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過去編 王女殿下の初陣
6 逆襲敢行
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馬というのは、人間の十倍の糧食を必要とする。
その意味では、機動戦になる余地の少ない陣地防衛戦に騎兵部隊をあてがうというのは、籠城に必要な物資の量を無意味に増やすことに繋がる。
また、砲撃によって狂乱する馬を鎮める苦労も負うことになる。
正直ライガー大佐は、夜間、馬に松明でも括り付けて敵陣地の方向に放ってやろうかとも考えたほどであった。ただ、騎兵にとって馬は己の半身ともいえる存在、将兵たちの士気を考えると、安易には採れない作戦である。
重装備の移動にも、馬は使える。騎兵第十一連隊は騎兵を基幹とする部隊であるが故に馬の比率が高いものの、軍全体で見ても人対馬の割合は四対一である。それだけ、軍というものは馬匹に輸送を頼っているのである。
それに、万が一の際、馬は脱出用に使える。
陣地に籠城するといっても、一ヶ月も二ヶ月も籠もるわけでもないのだ。
玉砕という意味でも、脱出や増援が到着するという意味でも、数日間の籠城である。
陣地背面が河に面しているというのも大きかった。少なくとも、水の確保には苦労しない。
ただし、十六日になって状況は変わった。
南翼を守っていた歩兵第七十二連隊が潰走し、レーヌス河右岸、つまり陣地背面に北ブルグンディア軍が侵入しつつあったのである。
昨夜、砲兵大隊を率いるマッケンジー少佐とも話し合ったが、陣地全周から強襲をかけられると、貴重な火力が分散させられてしまう。そして、敵側は当然、そのことを判っているだろう。
砲弾の消耗も想定以上であり、なおさら火力の分散は第十一連隊にとって不利に働く。
だからライガー大佐は、十七日払暁と共に、行動を起こすことにした。
レーヌス河を流れる雪解け水の冷たさが、エルフリードの足を襲っていた。
とはいえ、氷水ほどではないため、肌を刺すような痛みは覚えない。少なくとも全身ずぶ濡れにならなければ風邪をひくようなこともないだろうし、ましてや凍傷になることもないだろう。
彼女を含めた騎兵一個中隊約一三〇騎の後方から、遠雷のような砲声が響いてくる。
連隊直轄の、騎兵砲部隊だ。夜の内に陣地背面への配置転換を済ませたのだった。
レーヌス河右岸側で、弾着による爆発が連続する。
その間に、彼女たちの馬は短時間でレーヌス河右岸へと渡り切った。河に流された脱落者は一人もいない。
もちろん、エルフリードも器用に手綱を操り、冷たい河で馬を一切暴れさせることなく対岸へと渡り切っている。
まだ夜が完全に明け切っていない半分以上が濃紺の空。川面も、黒々としている。
中隊すべてが河を渡りきったことを中隊長が確認すると、ただちに突撃準備に移るための陣形形成を命ずる喇叭が吹かれた。
「接敵前進用意! 各隊縦列!」
右岸への渡河を終えた騎兵一個中隊は、その練度を示すように素早く隊列を整えた。
「竜騎兵前へ、速歩接敵前進始め!」
騎銃に着剣した竜騎兵隊を先頭に、騎兵部隊は前進を開始する。
エルフリードの位置は、隊列後方。
流石に王女を突撃の先頭に立たせるようなことはしない。しかし、彼女に与えられた任務は、ある意味では一番重要なものであった。
連隊指揮官であるライガー大佐は、部隊の士気高揚のためにあえて王女たるエルフリードを逆襲部隊に参加させていた。
己の技量ではなく王女という立場によって選抜されたことにエルフリードとしては反発を覚えないでもないが、士気高揚のために王女という称号が必要なのであればやむを得ないことと自分を納得させていた。少なくとも、ライガー大佐は自分を軍人として扱ってくれてはいる。
王宮の女官たちのように、自分を“王女”という記号でしか見ず、軍人であることに眉を顰める人間ではないことは、彼女にとってある意味でありがたかった。
