イシャータの受難

ペイザンヌ

文字の大きさ
上 下
19 / 42
第2部 ヴァン=ブランの帰還

第19話 99 come over【99(前編)】

しおりを挟む
 夢の中でイシャータは地球を守る戦士だった。

 エイリアンたちは夜になると必ず襲ってくる。あの手この手で攻撃を仕掛けてくる敵に対しこちらも迎え撃つ策を練らねばならない。

 今夜こそは必ずやしとめてみせる!

 隊員たちに指示を出し、戦闘準備を整えるとイシャータの血はたぎった。だが──どうしたことか今日はいつまで待っても敵が襲ってくる気配がない。次の日も、また次の日も……。

 かくして世界に平和は戻るのだったがイシャータはどうにもしっくりこなかった。

『──ひょっとして私は毎晩彼らがやってくるのを待ち望んでいた……のだろうか?』

 夢はそこで途切れた。

 イシャータは目を覚ますと寝ぼけまなこできょろきょろと辺りを見回す。一瞬ここがどこかわからなくなってしまったのだ。

 けれども自分の体がフカフカなベッドの上に横たわっているのを確認するとイシャータはホッと安堵の息をもらした。

 どういうわけだか自分が『野良猫ノラ』になってしまった気がしたのだ。私は『猫屋敷』に住んでいて、そこのお婆さんが亡くなり、数十匹の猫たちと行き場もなく佇んでいる──

 やけにリアルなその感覚に少なからずぞっとしたが御主人様の匂いがする布団に頭を擦り付けると安心が込み上げてきた。

「フフ、私が野良猫ノラだなんて、ハハ……」

 イシャータは大声で笑い転げた。

 そしてその夢もそこで途切れた。

 イシャータは寝ぼけまなこできょろきょろと周りを見回す。一瞬ここが何処かわからなくなってしまったのだ。

 今度はフカフカのベッドも御主人様の匂いも存在しなかった。ぼんやりした頭をなんとか回転させ、自分は今『猫屋敷』にいていつのまにかえんの下で眠ってしまっていただけなのだとイシャータは気づく。

「違うわ! こっちのほうが夢よ!」

 イシャータは再び目を瞑った。
 たとえそうだとしてももう一度だけあの夢に戻りたかった。

 だが一度目覚めてしまった夢の扉はすでに固く閉ざされてしまってイシャータの侵入を簡単に許そうとしない。

 そのドアと格闘しているうち、イシャータの脳裏にはあの頃の──『飼い猫』だった頃の記憶が、鮮明に甦ってきた。



「ねぇ、イシャータさん。またあいつ、こっちを見てますよ」

 後輩格のナナが言った。ナナはアメリカンカール種でありイシャータと同じ『飼い猫』である。

 イシャータはナナの視線の先を見ずともそれが誰なのかをすでに感じ取っていた。今日という今日はハッキリ言ってやらねばならない。

「ヴァン=ブラン!」

 イシャータの口調は卒業証書の名前を読み上げる教師のごとくしっかりとした滑舌ではあったがその半面口からどじょうでも吐き捨てるかのようでもあった。

「こいつは嬉しいね。俺の名前を知っているのか?」
「知ってるか? そりゃ知ってるわよ! あなたはこの辺じゃ有名よ。毎日フラフラしては歌って遊んでまわってる最低のニート猫ってね」
「んぁ? なんだよ。就職でもしろってのかよ?」
「あんたが遊んでようと野垂れ死のうと知ったこっちゃないわよ! ただ私たちには近づかないでって言ってるの」
「そうはいかない。俺はおまえに惚れたんだ」

 イシャータは溜め息をついた。

「話にならないわね……。いい? 私とあなたじゃ住む世界が違うの。ハッキリ言って迷惑なの」
「住む世界? 俺は猫でおまえも猫だ。どこがどう違う?」

『猫』という大雑把なくくりにイラッときたが、ふとイシャータは御主人様と一緒に見ていた映画のワンエピソードを思い出した。タイトルは『ニュー・シネマ……』なんとかだ。

 少し意地悪してやれ。

「わかったわヴァン=ブラン。あなたがもしも100日間休まずに私の庭の前で私の聞いたことのない歌を100曲歌ってくれるんだったらその時は考えてやってもいいわ」
「イシャータさん!」
「大丈夫よ、ナナ。このチンピラにそんな忍耐力があるわけがないんだから。さあ、どうする? 大サービスじゃないの、あなたの得意分野なんでしょ? 道化の歌うたいのヴァン=ブランさん……」「やろう」

 イシャータの言葉を噛み、ヴァン=ブランはきっぱりと即答した。

「へ?」
「メスがオスをためすのは当然のことだ。おもしろい。やろう」
「イシャータさんってば、やめようってば。こんなバカなこと」
「フ、フン……大丈夫だってば、ナナ。続くわけ……ないんだから」
「今夜からだ」

 そう言うとヴァン=ブランはきびすを返しその場を後にした。


 ヴァンにとって曲を作ることなど『閉じた目を開く』ようなものだった。目を開けばそこに景色は悠然と広がる。ただ、それだけのことだ。

──俺が歌えばどんなやつだって喜んでくれる。

 そんな感じで最初の10日間、ヴァン=ブランは自信満々にベランダの下で歌い続けたがイシャータが顔を出すことはその間一度もなかった。だが、そのじつ──

 当のイシャータといえば、部屋の中で必死に抵抗していた。噂に違わず美しい声だ。本当にこれがあの荒くれ者のヴァン=ブランの声なのか? 最初の夜などは雷が鳴った時のようにヒゲがピリピリと震え、思わずうっすらと鳥肌がたったくらいだ。

「……なによ、これくらい。世の中にはもっともっと歌のうまい猫なんて山ほどいるんだから、きっと、たぶんだけど……」


 20日を越えてイシャータは初めてちらりと顔をのぞかせた。それが陰りを見せ始めたヴァンの自信に小さな芽を紡いだ。

『そうさ、俺の歌が胸に響かないわけがないんだ! ──』


 30日を過ぎてもヴァン=ブランの声は衰えをみせない。それどころか日に日に精度を増し、イシャータの心の門番を次々となぎ倒していく。

──まだたったの一ヶ月じゃない。すぐに飽きるに決まってるわ……。

 そう思い込もうとはしてみたが、雨の日も風の日も一日たりとも間を空けることなく訪れるヴァンの姿にイシャータは自分の中の大きな柱がどこか揺らぎ始めているのを感じずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

処理中です...