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第3部 佐藤の試練
第36話 Booby-trap【罠】(前編)
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妻、クローズの「どうして?」に対して黒猫のフライは「だめだ」の一点張りだった。
先程からそんな押し問答が延々と続いている。
「そうよフライ。ヴァンは仲間じゃない。仲間の応援に行くことがそんなにいけないことなの?」
そう言ってクローズを援護しようとしたイシャータをフライは刺すような視線でギロリと睨みつける。そして早口で捲し立てるように押さえ込んだ。
「いいか、イシャータ。これは見世物でも運動会でもない。応援すれば必ず勝てるというわけでもない。それどころかむしろヴァンに余計なプレッシャーをかけてしまうかもしれないんだ!──そんなことくらいわからないのか?」
イシャータはまだ何か言いたげな表情だったがフライとしてもここは譲れない。
『裏切り──』
その三文字がまたフライの脳裏に浮かぶ。
皆が知るのはヴァンが『負けた』という結果だけでいい。なぜ負けたのか──それを知られることだけは絶対に避けねばならなかった。何としても。
「いいな。あいつの付き添いは俺だけで十分だ」
「でも……」
「心配するな。ヴァンは必ず勝つよ。そして公園を手に入れて戻ってくるさ」
フライは最後にそう優しく言って踵を返したがクローズの頭には何かが引っ掛かっていた。最近のフライは語尾がしっかりしていて厳しい。以前に比べてオスらしさが増したのは嬉しいのだが何となく怖さまで増したのは気のせいだろうか?
「仕方ないわね」
イシャータが肩をすくめてそう言ったその時、クローズはようやくさっきから感じている違和感の正体に気付きハッとフライの方を振り返った。
──公園……?
今、フライはそう言わなかったか?
フライは昨日ザンパノのところへ公園を明け渡すように交渉に行き、そしてそれは決裂した。
だからこそヴァンはS区のボスの座をかけてザンパノと闘うのではないか? それなのに『公園を手に入れて戻ってくるさ』というのはおかしくはないか?
「……言い間違いかな」
だとしてもフライの背中がいつもより遠くに感じるのは何故なのだろう。
「ねえ、イシャータ……やっぱり私たちも今夜こっそり神社について行ってみない?」
クローズはそっとイシャータにそう囁いた。
そよそよと、そよそよと。
生まれたばかりのいたずらな風の子供たちは空中でひとしきりじゃれあった後、反抗期に入る。くるりと旋回すると今度はもう誰の迷惑もかえりみない。
我が物顔で吹き荒れる『風』たちは物凄いスピードで海を越え陸地へ、そしてさらには都会へと流れ込むと今度は『ビル風』に装いを改め勢力を増していった。
あっちでゴミ箱を蹴り飛ばしては、こっちの看板をなぎ倒す。
《ひゃっほーーーい!──》
高層ビルに沿って上へ上へと吹き上がり雲まで到達したかと思えば次の瞬間にはN区へ向かって急降下だ。
『風』は小さな神社の境内に佇んでいる銀色の猫をからかってやろうとごごうと突進した。
銀色の猫はぐっと身を固めるがその表情に揺るぎはない。
《ちぇ、つまんないの──》
おもしろくない『風』は今度は銀色の猫の後ろにいる黒猫の体にまとわりついた。
「う、うわわっ」
《あはははは、慌ててる慌ててる!──》
次に『風』はそこからちょっと離れた手水舎の陰に隠れている二匹のメス猫たちを襲った。
「うひゃあっ! ク、クローズ、助けて!」
「イシャータ、しっかり地面につかまってないと持ってかれちゃうわよ!」
《愉快愉快──♪》
さて今度は──
《あれだ。階段を上ってくるデカいのと小ちゃいのをまとめて吹き飛ばしてやる! 》
『風』は階段下から物凄い勢いで吹き荒れる。
シースルーは風の抵抗を最小限に抑えるためぐいと首をすくめると全身を固くした。