地を叩く無数の蹄の音が鳴り響く。
後方からは、頼もしい騎兵砲の援護射撃。
レーヌス河上流に向かって、彼らは突進していく。
片手で騎銃を構えた竜騎兵。長槍を構える槍騎兵、抜刀した鋭剣を肩に当てている驃騎兵。
いずれも騎兵という兵科の持つ暴力性を表しているかのようだった。
彼らの突撃すべき目標は、すぐに見つかった。レナ高地の砲兵の射程外に渡された、船を並べた上に板を敷いた即席の橋。
いわゆる浮橋である。
歩兵第七十二連隊を撃破した北ブルグンディア軍が右岸への渡河を容易にするために渡したものだ。
すでに、レナ高地の砲兵観測所はレーヌス河上流での北ブルグンディア軍の動きを察知していた。多数の重装備が右岸に進出しては、レナ高地の防衛は厳しいものとなる。
ライガー大佐は騎兵部隊を以て逆襲を敢行、この橋を破壊することをエルフリードらに命じたのである。
観測所からは、橋付近で北ブルグンディア軍の輜重段列が渋滞を起こしていることを知らされていた。橋が簡素であるために、重装備の渡河に手間取っているのだろう。
あるいは、歩兵第七十二連隊を撃破した敵騎兵部隊への補給を優先しようとしていたのかもしれない。昨日の渡河突撃と追撃で、彼らの馬も相当に消耗しているはずである。
とにかくも、北ブルグンディア軍が物資の渡河に手間取っていることは間違いなかった。
その混乱に乗じて騎兵を突っ込ませるのである。
隊列先頭を進む中隊長が抜刀した鋭剣を高く掲げた。
「目標、敵輜重段列! 全軍、突撃せよ!」
刹那に湧き上がる歓声と蛮声。
それに押されるようにして、約一三〇騎の騎兵は突撃を開始した。蹄が地面を蹴り、地鳴りのような響きが起こる。
敵側は、そもそもレナ高地に拠る部隊が騎兵部隊であるとは知らなかったらしく、まったく無防備な側面を暴露していた。
北ブルグンディアの兵士は、驚愕と恐怖の叫びを上げていた。あちこちで将校が命令らしき声を発し、それを受けた兵士たちが慌てた様子で小銃の装填動作を行っている。
その間にも、レナ高地からの砲声が響く。その砲撃は眼前の北ブルグンディアの輜重部隊に向けられているのではなく、昨日の内に渡河を終えた敵騎兵部隊の野営地に向けられている。
輜重段列へと突撃する騎兵部隊が、敵騎兵に側面から襲撃されないようにしているのである。
輜重段列を護衛する敵兵の一部が発砲するが、効果はほとんどない。先頭を突撃する二騎が倒れただけである。
歩兵が騎兵突撃に対抗するには、方陣を組むのが一般的である。横に広がった歩兵など、騎兵の餌食にしかならない。
先頭を切って進む竜騎兵が発砲し、敵兵が倒される。そのまま着剣された騎銃を槍代わりにして、敵の隊列に斬り込んでいく。
こちらの蛮声と、敵の悲鳴が交錯する。
銃剣や長槍が敵兵を突き刺し、鋭剣が敵兵を斬り裂いていく。
「擲弾用意!」
前方の騎兵隊の突撃が成功するのを見て、エルフリードは鋭剣を高く掲げながら命令を発した。彼女に指揮を預けられた騎兵隊が、擲弾(後世でいうところの手榴弾)の起爆準備にかかる。
「目標、敵浮橋! 用意、てっ!」
小舟の上に板を渡した橋に、一斉に十数発の擲弾が投げつけられる。橋や河に落下した擲弾が、轟然と爆発を連続させた。
火柱と水柱が立ち上り、兵士や馬たちの悲鳴が早朝の川面に響き渡る。
今まさに渡りかけていた荷駄が爆発に驚いて暴れ出し、手綱を取っていた兵士ごと河に転落した。
簡素な造りの橋は、爆発の衝撃と水柱の威力によって簡単に流されていく。
「……」
エルフリードが周囲を確認すれば、先に突撃した騎兵部隊も敵歩兵を蹴散らした後、渡河を終えて集積されていたらしい物資に手当たり次第に火をかけて回っている。
やがて、喇叭の音で部隊の集合が命じられた。
戦闘時間はわずか三十分にも満たない。
逆襲を敢行した騎兵部隊の損害は、三名。
それに対して、北ブルグンディア軍は渡河のための橋を架け直す必要に迫られ、渡河し終えた物資の一部も失うこととなった。
