鬼姫吟味帳

あしき×わろし

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若旦那の放心と逐電、あるいは姐御親分の一計

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 番頭にこってりと絞られた伝一郎。
 そのおかげか夜遊びもぴたりと止み、番頭以下、皆も胸をなでおろしていたのだが――
 やはり、どうも様子がおかしい。

「あの、どこか、お悪いんですか」

 そう呼びかけられても上の空、三度目にやっと気がついて、

「えっ? な、なんでしょう?」

 と、慌てふためくというありさま。
 いつも、そわそわと落ちちきなく、食事もろくにノドを通らない。
 寝ていても急に叫んで跳ねおきるといった具合で、やはり医者でも呼ぼうか、と話をしていた矢先に――

 ふい、と姿を消してしまった。

 しかも、今度はただの夜遊びではない。
 熱をだした手代にかわり集金にいき、そのまま売掛金もろとも消えたのだ。

「あきれ果てたやつめ」

 さすがの当代も頭から湯気をたてて、

「もう親でも子でもない。番頭さん、これはもう決めたことだよ」

 と、勘当を宣言した。
 だが、放っておくわけにもいかない。
 とにかく、その日は看板をおろし、皆で手分けして探すことにした。
 なにしろ店の評判にかかわることなので、大っぴらに訪ねてまわるわけにもいかないが、そこは番頭もかつては若い衆、すこしは遊んだクチである。
 昔の仲間から、口のかたいのをえらんで、

「まあ、どうせ賭場か岡場所だとは思うが、ひとつ、みつけておくれ」

 と、小判をにぎらせた。
 だが、それでも伝一郎はみつからない。
 よもやと思い、沼や池まで見まわったが、

「はて、どこへ行ったものか――」

 首をかしげるしかなかった。


 ※ ※ ※ ※ ※


「こっからは、私がじかに見聞きした話になりやす」

 律はエヘンと咳払いをした。

「ふむ。富岡屋から届けがあったのだな」
「左様で。看板に傷がつかぬよう、内密にさがせぬか、と頭を下げられました」
「ふむ」
「そこで、まあその、ちょいとひと肌、脱いだわけでして」
「冨岡ほどの大店となれば【付け届け】も楽しみというわけだの」
「姫さんにゃ、かないませんや」

 岡っ引きに給料はない。
 ただ裕福な町人からは、たまに金銭が贈られて、これを、

【付け届け】

 といった。
 賄賂というほどの目的はなく、謝礼というほど理由が定かでもない、いわば慰労手当という意味合いの贈答金だった。

「いや、こちとら金で悪事に目があいたり、つむったりする外道じゃありませんぜ」
「親分のことだ。そうであろう」
「まあ人捜しくらいなら、手を焼いてやってもと思ったまででさ」
「で、どこから手をつけたかの」
「縁日で、伝一郎にそっくりなやつが、婆さんがさげてる巾着を、かっぱらったって話にしときました」

 初栄は吹きだした。

「なるほど。きいたか善八、さすが置網町の親分だ」
「おだてちゃいけません」
「で、伝一郎によく似た掏摸を見なかったかと、自身番にふれまわったのだな」
「さすが姫さん、話しが早えや」

 律は勝手に【姫さん】とあだ名をつけて、そう呼ぶことにしたらしい。
 気の早い親分ではあった。
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