王女殿下の死神

三笠 陣

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本編 王女殿下の死神

4 王都に蠢く者たち

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 夕暮れ時、船が頻繁に行き交い王都の繁栄を窺わせる運河や港湾も、徐々に夜の訪れを待ちわびるかのようにその喧騒を薄れさせていく。
 やがて夜になれば、港湾労働者や船員たちが思い思いの酒場へと繰り出していくことだろう。
 そうした男たちによる騒々しさもまた、海洋進出を進めるロンダリア連合王国の現在を表す一つの象徴となっていた。
 もちろん、酒場の店員たちは夜になれば訪れるであろう客を逃すまいと、準備に余念がない。
 そうして、徐々に下級労働者たちの集う繁華街を中心に、王都にガス灯の明かりが広がっていく。
 そんな夕暮れ時の王都を、影が長くなっていく街を、その暗闇の中に隠れるようにして一人の若い女性が歩いていた。
 第三運河に面した埠頭の外れに、一軒の寂れた輸出業者の倉庫兼事務所があった。すでに今日の取引は終了しているのか、建物は妙に静かだった。
 女性は倉庫正面の潜り戸を開け、中へと入る。
 倉庫には梱包の木箱や荷物が積み上げられ、雑然とした印象を入ってきた者に与える。そうした配置の所為で、倉庫全体がどうなっているのかがよく見えなかった。
 そして、あえてこうした積み上げ方をしているのだと、女性には判っていた。
 高く積み上げられた木箱の所為で薄暗い倉庫内を、女性は木箱と木箱の合間を縫うようにして奥へと進む。
 そこには、カンテラの明かりを頼りに木箱を机代わりにして帳簿を書き込んでいる従業員の男がいた。男が、入ってきた女性にちらりと一瞥をくれる。

「……ああ、あんた。来たのか」

「所長さんは上かな?」

 女性が問う。

「ああ、そうだ」

「ちょっと、お邪魔するよ」

 そう言って女性は、勝手知ったるとばかりに、倉庫二階部分にある事務所に通じる階段を上っていく。
 事務所にもすでに明かりが灯されており、中に数名の男たちが詰めていた。

「ああ、突然呼び出して済まなかったね」

 その中でも一番奥の所長机に座っていた男性が、入ってきた女性に声をかける。冴えない商人といった恰好の男性で、これといって目を引くような人物ではなかった。小さな商店の主人であるならば、王都には港湾部も含めて同種の人間が数多くいる。そうした者たちに埋没してしまいそうな人物が所長であった。

「本当だよ。結構、王都内の監視態勢が厳しくなっている。何だか得体の知れない連中がそこら中をうろついているよ」

「恐らく、君の国の諜報機関の人間たちだろうな。外国の要人が訪れているのだ。テロに対する警戒態勢を強化するのは当然だろう。それはそうと、君の友人たちの様子はどうかね?」

「まあ、議論百出ってところだね。機材や武器を隠していた拠点が発見されて、右往左往しているよ。下部構成員たちの中には、そのまま王都から逃亡しようとする連中もいるみたい。私たち幹部陣も、報復に出るか態勢立て直しのために王都を脱出するかで揉めてる」

「だろうな。君の幻影魔術が破られたのだ。そうした魔術的工作を君に頼り切っていた組織の者たちからすれば、当然の反応だろうな」

「何とも反革命的な醜態だよ」

 そう言って女性は肩をすくめたが、少なくとも会話の内容は貿易商の店主と来客のそれではなかった。

「君ならばそう言うと思った。どうだね、今夜、一つ仕事をこなしてみないか?」

「まあ、私が興味をそそられれば」

「ああ、その点は問題ない」

 所長の男性は部下と思しき二十代後半の男性に目配せをすると、その男は女性に資料を渡した。一瞬、それはただの帳簿に見えたが、女性が紙に魔力を流すと、内容がまったく変わってしまった。
 それは今夜、南ブルグンディア宰相を招いて迎賓館で行われる夜会の、警備計画書の写しであった。

