あなたを愛する心は珠の中

れもんぴーる

文字の大きさ
上 下
2 / 32

領地へ

しおりを挟む
 陽がとっぷり暮れた頃に、クライヴとリラの父であるチャールズ・アリエスは屋敷に戻ってきた。
 何やら憑き物が取れたようにチャールズは穏やかな笑みを浮かべていた。

 リラはふたりが何を話したのか少し気になったものの、男同士の会話を尋ねるなど不躾だろうと思い尋ねることはなかった。



 晩餐後。
 リラとクライヴはチャールズの執務室に案内された。
 要件はもちろん、チャールズが婚約証書に署名するためであった。

 チャールズは執務机の正面のソファに座るようにふたりを促した。

「リラ、クライヴ様と一緒にいて幸せかい。」

 チャールズは、真剣に真っ直ぐな瞳でリラに尋ねた。
 おそらくこれはリラへの最後の確認なのだろう。

 この婚約証書にチャールズがサインすれば、後戻りはできず、クライヴとの婚約そして結婚はより約束されたものになる。

「はい、お父様。クライヴ様といて、とても幸せです。」

 リラは緊張しながらも、真っ直ぐ瞳でチャールズにそう答えた。
 リラに迷いはなかった。

 誰かといて、これほどまでに心が動かされることなど初めてだった。
 おそらくこれからもクライヴ以外の人間にこれほど心を動かされることはないだろう。
 リラは素直にそう思えたのだった。

「そうか。リラ、幸せになってくれ。忙しいとは思うが、我が家にも領地にもいつでも遊びにきて構わないからな。」

 チャールズは立ち上がり、執務机に向かうとササッと机に置かれた羽ペンで二枚の婚約証書に自身の名前を記し、横に家紋の捺印を行うと一枚をクライヴに手渡した。

「クライヴ様、大変お待たせいたしました。こちらでよろしいでしょうか。」

「ありがとうございます。義父上《ちちうえ》。」

 『義父上』その言葉を受けチャールズは照れくさそうに優しく微笑んだ。

「こちらこそ、義息子《むすこ》になってくださってありがとうございます。」



 翌朝。
 ふたりは街の外れの墓地を訪れた。
 これからの門出を母に報告ためだった。

「クライヴ様、わざわざこちらにお越しいただきましてありがとうございます。」

 リラは墓跡を花を供えながら、クライヴに礼を言った。

「いや、いずれ訪れたいとは思っていた。」

 クライヴのその言葉にリラは目頭が熱くなった。

「俺も手を合わせていいだろうか。」

「はい。もちろんです。」

 リラは、手を合わせ終わるとクライヴにその場を譲った。
 暫くクライヴは目を瞑り手を合わせていた。



 クライヴが祈り終わると、ふたりはそのまま馬車に乗りアクイラ国皇城へと出発した。

 アクイラ国までは橋を渡ればすぐであるが、皇城までは馬車で三日であった。
 リラは、これから待ち構える出来事に不安を抱えながら移り行く景色を眺めていた。

 皇城についたら、まず最初はアクイラ国皇と皇后への挨拶だろう。
 それから婚約式の打ち合わせ、結婚までのスケジュールの相談などやることは山積みである。

 リラの希望としては、領地でやり残した仕事や学園の卒業式もあるため、挨拶が終わったら一度領地に帰りたいと思っていた。

(色々、クライヴ様と相談しなくては…。)

「リラ、改めて礼を言わせてくれ。」

 物思いに耽るリラにクライヴはリラの左手を取り、薬指をなぞりながら話しかけた。

「婚約に了承、いや、妻になってくれる決断をしてくれてありがとう。」

 そう言うとクライヴはその手に口付けをした。

「リラの家族はいいな。ルーカスは面白いし、チャールズはとても優しく、心温かい家族だよ。今まで出逢ったどんな貴族よりも素晴らしい家族に思えた。」

 クライヴはもの寂しげな表情を浮かべた。

「リラに、あらかじめ謝っておきたいことがある。」

 リラは、いつになく頼りないクライヴの表情にドキリッとした。



 一体、今からどんな言葉が紡がれるのだろうか。

(まさか、未だにアクイラ国皇に了承を得ていないのかしら…。)

 元々身分違いの結婚である、結婚証書は発行されているものの未だにアクイラ国皇や皇后の了承を得ていない可能性は十分にあった。
 そうなると、もしかしたら本国に別の婚約者が待っているのかもしれない。

