上 下
57 / 205
もう一人の第六感

帰ろう。

しおりを挟む
「夢じゃあなかったんだな。俺は生きている。」
イリイチが目覚めたのはあれから15時間後のことであった。現在時刻は16時。あの科学者はこの世から消滅した。今イリイチが受信している意思の中には坂本千畝の意思はない。それは彼が生きているわけでも死んでいる訳でもない。文字通り消滅して、あらゆる記憶から消されたのだ。
イリーナは横で寝ていた。彼女がなぜイリイチを助けたのか、それは理屈や理由がないものだ。シックス・センスというものがひかれあい、きっと彼女もそれに従ってイリイチという虚数になりかけた人間を助けたのだ。寝すぎてしまった身体は不思議と軽く、従来のシックス・センスは相変わらず使用不能ではあるが、それでも呪縛から開放されたかのように頭は回る。
「イリーナはまだ寝かせとくか。東京にいる意味も完全になくなったし、この子をつれて横浜に帰るか。」
明日の朝方に帰るために手配を始める。もう東京にいる意味は本当に無い。復讐だとか仕事だとかはもう終わったことなのだ。
シャワーを浴びて、部屋に戻ればイリーナは目を覚ましていた。物憂げな表情は、失ったものがある事があってもを証明している。恐らく千畝のことを覚えているのは、イリイチだけだ。たとえ彼が生命を懸けてイリーナという少女を生かそうとしたことも、イリイチという巨悪を打倒できる寸前まできたことも、全ては終わったことだ。夢のような時間は醒めて、現実という限りなく巨大なペテンに立ち向かう時なのだ。
「イリーナ。大丈夫か?」
「うん、元気だよ!」
子どものもつ力は凄まじい。イリイチだって年齢だけで言えば17歳と子供ではあるがそんな彼が子供らしさを感じないのは、人生経験が他の連中と比べてあまりにも濃すぎるからだ。その点イリーナはまだ子供らしさの残る少女だ。きっとシックス・センス自体の才能は彼女の方が強いのだろう。
「そう来なくてはな。夜飯がそろそろ来るだろうから、それまでにこれからのことを大雑把に説明しとこう。まず、俺は横浜に戻らなくては行けない。学園の横浜校にな。それに着いてくるか?」
「ついて行くよ。イリーナは何処にも居場所がないみたい。今まで誰かと一緒にいた気がするけど思い出せないんだ。」
「そうか。それはそのうち思い出せるさ。まぁいい、横浜に行こうか。イリーナはいい子だから、直ぐに生徒になれるはずさ。それと…。」
少し切り出そうか迷いが生じる。シックス・センスそのものに触れてしまうのはまた彼の存在が改竄される可能性がある。今イリーナがイリイチの意思を補強していることでイリイチが存在しているなら尚更のことだ。
「…あぁ、まぁいいや。明日の8時頃にはここを出よう。手配は済ませたから、あとは飯食ってまた寝るだけだな。」
ここには触れないのが正解だ。イリイチ自身は殆ど自覚がないが、彼は今71億人程の意思の集合体と化している。イリーナがイリイチの存在や意思に少しでも迷いが起きれば、イリイチは消滅してしまう。遅かれ早かれ起こる現実ではあるものの、今死ぬことにはそこまでの意味が無い。
「まぁ、気楽に行こうか。長い付き合いになりそうだ。頼りたいことがあればなんでも頼ってくれ。。」
何処か他人のような気がしないイリイチのことをイリーナは兄を見るような目で見ていた。そんな思い出があったはずなのに全く思い出せない。
「分かったよ。イリイチ。」
「…取り敢えず日本語を話せるようにならねぇとな。あの馬鹿どもにロシア語というものは理解出来るはずがねぇ。」
馬鹿に馬鹿と呼ばれる馬鹿どもは今日も今日とてくだらない日々を過ごしているのだろう。不良にオタクにイカれたレズに欲求不満のカマ野郎にまともな人にそして、翔も。
「まぁ、そのうちなれるか。つうか、今の段階でもシックス・センスを使えば話せるんじゃねぇか?日本人限定で脳波受信してみろ。言語なんて一瞬で覚えるよ。」
「…本当だ。シックス・センスってすごいね。便利。」
「人間の都合の良いように出来ているのさ。超能力ってのはな。」
2人分の飯を手配していなかったため、イリーナに全部与えて、イリイチは連中に帰るという布告をしておく。
「もしもし、随分長引いたなぁ。そろそろそちらに戻るわ。あぁ、色々あったが話すには通話代がもったいねぇ。明日の12時頃に学園に入校する。あいよ。」
大智の声も久しぶりだ。相も変わらずに元気だった。長引いた東京観光はもう終わりだ。東京の夜景を眺めて下界の民に思いを馳せるのも今日で終わり。イリーナという必要不可欠な存在も手に入れた。ジダーノフという最期の盟友も失った。様々な思いを胸に煙草の煙は空に消えていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(本編完結)悪夢の狭間と夢のつづき

皇ひびき
キャラ文芸
 アカギツネの妖怪の暁(きょう)は、小さな群れでひっそりと暮らしていた。年々山で採れる餌が減っていき、暁も住み慣れた山を去ることに。  けれど、都会に出た所で餌も採れずに路頭に迷ってしまう。

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐@書籍発売中
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