「へえ、面白そうだね」

 女性の目が、周りの人間にも判りやすいほどに輝き出す。間違いなく、興味を抱いた証であった。

「すると、あなたたちはあれかな? 警備厳重な迎賓館の中で、暗殺事件とか何かが起こることを夢見ているのかな?」

「君たち活動家にとっても、内閣の構成員を一気に殲滅する好機だろう?」

「そしてあなたたちは、ロンダリアと南ブルグンディアの友好関係に罅を入れることが可能、と?」

「素晴らしき利害の一致だと思うがね」

 所長の男は、ゆったりと手を組んで椅子の背にもたれかかった。女性の出方を待っているのだ。
 一方、資料を受け取った女性は、それをぱらぱらとめくっている。

「案外、魔術師に対しては穴のある警備態勢だね。ああ、リュシアン・エスタークスが夜会に参加するのか」

「そう、“黒の死神”がエルフリード王女と共に夜会に参加することになった。恐らく、魔術的警備に不安を抱いたモンフォート外相の差し金だろう」

「一番政治的効果が高い目標は王女だろうけど……」そこで、女性は少し考える仕草をする。「まあ、上手くいけば参加者の大半を吹っ飛ばすことも出来そうだよ。成功すれば、っていう条件付きだけど」

「“黒の死神”と遭遇する可能性は考えているのかね?」

「そりゃ、当然」あっけらかんとした口調で、女性は言う。「私はこういうことをやっている在野の魔術師だからね」

 ひらひらと、彼女は警備計画書を振る。

「魔術師殺しを得意とする魔術師の存在は、前から噂になっているよ。この機会に、ちょっと会ってみるのも面白いかもね」

 女魔術師は、妙に明るい口調でそう言った。
 そこには、これから起こすテロに対する後ろめたさもなければ、魔術師殺しに対する恐れもなかった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 ガス灯の明かりに照らされた道を、馬車が進んでいく。

「一日に二度もパーティーに出席して、疲れない?」

 心配しているのかそうでないのか、定かならぬ平坦な口調でエルフリードの正面に座るリュシアンが問うた。
 ただ、口に出すということは心配しているのだろうとエルフリードは理解していた。

「ふん、ドレスを着なくて済むだけ、今夜の夜会の方が楽だ。気にするな」

 今、彼女がまとっているのは陸軍騎兵科将校の軍服である。黒を基調として、そこに映えるような銀の刺繍がなされた上着の裾が長い軍服。
 軍服は兵科ごとに違いがあるが、兵科の中でも花形ともいえる騎兵科の軍服は見栄えも重視された意匠になっていた。

「しかし、やはり私は軍服の方が落ち着く」

 と、エルフリードは実に少女らしくない台詞を放った。
 軍服を着た彼女は、凜々しい少年といった印象を受けた。長い髪すら、エルフリードの凜とした雰囲気に彩りを添えているかのようであった。
 軍人にとっての正装は、軍服である。特に正式な場では勲章などの佩用が義務づけられている。
 そのため、エルフリードの襟元や胸元には、これまで彼女が得てきた勲章が下げられている。王族である彼女の勲章は多くが権威付けのために儀礼的に与えられたものが多いが、殊功勲章、武功十字章だけは自らの力で勝ち取ったとしてエルフリードの自慢となっていた。
 この二つは、実際に戦地で戦った者にしか与えられることがないからである。
 これらはおよそ一年前、北ブルグンディアとの国境紛争の際に彼女が得たものであった。士官学校を卒業したエルフリードは、一時期、国境守備を任される最前線部隊に配属されていたのだ。
 本来であれば、王族軍人の経歴の箔付け程度の配置であったのであろうが、彼女にとって幸か不幸か配属期間中に国境紛争が勃発。そのままエルフリードは後送されることを拒否し、一少尉として国境紛争の全期間を通して最前線に居続けた。
 恐らく、リュシアンという存在がいなければ、エルフリードの最前線勤務希望は却下されたであろう。参謀本部としては、魔術師としてのリュシアンの力を戦争に使うために、あえてエルフリードを前線に留めておきたかったという思惑もあったのである。

