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ウマ人間から発射された迷子の少女は号泣
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初栄は、ふたりを急ぎに急がせた。
律も日頃から健脚を自慢にしていたが、
「こいつは、また――」
子供とはいえ、人ひとり背負った善八の足腰には、舌を巻くしかなかった。
(こいつ、ひょっとして馬なんじゃねえか)
呆れかえるほかはない。
なにしろ、ついて行くのがやっとなのだ。
ともあれ、急いだ甲斐あって、ほどなくして市川屋に着いた。
なるほど、大店の名に恥じない店構えではある。
「さて」
初栄は、店構えから屋敷の裏までぐるりと見てまわった。
屋敷の裏手は山谷堀にあたり、舟をつけられるようになっている。
薬種問屋の多くは砂糖商もかねており、どちらも江戸後期まで輸入に頼っていたので、長崎、大坂を経由して江戸に運び入れていた。
江戸に着くと、大型の廻船から小舟に積みかえて、運河をつかうことになる。
そうなると舟着き場は、自前のをもつか、近いほうがよい。
「ふむ」
初栄は、塀の向こうに白壁の蔵が見える場所で、立ち止まった。
「ここしかあるまい。善八、また背を貸してくれるかの」
「どうなさるんで」
「肩の上に立って、壁の向こうを覗く」
こともなげに言う。
善八は渋ったが、
「急ぐと言うておろうがの」
そう言われて、渋々、壁際に身を屈めた。
ところが、善八の肩にのった初栄は、彼が立ちあがるさいの反動を利用して、
「ゆるせ」
と、そのままひょいと壁を越えてしまったのである。
「あっ」
見あげたが、もう遅い。
うろたえる善八だが、幸いにも、さほど長くはかからなかった。
ほどなくして壁のむこうから、
「うわあぁぁぁん――」
と、子供の泣き声が聞こえたのだった。
善八が裏木戸を壊さんばかりに叩きまくると、やがて男が初栄の手を引いて、
「まったく、どこから入り込んだんだか。困りますよ、本当に」
ポロポロと涙をこぼして、大きな口をあけて泣きじゃくる初栄は、驚くほど幼く見える。
「まったく、迷子になるような子から、目をはなすからですよ」
「まあまあ、そのくらいにしといてやんな」
律が仲裁に入った。
「おいらは、置網町で十手を預かる律ってもんだ」
「ああ――お噂はかねがね」
「こいつら親子には、この俺がようく言ってきかせるよ。今日のところは、それで勘弁してやってくれねえか」
「まあ、親分さんがそうおっしゃるなら――」
ぶつぶつ言いながら男が戸が閉めると、初栄は途端にけろりとして、
「シロだった。ここは違う。つぎは楠屋であったな」
と、またもや善八の背に飛びのった。
「いやはや、こいつはまったく、たいした姫さんだ」
苦笑しながら律も走りだす。
「時に親分。実に時宜をえた仲裁で、時を稼げてたすかった」
「そいつは何よりでした」
「しかし親子はないであろう」
「はあ、そうですかね」
年格好からすれば、親子でちょうどいいだろうとは思うが、
「じゃあ、次はどう言っておきましょうかね」
「兄妹ということにしている」
むせかえるほど律が笑うので、さすがの初栄も憮然とした。
律も日頃から健脚を自慢にしていたが、
「こいつは、また――」
子供とはいえ、人ひとり背負った善八の足腰には、舌を巻くしかなかった。
(こいつ、ひょっとして馬なんじゃねえか)
呆れかえるほかはない。
なにしろ、ついて行くのがやっとなのだ。
ともあれ、急いだ甲斐あって、ほどなくして市川屋に着いた。
なるほど、大店の名に恥じない店構えではある。
「さて」
初栄は、店構えから屋敷の裏までぐるりと見てまわった。
屋敷の裏手は山谷堀にあたり、舟をつけられるようになっている。
薬種問屋の多くは砂糖商もかねており、どちらも江戸後期まで輸入に頼っていたので、長崎、大坂を経由して江戸に運び入れていた。
江戸に着くと、大型の廻船から小舟に積みかえて、運河をつかうことになる。
そうなると舟着き場は、自前のをもつか、近いほうがよい。
「ふむ」
初栄は、塀の向こうに白壁の蔵が見える場所で、立ち止まった。
「ここしかあるまい。善八、また背を貸してくれるかの」
「どうなさるんで」
「肩の上に立って、壁の向こうを覗く」
こともなげに言う。
善八は渋ったが、
「急ぐと言うておろうがの」
そう言われて、渋々、壁際に身を屈めた。
ところが、善八の肩にのった初栄は、彼が立ちあがるさいの反動を利用して、
「ゆるせ」
と、そのままひょいと壁を越えてしまったのである。
「あっ」
見あげたが、もう遅い。
うろたえる善八だが、幸いにも、さほど長くはかからなかった。
ほどなくして壁のむこうから、
「うわあぁぁぁん――」
と、子供の泣き声が聞こえたのだった。
善八が裏木戸を壊さんばかりに叩きまくると、やがて男が初栄の手を引いて、
「まったく、どこから入り込んだんだか。困りますよ、本当に」
ポロポロと涙をこぼして、大きな口をあけて泣きじゃくる初栄は、驚くほど幼く見える。
「まったく、迷子になるような子から、目をはなすからですよ」
「まあまあ、そのくらいにしといてやんな」
律が仲裁に入った。
「おいらは、置網町で十手を預かる律ってもんだ」
「ああ――お噂はかねがね」
「こいつら親子には、この俺がようく言ってきかせるよ。今日のところは、それで勘弁してやってくれねえか」
「まあ、親分さんがそうおっしゃるなら――」
ぶつぶつ言いながら男が戸が閉めると、初栄は途端にけろりとして、
「シロだった。ここは違う。つぎは楠屋であったな」
と、またもや善八の背に飛びのった。
「いやはや、こいつはまったく、たいした姫さんだ」
苦笑しながら律も走りだす。
「時に親分。実に時宜をえた仲裁で、時を稼げてたすかった」
「そいつは何よりでした」
「しかし親子はないであろう」
「はあ、そうですかね」
年格好からすれば、親子でちょうどいいだろうとは思うが、
「じゃあ、次はどう言っておきましょうかね」
「兄妹ということにしている」
むせかえるほど律が笑うので、さすがの初栄も憮然とした。
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