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第3話『秋を駆ける星』 Side美晴

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 今日の授業の終わりを告げるチャイムが響いた。

 簡潔にホームルームが済まされる。
 窮屈な空間から解放され、誰もが嬉しそうに下校の準備をしていた。他愛のない話をしながら教室を出て、放課後の緩んだ空気を存分に吸いながら帰っていく。

「行こうか、美晴ちゃん」

 鞄に教科書を詰め込んでいると、菜摘ちゃんがやってきた。提げた鞄は明らかに薄い。教科書が詰まったあたしの鞄とは大違いだ。

 準備を終え、あたしも席を立った。

 宗也くんの席のほうに目をやる。彼も、ちょうど教室を出ようとしているところだった。先生がよくあたしたちに雑務を頼んでくることもあるが、今日はみんな一緒に部室へと行くことが出来そうだ。

 三人が合わせるようにして廊下へと出た。

 向かうのは下駄箱とは正反対の方向。
 大勢の生徒とすれ違いながら、あたしたちは部室棟へと歩いていった。

 今日は、智幸さんが来る日だ。

 智幸さんの提案で、あたしたちは週に二度の観測会を開くことにしていた。
 さすがに毎日は多いし、智幸さんもそう連日で出てくることはできないらしい。

 実家の本屋の手伝いをする回数が減り、脛をかじらせてもらっている両親からの目が痛いのだと、智幸さんはあたしたちに苦笑しながら話していた。

 今日はその、二度目の観測会だ。

 部室でしばらく待っていると、智幸さんがやってきた。

 コンビニで夜食を買い、みんなで屋上に上がった。

 黄昏色の空があたしたちを出迎えてくれる。夜食のおにぎりを食べ終わる頃には太陽もすっかり西の山に隠れ、空一面は青味の強い藍色で満たされていた。

 すでに、ちらほらと星が窺える。

「星が出てきたね」

 空を仰ぎながら、菜摘ちゃんが呟いた。

 西の空に高く浮かんでいる黄色い光は、金星だ。宵の明星。辺りの星よりもずっと大きく、その存在を主張している。それとは正反対の黒ずんできた空にも、砂粒のように小さな星がいくつか瞬いていた。

「これからもっと増えるよ」

 バッグからカメラを取り出しながら智幸さんは言う。彼の言うとおり、数十分も経たずして、数えきれないほどの星が天を埋め尽くした。

 宗也くんも菜摘ちゃんも、ただ黙って星を見上げ続ける。

 些細な明滅を見せる星。良く見ると、ゆらゆらと揺れているように見える星。赤い星、白い星、黄色い星。夜空は、いろんな顔をあたしたちに見せてくれる。

 その一つひとつの小さな違いは、普段、ふと見上げてもなかなか気付かない。

 こうやってまともに見上げるのは二度目だが、これはきっと、何度見ても深く感じさせられることだろう。それぐらいに綺麗で、うっとりとしてしまう光景だった。

 前に倉庫で見つけた望遠鏡を組み立てる。倍率の低い安物の屈折式経緯台だけれど、ちょっと星を見るだけには十分だ。

 星さえ見えれば、ひとまずはそれでいい。
 ひとまずは星空を見て、位置関係を覚えていくことからのスタートだから。

 倉庫にあった経緯台は、いうなればカメラの三脚の上に丸い筒を乗せたようなだけの形だった。その筒の、太くなっている方とは逆のところに付いている接眼レンズを覗きこめば、綺麗に瞬く星を観察することができる。

 ピントや角度などの細かい調整はすべて智幸さんがやってくれていた。

「秋の空は比較的に大人しめで、これといって目立つ星も少ないんだ。だけど、凄くおもしろい神話があるんだよ」

 星空を仰ぎながら智幸さんが話してくれる。
 あたしたちは首を持ち上げたまま、耳だけを傾けた。

 こういった星にまつわる事を智幸さんは教えてくれる。新星を探すというよりも、活動はもっぱら彼の座学だ。程よく噛み砕いた語りは、天体に疎いあたしたちでも楽しく聞くことができた。

「これぐらいの季節になると、北東の空にケフェウス座という星座がのぼるんだ。そのすぐ下にはあの有名なカシオペヤ座もある。ギリシャ神話では、ケフェウスとカシオペヤは夫婦でね。エチオピアの王と、その妃として君臨していたんだ」

 カシオペヤ座。あたしでも知っている、あのアルファベットの形をしたものだ。だけどそれ以外はまったく知らない。

 智幸さんの指差した方向を見やりながら、ゆっくりと話すその続きを待った。

「二人には、アンドロメダという娘がいた。そりゃたいそう美しかったみたいでね。母であるカシオペヤは、彼女を口々に自慢し、周りに大口をたたいてまわったそうだ。自分の娘は誰よりも美しい。海に住まう五十を超える美しい女神たちも、彼女の前ではその美を失ってしまう。そういったことを言って回ったそうだよ」