「くっ、こりゃ凄いな……ザンパノ、大丈夫かい?」
「ふん、これしきの風なんて……そよ風みたいなもんだ」
《そよ風だと?──》
『風』はザンパノのその言葉に腹を立ててさらに荒れ狂った。
《見てろ、そよ風かどうか目にもの見せてやる!──》
▼▲▼▲▼▲
先程からやけに風がねちっこくまとわりついてくるのを感じながらヴァンとフライ、そしてザンパノとシースルーの二組は初めて対峙した。
(──いよいよだな)
フライはごくりと喉を鳴らした。この悪天候は予想外だったが青写真通りにいくかどうかはここからのヴァンの動き次第だ。
ザンパノは打ち合わせ通り配下のシースルーを一匹従えてきているだけである。フライとヴァンは正面の二匹を見据えたままそっと会話した。
「どうだ、ヴァン」
「なるほど確かにデカい。が、それだけだ。所詮は猫以外の何者でもない」
「勝てそうか?」
「さあなぁ。あのもう一匹のちっこいヤツなら勝てるかもな」
フライは苦笑した。
「何か言い残しておくことがあるなら聞くぜ?」
フライはある意味本気でそう言ったつもりだったがヴァンは冗談半分にしか捉えてない。
「なに、ここの狛犬をもう一匹増やしてやるさ。おっと狛猫かな?」
ヴァンが不敵に笑ったその時、ザンパノがちらりと視線をこちらに向けたのを察したフライは長い尻尾をくねりと動かして合図を送った。
『計画通り。すべて異常なしだ──』と。
▼▲▼▲▼▲
くねりくねりと尻尾を動かしながら佐藤は生ぬるい湿度の中で幻想を見ていた。
ギリーと初めて会った時の記憶だ。
(あなた、何してんの?──)
幻の中のギリーに向かって佐藤は息も切れ切れに答える。
「ボ、ボクな、飼い猫に……なんねん……」
(でもねボクちゃん、そこから先はS区になるから入っちゃダメよ。ザンパノの縄張りになるの──)
佐藤は口を半開きのまま頬の筋肉を弓形に持ち上げた。
「へ、ヘン……ぜんぜん怖くなんかあらへんよ……それにボクは『ボクちゃん』なんかとちゃう、佐藤や……」
あの時、ギリーが言った通りだったのだ。
S区には近付くべきではなかったのだ。
佐藤は最後の力を振り絞ってよろよろと起き上がり、初めてギリーに歌ってあげた『セシリア』をゆっくり歌い始めた。
「せ、シ~リア、どんぶれぃきん、まい、はぁとっ……!」
内側から冷蔵庫の扉にガンとぶつかる。
「よ……よぁ、しぇいきん、まい、ハァハァ……こんふぃでんす、ハァハァ、でいりぃっ……!」
首を内側に折り曲げ、再び肩からガンとぶつかっていく。
「お、おっかしいな……? 映画とかやったらここでバーンと扉が開くはずやのに? ? ?」
佐藤は弱々しく笑った。
何度も何度も試みたため、佐藤の首の付け根は擦りむけて血が滲んでいた。
「おぉ、せし~りぁ……くすん……もうダメや。限界や、ギリー…………ギリー!」
その時、ギシリと床の鳴る音がした。
(──これも幻聴やろか?)
それともザンパノが戻ってきたのだろうか?
いや、違う。
ザンパノよりもっと重い何かだ。
これは……??
▼▲▼▲▼▲
「貴殿がN区のヴァン=ブラン……鳥の名を持つもの……間違いないな?」
「いかにも。別にあんたに恨みはないがこちらの要求を飲めんというなら仕方ない。今一度聞くがあの公園を渡す気はないか? 余計な争い事は無用だ」
「それについてはそこにいる黒猫と話をつけたはずだ」
「そうか。ならば仕方ない」
ヴァンはぐっと一歩前に出ると相手の出方を待った。
一分、二分──
『なんだ? 俺の方から仕掛けてくるのを待ってやがるのか?』
そこに何か罠が仕掛けてあるのかもしれないがこのままではらちがあかない。逆に言えばその罠がなんであるのかさえ分かれば、この闘いラクになるのかもしれないなとヴァンは考えていた。
ヴァンはグルグルと打楽器を打つように喉を鳴らし始め、さらにそこに管楽器を絡めてゆく。
(──どうした鳴かないのか?)
