王女殿下の死神

三笠 陣

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過去編 王女殿下の初陣

4 レナ高地の夜

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 五月十六日は、日没までにさらに二度、強襲があった。しかし最初の強襲と違い、北ブルグンディア軍は砲兵の支援もなく白兵突撃を行ったため、防御陣地からの砲火の前にあえなく撃退されていた。
 第一次強襲の際に、こちらの砲兵隊が敵砲兵部隊に何らかの打撃を与えたのか、単なる弾薬不足か、それとも砲兵の援護は必要ないと判断されたのかは判らない。
 しかしともかくも、騎兵第十一連隊はレナ高地を守り切ったまま夜を迎えることが出来たのだ。
 現在、将兵たちは総出で陣地の修復と強化に取りかかっている。

「兵士の戦死は六十八、将校は三名戦死、負傷は重軽傷合わせて二五三、騎兵砲二門破壊、馬の方はまあ、この際数える必要もないだろう。あれだけの強襲を受けてきた割りには、少ない損害と喜ぶべきか……」

 連隊指揮所となっている掩体壕の中で、角灯カンテラの明かりに照らされた地図を眺めながらライガー大佐は呟いた。

「この調子であれば、連隊が壊滅するまでまだ数日の猶予がありますな」

「嫌なことを言ってくれるな、マッケンジー少佐。砲弾の残数は大丈夫なのか?」

「今日だけで、備蓄分の三分の一を消費しました。単純計算、あと二日は持ちますよ」

「三分の一……」

 その数字に、ライガーはしばし絶句する。
 右岸との連絡線が断たれるまで、連隊は細々ではあったが補給を受けていた。当然、弾薬も相応の量を備蓄して陣地に依っていたのである。
 それが、わずか一日で三分の一を消費してしまうとは。

「有効な防御射撃をするためには、砲弾は惜しんでいられませんからな」

「新型砲の発射速度の速さにも、弾薬消費の一因があるだろう」

「まあ、その戦訓分析は無事に帰還してからということで」

「それもそうか」ライガーは頷いた。「我々が考えねばならん問題は、西部方面軍司令部と連絡が途絶していることと、右岸に展開し出した敵部隊だ」

 騎兵第十一連隊にも、通信のための魔導兵は配属されている。だが、今は疲労によって使い物にならなくなっていた。
そもそも、軍に入隊してくる魔術師というのは、王室魔導院などで純粋に魔術師として栄達することが難しい生まれつき魔力量の少ない者か、魔術師としては傍流の家系に生まれた者のどちらかであることが多い。
 つまり、魔術師として真に優秀な人材は、ほとんど軍には流れてこないのだ。まれに、王室魔導院での派閥抗争に敗れた者などが、技術顧問として軍に雇われることはあるが、純粋な軍人としての魔術師の数は少ない。
 その数少ない魔術師、つまりは魔導兵を、軍は通信兵として使っている。水晶球を用いた遠距離通信は魔術師たちが古来より行ってきたことであり、これは電信技術が確立されるまで最も速い通信手段であった。
 だが、魔力を消耗すれば通信は不可能となってしまう。
 そのため、現在、連隊は西部方面軍司令部との通信手段を失ってしまったのだ。やむを得ず連絡員を派遣しようとしたのだが、右岸にまで北ブルグンディア軍が進出してきたため、途中で引き返さざるをえなくなっていた。
 そして、その右岸に進出した敵部隊が問題であった。
 今日の昼間、敵の強襲を撃退出来たのは、部隊の火力を陣地前面に集中させることが出来たからである。少なくとも、ライガーはそう判断している。
 しかし、陣地が全包囲される状況になれば、火力は分散させざるを得ない。
 つまり、明日以降は今日よりも厳しい戦いが待っているのだ。

「増援を求める通信は出しているので、西部方面軍が何らかの対応をしていると信じたいが……」

「こう考えると、あの姫様を帰さなかったのは正解かもしれませんな」

「確かにな。流石に、王族の所属する部隊を見捨てることは出来まいて」

 二人は互いに皮肉な笑みを交わし合った。
 ある意味で、エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオルという少女は連隊が生き残るための不可欠の要素になっているのだ。

「で、例のお姫さんは何をやっているんだ?」

「ああ、彼女は大したものですよ。暇さえあれば陣地を見回って、兵卒一人一人に声をかけておりましたからな」

「ああ、それは」

 ライガーは十四歳の新米少尉に感心を覚えた。
 防御戦というものは、一般的に士気が低下しやすい。特に見通しの悪い塹壕に籠もっていると、兵士たちは孤独感に苛まれて、時には自棄やけになって突撃をしようとする者まで現れる。
 ライガー大佐の指揮の下に築かれたレナ高地陣地は、後世の視点から見てもこの時代の野戦築城の傑作に分類されるものであったが、兵士たちが弾雨の中で常に理性的に振る舞えるわけではない。
 だからこそ、将校による指揮統率は欠かせない。声をかけて回るのも、将兵の間の心理的距離を縮め、指揮統率を容易にするための一つの手段であった。
 かの王女は、それを直感的に判っていたのかもしれない。あるいは、士官学校の教官がよほど良かったのか。

「まあ、とにかく今夜は警戒しつつ、兵士どもに十分な休息を取らせることにしよう。恐らく、明日は今日よりも厳しい戦いとなるだろうからな」

  ◇◇◇

 エルフリードは夜間の見張り当直将校として、陣地内の観測拠点に立っていた。
 腰には、二振りの鋭剣サーベルを差している。すでに彼女が本来持っていた鋭剣は、血と脂と刃こぼれで使い物にならなくなっていた。今、彼女の手にあるのは、敵の将校の死体から回収したものだ。相手は銃撃の中で斃れたので、その刃は新品同様である。
 塹壕戦であるにも関わらず、エルフリードは自身が鋭剣を持つことに拘っていた。自身の剣術の腕に自信があることもそうだが、将校はすべからく帯剣すべしという古典的考えが強く彼女の中にあるのだ。
 自身が女性であり、他の将校と比べて背格好が子供同然であることを自覚している彼女は、そうすることによって将校としての威厳を得ようとしていた。幼稚といえば、幼稚な考えであった。
 エルフリードは月明かりに照らされたレーヌス河左岸を見下ろしながら、軍服の胸元を握り込んだ。
 硬い感触が、そこにはあった。
 将兵たちが少なからず持っているだろうお守りの類を、彼女もやはり身に付けていた。しかし、普通のお守りと決定的に違うのは、それが魔力を宿しているということだろう。
 自動で魔術防壁を発動するこのお守りは、砲撃の爆風から彼女を守り続けていた。

「まったく、こんなものに縋らねばならぬとは」

 小さく、自嘲気味に呟く。存外、疲労の中で気弱になっていたのかもしれない。
 レナ高地陣地前面には、放置されたままの北ブルグンディア軍将兵の死体が転がっている。塹壕内に入り込んだ敵兵の死体はすでに友軍の遺体と共に回収されているが、あの場の死体は両軍ともに回収する余裕がないのだ。
 自分は、あの中の一つになるつもりはまったくない。その思いと共に、エルフリードはもう一度お守りを強く握り込んだ。
 今日の強襲で、北ブルグンディア軍の将兵はロンダリア軍の砲兵と斉発砲によって陣地に辿り着く前に多数が倒れた。
 ライガー大佐の功績ではあるのだが、入念に構築され火力も充実した陣地への白兵突撃の代償がいかに高くつくかの好例であろう。
 もっとも、そう思っているのは自分を始めとするロンダリア側だけかもしれない。なにしろ、ロンダリアが野戦築城に重きを置き、いたずらな白兵突撃主義を戒める戦術教範を採っているのは、過去、自国の経験した戦争によるものだ。
 多くの国では、未だ白兵突撃こそが戦場で雌雄を決する唯一の手段であるとしている。いや、その考えはロンダリア軍内部でも厳然として存在している。ただ、他国よりも火力というものの価値を理解しているに過ぎないのだ。
 そう考えれば、いくら包囲下にあるとはいえ、自分がロンダリア側の軍人であることを幸運に思うべきかもしれなかった。
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