3 / 15
02:『実らない恋物語』の始まり≫≫
しおりを挟む
男はトイレの個室に入ると後ろ手に鍵を締めた。
ぐるりと個室内を見回し、壁面に貼られたタイルを一枚一枚なぞるように確かめていく。
「この辺り……か?」
そのうちタイルの一枚に何か変化を感じたのか彼の手が止まった。125c㎡ほどのその一枚に顔を近付け、コツコツと軽く叩いてみる。
「ほれ、早く出てこいよ」
その言葉に反応するように、タイルは機械的な動作でカシャリとこちら側に倒れるように開いた。
今までタイルの壁面部分だった箇所にはディスプレイが現れ、こちら側に倒れ込んできたタイルの裏側にはタッチパッドが付いていた。ちょうど壁に小型ノートパソコンが装着されているような状態になる。
さらにキーボードの上にはこの時代――2018年最新型のスマホが備え付けられていた。男はそれを右手で掴むと、左手でタッチパッドを扱いモニターに何かを入力し始めた。
やがて右手にバイブの震動を感じ、男はスマホを耳に当てた。
「榎本か? 俺だ。現在、目標に接近中。 これからストーリー・メイカーのBシステムを落として『手動』に切り替えるとこだ。イグジステンス=レベルの増減を確認しながら出口らしいところを探しておいてくれ。……大丈夫だよ、今回はそれほど難しい仕事じゃない。すぐに戻れるはずだ。夜食はカレーが食いたい。うまいマッサマンカレーが食いたい。以上」
男は通話を切ると画面をスクロールし、打ち込んだ文章を確かめるように目を細めた。
図書館を出てから駅まで伸びる線路沿いの道すがら、蘭は口数が少なかった。時おり腕を組んで何か考えているようにも見える。
私が井戸部くんの方をじっと見つめていた姿を蘭に見られたのは間違いない。やはりそのことが原因なのだろうか。なんだかこのまま駅でバイバイになってしまうと後々ギクシャクしてしまいそうだなと思ったので、私はいっそのこと自分の方から切り出してみることにした。
「仲、いいよね、ホント」
「ん?」
「ほら、蘭と……井戸部くんって」
「はぁ? あれのどこが仲良く見えるっての?」
「なんか、その、兄弟みたいでいいじゃん。私、一人っ子だから羨ましいなって」
「あのね、私だって一人っ子だし。あんな兄貴も弟もいらないし。ましてや……」
最後の一節を口ごもり、蘭は――その華奢な身体にはやや不釣り合いな大きめのデイパックをかけ直した。そしてまたもや腕を組み「んー」と謎の唸り声をあげる。
蘭はそう言ってるけれど言葉なんてしょせん嘘つきだ。実際のところ蘭は井戸部くんのことをどう思ってるんだろう? そのへんを一度きちんと聞いてみたい気持ちも私の中には昔からあった。だって、それを確かめなければ私自身も前へ進めない。
そう、いつの頃からだろう。気付くと私は井戸部くんのことばかり考えてしまっているのだ。
「そ~んなこと言っちゃって。もし、井戸部くんに彼女とかできちゃったら寂しいんじゃないの~?」と、私はつとめて軽く明るく、そして冗談めかした感じで突っ込んでみる。
(いっそのこと付き合っちゃえばいいじゃん――)
そう口に出しかけたが――それはやめた。もしそれが本当になってしまったらと思うと怖かったのだ。
「ねえ、麗美」
「ん?」
「……ううん、何でもないの。なんだか喉乾いちゃったな」
蘭は近くの自販機に駆け寄ると爽健美茶のボタンを押し、電子マネーをかざした。小サイズのペットボトルがゴトリと落ち『アリガトウゴザイマシタ!』と自販機が機械音で喋る。蘭はキャップを空け、コクコクと喉を鳴らした。
別に喉など乾いてなかったのだが私も釣られるようにコインを自販機に投入し、紅茶のボタンを押す。
「ねえ、麗美ってさ」
「だから何よ?」
ゴトリ。
「その、麗美って、イトベーユのこと……」
一瞬イトベーユの意味がわからなかった。ジュースか何かの銘柄かと思ったが、イトベーユとは蘭が井戸部くんのことを呼ぶ時に使うあだ名だということに気付くまでにさほどの時間は必要としなかった。
蘭は児童文学が好きな井戸部くんをからかい、エンデの『はてしない物語』に出てくる勇者アトレーユに井戸部優を捩じってイトベーユと呼んでいるのだ。
私ははたと気付く。あ、あれ? このシチュエーションはやばい……のでは?