ハナから鳴きのバトルなど眼中にないらしい相手に対しヴァンは目を細めた。なるほど、無駄な体力は使わんといったところか。ふん、面白いじゃないか。だか相手は相手だ。ヴァンはそう居直るとさらに高く高く鳴いた。
『声』は彼の本質であり、『歌』は彼自身でもある。そしてその二つを合わせた鳴きこそ己の何にも勝る武器であるという自負がヴァンにはあった。
『ザンパノどころかこの風どもすら寄せ付けてなるものか!』
そんなオーラを身に纏いヴァンは進んだ。
『その証拠に見ろ。俺が一歩進めばヤツは二歩下がり、二歩踏み出せば四歩下がる。ザンパノ……S区のボス猫! このまま奈落の淵まで押しきってやる!』
▼▲▼▲▼▲
そんな空想をしながら私は“私の店”のドアを開けた。
これから改装計画をたてるわけだから中は荒れ果てたままである。
私の名は馬場トミオ。三十三歳、独身だ。
私はS区で魚屋をに営んでいる。しかし私は今新たなる一歩を踏み出そうとしている。
隣のS区に良い物件があると聞き私はBARを出すことにしたのだ。
これであのうざったい猫たちともおさらばだ。
いや、待てよ。俺の愛しい彼女は猫が好きだから……『猫カフェ』にちなんで『猫BAR』ってのもいいかもしれないな。
『極上の酒と可愛い猫たちがあなたを癒します』
これはいい! ナイスだ俺!
〈にゃー、うにゃー!〉
そうそうそんな感じで猫たちが『にゃー、うにゃー!』って……ん?
おかしいな、なんか今、猫の声がしたようにゃ、いや、したような。
〈にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー!〉
こりゃいったいなんだ? 幻聴か? 思えばなんかここ獣臭いな。どうやら声は……冷蔵庫の中?
──ナニユエレイゾウコカラネコノコエガ……?
私はおそるおそるまだ電気の通っていないその冷蔵庫を開けた。
すると、
〈ふにゃにゃにゃにゃにゃにゃーーっ!!〉
「ふぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーーっ!!」
一匹の猫が私の顔にしがみついた。そして物凄い勢いで店の外へと走り去って行く。
なぜ……俺の行く先々に『おまえら』はいる。
私は眼鏡を押し上げた……。
▼▲▼▲▼▲
「た、助かった!」
佐藤は表に出ると外の空気を、酸素を、これでもかというくらいに満喫し、叫んだ。
「サイコーや! 生きてるってサイコーや!」
そうやって感傷に浸ろうとする佐藤を今度は『風』が襲う。
「うぉ! ぬぁ……なんやのん、こりゃ?!」
佐藤はそのままゴロゴロと壁に追突し、寝転がってしまった。
「あ、あかん……。い、いや! いやいやいや! のんびりなんかしとられん。ヴァンを……ヴァンを、助けな」
そう勇んで走り出した佐藤だったが国道に出たあたりで今度は空腹と衰弱で自ら壁に激突してしまった。
「ぐぅ、こんなことしとられんのに……」
[21:45]──電光掲示板のデジタル時計が佐藤の目に入った。
確かザンパノたちは決戦の時刻を今夜の10時だと言っていた──そんなことを思い出して佐藤は三度立ち上がる。
「ヤ、ヤバい……急がなきゃあかんのに。これじゃ間に合わへんやんけ……!」
風がまたも佐藤の行く手を拒む。
佐藤は奥歯をぐっと噛みしめた。
(ええか、佐藤。おまえはさっきいっぺん死んだんや。死んだと思うんや。たまたまこうやってまだ生きてるんはきっとなんか意味があるってことに違いないんや。それは──)
佐藤はまるで暗示のように自分にそう言い聞かせると向かい風に必死で立ち向かった。
(ヴァンを助けるんや! ボクはもう『ボクちゃん』なんかじゃあらへん……せや、強くなってみせるってヴァンにも約束したやないか──)
ぐっと顔を上げると佐藤は殴り付けてくるような強風の中を走り出す。その表情は佐藤が子猫から一匹のオス猫へと変わりゆく瞬間の顔であったのかもしれなかった。