エルフリードらは、敵の油断に助けられた側面があるにせよ、一方的な勝利を挙げたのである。
その意味では、機動戦になる余地の少ない陣地防衛戦に騎兵部隊をあてがうというのは、籠城に必要な物資の量を無意味に増やすことに繋がる。
また、砲撃によって狂乱する馬を鎮める苦労も負うことになる。
正直ライガー大佐は、夜間、馬に松明でも括り付けて敵陣地の方向に放ってやろうかとも考えたほどであった。ただ、騎兵にとって馬は己の半身ともいえる存在、将兵たちの士気を考えると、安易には採れない作戦である。
重装備の移動にも、馬は使える。騎兵第十一連隊は騎兵を基幹とする部隊であるが故に馬の比率が高いものの、軍全体で見ても人対馬の割合は四対一である。それだけ、軍というものは馬匹に輸送を頼っているのである。
それに、万が一の際、馬は脱出用に使える。
陣地に籠城するといっても、一ヶ月も二ヶ月も籠もるわけでもないのだ。
玉砕という意味でも、脱出や増援が到着するという意味でも、数日間の籠城である。
陣地背面が河に面しているというのも大きかった。少なくとも、水の確保には苦労しない。
ただし、十六日になって状況は変わった。
南翼を守っていた歩兵第七十二連隊が潰走し、レーヌス河右岸、つまり陣地背面に北ブルグンディア軍が侵入しつつあったのである。
昨夜、砲兵大隊を率いるマッケンジー少佐とも話し合ったが、陣地全周から強襲をかけられると、貴重な火力が分散させられてしまう。そして、敵側は当然、そのことを判っているだろう。
砲弾の消耗も想定以上であり、なおさら火力の分散は第十一連隊にとって不利に働く。
だからライガー大佐は、十七日払暁と共に、行動を起こすことにした。
レーヌス河を流れる雪解け水の冷たさが、エルフリードの足を襲っていた。
とはいえ、氷水ほどではないため、肌を刺すような痛みは覚えない。少なくとも全身ずぶ濡れにならなければ風邪をひくようなこともないだろうし、ましてや凍傷になることもないだろう。
彼女を含めた騎兵一個中隊約一三〇騎の後方から、遠雷のような砲声が響いてくる。
連隊直轄の、騎兵砲部隊だ。夜の内に陣地背面への配置転換を済ませたのだった。
レーヌス河右岸側で、弾着による爆発が連続する。
その間に、彼女たちの馬は短時間でレーヌス河右岸へと渡り切った。河に流された脱落者は一人もいない。
もちろん、エルフリードも器用に手綱を操り、冷たい河で馬を一切暴れさせることなく対岸へと渡り切っている。
まだ夜が完全に明け切っていない半分以上が濃紺の空。川面も、黒々としている。
中隊すべてが河を渡りきったことを中隊長が確認すると、ただちに突撃準備に移るための陣形形成を命ずる喇叭が吹かれた。
「接敵前進用意! 各隊縦列!」
右岸への渡河を終えた騎兵一個中隊は、その練度を示すように素早く隊列を整えた。
「竜騎兵前へ、速歩接敵前進始め!」
騎銃に着剣した竜騎兵隊を先頭に、騎兵部隊は前進を開始する。
エルフリードの位置は、隊列後方。
流石に王女を突撃の先頭に立たせるようなことはしない。しかし、彼女に与えられた任務は、ある意味では一番重要なものであった。
連隊指揮官であるライガー大佐は、部隊の士気高揚のためにあえて王女たるエルフリードを逆襲部隊に参加させていた。
己の技量ではなく王女という立場によって選抜されたことにエルフリードとしては反発を覚えないでもないが、士気高揚のために王女という称号が必要なのであればやむを得ないことと自分を納得させていた。少なくとも、ライガー大佐は自分を軍人として扱ってくれてはいる。
王宮の女官たちのように、自分を“王女”という記号でしか見ず、軍人であることに眉を顰める人間ではないことは、彼女にとってある意味でありがたかった。
地を叩く無数の蹄の音が鳴り響く。
後方からは、頼もしい騎兵砲の援護射撃。
レーヌス河上流に向かって、彼らは突進していく。
片手で騎銃を構えた竜騎兵。長槍を構える槍騎兵、抜刀した鋭剣を肩に当てている驃騎兵。
