2 / 42
第1部 イシャータの受難
第2話 Isharta of the stray cat【野良猫のイシャータ】
しおりを挟む──捨てられた?
その事実をイシャータはすでに頭のどこかで察していた。だが心と体がうまく反応しない。
『そんなことあるもんか。きっと旅行にでも出掛けてるだけだ。それにしたってご飯も置いていかないなんて、そそっかしいな御主人様は。ひょっとして驚かそうとしてんのかな?』
(私たちがおまえを置いていくわけないじゃないか。ビックリしたかい? イシャータ──)
(なぁんだ。まったく子供っぽいな御主人様は 、あは、あは、あははは──)
家族の声がしなくなってからまる三日、イシャータはそんな仮説をあれやこれやと考えていた。しかし猫の想像力にも限界がある。これ以上明るいイメージなど逆立ちしても出てこなかった。
時おり通りかかる人間たちが食べ物を渡そうと手招きすることもあったがイシャータは頑なにそれを拒んだ。『飼い猫』としてのプライドが許さなかった。だが──
待てど暮らせど『御主人様』が帰ってくる気配は微塵もなかった。空を見上げればお日様までが自分をあざ笑っているかのように思えてくる。イシャータはその視線から逃れるようにうつむいた。自分の足は嫌いだ。だって足が見えてるってことは自分が今、下を向いているということだもの。そんなことを考えながら──
▲▼▲▼▲▼
その日の夕方、とうとうイシャータはその重い腰を上げる決意をした。立ち上がったその瞬間から彼女は野良になるのだ。だが、そんな切迫した状況にも関わらず容赦なく腹は減る。そのことがイシャータの屈辱にさらに拍車をかけた。
『こんなに悲しいのにお腹がすくなんて、なんてカッコ悪いんだろ──』
生まれてこのかた空腹感など味わったことのないイシャータはその珍味をただ苦々しく噛みしめることしかできなかった。
あてなどあるはずもない。
イシャータの足は自然と〈ギンザ通り〉と呼ばれる商店街へと向かった。『野良猫』たちのテリトリー。彼女の“かつて”の散歩道へ。
──とにかくあそこに行けばなんとかなるだろう。ノラの連中はいつもあそこで何かを食べてるし。
だが、その日に限って町はやけに清潔感に溢れているように見えた。歩けど歩けど食い物どころかゴミひとつ落ちてない気がする。そもそも腹が減ってから食料を探すこと自体が間違いなのだ。体力のあるうちに確保しておくべきだったと後悔してもすでに遅かった。
突然、新聞配達の原付バイクが後ろから走ってきた。慌てて飛び退きなんとか避けることができたがイシャータはそのまま道脇にへたへたとしゃがみこんでしまった。
それが功を成したというわけではないが、低い姿勢にあるイシャータの目が自動販売機の下に落ちている“あるもの”に気付いた。
──あれは、お金だ!
それも千円札だ。御主人様たちがこれを使っているのをよく見たことがある。食い物と交換できる魔法のチケットだ!
イシャータは細い爪でそれを掻き出すと口にくわえ意気揚々と魚屋へ向かった。
──とにかくお腹さえいっぱいになれば、いい考えもきっと浮かぶはずだわ。
小さな希望と束の間の安心であるがそれだけでも今のイシャータの心を軽くさせるには十分な材料だった。まるで体まで宙に浮いているようだった。
……が、それは気のせいではなかった。
気が付くとイシャータは四人組の小学生の一人に首根っこを持ち上げられていたのだ。
「見ろよ、やっぱり金だぜ」
「千円じゃん、うぇーい、ラッキー!」
子供たちは残酷にも彼女の最後の希望を今にも奪わんとしていた。イシャータは千円札をくわえた顎にぐっと力を込めて必死に抵抗した。
──このお金を奪われるわけにはいかない!
「こいつ、離さねえぞ。くそっ!」
小学生とはいえ彼女にとっては巨人だ。必死に耐えてみせるがそもそも体力が著しく低下している。イシャータは地面に頭を押さえつけられ無理やり口を開かせられるととうとう千円札を奪われてしまった。挙げ句には横腹に蹴りまでお見舞いされ道端に転がった。
「何か食おうぜ!」と、小学生たちは無情にも走り去っていった。
みじめだった。
イシャータは絶望的な気持ちでしばらくの間立ち上がることさえできなかった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
うちでのサンタさん
うてな
ライト文芸
【クリスマスなので書いてみました。】
僕には人並み外れた、ある能力を持っていた。
それは『物なら一瞬にして生成できてしまう』能力だ。
その能力があれば金さえも一瞬で作れてしまう、正に万能な能力だった。
そして僕はその能力を使って毎年、昔に世話になった孤児院の子供達にプレゼントを送っている。
今年も例年通りにサンタ役を買って出たんだけど…。
僕の能力では到底叶えられない、そんな願いを受け取ってしまう…
僕と、一人の男の子の
クリスマスストーリー。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる