王女殿下の死神

三笠 陣

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過去編 王女殿下の初陣

3 攻勢準備

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 部屋の中、通信用水晶を並べた卓上の前に、複数の魔導兵が座っていた。

「北ブルグンディア軍、レーヌス河湾曲部での攻勢を開始した模様。南翼の歩兵第七十二連隊は強行渡河を敢行せる敵騎兵部隊により壊滅。騎兵第十一連隊との連絡路は遮断されつつあり」

 当直の魔導将校が報告する。

「ご苦労」

 エリオット・ライアン少佐は報告を受け取ると、そのまま隣接する司令部作戦室へと駆けた。

「大佐殿、北王国軍がレーヌス河湾曲部での攻勢を開始した模様です。南翼の守備隊が崩れ、レナ高地との連絡路も遮断されつつあるとのことです」

「ふむ」

 机の上に広げられた地図をのぞき込んでいるアラン・オークウッド大佐はそう頷いただけであった。
 地図の上には敵味方を表す赤と青の色違いの駒が置かれていた。
 レーヌス河湾曲部において、色違いの駒が対峙している。そのなかで唯一、左岸に突出している赤い駒があった。ロンダリア連合王国陸軍騎兵第一旅団第十一連隊を示す駒である。
 オークウッドは青い駒を動かし、突出している赤い駒を包囲した。これで、第十一連隊に続くか細い連絡路、補給路は完全に断たれたことになる。

「ライガー大佐には、今しばらく奮戦してもらう必要があるな」

 何の感情もない、ただ現象を眺めているような冷厳とした声でオークウッドは言った。

「再度の死守命令を出しますか?」

 ライアンが問う。

「不要だ。ライガー大佐は無能ではない。三、四日は耐えられるだろう」厳しい教師が生徒を評価するような口調だった。「それで、出撃準備の方は?」

「部隊の再配置、前進準備は五月二十日までには完了いたします」

「ご苦労」

 オークウッドは相変わらず、地図を眺めたままだった。ライアン少佐が彼に近づき、同様に地図をのぞき込んだ。
 レーヌス河左岸突出部、つまりレナ高地だけに焦点を当てれば、確かにロンダリア軍は包囲されているだろう。しかし、レーヌス河湾曲部全体を俯瞰してみると、そこには湾曲部に沿って北ブルグンディア軍が突出部を形成している構図が見えるのだ。

「どう見る?」

 相変わらずの口調で、オークウッドは傍らの影に話しかけた。
 ライアンから見れば、作戦司令部に場違いな人物が混じっているとしか思えない。長身痩躯の、陸軍の頭脳、作戦課の至宝とまで賞賛される大佐の隣に立っているのは、黒ずくめの衣服に身を包んだ小柄な少年だったからだ。
 大外套のフードを目深にかぶっているため、ほとんど影法師のようだった。

「あんたらが、包囲殲滅戦をやりたがっているってことが判る」

 興味がなさそうな、どこか投げやりに響くリュシアンの声。ただし、言っていることは軍事的常識に適った見解であった。
 突出部の根元を両翼から攻撃し、これを包囲する。教科書的戦術ではあるが、変に策を凝らすよりもよほどよい。作戦は単純明快である方が、現地部隊の過誤を少なく出来る。
 現在、西部方面軍の指揮権を掌握したオークウッドとライアンは、王室陸軍の中でも精鋭の誉れ高い第二、第四師団の二個師団、それに騎兵第三旅団、独立混成第一旅団(騎兵連隊が基幹戦力)の四個部隊を以て国境地帯の奪還作戦を行おうとしていた。
 どの部隊も西部方面軍隷下の部隊であり、チェスタートン大将らがすでにこれら部隊を用いての反攻作戦を計画中であったため、その戦力を流用したのである。
 まず、精鋭二個師団を以てレーヌス河突出部の北ブルグンディア軍を拘束する。そして、騎兵部隊を利用して敵軍の両翼を突破、両翼包囲によってレーヌス河湾曲部に突出した北ブルグンディア軍を包囲殲滅というのが作戦計画の骨子であった。
 ただし、部隊の移動や配置転換などの欺瞞工作・偽装工作を行わなければ、作戦の成功は望めない。両翼からの騎兵部隊の迅速な機動が包囲が成功するか否かを決するため、事前に防御陣地を築かれるなどされてしまえば計画は水泡に帰す。

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「それで大佐、俺の役割は?」

 リュシアンは、少しだけ急かすような調子で言った。

「予定通り」と、オークウッド。「貴殿には明日払暁、翼竜を使ってレナ高地に飛んでもらい、高地への増援となる歩兵第七十五連隊の針路を啓開してもらう。それによって戦闘の焦点がレナ高地にあるのだという敵の判断を誘う」

 敵に自軍の意図を暴露しないため、ロンダリア軍があくまでもレナ高地の維持と戦力増強に拘っていると誤認させる。その役目を、オークウッドはたった一人の少年にやらせようとしているのだ。
 事情を知らなければ、まったく狂気の沙汰としか思えない。

