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○4章 手汗魔王と繋いだ手

 -17『ボクを繋いでくれる仲間です』

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 ボクの力は誰にも負けないと思っていた。
 強すぎて、だから誰もボクに近寄れないのだと思っていた。

 けれどその力はあっさりと打ち砕かれた。ボクの心と一緒に。

「不思議であると思うか」

 まるでボクの心を盗み見たように声がかけられた。
 ただ独り残されていたボクは、突然の声に驚き顔を持ち上げた。

 いつの間にか髭の深い老人が目の前に立っていた。

「……だ、れ?」
「少年よ。無力である我々を許してくれ。おぬしを頼らざるを得なかった我々を」

 慈悲深いような優しい声。
 その声には聞き覚えがあった。

「もしかして、トラッセルの町で会った――」

 まさしく、あの露天商のように思った外套のおじいさんその人だった。

 しかし今日は外套は羽織らず、白く艶めいた絹の衣装を纏っていた。その清潔さを象徴するような純白の衣から、二つの巨大な翼が広がっている。

「天使族、だったんだ……」

 驚きはするものの、途方もない体の痛みと疲労で乾いた笑いが漏れる程度しか反応できない。

 その天使族の老人は、哀れむようにボクを見下ろし、落ち着いた声調で言葉を続ける。

「おぬしの力は、他者を排斥しようとする負の力。それが、その影響を受けた人間にも作用し、その者の内にある黒い感情を増幅させる。増幅したそれは己を蝕み、巨大な悪意となって身を滅ぼさせるのだ」

「それが……ボクの力の正体?」
「そうだ」

 そういえば彼は言っていた。

『魔法というものは心が大きく関係する』

 だから、全てに絶望して何者も寄せ付けないようにしていた昔のボクの力は強大だった。

「あの娘はどこまでも実直だった。恐ろしいほどに己を信じ、心の罪過を抱かぬよう全力で前向きに生きてきた。そしてなにより、おぬしを信じていた。だからこそ、あの娘だけはおぬしの力の影響を受けなかったのだろう」

 そうだ。
 確かにエイミはずっと自分本位で、芯のある少女だった。

 一度だって挫けたことはないし、いつもボクを引っ張ってくれる、強い心を持った子だった。

 エイミが表情を曇らせたのを見たのは、あのワドルドにその身を捧げる時が初めてだった。今の彼女なら、きっと森でボクの力に飲まれていたことだろう。

「今のおぬしには、他者を排除しようとする心からの憎悪がない。お前は知ってしまったのだ。隣に誰かがいる温かみというものを。それはおぬしが渇望していたもの。それと同時に、嫉妬し、憎んでいたものだ。それを手に入れ、おぬしの力は消え失せた」

「そんな……」

「皮肉なものだな。おぬしが孤独から解放され心を恵ませれば恵ませるほど、おぬしの根底に溜まっていた絶望という澱みは浄化され、無尽のような心の闇は消え去っていった。救われれば救われるほど、お主の力は弱まっていっていたのだ」

 それじゃあまるで、ボクが悪いみたいじゃないか。

 ボクがずっと森の中で孤独にいれば、エイミたちと出会うこともなかった。何にも勝る力を失うことはなかった。

 いや、けれど。
 もしエイミたちに出会ってなければ、ボクはきっと、その力を何に活かすこともできずに絶望し続けていたことだろう。

 どちらに転んでも、何かを失う。

 ああ、そうだ。

 エイミを目の前で失ってしまうくらいなら、いっそのこと、森から出なければ良かった。そっちのほうが、ずっとよかった。

 森の奥でボクが心を閉ざし続けるだけで終わるのだから。

 ――でもそれでエイミが救われるのか?

 ボクの中でボクが問う。
 わからない。けれど、その結果でボクが喜怒哀楽を覚えることはないだろう。

 喜ぶことはないけれど、落ち込むこともない。
 森の中で過ごしていた何年もの間、ずっとそれを繰り返してきたのだ。

 ――最初からエイミに会わなければよかった。

 そうすれば、傷つくことはなかったのに。

 うな垂れるボクに、しかし天使族の長老は語気を強めて言う。

「しかし魔法の才が消えたわけではない。その動力源ともいえる魔力はいまだおぬしの中に顕在している。それを出力するための心の力が足りないのだ。魔法というものは、感情が振り切れただけで誰でも使役できるものではない。元よりの資質、そこに精神力が加わって、初めて体現するものなのだ」

「つまり、ボクがまた、心の闇を極限にまで振り切れば、また力を出せるっていうこと……?」
「そういうことであるな。しかし、今のおぬしにそれができるであろうか」

「どうして。前まではそうだったんだ。できないはずがない」
「左様か。なれば今、ここでそれを発揮してみよ」

 長老に言われ、ボクは心の中にエイミの顔を思い浮かべた。

 彼女が遠ざかっていったあの時の辛さ、悔しさ。そんな負の感情を募らせていく。心がぐらりと揺らぐような感覚。おぞましく、黒いものに満たされるようなくすぶる重たさ。

 エイミを助けに行かなきゃ。
 ボクが彼女を手伝ってあげなきゃ。

 そう約束して、あの森からボクをここまで連れてきてもらったのに。

 でも、どうして――。

「力は出ぬだろう」

 長老が冷淡に言い放った。

 その通り。いくら心に負の感情を抱かせようとしても、森の中にいた時のような、ボク自身を呑み込もうとするほどおぞましいどす黒い感情を生み出すことができなかった。

「……なんで」

「それは、おぬしが他者を知ってしまったからだ。孤高の王として万物を拒絶し、全ての存在を遠ざける。その深き憎しみを忘れ、おぬしは他者と寄り添う喜びを知った。他者を傷つけてしまうという恐ろしさも知った。もし今、ここでおぬしの当時の力を発揮したものならば、わしや、パーシェルたちは一人残らずたちまちに死ぬことであろう。いや、その力は更に広がり、この城全てを呑み込むやもしれん」

 エイミを失うという、それほどの力に至るだけの負の感情がボクの中にはある。しかしリリオたちを巻き込まないように、無意識に心が力を制御してしまっているのだ。

「だったら、みんなすぐに城から出て行ってよ。ボクだけだったら問題ないんでしょ」
「城全体を呑み込むほどの負の力。それは森にいた頃の比ではない。おぬしの心すらをも壊しかねんぞ」

「それでもいいよ。エイミを助けられるのなら。ボクなんて、壊れたって構いやしないんだ」

 どうせもともと独りだった人生。
 森の奥で、誰にも知られることなく、誰にも関わることなく、ひっそりと終えるはずだった人生なのだ。

 それをエイミのために使えるというのなら、それで十分ではないか。

「何の役にも立たないガラクタに、唯一まともな使い道があったってだけだよ。だから、ボクは――」

 自嘲まじりに、ボクがそう吐き捨てようとした時だった。

 突然、

「ふざけるな、でございますです!」

 耳を劈くほど大きな声が届いてきた。

 リリオだった。
 ここまで追いついてきたらしい。ミレーナやパーシェルの姿もある。

 ボクへと駆け寄り、抱きつくようにボクを抱え上げる。そんなリリオの声はひどく震えていた。三角の耳は折れ曲がり、尻尾も元気なくうな垂れている。

「無碍に自分を犠牲にすることの愚かさを、私はお二人から教わったのでございますです。だからこうして一緒に旅をして、ここまできたのでありますです。道中は大変なこともありましたが、いろんなものを見れて、いろんな経験をできて……ただ奴隷のように漂白とした時間を過ごしていた自分が嘘だったかのように、楽しい時間を過ごせましたのです」