いずれも騎兵という兵科の持つ暴力性を表しているかのようだった。
彼らの突撃すべき目標は、すぐに見つかった。レナ高地の砲兵の射程外に渡された、船を並べた上に板を敷いた即席の橋。
いわゆる浮橋である。
歩兵第七十二連隊を撃破した北ブルグンディア軍が右岸への渡河を容易にするために渡したものだ。
すでに、レナ高地の砲兵観測所はレーヌス河上流での北ブルグンディア軍の動きを察知していた。多数の重装備が右岸に進出しては、レナ高地の防衛は厳しいものとなる。
ライガー大佐は騎兵部隊を以て逆襲を敢行、この橋を破壊することをエルフリードらに命じたのである。
観測所からは、橋付近で北ブルグンディア軍の輜重段列が渋滞を起こしていることを知らされていた。橋が簡素であるために、重装備の渡河に手間取っているのだろう。
あるいは、歩兵第七十二連隊を撃破した敵騎兵部隊への補給を優先しようとしていたのかもしれない。昨日の渡河突撃と追撃で、彼らの馬も相当に消耗しているはずである。
とにかくも、北ブルグンディア軍が物資の渡河に手間取っていることは間違いなかった。
その混乱に乗じて騎兵を突っ込ませるのである。
隊列先頭を進む中隊長が抜刀した鋭剣を高く掲げた。
「目標、敵輜重段列! 全軍、突撃せよ!」
刹那に湧き上がる歓声と蛮声。
それに押されるようにして、約一三〇騎の騎兵は突撃を開始した。蹄が地面を蹴り、地鳴りのような響きが起こる。
敵側は、そもそもレナ高地に拠る部隊が騎兵部隊であるとは知らなかったらしく、まったく無防備な側面を暴露していた。
北ブルグンディアの兵士は、驚愕と恐怖の叫びを上げていた。あちこちで将校が命令らしき声を発し、それを受けた兵士たちが慌てた様子で小銃の装填動作を行っている。
その間にも、レナ高地からの砲声が響く。その砲撃は眼前の北ブルグンディアの輜重部隊に向けられているのではなく、昨日の内に渡河を終えた敵騎兵部隊の野営地に向けられている。
輜重段列へと突撃する騎兵部隊が、敵騎兵に側面から襲撃されないようにしているのである。
輜重段列を護衛する敵兵の一部が発砲するが、効果はほとんどない。先頭を突撃する二騎が倒れただけである。
歩兵が騎兵突撃に対抗するには、方陣を組むのが一般的である。横に広がった歩兵など、騎兵の餌食にしかならない。
先頭を切って進む竜騎兵が発砲し、敵兵が倒される。そのまま着剣された騎銃を槍代わりにして、敵の隊列に斬り込んでいく。
こちらの蛮声と、敵の悲鳴が交錯する。
銃剣や長槍が敵兵を突き刺し、鋭剣が敵兵を斬り裂いていく。
「擲弾用意!」
前方の騎兵隊の突撃が成功するのを見て、エルフリードは鋭剣を高く掲げながら命令を発した。彼女に指揮を預けられた騎兵隊が、擲弾(後世でいうところの手榴弾)の起爆準備にかかる。
「目標、敵浮橋! 用意、てっ!」
小舟の上に板を渡した橋に、一斉に十数発の擲弾が投げつけられる。橋や河に落下した擲弾が、轟然と爆発を連続させた。
火柱と水柱が立ち上り、兵士や馬たちの悲鳴が早朝の川面に響き渡る。
今まさに渡りかけていた荷駄が爆発に驚いて暴れ出し、手綱を取っていた兵士ごと河に転落した。
簡素な造りの橋は、爆発の衝撃と水柱の威力によって簡単に流されていく。
「……」
エルフリードが周囲を確認すれば、先に突撃した騎兵部隊も敵歩兵を蹴散らした後、渡河を終えて集積されていたらしい物資に手当たり次第に火をかけて回っている。
やがて、喇叭の音で部隊の集合が命じられた。
戦闘時間はわずか三十分にも満たない。
逆襲を敢行した騎兵部隊の損害は、三名。
それに対して、北ブルグンディア軍は渡河のための橋を架け直す必要に迫られ、渡河し終えた物資の一部も失うこととなった。
エルフリードらは、敵の油断に助けられた側面があるにせよ、一方的な勝利を挙げたのである。
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