上 下
5 / 9

大国・秦

しおりを挟む
 馮驩ふうかんを食客に加えた孟嘗ちゃん──いや孟嘗君は、ますます声望を高めていった。

 ところで当時、中国の西端に秦という国があった。
 現在の甘粛省あたりとされ、初期は辺境の蛮国と蔑まれた後進国だったが、この頃には実力をつけて他国を引き離しつつあった。
 およそ八十年後に中国全土を統一して、史上初の皇帝──始皇帝を登場させるのは、この秦である。

 さて当時、秦のあるじは始皇帝から三代前、通算でいうと二十八代目の君主、昭襄王だった。
 ちなみに、この時代の君主は『王』を名乗っていた。皇帝という冠名は始皇帝がみずから考案したもので、この頃はまだその呼び名がない。
 昭襄王は天下統一の基礎をつくった名君で、やや小心なところもあったが、その気になれば、あるいは彼の代で天下統一できていたとも言われている。
 その昭襄王が、孟嘗君をスカウトした。
 
 ヘッドハンティングされた孟嘗君は秦に赴いた。すでに首都・咸陽に入り、あとは初出仕を待つばかりになっている。
 当然、昭襄王のもとで重職についていた人々は面白くない。

「確かに孟嘗君は能力、人品ともに優れ当代一流の人材であるといえましょう」
「左様左様。まさに頭脳明晰、博覧強記、当意即妙、全知全能の完璧超人。完全無欠の超絶宰相となるは絶対確実」
「あやかりたいものですなあ。天才きたる! あー、うらやましい、ねたましい」

 と、しつこく昭襄王の耳に入れた。
 人間、配下になる人物があまりに優れていると、ちょっと不安にになったりもする。どうしても自分と比較して、

(俺にそいつが使いこなせるだろうか? 見下されやしないだろうか?)

 と、小心な一面のある昭襄王などは、疑心暗鬼が頭をもたげてくる。
 もちろん性格を知り尽くしている側近が、そういう反応を狙ったのだろう。その効果を見極めてから、

「私の取り越し苦労ならばよいのですが──」

 と、囁くように切り出した。
 このあたりの、持ち上げるだけ持ち上げて落とすやりクチは、紀元前も現代もあまりかわらない。

 彼の人は、つまるところ斉の人でございます。我が国の宰相になられたら、斉と戦争になった場合、はたして平静でいられますでしょうか──いえ、決して疑うわけではありませんが」
「うーん」
 政まつりは時に非情なものでございます。他に方策なくば心を鬼にして敵を殲滅──皆殺しにいたらしめ、後顧を絶つことが避けられぬ場合もございます」
「確かにそうだね」
「はたして、そのなかに親兄弟がいたとすれば、さしもの英昧も判断に毫ほどの迷いが生じることも」
「ないとはいえないか。うん、この話はなかったことにしよう」
「さりとて、このまま帰せば斉で登用され、秦の脅威となりましょう。ひょっとしたら今回のことで我々を恨んでしまうかも」
「そうだね。殺しちゃおうか」

 ひどい話もあったものである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

犬鍋

戸部家尊
歴史・時代
江戸時代後期、伊那川藩では飢饉や貧困により民は困窮の極みにあった。 藩士加賀十四郎は友人たちと光流寺へ墓参りに行く。 そこで歴代藩主の墓の前で切腹している男を発見する。 「まさか、この男は……殿なのか?」 ※戯曲形式ですので一部読みづらい点があるかと思います。

信長の弟

浮田葉子
歴史・時代
尾張国の守護代の配下に三奉行家と呼ばれる家があった。 その家のひとつを弾正忠家といった。当主は織田信秀。 信秀の息子に信長と信勝という兄弟がいた。 兄は大うつけ(大バカ者)、弟は品行方正と名高かった。 兄を廃嫡し、弟に家督を継がせよと専らの評判である。 信勝は美貌で利発な上、優しかった。男女問わず人に好かれた。 その信勝の話。

水流の義士

二色燕𠀋
歴史・時代
二色燕丈時代小説短編 函館戦争の話 ※時代小説短編集(旧)からバラしました。内容は以前と変わりません。

空蝉

横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。 二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

具足屋・玉越三十郎

黒坂 わかな
歴史・時代
乞食の太郎が村を出て出会ったのは、尾張の軍勢だったー。信長公記にも出てくる玉越三十郎の、数奇な人生。 ※この物語はフィクションです。 参考文献:「戦国の村を行く」藤木久志著 朝日新書、「信長公記ー戦国覇者の一級史料」和田裕弘著 中公新書

咲く前の庭

二色燕𠀋
歴史・時代
新撰組、上京前の話 ※時代小説短編集(旧)からバラしました。内容は以前と変わりません。

干将と莫耶(short Ver)

Tempp
歴史・時代
古代中国、干将と莫耶という神の剣が作られた。 短縮版。Long版は8万字くらい予定。

天狗斬りの乙女

真弓創
歴史・時代
剣豪・柳生宗厳がかつて天狗と一戦交えたとき、刀で巨岩を両断したという。その神業に憧れ、姉の仇討ちのために天狗斬りを会得したいと願う少女がいた。 ※なろう、カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ+の各サイトに同作を掲載しています。

処理中です...