九龍懐古

カロン
キャラ文芸
香港に巣食う東洋の魔窟、九龍城砦。 犯罪が蔓延る無法地帯でちょっとダークな日常をのんびり暮らす何でも屋の少年と、周りを取りまく住人たち。 今日の依頼は猫探し…のはずだった。 散乱するドラッグと転がる死体を見つけるまでは。 香港ほのぼの日常系グルメ犯罪バトルアクションです、お暇なときにごゆるりとどうぞ_(:3」∠)_ みんなで九龍城砦で暮らそう…!! ※キネノベ7二次通りましたとてつもなく狼狽えています ※HJ3一次も通りました圧倒的感謝 ※ドリコムメディア一次もあざます ※字下げ・3点リーダーなどのルール全然守ってません!ごめんなさいいい! 表紙画像を十藍氏からいただいたものにかえたら、名前に‘様’がついていて少し恥ずかしいよテヘペロ

京都大学という大学の皮を被ったニート養成所に救いの手を!

taka1gou
キャラ文芸
京都大学に通う学生は、チンパンジーと同等の知能レベルしかもっていない。これは僕が、この世間一般に”優秀な教育機関”と勘違いされた大学の監視下で一年を過ごし、得た結論だ。醜悪で怠惰。外道にして阿呆。産業廃棄物以下の生産性。圧倒的な子孫繁栄能力の欠如。学業成績に反比例した顔面偏差値。見下げ果てた人間性。そんな特徴を搭載した神の失敗作こそ京大生である。そして、その下等生物を量産し世界を滅亡に導く恐るべき軍需工場こそが京都大学なのだ。何という恐るべき事実。 そして、そんなニート養成所たる大学に通っていた僕はひょんな出会いから、『京大生補完計画』なる複雑怪奇で怪しさ満点の謎の陰謀に巻き込まれていくことになるのだが…… ※この物語は事実を元に脚色されたフィクションです。実在する人物・団体とは殆ど関係ありません※

ショタパパ ミハエルくん

京衛武百十
キャラ文芸
蒼井ミハエルは、外見は十一歳くらいの人間にも見えるものの、その正体は、<吸血鬼>である。人間の<ラノベ作家>である蒼井霧雨(あおいきりさめ)との間に子供を成し、幸せな家庭生活を送っていた。 なお、長男と長女はミハエルの形質を受け継いで<ダンピール>として生まれ、次女は蒼井霧雨の形質を受け継いで普通の人間として生まれた。 これは、そういう特殊な家族構成でありつつ、人間と折り合いながら穏当に生きている家族の物語である。     筆者より  ショタパパ ミハエルくん(マイルドバージョン)として連載していたこちらを本編とし、タイトルも変更しました。

物書き屋~つくもがみものがたり~

鈴木しぐれ
キャラ文芸
『物の想いをお書きいたします』 紅茶の香りに包まれたブックカフェ、物書き屋。物の想いを本にするという店主の柳は、大家の桜子と共に日々執筆の依頼を受ける。 この二人は人ではなく”付喪神” 人も、付喪神も訪れるそこでは、物を巡る出来事が起こる――

デイサービス ふくふく ~あやかし招き猫付き~

織原深雪
キャラ文芸
小さいころから面倒見てくれた祖母が、弱ってきて私は高校生の時から家族の中で一番、祖母の介護にあたってきた。 バイトも進学もせぬままに、日々祖母のお世話をしてきた。 そんな祖母を、見送った時。 私は二十一歳になっていた。 進学もしていないし、仕事もしたことがない二十一歳。 私、笹倉佳菜恵は、どうしようと思い悩んでた。 そんな時、祖母の介護でお世話になったケアマネさんに言われた。 「佳菜恵ちゃんは、介護の経験値があるよ。僕の紹介で良ければ、介護士で働いてみたらどうだろう?」 そうして紹介してもらったデイサービスふくふくは、眺めの良い立地に建つ一軒家風のデイサービス施設で、穏やかな利用者さんに囲まれて、佳菜恵は自分の時間を取り戻していく。 そして、そこには珍しい尻尾が二つに分かれた猫がいた。 って、この猫私にしか見えていないの?! 新人介護士と、そこに現れる尻尾が二本のあやかし猫との、ほのぼのストーリー。

死んだら男女比1:99の異世界に来ていた。SSスキル持ちの僕を冒険者や王女、騎士が奪い合おうとして困っているんですけど!?

わんた
ファンタジー
DVの父から母を守って死ぬと、異世界の住民であるイオディプスの体に乗り移って目覚めた。 ここは、男女比率が1対99に偏っている世界だ。 しかもスキルという特殊能力も存在し、イオディプスは最高ランクSSのスキルブースターをもっている。 他人が持っているスキルの効果を上昇させる効果があり、ブースト対象との仲が良ければ上昇率は高まるうえに、スキルが別物に進化することもある。 本来であれば上位貴族の夫(種馬)として過ごせるほどの能力を持っているのだが、当の本人は自らの価値に気づいていない。 贅沢な暮らしなんてどうでもよく、近くにいる女性を幸せにしたいと願っているのだ。 そんな隙だらけの男を、知り合った女性は見逃さない。 家で監禁しようとする危険な女性や子作りにしか興味のない女性などと、表面上は穏やかな生活をしつつ、一緒に冒険者として活躍する日々が始まった。

処理中です...