「凄い自信ですね」

 あたしは思わず呟いていた。
 それに菜摘ちゃんも言葉を続ける。

「今で言う親バカというやつだね。まったく、いつの時代でもいるものなんだね」

 そうだね、と智幸さんは菜摘ちゃんを見て苦笑した。
 頬を緩めたまま話を続ける。

「そこで、自分たちを悪く言われて怒った女神たちは、海の王であるポセイドンに告げ口をするんだ。それを聞いたポセイドンも怒りを覚え、化け物クジラにエチオピアを襲わせたんだ。大津波が民を襲い、たちまち王国は壊滅の危機に陥った。だけど化け物クジラは暴れるのをやめてくれない。国が蹂躙されていくのを嘆いたケフェウスは、神々に助けを求め、その答えとして娘のアンドロメダを化け物クジラに差し出すことになってしまったんだ」

 本当に迷惑な話だ。

 勝手に自分を担がれ、そのうえ生贄として捧げられてしまうアンドロメダ。
 悲劇のヒロインとでもいうものだろうか。

「ほんと、最低の親だね」

 不満そうに、菜摘ちゃんは智幸さんの話に割り込み口を尖らせていた。

「生贄として岩に打ちつけられたアンドロメダに、化け物クジラが食らいつこうとする。絶体絶命かに思えたその時、空の彼方から天馬ペガススに乗った勇者が颯爽と現れるんだ」

「おお、なんだか格好いい展開だね。男の子は、こういうのって胸が熱くなるんじゃないかな」

 わざとらしく菜摘ちゃんが笑う。その隣で、宗也くんは肩をすくめた。

「まあ、いいんじゃないか。ピンチに駆けつけるってのは王道だし」
「じゃあ、もしわたしがピンチだったら、部長くんは駆けつけてくれるのかな?」

 その菜摘ちゃんの問いに、あたしは思わず、呑もうとしていた唾を吐きだしてしまいそうになった。みんなに気付かれないよう、口許を隠してこっそりと咳こむ。

 いきなりで驚いたせいだ。別に特別な関係とか、変な意味は無いのだろう。宗也くんもこれといって表情を変えず、軽くあしらうように言葉を返す。

「さあ、どうだろな」
「もう、味気ない返事だね。部長くんのばーか」

 菜摘ちゃんは悪戯に笑みを浮かべ、まるで身の詰まっていない言葉を吐く。宗也くんも智幸さんも、他愛ない笑い声を漏らしていた。あたしも釣られるように声を出して笑った。

 まだ表情に笑みを引きずったまま、智幸さんは話を戻す。

「彼の名前はペルセウスと言って、メドゥーサと呼ばれる、見るものを石にしてしまう怪物を討ち取った帰りだったんだ。アンドロメダの美しさに見惚れたペルセウスは、討ち取ったメドゥーサの首を襲い来るクジラに向ける。すると瞬く間にクジラは石になってしまい、海の底に沈んでいったんだ。めでたく助けられたアンドロメダは、ペルセウスの妻になって末永く幸せに暮らしたという」

 めでたしめでたし、と智幸さんは締めくくる。

「これが、僕の知る神話。大雑把にだいぶ割愛しているけど、だいたいは合ってると思うよ」
「ドラマチックですね」

 あたしが言うと、みんなは頷いた。

「両親のせいで絶体絶命の危機に。そんな少女を、勇者ペルセウスが駆けつけて助ける。ほんと、良い話だと思うよ」

 智幸さんは楽しそうに言った。朗らかに笑いながら声を高らかに言うその姿は、まるで無邪気な子どもみたいだった。

 それからは、自然と全員の視線が星空へと戻る。

 智幸さんが教えてくれた話を思い出しながら、その星座を探した。見上げた空はさっきよりもずっと鮮明にあたしの瞳へと光を映した。

 静かになる。
 山から響く、葉の擦れる微かな音が、虫の声が、柔らかく、耳に届く。

 雲ひとつない空は、すうっと息を吸いこめば、散りばめられた星も、空気と一緒に肺へと入ってくるのではないかと思えるくらい澄んでいた。

 ゆっくりと時間が過ぎていく。
 誰もが、その表情を緩めている。
 敷き詰められた星の絨毯に、笑顔をゆだねている。

 こんな時間がこれから続いていく。
 そう思うと次の観測会も楽しみになった。

 隣を見ると、そこには宗也くんが居る。

 あたしは今、幸せだ。幸せなのだ。

 ――この愛おしい時間が、ずっと続いてくれますように。

 あたしは、そっと星に祈りを込めた。
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