王女殿下の死神

三笠 陣

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過去編 王女殿下の初陣

5 宮廷魔導団

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 高地への強襲によって生じる損害を、北ブルグンディア軍がまったく気にしていなかったというわけではない。

「レナ高地への強襲で、第十一師団第二十一旅団は戦死傷者約二〇〇〇名を出しました。師団直轄砲兵も七門が破壊されております。また、これまでの戦闘で弾薬を消耗していたため、砲弾の残数にも余裕がありません」

 参謀長の報告に、北ブルグンディア軍第五軍司令官、ピエール・ド・ジョルジュ中将は渋面を浮かべた。

「敵の砲兵は制圧出来なかったのか?」

「そのようです。恐らく、上手くこちらの砲兵から遮蔽される位置に布陣していたのでしょう」

 ジョルジュは不快げな呻き声を上げた。
 彼の率いる北ブルグンディア陸軍第五軍は、三個師団約三万六〇〇〇名が与えられている。中央の統帥本部、そして国王リシャール五世から達せられた命令は、北ブルグンディアが領土と主張する地区の完全制圧および敵野戦軍の撃滅。
 この二つの事実を以て、レーヌス河湾曲部を北ブルグンディア領と認めさせることが、最終的な目標であった。

「第二十一旅団は事実上、戦闘力を喪失。第十一師団そのものも損耗率は三割に届きつつあります」

 軍事的原則に照らし合わせれば、部隊は損耗率三割を越えた辺りで攻撃力を失うとされる。その意味では、レナ高地への強襲だけで第十一師団は戦力を喪失してしまったことになる。

「第十一師団長に伝達。貴官は払暁と共にレナ高地の攻略を再開すべし。損害に関わらず攻撃を続行せよ。軍直轄砲兵隊を以てこれを支援す。以上だ」

「閣下」

 咎めるような口調で、参謀長がたしなめる。

「判っている」ジョルジュが苦痛に耐えるように言った。「北方の第十二師団から二個連隊を抽出させる。今夜中に配置転換を済ませるのだ」

「しかし、それではレーヌス河右岸のロンダリア軍への備えが薄くなります」

「すでに右岸の南部は第六騎兵師団によって占領されている。むしろ、連中は左岸からの攻撃だけでなく、南翼からの騎兵突撃にも警戒しなければならないはずだ。右岸のロンダリア軍が逆襲に出てくる可能性は低いだろう」

 ジョルジュは両軍の駒の置かれた地図を睨みつけるようにした。

「時間がないのだ。本国では停戦交渉が始まっている。交渉妥結前に、この地域を完全に制圧せねばならん」

 彼は指先で、苛立たしげにレナ高地を叩く。
 そもそも、ロンダリア連合王国から北ブルグンディア王国と呼ばれる国家は、自らをそう名乗ってはいない。
 かつてはブルグンディアという一つの王国であった彼らの祖国は、約八〇年前の王位継承戦争で南北に分裂し、互いに王朝の正統性を争っているのである。その北側の王朝を、周辺諸国は「北ブルグンディア王国」と呼称しているだけなのだ。
 そして、ロンダリア連合王国は内戦時代から王族同士の血縁関係のあった南側を支援していた。よって、北側の王朝の正統性を認めていない。
 つまり、北ブルグンディア王国とロンダリア連合王国は長年の仮想敵国であったのである。
 とはいえ、ロンダリア連合王国は北王国の正統性を認めていないものの、北ブルグンディアとの外交関係がまったくないかというと、そうでもない。
 国境を接する以上、外交問題が生じないとも限らないので(実際、規模の大小を問わず、何度か国境紛争は生じていた)、両国は互いに「通商代表部」という名称の外交団を派遣していた。実態としては外交機関であるのだが、建前としては民間機関であった。
 レーヌス河湾曲部で武力衝突が発生した後の四月十五日、まずはロンダリア側が王都ロンダールに存在する北ブルグンディア通商代表部を経由して、「ブルグンディア王国の北側を不法に支配する軍閥」による軍事行動に抗議する文書を手渡した。
 その後、五月十二日に北ブルグンディア陸軍第五軍が「国境回復攻勢」を開始すると、今度は北ブルグンディア側が「ロンダリアの侵略行為」に抗議する文書を手交する。
 その後、両国による外交交渉は停頓していたものの、戦況が北ブルグンディア側有利に進みつつあることから、北ブルグンディアはロンダリアに対して、北王国側の主張する国境線内からのロンダリア軍の退去を求める交渉を始めていた。
 交渉を有利に進めるためにも紛争地帯のロンダリア軍を撃破する必要があるし、もし現占領地域のまま停戦協定が結ばれようものならば、レーヌス河湾曲部の要衝ともいえるレナ高地にロンダリア軍が居座り続けることになってしまう。
 それ故、ジョルジュ中将は焦りを感じていたのである。