「ひょっとしてだよ? ひょっとして――」
「ちょ、ちょーっと待った!」
蘭の言葉を遮るようにして私は口を挟む。蘭にその先を言わせてはいけない。
「な、なんか勘違いしてるんじゃない? 絶対なんか勘違いしてるよ、蘭ってば。あは、あはははは」
――チガウ、カンチガイジャナイ。
「あたしのことだったら別に気にしなくていいんだよ。ホントにただの幼馴染みなだけなんだし。あいつだって麗美のこと可愛いって言ったし。麗美だってさっき、図書館であいつのことじっと見てたじゃん」
そうだよね。やっぱり見られてたんだよね。
「だから、それは……違うんだって」
――チガウ、チガッテナンカイナイ。
「誤解だよ」
――ゴカイジャナイ。
「その、私は……」
――ワタシハ、
「私は……」
――ワタシハ、ソウ、イトベクンノコトガ、スキ。
「私……実は、あの図書館の受け付けのお兄さんのことが好きなの!」
私たちの傍らを轟音と共に快速電車が物凄い勢いで通過していく。
──は? は? はぁ?
な、なんじゃそりゃ? いくら咄嗟に出てきた出鱈目とはいえ、これはあまりにも酷すぎやしないか?
「は……?」
このあまりの突発的爆弾発言に蘭も狼狽しているようだった。そりゃそうだ。
「え? そ、そうだったの? 私、てっきり」
「そう。そうなの。ずっと前から私、あのお兄さんのことが……。だから誤解なんだってば、私が見てたのは井戸部くんじゃなくって……井戸部くんのことなんか、うん、その、全っ然タイプじゃないし、高校生にもなって児童書なんて読む人なんて……ねえ?」
ダメだ。先に進むどころじゃない。
井戸部くんの幼馴染みの蘭。
そして、私の親友である蘭。
彼女の前でこう宣言してしまった以上、彼に接近することなどもうできない。ひょっとしたら蘭の口からこのことが井戸部くんに伝わってしまう可能性だってある。
終わった――
私の恋は終わったのだ。忘れよう、井戸部くんのことは綺麗さっぱり忘れ去り、明日からまた新しい恋を探すのだ。
ぐるりと個室内を見回し、壁面に貼られたタイルを一枚一枚なぞるように確かめていく。
「この辺り……か?」
そのうちタイルの一枚に何か変化を感じたのか彼の手が止まった。125c㎡ほどのその一枚に顔を近付け、コツコツと軽く叩いてみる。
「ほれ、早く出てこいよ」
その言葉に反応するように、タイルは機械的な動作でカシャリとこちら側に倒れるように開いた。
今までタイルの壁面部分だった箇所にはディスプレイが現れ、こちら側に倒れ込んできたタイルの裏側にはタッチパッドが付いていた。ちょうど壁に小型ノートパソコンが装着されているような状態になる。
さらにキーボードの上にはこの時代――2018年最新型のスマホが備え付けられていた。男はそれを右手で掴むと、左手でタッチパッドを扱いモニターに何かを入力し始めた。
やがて右手にバイブの震動を感じ、男はスマホを耳に当てた。
「榎本か? 俺だ。現在、目標に接近中。 これからストーリー・メイカーのBシステムを落として『手動』に切り替えるとこだ。イグジステンス=レベルの増減を確認しながら出口らしいところを探しておいてくれ。……大丈夫だよ、今回はそれほど難しい仕事じゃない。すぐに戻れるはずだ。夜食はカレーが食いたい。うまいマッサマンカレーが食いたい。以上」
男は通話を切ると画面をスクロールし、打ち込んだ文章を確かめるように目を細めた。
図書館を出てから駅まで伸びる線路沿いの道すがら、蘭は口数が少なかった。時おり腕を組んで何か考えているようにも見える。
私が井戸部くんの方をじっと見つめていた姿を蘭に見られたのは間違いない。やはりそのことが原因なのだろうか。なんだかこのまま駅でバイバイになってしまうと後々ギクシャクしてしまいそうだなと思ったので、私はいっそのこと自分の方から切り出してみることにした。
「仲、いいよね、ホント」
「ん?」
「ほら、蘭と……井戸部くんって」
「はぁ? あれのどこが仲良く見えるっての?」
「なんか、その、兄弟みたいでいいじゃん。私、一人っ子だから羨ましいなって」
「あのね、私だって一人っ子だし。あんな兄貴も弟もいらないし。ましてや……」
最後の一節を口ごもり、蘭は――その華奢な身体にはやや不釣り合いな大きめのデイパックをかけ直した。そしてまたもや腕を組み「んー」と謎の唸り声をあげる。
蘭はそう言ってるけれど言葉なんてしょせん嘘つきだ。実際のところ蘭は井戸部くんのことをどう思ってるんだろう? そのへんを一度きちんと聞いてみたい気持ちも私の中には昔からあった。だって、それを確かめなければ私自身も前へ進めない。
そう、いつの頃からだろう。気付くと私は井戸部くんのことばかり考えてしまっているのだ。
「そ~んなこと言っちゃって。もし、井戸部くんに彼女とかできちゃったら寂しいんじゃないの~?」と、私はつとめて軽く明るく、そして冗談めかした感じで突っ込んでみる。
