私はあなたの母ではありませんよ

れもんぴーる

文字の大きさ
上 下
10 / 21

瓜二つの夫人

しおりを挟む
 ある日のこと。
 とある領主が辺境の地で感染症から国を守ったとして、伯爵から侯爵へと陞爵された。

 領内に蔓延った感染症を次期伯爵夫妻自ら奔走してその被害を最小限にとどめた。もし彼らが尽力して抑え込むことができなければ、おそらく国全土に広がり大恐慌に陥った可能性さえあった。
 患者の早期隔離や領地への流出入制限、薬草の確保、食事の改善など多方面への働きかけで被害を最小に押さえた。そしてそれを利害など度外視し、惜しみなく近隣の領地へ知らせたおかげで、どこの領地でも感染症による被害が広まらずに済んだのだ。

 薬自体はよく知られている薬草から作られていたものだったが、それがこの感染症に効果あると発見したのも伯爵夫妻であったことから、国を救ったとして陞爵がこの度決まった。
 遠方のため、社交シーズンであっても王都に来ることのないルロワ家。今回は伯爵の代わりに、社交界へのお披露目もかねて嫡男が王都にその栄誉を受けるためにやってきた。
 自分たちの命の恩人でもあり、薬草をはじめ感染症に対する的確な対処。そしてうまく立ち回れば多大な利益を上げられたというのに、人々を助けるために無償ですべての情報を公開した誠実なルロワ家の登場に皆が注目していた。

 次期ルロワ伯爵夫妻——いやこの時から次期侯爵夫妻になる彼らの登場に会場はざわめいた。

「あの方……亡くなったクラリス様では?!」
「まさか! あの方は殺されたのでしょう?」
「似てるだけじゃないのか?」
 次期ルロワ侯爵のレナルドがエスコートしている夫人を見つめて周囲のものは口々に囁いた。
 令嬢たちがうっとりと頬を染めるような容姿のレナルドにエスコートされている女性は、数年前に無残な死を遂げたエーデル伯爵家のクラリスそっくりだった。
 社交界では夫を支えていたクラリスのことを、そして悲しい人生を誰もが忘れてはいなかった。

 二人にはそんな声が届くことはなく、国王から陞爵を承り、礼をとった。
 その後のパーティでも会場にいる夫妻に皆の視線が集中したが、感染症のことは話題にできても、誰も夫人に声をかけることが出来なかった。
 あなたは死んだはずでは? などと無礼なことは、今日次期侯爵夫人となったばかりの女性にかけられるはずもなかった。

 そしてルロワ夫妻と同様に人々の視線を集めていたのは、クラリスの両親である侯爵夫妻とクラリスの夫アルマンだった。

   ◇◇◇

 アルマンにとって針の筵である社交界だが、ここに顔を出さなければそれこそ事業は完全に潰えてしまう。ひそひそ言われようとも、顔を出し、挨拶して回らなければならない。もちろんバーバラを連れて来られるはずもない。
 一人で参加していたアルマンだったが、次期ルロワ侯爵夫人を見た瞬間、頭が真っ白になり、自分の体が勝手に動いていた。
 クラリスと自分を見比べてひそひそと噂をしながら、走り寄る自分を冷たい目で見る周囲の人々。そんなことに気がつかずにクラリスの元へ駆け寄った。
「クラリス! 生きて……生きていたのか⁉」
 クラリスと一緒にいたレナルドはスッとクラリスを自分の背にかばうと、
「私の妻に何か?」
 と言った。
「妻だと? クラリスは私の妻だ!」
 レナルドは名乗りもせず興奮気味に迫ってくるアルマンに眉を顰め、さらに妻の姿をアルマンから隠す。
「彼女はクラリスではありません、皆の好奇な目が突き刺さると思っていましたが誰かそっくりな方がいるのですね?」
「そっくり? そんなものではない! 君はクラリスだ、そうだろ!?」
 そう言って叫ぶが、クラリスと思われる女性は戸惑ったような顔をするだけで、その顔には嫌悪も驚きも、悲しみも何の感情もなかった。

「あの、失礼ですが?」
 アルマンに不思議そうに問いかけた。
「私だ! 君の夫のアルマンだ!」
「君、人違いも甚だしい。彼女の夫は私だし、失礼なことを言うのはやめていただきたい」
 夫のレナルドが否定し、周囲がざわめいているのも気がつかないアルマンは、さらに言いつのろうとする。
 どこからどう見ても自分の妻クラリスだった。死んだのは間違いだった。
 そう聞かされていただけで自分は遺体を見てはいないのだ、あれは何かの間違いだったとしか思えなかった。

