ホシノミタユメ -まだ何者にもなれない僕たちは、夜空に新星の夢を見る―

矢立まほろ

文字の大きさ
上 下
28 / 35
第7話『素顔』 Side菜摘

7-

しおりを挟む
 日もまたぎ、十月はじめの土曜日。朝早くにわたしは家を出た。

 智幸さんのカメラの処遇は今日で決まる。
 その事もあってか、昼前には智幸さんを除く天文部のみんなが揃っていた。

 もうすっかり秋だというのに今年は台風が少ないらしい。
 天気も晴れの日が続き、気温は例年よりも高い値を示していた。

 わたしたちの住む地域も、風は冷たいのに日差しは暑い。気候の移り変わりを、まさしく肌で感じているようだった。

 三人で智幸さんを部室で待った。

 どこか調子が悪そうに退室した美晴ちゃんを追いかけるように、しばらくしてわたしも部室を出た。宗也くんが一緒に来ようとしたのを、適当な理由を付けて拒む。どうも、誰かと一緒に居るような気分ではなかった。

 気晴らしに校舎を隅から隅へと歩きまわる。三年生の教室は全てしまっていて、一年生の教室からはどこかの部活の生徒が談笑する声が漏れていた。

 カメラが壊れてからずっと、天文部の空気は悪いままだ。誰もが息苦しさを覚えているだろう。数日前まで笑いながら他愛のない話をしていたのが、ずっと昔の事のように思えた。

 校舎をずっと歩きまわっていると、智幸さんがやってきた。

 わたしが居た渡り廊下は部室棟への通路でもなかったから、虚をつかれた風にわたしの心はざわめいた。

 智幸さんの話から察するに、どうやら美晴ちゃんとも会っているらしい。どういう事情かわからないが、時間をつぶしたいのだそうだ。

 簡単な話をした。
 わたしたちに気を遣ってくれているのか、カメラの話もしてくれた。

 わたしからも話をすこしだけ持ちかけた。
 あの、箱の話を。

 すると、智幸さんは言った。

「僕は、開けるよ。絶対にそうしなければ欲しいものが手に入らないのだったらね」

 その言葉はわたしの頭を強く揺さぶるようだった。

 いつまでも脳内を反響し続けた。

 智幸さんと別れてからも、廊下を歩く足取りは重く、その言葉をずっと引きずっているかのようだった。

 しばらく時間を置いて部室に戻った。
 その時には、すでに智幸さんを含む全員がそろっていた。

 美晴ちゃんはなぜか瞳を赤くしている。部屋の真ん中に立っていた宗也くんも、いつもより険しい表情を浮かべていた。

「みんな揃ったみたいだね」

 壁にもたれかかっていた智幸さんが身体を起こして言う。それを皮切りに、全員の視線が智幸さんへと集まった。

「とりあえず、カメラの件はもうどうしようもない。見たところ、完全に壊れちゃってるみたいだからね」
「結局、直るんですか?」

 宗也くんの問いに、智幸さんは深く頷いた。

「これぐらいなら修理はできる。でも結構費用がかかるから、正直に言うと、安い新品を買った方が得だったりもするんだ。でも、とりあえずは修理に持っていってみようかなと思ってるよ」
「お金って……どれくらいかかりますか?」