「河のこっち側に来て、高地の背面を突こうとする奴らがいたら、吹き飛ばしても構わない?」

 そして少年の方も、正気を疑うような発言をしてくる。将来を嘱望されている青年将校のライアンにとって、頭痛のしてくる会話だった。
 そして、この魔術師の少年の言っていることが軍事的常識に適っていることも、頭痛を酷くする原因だった。
 現在、第七十二歩兵連隊の潰走によってレーヌス河右岸に北ブルグンディア軍騎兵が侵入、レナ高地の背面を扼しつつあるのだ。それを阻止することは、軍事的に見て間違った判断ではない。問題は、それを一人の少年が請け負おうとしていることなのだ。

「構わんよ。そのためにこそ、貴官はここにいるのだから」

 そして、オークウッド大佐はリュシアンの言葉にあっさりと同意を返した。
 いったいいつから、栄えあるロンダリア連合王国陸軍は子供に戦争を任せるようになってしまったのだろうか?
 子供に頼らなければ戦争も出来ないほど、我が王国は落ちぶれていないはずだ。
 拭い難い嫌悪感と違和感を、ライアンは覚えた。
 これに比べれば、孤軍奮闘を続けるレナ高地の第十一連隊に配属されているエルフリード王女殿下の存在の方がまだ理解出来る。
 女性が戦場に出ることに違和感を覚えないでもないが、貴族の家において唯一の後継者が女性の場合、これまでにも女性が軍務に服した歴史は存在している。
 エルフリード王女の場合は国王の直系の娘とはいえ、上に兄がいるのでそうした例にはならないだろうが、本人の強い意思で士官学校への入学を希望したという。だから、王族としての義務を果たすべく軍務に服しているのだと考えれば理解しやすかった。
 なにしろ、ライアン自身も小さな領地を持つ男爵家の息子なのだ。
 しかし、目の前のこの少年、魔導貴族エスタークス伯爵家の当主だというこのリュシアン・エスタークスという少年は、ライアンの理解の範疇を完全に逸脱していた。
 妙に達観した態度、世の中への興味を失ってしまったかのような目、茫洋として響く感情を置き忘れたかのような声。
 魔術師という人種を、ライアンは何人も知っている。高位の魔術師は王室魔導院が独占しているとはいえ、先ほどの通信を担当している将兵のように、軍にも多数の魔術師が所属しているのだ。
 だが、その誰ともこの少年は似つかない。
 魔術の才能がある程度先天的な魔力量に左右される以上、早熟な魔術師というものは出てくる。しかし、この少年の態度は早熟とは違う何かだ。

「ああ、大佐」思い出したかのように、少年が言った。「王室機密情報局から、北王国が宮廷魔導団をこの付近に派遣したらしい、って情報が俺のところに届いたけど、どうする?」

「どうする、とは?」

 流石のオークウッドも、言葉を省略しすぎた少年の意図が判らなかったようだ。

「下手をすると対抗魔術戦になるだろうから、俺のところに来ると思うけど、万が一主力部隊の方に向かった場合、俺は予定通りレナ高地にいればいい? それとも、主力を援護した方がいい?」

「その場合は、主力の援護に回れ。生憎と、敵の高位魔術師に対抗出来るのは、貴官くらいしかいないのでな」

「了解」

 やはり無感動な調子で少年は応じた。

「増援となる歩兵第七十五連隊は今夜中にも出発する」オークウッドは言う。「同連隊の到着まで貴官は第十一連隊と共に出来る限り敵部隊を拘束し、可能であればこれの漸減に努めてもらいたい」

「了解。出来るだけ、あんたらが楽出来るようにしておくよ」

 大量殺人を予告しながら、少年は眉一つ動かさなかった。その精神性を、ライアンは疑わざるをえない。
 高位の魔術師でもごく一部しか使えないという、広域破壊魔法。一度に大魔力を消費するため、またあまりに破壊力が強大なため、魔術師の間で禁術に近い扱いを受けている魔術。
 それを使用出来る数少ない魔術師が、目の前の少年なのだ。
 しかし、使用出来ることと、実際に使用することには天と地ほどの差がある。

「我々も軍人としての本分を果たす。貴殿も貴族であるならば国家への義務を果たせ、リュシアン・エスタークス勅任魔導官」

 冷徹さと厳格さを感じさせる口調で、オークウッドは言った。
 勅任魔導官。
 ロンダリア連合王国最高位の魔導官に与えられる称号。現在、五人いる称号保持者の内一人が、このリュシアン・エスタークスなのだ。
 彼はオークウッドの言葉に欠片ほどの感銘も見せず、軽く片手を挙げると、大外套の裾を翻して作戦司令部となっている部屋を出ていってしまった。
 勅任魔導官の称号は、連合王国最高位の魔術師であると共に国王の信任の証だ。
 そのことに、ライアンは背筋の寒くなる思いだった。
 勅任魔導官とは人格、魔術共に優れた魔導官に与えられるべき称号であって、断じて兵器として完成された子供に与えるべき玩具おもちゃなどではない。
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