先程からそんな押し問答が延々と続いている。
「そうよフライ。ヴァンは仲間じゃない。仲間の応援に行くことがそんなにいけないことなの?」
そう言ってクローズを援護しようとしたイシャータをフライは刺すような視線でギロリと睨みつける。そして早口で捲し立てるように押さえ込んだ。
「いいか、イシャータ。これは見世物でも運動会でもない。応援すれば必ず勝てるというわけでもない。それどころかむしろヴァンに余計なプレッシャーをかけてしまうかもしれないんだ!──そんなことくらいわからないのか?」
イシャータはまだ何か言いたげな表情だったがフライとしてもここは譲れない。
『裏切り──』
その三文字がまたフライの脳裏に浮かぶ。
皆が知るのはヴァンが『負けた』という結果だけでいい。なぜ負けたのか──それを知られることだけは絶対に避けねばならなかった。何としても。
「いいな。あいつの付き添いは俺だけで十分だ」
「でも……」
「心配するな。ヴァンは必ず勝つよ。そして公園を手に入れて戻ってくるさ」
フライは最後にそう優しく言って踵を返したがクローズの頭には何かが引っ掛かっていた。最近のフライは語尾がしっかりしていて厳しい。以前に比べてオスらしさが増したのは嬉しいのだが何となく怖さまで増したのは気のせいだろうか?
「仕方ないわね」
イシャータが肩をすくめてそう言ったその時、クローズはようやくさっきから感じている違和感の正体に気付きハッとフライの方を振り返った。
──公園……?
今、フライはそう言わなかったか?
フライは昨日ザンパノのところへ公園を明け渡すように交渉に行き、そしてそれは決裂した。
だからこそヴァンはS区のボスの座をかけてザンパノと闘うのではないか? それなのに『公園を手に入れて戻ってくるさ』というのはおかしくはないか?
「……言い間違いかな」
だとしてもフライの背中がいつもより遠くに感じるのは何故なのだろう。
「ねえ、イシャータ……やっぱり私たちも今夜こっそり神社について行ってみない?」
クローズはそっとイシャータにそう囁いた。
そよそよと、そよそよと。
生まれたばかりのいたずらな風の子供たちは空中でひとしきりじゃれあった後、反抗期に入る。くるりと旋回すると今度はもう誰の迷惑もかえりみない。
我が物顔で吹き荒れる『風』たちは物凄いスピードで海を越え陸地へ、そしてさらには都会へと流れ込むと今度は『ビル風』に装いを改め勢力を増していった。
あっちでゴミ箱を蹴り飛ばしては、こっちの看板をなぎ倒す。
《ひゃっほーーーい!──》
高層ビルに沿って上へ上へと吹き上がり雲まで到達したかと思えば次の瞬間にはN区へ向かって急降下だ。
『風』は小さな神社の境内に佇んでいる銀色の猫をからかってやろうとごごうと突進した。
銀色の猫はぐっと身を固めるがその表情に揺るぎはない。
《ちぇ、つまんないの──》
おもしろくない『風』は今度は銀色の猫の後ろにいる黒猫の体にまとわりついた。
「う、うわわっ」
《あはははは、慌ててる慌ててる!──》
次に『風』はそこからちょっと離れた手水舎の陰に隠れている二匹のメス猫たちを襲った。
「うひゃあっ! ク、クローズ、助けて!」
「イシャータ、しっかり地面につかまってないと持ってかれちゃうわよ!」
《愉快愉快──♪》
さて今度は──
《あれだ。階段を上ってくるデカいのと小ちゃいのをまとめて吹き飛ばしてやる! 》
『風』は階段下から物凄い勢いで吹き荒れる。
シースルーは風の抵抗を最小限に抑えるためぐいと首をすくめると全身を固くした。
「くっ、こりゃ凄いな……ザンパノ、大丈夫かい?」
「ふん、これしきの風なんて……そよ風みたいなもんだ」
《そよ風だと?──》
『風』はザンパノのその言葉に腹を立ててさらに荒れ狂った。
《見てろ、そよ風かどうか目にもの見せてやる!──》