「それにしても、お前は相変わらずの恰好だな」

 エルフリードは正面のリュシアンの頭からつま先までをじっと眺める。
 昼間と同じように、リュシアンは漆黒のフード付き大外套で体をすっぽりと覆っていた。その下に着ている上下も黒で統一されているのだから、徹底している。まるで彼自身が、死神であることを望んでいるかのような装いだった。
 あるいはそうすることで周囲を牽制し、エルフリードを守ろうとしているのかもしれないが。

「別に、俺は夜会に参加したいわけじゃないからね」

「お前、そういう場が苦手なところだけは昔から変わっていないな」

「どうにもああいうところは嫌なんだ」

 最初にリュシアンとエルフリードが出逢った時も、多くの人々が集まった宮中晩餐会の席上であった。

「うむ、私もそうだな。どうにも、張り付いたような笑みを浮かべて腹の探り合いをする社交の場は好きになれん。私は物心ついた時から出席させられていた故、勝手に慣れてしまったが……」

「俺は君と出逢った時が初めてだったからね。父は研究熱心だけど、そういう場に興味のない人間だったから」

 すでにこの世にいない親のことを、何でもないことのように語るリュシアン。彼にとって、父親とはその程度の存在になってしまったのだ。
 エルフリードは父親が存命であるが、国王という地位が先にきてしまい、いまいち父親という実感が希薄である。だから、リュシアンの発言にも何かを言うことはなかった。

「それで、私が夜会に出席することで、共和主義者たちは動くと思うか?」

「ファーガソンが言う通り、五分五分」リュシアンはいつも通りの茫洋とした口調で答えた。「少なくとも、俺なら逆に、君が出席すると判った時点で襲撃なんて諦める。勅任魔導官が護衛する王族への襲撃が成功する確率なんて低いしね」

 リュシアンは自己を過信しているわけではない。単に、理論的に状況判断をしているだけである。

「相手にも魔術師がいるなら、特にそう。だから仕掛けるならもっと、別の方法をとってくる」

「例えば?」

「俺が得意なのは火炎魔術で、その視点から昨夜の拠点で発見された爆薬を使ったテロを考えるなら、無差別爆弾テロかな? 一番厄介なのは、計画性のあるテロじゃなくて、突発的なテロだからね」

「だが、無差別テロをしては、共和主義者どもは奴らが支持母体だと思っている平民階級からの支持を失いかねんぞ」

「頭の良い人間は馬鹿のことが理解出来ない。そういうことだよ」

 辛辣な台詞すら、抑揚に乏しい口調で言ってしまうのがリュシアンである。
 つまりこの魔術師は、過激派は理論的な行動よりも自分たちの主義主張に沿った行動を優先する、と言いたいのだ。

「合理主義者の陥る蹉跌、という奴だな」

 エルフリードは頷いた。
 合理主義者は、相手も同じく合理的に動くだろうと予測して計画を立てる。だが、現実には国家や軍隊ですら、非合理的な選択をすることもある。テロ組織ならばなおさら、ということだろう。
 陸軍大学校での参謀教育でも習ったことであった。

「まあ、どんな状況になっても俺はエルを守る。それだけは、絶対だから」

 やはり茫洋と響く淡白な調子で、衒いなくリュシアンは言った。それは彼にとって、絶対の真理なのである。

「合理性の中の非合理性、か……」

 ある意味では、リュシアンのその思考も彼の中の非合理性が導き出したものなのかもしれない。

「……私もお前も、何とも度し難い人間だな」

「今更だね」

 皮肉に唇を歪めたエルフリードに対し、リュシアンは何を当然のことをとばかりの口調で返すのであった。
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