(いっそのこと付き合っちゃえばいいじゃん――)
そう口に出しかけたが――それはやめた。もしそれが本当になってしまったらと思うと怖かったのだ。
「ねえ、麗美」
「ん?」
「……ううん、何でもないの。なんだか喉乾いちゃったな」
蘭は近くの自販機に駆け寄ると爽健美茶のボタンを押し、電子マネーをかざした。小サイズのペットボトルがゴトリと落ち『アリガトウゴザイマシタ!』と自販機が機械音で喋る。蘭はキャップを空け、コクコクと喉を鳴らした。
別に喉など乾いてなかったのだが私も釣られるようにコインを自販機に投入し、紅茶のボタンを押す。
「ねえ、麗美ってさ」
「だから何よ?」
ゴトリ。
「その、麗美って、イトベーユのこと……」
一瞬イトベーユの意味がわからなかった。ジュースか何かの銘柄かと思ったが、イトベーユとは蘭が井戸部くんのことを呼ぶ時に使うあだ名だということに気付くまでにさほどの時間は必要としなかった。
蘭は児童文学が好きな井戸部くんをからかい、エンデの『はてしない物語』に出てくる勇者アトレーユに井戸部優を捩じってイトベーユと呼んでいるのだ。
私ははたと気付く。あ、あれ? このシチュエーションはやばい……のでは?
「ひょっとしてだよ? ひょっとして――」
「ちょ、ちょーっと待った!」
蘭の言葉を遮るようにして私は口を挟む。蘭にその先を言わせてはいけない。
「な、なんか勘違いしてるんじゃない? 絶対なんか勘違いしてるよ、蘭ってば。あは、あはははは」
――チガウ、カンチガイジャナイ。
「あたしのことだったら別に気にしなくていいんだよ。ホントにただの幼馴染みなだけなんだし。あいつだって麗美のこと可愛いって言ったし。麗美だってさっき、図書館であいつのことじっと見てたじゃん」
そうだよね。やっぱり見られてたんだよね。
「だから、それは……違うんだって」
――チガウ、チガッテナンカイナイ。
「誤解だよ」
――ゴカイジャナイ。
「その、私は……」
――ワタシハ、
「私は……」
――ワタシハ、ソウ、イトベクンノコトガ、スキ。
「私……実は、あの図書館の受け付けのお兄さんのことが好きなの!」
私たちの傍らを轟音と共に快速電車が物凄い勢いで通過していく。
──は? は? はぁ?
な、なんじゃそりゃ? いくら咄嗟に出てきた出鱈目とはいえ、これはあまりにも酷すぎやしないか?
「は……?」
このあまりの突発的爆弾発言に蘭も狼狽しているようだった。そりゃそうだ。
「え? そ、そうだったの? 私、てっきり」
「そう。そうなの。ずっと前から私、あのお兄さんのことが……。だから誤解なんだってば、私が見てたのは井戸部くんじゃなくって……井戸部くんのことなんか、うん、その、全っ然タイプじゃないし、高校生にもなって児童書なんて読む人なんて……ねえ?」
ダメだ。先に進むどころじゃない。
井戸部くんの幼馴染みの蘭。
そして、私の親友である蘭。
彼女の前でこう宣言してしまった以上、彼に接近することなどもうできない。ひょっとしたら蘭の口からこのことが井戸部くんに伝わってしまう可能性だってある。
終わった――
私の恋は終わったのだ。忘れよう、井戸部くんのことは綺麗さっぱり忘れ去り、明日からまた新しい恋を探すのだ。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
発作ぐらい、ハンデと思ってね
ブレイブ
SF
生まれつき病弱な少女、壊七。彼女は病弱でありながら天才でもある、壊七はエージェント組織、ディザスターに所属しており、ある日、任務帰りに新人エージェントと出会ったが、その新人は独断行動をする問題児であった。壊七は司令官から問題児である新人エージェントの指導を任された
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
紅の惑星、白妙の衛星
しーしい
SF
木星の衛星、エウロパ。
地殻の下に海があるこの星では、豊富な漁業資源を利用する漁師が存在する。
その一人、レア・ルコントは氷の下から、一体のアンドロイドを引き揚げてしまう。
時を同じくして火星戦争は終結し、戦争の責任を問う法廷が開かれる事になった。
審理の趨勢を決める人型機械の証言を巡って、軍と火星の過激派が衝突する。
なろうから転載
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
おっさん、ドローン回収屋をはじめる
ノドカ
SF
会社を追い出された「おっさん」が再起をかけてドローン回収業を始めます。社員は自分だけ。仕事のパートナーをVR空間から探していざドローン回収へ。ちょっと先の未来、世代間のギャップに翻弄されながらおっさんは今日もドローンを回収していきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる