらリュシアンの通信妨害を排除したところで取り返せるものではない。
敵軍の司令官がよほどの名将であり、こちらの攻勢のすべてに対して適切な対応を取ってくれば別であろうが、レナ高地を攻めあぐねていたことから考えても、名将といえる人物ではないだろう。
敵の各部隊が頑強な抵抗を示す可能性はあるものの、おおよその趨勢は決しただろうと、リュシアンは素人考えで思う。
不意に、水晶球の光が不規則に点滅し始めた。
「ああ、こっちで来たか」
敵魔導師が、通信妨害に対抗してきたのだ。水晶球から放たれるリュシアンの魔力が、上書きされつつあるのだ。だが、特に何も感慨は浮かばない。
魔術師との対決ならば、師匠のクラリスの下で何度も経験している。今さら恐れはない。しかも、これは生死の懸かった魔術戦ではなく、単なる魔力量勝負みたいなものだ。
「……いいよ、付き合ってやる」
自身の胸の内に熱量はない。それでもリュシアンの心には、北ブルグンディアの宮廷魔導官への対抗心のようなものが芽生えていた。
自分は、エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオル王女の専属魔導官だ。
この程度で負けるような魔術師が、彼女を守れるはずがないのだから。
◇◇◇
敵の通信妨害は執拗だった。
いや、もしかしたらこちらとの魔力波の駆け引きを楽しんでいるのかもしれない。そんな印象すら、ベルトランは抱いていた。
彼はアルベール魔導師に自軍の魔導通信網の再構築を要請すると共に、自らは敵魔導師の妨害魔力波の排除に努めていた。
彼の周囲には、幾つもの魔力波長に設定された複数の水晶球が並べられている。だが、そのどれも巧妙に魔力が上書きされ、通信回線は復旧していない。
こちらが魔力で上書きすれば、相手もまた上書きしてくる。
まさしく、イタチごっこであった。
正直、このままではどちらかが先に魔力切れを起こして倒れてしまうだろう。最悪、共倒れだ。ロンダリアの魔導師はそれを恐れていないのだろうか。
いや、違う。ベルトランは即座に否定した。
仮に、相手魔導師が自分たちと同じ宮廷魔導師級の高位魔術師だとすれば、先に魔力切れを起こすのはこちらだ。
「ジョルジュ閣下、妨害を行っている魔導師は空にいます。恐らく、翼竜に乗っているのでしょう。これを撃墜出来ませんか?」
自分と相手との違い。それは、魔力波を放つ位置の違いである。
高所から魔力波を放つ方が、より遠くまで届くので魔力効率がよい。地上にいるこちらは、相手と同じ距離まで届かせたければ、相手以上の強力な魔力波を放たなければならない。
せめてレナ高地が確保出来ていれば、とベルトランは思う。
あの高地の上ならば、それなりに効果的に魔力波を放つことが出来ただろう。だが、今を以てもあの高地を支配しているのはロンダリア側なのだ。
「いや、無理でしょう、ベルトラン魔導師殿」
問いかけに答えたのは、ジョルジュ司令官の航空参謀を務める者だった。
「現在、戦場上空の制空権はロンダリアのものです。伝令に出した竜兵も一部が未帰還となり、さらに我が軍の竜舎も爆撃を受け、一部の翼竜が地上撃破されました」
「……」
ベルトランの顔が苦渋に歪んだ。
「……ジュルジュ閣下、正直に申し上げます。我々も努力いたしますが、即時の通信妨害の解除は極めて困難と認めざるを得ません」
ベルトランは、早期に敗北を認める決断をした。
ジュルジュ中将が彼に過度の期待をしていた場合、彼の出す命令に深刻な誤謬が生じる可能性があったからだ。魔導通信なしでの第五軍の掌握を、ベルトランとしては進言せざるを得なかった。
「……やむを得んか」
ジョルジュ司令官は呻くように頷いた。
「右岸の部隊に対して伝令を出せ。現占領地の固守を命じるのだ。ここで後退しては、停戦交渉に悪影響が及ぶ。軍直轄戦略予備の出撃準備を急がせろ」
ジョルジュは、守勢持久作戦をとろうとしたのである。
ロンダリア側の攻勢は停戦交渉において有利な材料を作ろうとして、我が軍に多少なりとも打撃を与えようとしているに過ぎない。そう、ジュルジュ中将は判断していた。
ロンダリア側が虎の子ともいえる高位魔術師を戦場に投入してきているのは、追い詰められた証拠であるとも考えていた。
通信を妨害されたことは確かに痛手ではあったが、第十一、第十二師団はまだ十分に戦力を残している。上手くすれば、攻勢のために突出してきたロンダリア軍を逆包囲出来るだろう。
そうしたジョルジュ司令官の考えは、攻勢主義・白兵決戦主義を金科玉条とする北ブルグンディア陸軍の精神を凝縮したものであるといえた。
問題は、敵の攻勢の重点がどこにあるかであった。それが判断出来なければ、戦力の集中は行えない。
この時ジョルジュ中将は、それを南翼であると判断していた。
南翼には、未だロンアダリア軍が頑強に保持しているレナ高地が存在する。この高地との連絡線を確保しようとするロンダリア軍を破砕すれば、この国境紛争を引き分け以上に終わらせることが出来るだろう。
ジョルジュ司令官はそう判断していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロンダリア軍の攻勢第一日目は、ほぼ順調に推移していた。
通信を遮断されたことによる北ブルグンディア軍の初動の遅れに助けられた面もあり、特に南翼を担当する独立混成第一旅団はその日の夕刻までには敵第六騎兵師団を撃破し、レナ高地への連絡線の回復に成功していた。
一方の北ブルグンディア側は通信が妨害されたことにより、第五軍司令部によるロンダリア軍の動向の把握は遅れに遅れた。さらには前線部隊と軍司令部との間の翼竜を利用した迅速な連絡も、制空権の喪失から順調には進まなかった。
このため北ブルグンディア軍は連隊、ないしは大隊単位での抵抗を行わざるを得ず、ためにその間隙を突かれて戦線各所でロンダリア軍によって分断されていった。
それでも一部の部隊が頑強に抵抗し、特に北翼ではロンダリア軍の進撃を一時的にせよ停滞させていた。
だが、そうした前線指揮官の決死の抵抗にも関わらず、北ブルグンディア軍は戦線全域において劣勢に立たされていたのである。
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