「参謀長、何かないか?」

「三つあります。一つは、このまま強襲を続けること。損害は大きくなるでしょうが、最終的には敵の消耗により高地を奪取出来るでしょう。二つ目は、古典的ではありますが、要塞の攻略法を援用して敵陣地まで並行壕を掘り進めます」

「却下だ。時間がかかり過ぎる」

「三つ目は、陛下が派遣された宮廷魔導団に助力を乞うこと。アルベール宮廷魔導師以下、宮廷魔導団を投入するのです。これまた古典的かもしれませんが、魔術師は魔力防壁を展開出来ると聞きます。それを破城槌代わりにして宮廷魔導団を敵陣に突入させるのです」

「……魔術師の魔力防壁は、砲弾の直撃にも耐えられるのか?」

「そこまでは判りませんが、やってみる価値はあるかと」

「いかんいかん」ジョルジュは首を振った。「彼らは陛下よりお預かりした貴重な魔術師だ。下手に消耗させるわけにはいかん。それに、魔術師の連中は妙に魔術というものを神聖視し過ぎておる。そのような連中が、破城槌代わりの任務に応ずるわけがあるまい」

 そもそも今回の戦闘に宮廷魔導団が派遣されたのは単なる箔付けが目的であるとジョルジュは見抜いていた。王室から厚い庇護を受けていながら、研究以外はさして活動していないように見える宮廷魔導団が批判を恐れて、国王リシャール五世に魔導師の派遣を進言したと聞いている。
 下手に彼らを消耗させては、自分の政治的立場が危うくなる恐れがあった。
 あくまで彼らは戦場におけるお飾り、抑止力程度の存在と思っておくべきだろう。

「翼竜は使えないか? 空から擲弾を投下して、歩兵部隊を援護させるのは?」

「これまでの攻勢作戦における偵察飛行などで、翼竜も竜兵もだいぶ消耗しているとのことです。現状、飛行可能な状態にあるのは一個中隊十二騎程度です。レナ高地に全騎を投入しては、右岸への偵察飛行に支障が出ます」

「うぅむ……」

 ジョルジュ中将は渋面のまま、しばらく地図を睨み付けていた。

  ◇◇◇

 レーヌス河における紛争地帯に派遣された北ブルグンディア王国宮廷魔導団の魔導官たちは、前線から下がった位置に存在する村に進出していた。
 村は現在、レーヌス河湾曲部での作戦行動中の部隊の兵站拠点の一つとなっている。
 その村長の家を接収し、北ブルグンディア王国宮廷魔導団の魔導官たちは拠点としていた。

「断乎、第五軍を支援すべきですわ!」

 国王リシャール五世直属の魔術機関である宮廷魔導団に属するオリヴィエ・ベルトラン宮廷魔導師は、いい加減、うんざりしつつあった。

「我が軍の兵士たちが前線で血を流しているというのに、我々がこのような場所で安穏としているなど、許しがたい怠慢です!」

 派遣された宮廷魔導師たちの中で、最強硬派は十六歳になる魔術師の少女、リリアーヌ・ド・ロタリンギア侯爵家令嬢であった。
 貴族令嬢らしく、赤みがかった茶色い髪を長く伸ばしている。
 ただ、装いは御伽噺の中の魔女を連想させるようなものではなく、どちらかといえば軍記物に出てくるような女騎士のような出で立ちであった。実際に帯剣している。
 彼女は連日、宮廷魔導団による第五軍への支援を説いていた。