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先程からやけに風がねちっこくまとわりついてくるのを感じながらヴァンとフライ、そしてザンパノとシースルーの二組は初めて対峙した。
(──いよいよだな)
フライはごくりと喉を鳴らした。この悪天候は予想外だったが青写真通りにいくかどうかはここからのヴァンの動き次第だ。
ザンパノは打ち合わせ通り配下のシースルーを一匹従えてきているだけである。フライとヴァンは正面の二匹を見据えたままそっと会話した。
「どうだ、ヴァン」
「なるほど確かにデカい。が、それだけだ。所詮は猫以外の何者でもない」
「勝てそうか?」
「さあなぁ。あのもう一匹のちっこいヤツなら勝てるかもな」
フライは苦笑した。
「何か言い残しておくことがあるなら聞くぜ?」
フライはある意味本気でそう言ったつもりだったがヴァンは冗談半分にしか捉えてない。
「なに、ここの狛犬をもう一匹増やしてやるさ。おっと狛猫かな?」
ヴァンが不敵に笑ったその時、ザンパノがちらりと視線をこちらに向けたのを察したフライは長い尻尾をくねりと動かして合図を送った。
『計画通り。すべて異常なしだ──』と。
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くねりくねりと尻尾を動かしながら佐藤は生ぬるい湿度の中で幻想を見ていた。
ギリーと初めて会った時の記憶だ。
(あなた、何してんの?──)
幻の中のギリーに向かって佐藤は息も切れ切れに答える。
「ボ、ボクな、飼い猫に……なんねん……」
(でもねボクちゃん、そこから先はS区になるから入っちゃダメよ。ザンパノの縄張りになるの──)
佐藤は口を半開きのまま頬の筋肉を弓形に持ち上げた。
「へ、ヘン……ぜんぜん怖くなんかあらへんよ……それにボクは『ボクちゃん』なんかとちゃう、佐藤や……」
あの時、ギリーが言った通りだったのだ。
S区には近付くべきではなかったのだ。
佐藤は最後の力を振り絞ってよろよろと起き上がり、初めてギリーに歌ってあげた『セシリア』をゆっくり歌い始めた。
「せ、シ~リア、どんぶれぃきん、まい、はぁとっ……!」
内側から冷蔵庫の扉にガンとぶつかる。
「よ……よぁ、しぇいきん、まい、ハァハァ……こんふぃでんす、ハァハァ、でいりぃっ……!」
首を内側に折り曲げ、再び肩からガンとぶつかっていく。
「お、おっかしいな……? 映画とかやったらここでバーンと扉が開くはずやのに? ? ?」
佐藤は弱々しく笑った。
何度も何度も試みたため、佐藤の首の付け根は擦りむけて血が滲んでいた。
「おぉ、せし~りぁ……くすん……もうダメや。限界や、ギリー…………ギリー!」
その時、ギシリと床の鳴る音がした。
(──これも幻聴やろか?)
それともザンパノが戻ってきたのだろうか?
いや、違う。
ザンパノよりもっと重い何かだ。
これは……??
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「貴殿がN区のヴァン=ブラン……鳥の名を持つもの……間違いないな?」
「いかにも。別にあんたに恨みはないがこちらの要求を飲めんというなら仕方ない。今一度聞くがあの公園を渡す気はないか? 余計な争い事は無用だ」
「それについてはそこにいる黒猫と話をつけたはずだ」
「そうか。ならば仕方ない」
ヴァンはぐっと一歩前に出ると相手の出方を待った。
一分、二分──
『なんだ? 俺の方から仕掛けてくるのを待ってやがるのか?』
そこに何か罠が仕掛けてあるのかもしれないがこのままではらちがあかない。逆に言えばその罠がなんであるのかさえ分かれば、この闘いラクになるのかもしれないなとヴァンは考えていた。
ヴァンはグルグルと打楽器を打つように喉を鳴らし始め、さらにそこに管楽器を絡めてゆく。
(──どうした鳴かないのか?)
