ふたりのバルバリ

あしき×わろし

文字の大きさ
上 下
7 / 7

四〇八年 アラリック一世と古強者 後のディオクレティアヌス宮殿 或いは四一〇年ローマ劫略

しおりを挟む
 イリュリクムの中心都市サロナエから西に四ミアリウム余(約六・五キロメートル)、アドリア海を臨むイストリア半島の南湾に、城壁に囲まれた宮殿が建っている。
 ローマの専制君主ディオクレティアヌスがこの宮殿に隠棲してからほぼ百年。千四百年後に『発見』され、ディオクレティアヌス宮殿と名付けられるこの城に、当時、住んでいたのは西ゴート王アラリック一世だった。
 ポルレンティアの敗戦から、また六年が経過している。再びイタリア本土を窺えるほどに勢力をつけていたが、再起をかけて内政と外交に徹した日々は、往年の荒くれ者にも、はっきりそれとわかる変化をもたらしていた。
 今、深々と玉座に腰掛けローマからの投降者を謁見する風貌にも、それが見てとれる。面長い顔には顔には深い皺が刻まれ、頬から下は豊かな髭に覆われていた。見事な肉付きは体躯をひとまわり大きく見せ、長身に羽織るマントにもかつてのような綻びはない。物腰にもゆったりとした余裕があり、所作のひとつひとつに重厚な印象を感じさせるのだった。
 しばらく投降者を見下ろしていたアラリック一世は、やがて重々しく口を開いた。

「汝等の投降は予期していた。が、余が見越したよりも早かった。余はその理由を汝等に問う。何故ゆえ、かくも早く余の前に現れた」
「──スティリコ将軍に、王様のもとに行けと言われました」

 投降者はスティリコの部下達であった。テオドシウス帝の時代から轡を並べ、幾多の戦場を共に駆けてきた生え抜きの古強者である。
 アラリック一世は応えず、無言のままかつての敵を見返していた。どの顔も疲れ果て、沈痛な面持ちながらも、気丈に視線を受けとめている。その表情は虐げられ、傷つけられた誇りを、なおも頑固に手放すまいとしているかのようだった。
 アラリック一世は表情を変えずに言った。

「余のもとにゆけと、スティリコ本人に言われたのか」 
「はい」
「よかろう。その者について、余のもとにも幾通りか情報がもたらされたている。が、いずれも風聞の域を出ず、真偽をはかりかねておる。再び汝等に問う。その者について巷に噂されていることは、真実や否や」
「真実です」

 絞り出すように言った古強者は、ぐっと唇を引き結んだが、嗚咽を堪えきれなかった。

「スティリコ将軍は処刑されました」

 西暦四〇八年八月。西ローマの将軍スティリコは、皇帝ホノリウスに自死を命じられたのだった。スティリコは一切の抵抗をせず、逍遥として刑に服したという。
 アラリック一世は目を閉じ、胸の内に去来すものを反芻するかのように、長らく身動きをせずにいた。いつも通りの沈鬱な表情からは、何の感情も読み取ることができない。やがてぶつぶつと口元が動いたが、言葉として聞きとれる者はいなかった。

「お──王様」

 アラリック一世は目を開けた。

「ひとつ質問をしてもいいでございますか」
「申してみよ」
「王様は俺た──私達が王様に降参するのをわかっていたと言いました」
「然り」
「なぜ、わかったのですか」

 アラリック一世は表情を変えずに、

「スティリコはホノリウスに猜疑心をもたれておった。余と三たび戦い、いずれにおいても優位に戦をすすめながら、三たびとも余を捕らえることができなかったからだ。それをホノリウスは敵と内通しておるためではないか、と解釈した」
「内通だって?」

 悲痛な叫びだった。

「将軍の人柄を知っていれば、そんなことは絶対にありえないと誰でもわかるのに。あの人くらい懸命にローマに尽くした人はいないってのに!」
「しかし、ホノリウスはそれと悟る器量を持たなかった。戦も知らぬ。ただ宮廷の奥深くにこもって政ごとの真似事をしていたに過ぎぬ」

 アラリック一世は感情を交えず、低い声で話し続けた。

「そしてその周囲には、官位の序列のみが政ごとであると心得違いをした佞臣が取り巻いておった。官位が何より大事な佞臣にとって、蛮族の血を引きながら戦場で武功をたて続けるスティリコは、邪魔な存在でしかなかった。それが衰退してゆくローマを、かろうじて支える唯一の存在であったとしてもだ。そして佞臣らは、そこに余と利害の一致をみた」
「王様──まさか」
「暗愚なホノリウスの猜疑を確信に変えたのは余に他ならぬ。わざわざ戦場まで様子を探りにきた宮廷詩人に、スティリコは敵将アラリックと共謀の疑い濃厚なりと報告させたのだ」

 ある者は悔しさに泣き、ある者は憎しみに咽びながら仇敵を睨んでいた。血の噴き出るような視線を浴びながら、アラリック一世はなお泰然として、

「いまひとつ汝等に問う。スティリコは汝等に、出奔して余の元に降るよう命じた。なれば、余に言伝があるはずだ」

 古強者たちは悔し泣きに顔を歪めながらも、戸惑った様子をみせた。心当たりはあるらしい。

「意味が分からずともよい。なんと申しておったか、ありのままに述べてみよ」

 それでも彼らは迷っていたが、やがておずおずと口を開いて、

「私はローマ人だ、と」
「なんと?」
「私はローマ人だ。そう王様に伝えて欲しいと、スティリコ将軍に言われました」

 アラリック一世は絶句した。
 確かにホノリウス帝とスティリコの離間策を弄したのは彼だった。と同時に、彼はスティリコに内応を打診していたのだった。

『外的に抗する術を持たず、もはや民心すらも失ったローマに見切りをつけて、ともども蛮族《バルバリ》の国をつくろう』

 様子を心配した近習が袖を引くまで、アラリック一世は動けずにいた。
 ようやく我に返った彼は古強者に、

「余が憎いか」
「はい」

 彼らは正直だった。
 投降した以上、その一命はアラリック一世の一存にある。心証をよくして温情ある処遇を得よう、あわよくば取り入って禄にありつこう──そんな打算など微塵も考えない男達だった。

「それもよかろう。帰順を許す。処遇は追って沙汰する。下がるがよい」

 投降者達を退出させると、アラリック一世は近習達に、

「そちらも下がれ」
「しかし」
「よいから下がれ。しばらく何人も近寄ることを許さぬ」

 絞りきるようにそう言うと、ぼそりとこう続けた。

「ちっとばかし、ひとりにしてくんな」


 二年後、満を持してイタリア半島に侵攻したアラリック一世は、ついにローマを陥落させた。
 西ゴート王とその軍は、慣例に従い三日間に渡って千年の都を掠奪したという。
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

堅他不願(かたほかふがん)

 無知にも、ご作品で初めて二人の将軍を知りました。スティリコの血を吐くような叫びが胸を打ちます。アラリックは、その後の史実では一応畳ならぬベッドの上で死ねたようですが、あの世ではじっくりいくさ談義に花を咲かせて欲しいですね。

2019.05.30 あしき×わろし

感想をいただきありがとうございます。塩野七生先生の「ローマ人の物語」が好きで、その終盤に登場する二人を目一杯に妄想膨らませて書いた作品です。またよろしくお願いいたします。

解除

あなたにおすすめの小説

【完結】斎宮異聞

黄永るり
歴史・時代
平安時代・三条天皇の時代に斎宮に選定された当子内親王の初恋物語。 第8回歴史・時代小説大賞「奨励賞」受賞作品。

淡き河、流るるままに

糸冬
歴史・時代
天正八年(一五八〇年)、播磨国三木城において、二年近くに及んだ羽柴秀吉率いる織田勢の厳重な包囲の末、別所家は当主・別所長治の自刃により滅んだ。 その家臣と家族の多くが居場所を失い、他国へと流浪した。 時は流れて慶長五年(一六〇〇年)。 徳川家康が会津の上杉征伐に乗り出す不穏な情勢の中、淡河次郎は、讃岐国坂出にて、小さな寺の食客として逼塞していた。 彼の父は、淡河定範。かつて別所の重臣として、淡河城にて織田の軍勢を雌馬をけしかける奇策で退けて一矢報いた武勇の士である。 肩身の狭い暮らしを余儀なくされている次郎のもとに、「別所長治の遺児」を称する僧形の若者・別所源兵衛が姿を見せる。 福島正則の元に馳せ参じるという源兵衛に説かれ、次郎は武士として世に出る覚悟を固める。 別所家、そして淡河家の再興を賭けた、世に知られざる男たちの物語が動き出す。

晩夏の蝉

紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。 まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。 後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。 ※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。  

黒の敵娼~あいかた

オボロ・ツキーヨ
歴史・時代
己の色を求めてさまよう旅路。 土方歳三と行く武州多摩。

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

北宮純 ~祖国無き戦士~

水城洋臣
歴史・時代
 三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。  そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。  そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。  その名は北宮純。  漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。