 細々とした声で尋ねたのは美晴ちゃんだ。

「それはわからない。数万円か……もしくは、もう少し安いくらいか」

 智幸さんはさらりと答える。
 さすがに、高校生が易々と出せるような額ではない。

 訊いた本人である美晴ちゃんも、ぽっかりと口を開いていた。

 また、嫌な空気が流れ始める。
 気まずさが部屋を満たしていった。

 そんな時だ。

「なあ、天乃」

 不意に、宗也くんがわたしを見つめてきた。
 胸が瞬間的に締め付けられ返事ができなかった。ただ、慌てて彼に視線を向ける。

 宗也くんは、わたしを一心に見ていた。

「新星、見つけるんだよな」
「うん。もちろんだよ」
「見つけたいんだよな」
「……うん」

 質問の意図がよくわからない。

 わたしはずっとそう言い続けてきたではないか。なぜ今になって確認しようとするのか。

 不審に思い、しかし内心では自分自身を笑っていた。
 なぜ、だと。そんなもの、わたしが一番わかっているはずなのに。

「智幸さん、カメラは絶対に弁償します。今払えなくても、いつかは。だから――」

 身体を智幸さんに向けなおし、宗也くんは真摯に言葉を並べた。
 智幸さんはそれに穏やかに微笑を浮かべて耳を傾け、

「わかってる。僕もこんな中途半端でやめるつもりはないよ。記事のほうもまったく書けてないしね」

 宗也くんだけじゃない。わたしたちに、彼は言う。

「またやり直そう。幸い、これまで撮ったデータは残ってるんだ。どうにかカメラを調達できれば、問題なく再開できるよ。まだ練習とかばかりだったけど、次からは座標とかもちゃんと定めてもっと本格的なものにしようか」

 智幸さんの声はとても力強かった。
 わたしの、心の奥の何かがざわりと騒いだ。

 歓喜――いや違う。よくわからない、なにか。

「これでまた一歩、夢に近付けるよ。菜摘ちゃん」
「そう、ですね」

 頬をつり上げ、わたしは智幸さんに笑顔を作って答える。

 不思議な感覚だった。

 智幸さんの大人びた対応のおかげだろうか。みんなが安心して、良い具合に調子を取り戻してきている。部屋の隅で縮こまっていた美晴ちゃんも、すっかり表情を整え、小さく笑みを浮かべていた。

 また元通りの天文部に戻るのも、きっと時間の問題だろう。

 わたしの夢が、近付く。

 わたしは、大人になれる。子どもではない事を証明できる。お父さんもお母さんも、これでやっと認めてくれるはず。

 …………。

 これが、わたしの望んでいたことなのだ。

 わたしが欲しいもの。
 箱を開けなければ、それは手に入らない。

 なら、まずは開けてみよう。そう思えた。
 そうしなければ、何も始まらないし、終わらない。

 悔むのも、喜ぶのも、全てはその後だ。

 わたしは独りではない。宗也くんが居てくれる。美晴ちゃんや智幸さんも手伝ってくれている。もし倒れそうになっても、支えてくれる人たちがいるのだ。

 みんな、わたしについてきてくれている。わたしの夢を応援してくれている。

 だけど、踏み出すにはまだ勇気が足りない。
 どうしても付き纏う恐怖を払拭しきれない。

 あと、ひと押し。

 開いてしまわないようにと、わたしが自分で箱にとり付けた錠。それを開けるための鍵が、わたしには足りない。

 岩に打ちつけられたわたしを悪夢から救ってくれる、勇者が――。

     *

 スマートフォンで時間を確認する。
 九月も終わる、木曜日。もうすぐ夜の八時だ。

 とっくに完全下校時間の過ぎた校舎は気味が悪いほどに静かだった。

 わたしは息を呑んでゆっくりと部室の扉を開けた。

 見慣れた部屋の様子が閑散と広がっている。
 宗也くんも、美晴ちゃんもそこに居ない。みんな帰ってしまった暗がりの部室。

 無駄に広く感じるそこは、違和感の塊だった。

 気が付くと空はもうすっかり暗くなっている。
 電気もつけていない部屋に、淡い月光が差し込んでいた。

 部屋の中へと足を踏み込んでいく。
 一歩一歩が重たく、自分の足音に胸が高鳴った。

 机の上に、ケースから出されて剥き出しになったカメラが置かれていた。

 智幸さんに無理を言って借りたカメラ。さっきまで誰かが触っていたのだろう。机の端で今にも落ちそうになっていたそれを、わたしはそっと掴み上げた。

 この中に全てが詰まっている。
 わたしの夢を叶えてくれる、全てが。

 わたしはぐっと強くカメラを握った。両手で、しっかりと。

 唇を強く噛み締める。痛みが広がり、わたしの意識を無理やりにでも鮮明に覚ましていく。薄らと、瞳に涙が浮かんだ。

 そして――。


 わたしはカメラを高く掲げ、指の力を抜いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

金字塔の夏

阿波野治
ライト文芸
中学一年生のナツキは、一学期の終業式があった日の放課後、駅ビルの屋上から眺めた景色の中に一基のピラミッドを発見する。親友のチグサとともにピラミッドを見に行くことにしたが、様々な困難が二人の前に立ちはだかる。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

処理中です...