◇◇◇

 そこにもう一組の男女が注目されながら近寄ってきた。クラリスの両親ブラントーム侯爵夫妻。
 娘を殺され、その後エーベル伯爵家と縁を切ったことはみんな知っていた。悲しみと伯爵家に対する憎しみで憔悴している彼らに皆同情していた。
 そんな彼らの前に現れたクラリスそっくりな夫人。皆が動向を見守っていた。
      
 愚かなアルマンとは違い、ブラントーム夫妻は混乱と興奮を押し殺し丁寧に挨拶をした。
「次期ルロワ侯爵、お初にお目にかかります。侯爵への陞爵おめでとうございます。私、侯爵家ロイク・ブラントームと妻のグレースでございます。ご挨拶を……」
 そこまで言って、ロイクの目から涙が零れ落ちそうになる。
 ロイクは酷い殺され方をした娘が目の前にいる、生きていてくれたのだと抱きしめたい思いをぐっと我慢する。
 妻のグレースの方は、ルロワ夫人に縋りつかんばかりにそばにより涙を流していた。
 そんな二人の様子に、ルロワ夫妻の反応は戸惑いしかなかった。

 アルマンのぶしつけな言い草といい、何かいわくありげな夫婦が詰め寄ったことといい、警戒心があらわになったレナルドは自分の妻をかばうように前に出る。
「ご挨拶ありがとうございます。失礼ですが、うちの妻のオフェリーに何か?」
「奥様はオフェリー様……とおっしゃるのですか?」
 ロイクが喉の奥から言葉を絞り出す。
 オフェリーは涙を落とし見るからに憔悴しているグレースに
「大丈夫ですか?」
と肩に手を置いた。
「……オフェリー?……あなたはクラリスではないというの?」
 グレースが彼女に涙で訴えたが、オフェリーの表情には、何の動揺も感情も浮かんではいなかった。
 オフェリーはただ戸惑うだけで、グレースに会うのは誰が見ても初めてであることは明らかだった。
 どれだけ似ていようとも、クラリスではないのだとブラントーム夫妻も周囲の人間も納得せざるを得なかった。当たり前だ、クラリスは殺されたのだから。
 ロイクが無礼な振る舞いを詫びようとしたとき、耐えられなかったグレースはその場に崩れ落ちてしまった。

 その様子を見守っていた夜会の参加者は思わず涙を浮かべた。あまりにも残酷で悲しい出会いであった。
 グレースは王宮の控室にすぐさま運ばれ、ロイクは次期ルロワ侯爵に改めてお詫びしますと頭を下げて、その場を後にした。
 残されたアルマンは次期ルロワ侯爵夫妻に呼びかけたが、夫のレナルドのほうがオフェリーを連れてさっさと広間を出て行ってしまった。
 その様子から次期ルロワ侯爵夫人とクラリスは別人であると社交界には周知されたが、クラリスの両親の嘆き様を目にした人々は、改めてアルマンとその愛人の非道さに怒りを覚え、彼らはさらに社交界に居場所を失っていった。
しおりを挟む
感想 99

あなたにおすすめの小説

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

元婚約者が愛おしい

碧桜 汐香
恋愛
いつも笑顔で支えてくれた婚約者アマリルがいるのに、相談もなく海外留学を決めたフラン王子。 留学先の隣国で、平民リーシャに惹かれていく。 フラン王子の親友であり、大国の王子であるステファン王子が止めるも、アマリルを捨て、リーシャと婚約する。 リーシャの本性や様々な者の策略を知ったフラン王子。アマリルのことを思い出して後悔するが、もう遅かったのだった。 フラン王子目線の物語です。

【完結】真実の愛だと称賛され、二人は別れられなくなりました

紫崎 藍華
恋愛
ヘレンは婚約者のティルソンから、面白みのない女だと言われて婚約解消を告げられた。 ティルソンは幼馴染のカトリーナが本命だったのだ。 ティルソンとカトリーナの愛は真実の愛だと貴族たちは賞賛した。 貴族たちにとって二人が真実の愛を貫くのか、それとも破滅へ向かうのか、面白ければどちらでも良かった。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

【完結】ええと?あなたはどなたでしたか?

ここ
恋愛
アリサの婚約者ミゲルは、婚約のときから、平凡なアリサが気に入らなかった。 アリサはそれに気づいていたが、政略結婚に逆らえない。 15歳と16歳になった2人。ミゲルには恋人ができていた。マーシャという綺麗な令嬢だ。邪魔なアリサにこわい思いをさせて、婚約解消をねらうが、事態は思わぬ方向に。

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

幼馴染を溺愛する旦那様の前から、消えてあげることにします

新野乃花(大舟)
恋愛
「旦那様、幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

処理中です...