ハナから鳴きのバトルなど眼中にないらしい相手に対しヴァンは目を細めた。なるほど、無駄な体力は使わんといったところか。ふん、面白いじゃないか。だか相手は相手だ。ヴァンはそう居直るとさらに高く高く鳴いた。
『声』は彼の本質であり、『歌』は彼自身でもある。そしてその二つを合わせた鳴きこそ己の何にも勝る武器であるという自負がヴァンにはあった。
『ザンパノどころかこの風どもすら寄せ付けてなるものか!』
そんなオーラを身に纏いヴァンは進んだ。
『その証拠に見ろ。俺が一歩進めばヤツは二歩下がり、二歩踏み出せば四歩下がる。ザンパノ……S区のボス猫! このまま奈落の淵まで押しきってやる!』
▼▲▼▲▼▲
そんな空想をしながら私は“私の店”のドアを開けた。
これから改装計画をたてるわけだから中は荒れ果てたままである。
私の名は馬場トミオ。三十三歳、独身だ。
私はS区で魚屋をに営んでいる。しかし私は今新たなる一歩を踏み出そうとしている。
隣のS区に良い物件があると聞き私はBARを出すことにしたのだ。
これであのうざったい猫たちともおさらばだ。
いや、待てよ。俺の愛しい彼女は猫が好きだから……『猫カフェ』にちなんで『猫BAR』ってのもいいかもしれないな。
『極上の酒と可愛い猫たちがあなたを癒します』
これはいい! ナイスだ俺!
〈にゃー、うにゃー!〉
そうそうそんな感じで猫たちが『にゃー、うにゃー!』って……ん?
おかしいな、なんか今、猫の声がしたようにゃ、いや、したような。
〈にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー!〉
こりゃいったいなんだ? 幻聴か? 思えばなんかここ獣臭いな。どうやら声は……冷蔵庫の中?
──ナニユエレイゾウコカラネコノコエガ……?
私はおそるおそるまだ電気の通っていないその冷蔵庫を開けた。
すると、
〈ふにゃにゃにゃにゃにゃにゃーーっ!!〉
「ふぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーーっ!!」
一匹の猫が私の顔にしがみついた。そして物凄い勢いで店の外へと走り去って行く。
なぜ……俺の行く先々に『おまえら』はいる。
私は眼鏡を押し上げた……。
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「た、助かった!」
佐藤は表に出ると外の空気を、酸素を、これでもかというくらいに満喫し、叫んだ。
「サイコーや! 生きてるってサイコーや!」
そうやって感傷に浸ろうとする佐藤を今度は『風』が襲う。
「うぉ! ぬぁ……なんやのん、こりゃ?!」
佐藤はそのままゴロゴロと壁に追突し、寝転がってしまった。
「あ、あかん……。い、いや! いやいやいや! のんびりなんかしとられん。ヴァンを……ヴァンを、助けな」
そう勇んで走り出した佐藤だったが国道に出たあたりで今度は空腹と衰弱で自ら壁に激突してしまった。
「ぐぅ、こんなことしとられんのに……」
[21:45]──電光掲示板のデジタル時計が佐藤の目に入った。
確かザンパノたちは決戦の時刻を今夜の10時だと言っていた──そんなことを思い出して佐藤は三度立ち上がる。
「ヤ、ヤバい……急がなきゃあかんのに。これじゃ間に合わへんやんけ……!」
風がまたも佐藤の行く手を拒む。
佐藤は奥歯をぐっと噛みしめた。
(ええか、佐藤。おまえはさっきいっぺん死んだんや。死んだと思うんや。たまたまこうやってまだ生きてるんはきっとなんか意味があるってことに違いないんや。それは──)
佐藤はまるで暗示のように自分にそう言い聞かせると向かい風に必死で立ち向かった。
(ヴァンを助けるんや! ボクはもう『ボクちゃん』なんかじゃあらへん……せや、強くなってみせるってヴァンにも約束したやないか──)
ぐっと顔を上げると佐藤は殴り付けてくるような強風の中を走り出す。その表情は佐藤が子猫から一匹のオス猫へと変わりゆく瞬間の顔であったのかもしれなかった。
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