 リラは身震いし、不安に怯えた表情を浮かべた。

 クライヴは、そんなリラの表情を見ると、少しだけ口元を緩めると優しく肩を抱き寄せた。

「結婚については問題ないと思っているのだが、不安なのは俺の家族のことだ。」

「え?」

 リラは意味がわからないといったように小首を傾げた。

「以前にも話した通り、俺は家族と決して良好な関係ではない。母と弟は俺以上に癖のある人間だ。そのことでリラを悩ませるかもしれない。そのことがリラに申し訳なくて。」

 リラは自分が想像したよりも他愛ない内容に拍子抜けしたのか、きょとんっとした表情を浮かべ、吹き出したように笑い出した。

「ふふふっ。ごめんなさい。そんなことを心配されているとは思わなくて。」

 クライヴはリラの反応に驚いた表情を浮かべた。

「大丈夫ですわ。私は、元々片田舎の伯爵家の娘ですわ。皇族に入ることが相応しくないことは重々承知です。鼻から好かれると思っておりません。」

 そうリラは最初から自身がクライヴの家族にすんなり受け入れられるとは思っていなかった。

 リラが一番よくわかっていたのだった。
 この婚約そして結婚が素直に受け入れられるものでないことを…。

 クライヴが直々に選んだとはいえ、リラはアベリア国に対して全く権力のない片田舎の伯爵家の娘である。

 そんな娘を何処の皇族も手放しで喜んで迎えるなど、到底考えられなかった。
 どちらかといえば願い下げという方がしっくりくる。

「けれど、私、クライヴ様と一緒に生きると決めましたの。だから、なんとか相応しくなれるように教養を身につけていこうとは思ってますわ。それをこれからはきちんと伝えていこうと思っておりますの。うふふ。」

 リラは肩をすくめて照れながらもニッコリ笑ってそう言うのだった。

 クライヴはやはり何か腑に落ちない表情を浮かべながらも、リラを強く抱き寄せた。

 クライヴの中では、不安が拭いきれないのだろう。

 リラはクライヴの過去を垣間聞いただけでも、想像を絶していた。
 きっとクライヴはリラが想像に及ばないほどの不便があったに違いなかった。

(これから妻になる私がこの人を支えていかなくては…。)

 リラはそう思いながら、優しくクライヴの腕に頬擦りした。

「さあ!そうと決まればやはり勉強ですわ!」

 リラは気合を入れ直した。
 兎にも角にもクライヴを支えるためにもクライヴの不安を払拭するためにも、自分には教養が必要である、リラはそう思い、目の前の席に置かれたアクイラ国の歴史が書かれた書籍を手に取った。

 そんな真面目なリラにクライヴは退屈そうな表情を一瞬浮かべたかと思うと、ニヤリと意地悪く笑った。

「そうそう、今日からの宿は一緒の部屋を手配するように頼んでおいたから。」

「え!え?え!?」

 リラはあまりの発言に驚き慌てて振り返り、持っていた書籍を落としそうになった。

「どういうことですか!?」

「もう夫婦になったも同然だと思ってね。夫婦は一緒の部屋だろう。」

「え?(いやいや、まだ夫婦どころか婚約もしていませんわ。)」

「嫌だった?」

 クライヴは眉尻をワザとらしく下げて寂しそうにそう言った。

「嫌ではありませんわ。(そんな表情をされては断れないじゃない!!)」

 リラはぶんぶんっと大きく首を横に振った。

「それなら良かった。」

(良かったのだろうか…。)

 異性と寝室を共にするなど、もちろん経験のないリラは顔を真っ紅にしながら目を回していた。

「あ。そうそう。せっかくなら、それ、俺が教えるよ。」

 クライヴは、疲弊したリラを後ろから抱き寄せたまま歴史書のページを捲った。

(このまま勉強など頭に入りませんわ…。)
しおりを挟む
感想 41

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結80万pt感謝】不貞をしても婚約破棄されたくない美男子たちはどうするべきなのか?

宇水涼麻
恋愛
高位貴族令息である三人の美男子たちは学園内で一人の男爵令嬢に侍っている。 そんな彼らが卒業式の前日に家に戻ると父親から衝撃的な話をされた。 婚約者から婚約を破棄され、第一後継者から降ろされるというのだ。 彼らは慌てて学園へ戻り、学生寮の食堂内で各々の婚約者を探す。 婚約者を前に彼らはどうするのだろうか? 短編になる予定です。 たくさんのご感想をいただきましてありがとうございます! 【ネタバレ】マークをつけ忘れているものがあります。 ご感想をお読みになる時にはお気をつけください。すみません。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

【完結】貴方の望み通りに・・・

kana
恋愛
どんなに貴方を望んでも どんなに貴方を見つめても どんなに貴方を思っても だから、 もう貴方を望まない もう貴方を見つめない もう貴方のことは忘れる さようなら

大恋愛の後始末

mios
恋愛
シェイラの婚約者マートンの姉、ジュリエットは、恋多き女として有名だった。そして、恥知らずだった。悲願の末に射止めた大公子息ライアンとの婚姻式の当日に庭師と駆け落ちするぐらいには。 彼女は恋愛至上主義で、自由をこよなく愛していた。由緒正しき大公家にはそぐわないことは百も承知だったのに、周りはそのことを理解できていなかった。 マートンとシェイラの婚約は解消となった。大公家に莫大な慰謝料を支払わなければならず、爵位を返上しても支払えるかという程だったからだ。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

結婚式の前日に婚約者が「他に愛する人がいる」と言いに来ました

四折 柊
恋愛
セリーナは結婚式の前日に婚約者に「他に愛する人がいる」と告げられた。うすうす気づいていたがその言葉に深く傷つく。それでも彼が好きで結婚を止めたいとは思わなかった。(身勝手な言い分が出てきます。不快な気持ちになりそうでしたらブラウザバックでお願いします。)矛盾や違和感はスルーしてお読みいただけると助かります。

処理中です...