「魔術とは、俗事のためにあるのではない」

 一方、リリアーヌの主張を小馬鹿にしたように否定するのは、エルネスト・フランソワ・ド・アルベール伯爵である。王家に仕える魔術師の中でも、彼は特に古い家系の出であった。
 金髪を後ろに撫で付けたオールバック、神経質そうな顔をした男性である。

「我々魔術師の役割は、魔術によってこの世の真理を解き明かすことにある。戦争などという下らん行為に、我々があえて手を貸す必要もあるまい」

 年齢は、アルベール四十二歳、ベルトラン二十八歳、リリアーヌ十六歳の順であり、この三名が中央から派遣された宮廷魔導師のすべてであった。
 ただ、三人の意見……正確にはアルベールとリリアーヌの意見だが……はまったく噛み合っていなかった。
 歴史ある魔導の家系に生まれたアルベールは、魔術を神聖視する伝統的な魔術観の持ち主であり、そもそも今回の派遣についてすら懐疑的な立場であった。
 一方のリリアーヌは魔術師としてよりも、貴族としての義務意識の方が強いらしく、従軍を強硬に主張している。
 宮廷魔導団には、十二名の勅任よって選ばれた魔導師(助手や弟子を含めれば人数はさらに増えるが)がいるが、彼ら三人が派遣要員として選ばれたのは攻撃系統の魔術に優れているという理由からであった。
 正直、ベルトランは宮廷魔導団としての“箔付け”程度の活動であれば、むしろ積極的に行うべきであると思っている。それが、今回の派遣の政治的目的であるからだ。
 敵の魔導通信の妨害、光学系魔術を利用した陣地の偽装など、直接、敵軍と戦わずとも出来ることはある。
 ただし、アルベールはそれすら魔術師としての伝統に悖り、魔術に対する冒涜であると主張し、一方のリリアーヌはもっと直接的な援護を主張していた。
 ベルトランはそれほど長い歴史を持つ魔術師の家系の生まれではない。また、八十年前の内戦で北側についた祖父が一代限りの貴族(つまり、準貴族)である騎士侯に叙されているが、貴族としての誇りを持っているわけでもない。
 だからこそ、彼にとってみればアルベールの主張もリリアーヌの主張も、極論に傾きすぎているような気がしてならないのだ。自分たちがこの地に派遣された政治的理由を無視して、ただ己の矜持を満足させることに汲々としているように見えて仕方がない。

「お二人の意見は判ります」

 何故、自分がこのような苦労を背負わねばならないのだろうか、と深刻な疑問を抱きながら、ベルトランは言った。

「ただ、後方で我々があれこれ論じていても始まりませんし、何より我々は軍事の専門家ではありません。ここは第五軍司令部への連絡役と観戦武官的な役割を込めて、誰か一名を前線に派遣すべきでしょう」

「ではその役目、わたくしが承りましたわ」

 まあ、そう言うだろうなとベルトランは思った。というよりも、そう言い出すよう誘導したともいえる。

「アルベール殿はそれでよろしいでしょうか?」

「……魔導通信で、逐一状況を報告し、勝手な行動を取らないのであれば」

 金髪の魔術師は、不承不承といった口調で同意した。流石の彼も、紛争が終結するまでこの場に留まっていることは政治的に拙いと理解しているのだろう。

「判っておりますわ」釘を刺されたことが不満そうな口調で、リリアーヌが言った。「私も、軍の要請なく戦闘に介入することはいたしません。軍には軍の面子があるでしょうし、なによりも宮廷魔導師とはいえ、軍への介入は陛下の統帥権の干犯でもありますわ」

 貴族の生まれだけあって、そうした政治的配慮は理解しているようであった。わざわざ自分が言い含める必要はなかったか、とベルトランは安堵した。
 こうして北ブルグンディア王国宮廷魔導団は、リリアーヌ・ド・ロタリンギアをレーヌス河紛争地帯に視察のため派遣することに決定した。
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