 鼻を啜る音が聞こえてくる。

「そんな私を救ってくださったアンセル様から、そのような言葉は聞きたくもなかったのございますです」
「……リリオ」

「アンセル様はもう、お独りではないのであります。貴方様のことを想っている人が、ここに、ちゃんといるのでありますです!」

 彼女の頬を伝った涙が、ボクの首元に落ちる感触がした。
 それは冷たくて、でもどこかあたたかくて、すっと背筋を垂れていった。

「まったくその通りなのじゃ」
「本当に、私よりもずっと大馬鹿さんですねぇ」

 気が付くと、いの間にかミレーナとパーシェルも傍に立ち寄ってきていた。

「わらわは一人前の魔術師にならねば町に帰れん。お前が魔王と呼ばれるほどの実力を持っているというのなら、特別に、この希代の天才魔術師であるミレーナ様が弟子になってやってもよいというものじゃ。じゃから勝手に死なれては、わらわの計画に支障が出るというものなのじゃ」

 勝手なことを、胸を張ってミレーナが言ってくれる。

「出来ると思えば、意外となんだってできるのじゃ! わらわだって、自分を強く信じたから魔法が使えたのじゃ、きっと」

 その隣に立つパーシェルは、少しも緊迫さなどうかがわせない、いつも通りの気の抜けた顔だ。

「人生と言うものはけっこう単純なんですよ。ご存知ですか? 美味しい物をたらふく食べて、あったかいお布団で眠る。たったこれだけで、何にも負けない幸せ人生のできあがりなんです。そこに、ちょっとした個人個人のトッピングが加わって、酸いも甘いも色々になるんですよ」

「どういう意味じゃ、パーシェル?」
「それはですね……細かいことを深く考えたら負け、ということです」

 きっぱりと言いのけるパーシェルの表情は呆れるくらいに朗らかだった。

「なるほど。実直な馬鹿が一番強いということじゃな」
「むー、なんですかそれー!」

 珍しく良いことを言ったと思ったのに、その締まりの悪さは彼女らしい。

 けれど彼女の笑顔は、太陽を見上げるみたいに眩しかった。

 リリオが自分の袖で涙を拭い、抱きついた体を離してボクに向き直る。

「私たちがついていますですよ」

 そう言って、リリオは満面の笑みを向けてくれた。

 なんというか。
 こんな一大事だというのに、どうして彼女たちはこうなのだろう。

 ひどく明るくて、ひどく前向きで。
 ボクを少しも引き返させてくれない。

 そういうところはエイミとどこか似ているかもしれない。
 エイミに手を引かれ、気付けばこんなところにまでやってきた。

 森の中で独り寂しく過ごしてきただけなのに、あっという間にいろんなことに巻き込まれ、知らぬ間に国の窮地に居合わせてしまっている。

「……本当に……ボクの人生ってなんなんだろう。いったい何のためにあるんだろう」
「アンセル、さま?」

「ずっと、森の中でそんなことを考えてた。でも、いま、わかった……いや、決めたよ」

 歯を食いしばって立ち上がる。

「エイミを助ける。そして、一緒に連れ帰る。そのためにいま、ボクはここにいるんだ」

 ここにまで導いてくれた彼女の手のぬくもりを、覚えている。

「リリオ、ミレーナ、パーシェル。ボクはボクの役目を果たしたい。手伝ってくれるかい」

 ボクの声に、もはや焦燥や絶望といった色はなかった。

 一人で背負わなくていい。
 一緒に歩いてくれる人たちがいるから。

 ボクの心は、エイミがいなくなったって、いまも前を向いて進み続けている。

 清々しく笑んだボクに、

「もちろんでございますです」とリリオたちは頷いてくれた。

 勝てる算段なんてなかった。
 圧倒的なバルドルの力。たとえリリオたちと束になっても敵わないだろう。

 それでも、指を咥えて見ているよりはずっといい。
 ほんの少しでも、隙を突いてでも、可能性があるのなら――。

 震えそうな足を踏みしめて、ボクはゆっくりと立ち上がった。
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