家出令嬢の温泉旅館繁盛記! ~婚約破棄のために、素人令嬢は寂れた旅館を復興させます!~

矢立まほろ

文字の大きさ
上 下
34 / 53

 -8 『行き違い』

しおりを挟む
 お皿に盛ったクッキーを私が子供達へと差し出すと、彼らはは我先にと群がり勢いよく頬張っていった。

「おいしい!」と子供達はにんまりと破願させる。

 よかった。
 初めてだけどいい具合にできているようだ。

 安堵に息が漏れる。

 クッキーを食べた子供が喜び、それを見て他の子も駆けつけてはクッキーを食べにくる。わいわいと楽しそうにはしゃぎながら食べる子供達に、私とフェスは息苦しく囲まれながらも、微笑ましい気持ちで受け止めていた。

 紅茶を片手にロロ達も席に着き、ついでに元の目的である話し合いをしている。

 そんなロビーの片隅で、アンジュは子供達から少し離れた大時計の前に向かっていた。

「あの。ヴェル……」
「ああ、アンジュさん。どうしたのかな」

 今日は工房ではなく完成した金具の取り替えのために旅館へと訪れていたヴェルの元に、アンジュはハンカチで大事に包んだクッキーを片手に歩み寄る。

 古い材木の使われた大時計は、新しい木材で補強してもどうしても違和感がでる。長い年月を掛けて変色した木とはづしても質感や見た目が違うからだ。

 せめて少しでも長く使えるようにという、金具による補強がヴェルの仕事だ。

 それも、もうほとんど終わろうとしていた。
 大時計を補強するための金具を付け替えるだけ。その金具には細やかな彫金が施されており、可憐な花や葉の模様が描かれている。

「……綺麗」

 目を奪われたアンジュは、しかしふと気を取り直し、手に持っていたクッキーを差し出した。

「これ。みんなで作ったの。これは私が。だから、よかったら」

 アンジュの声は緊張したように上擦っていた。

 彼女の手の平の上に乗せられたクッキーは少し黒くなっていて、焦げていた。それにひびが入っているものもあってやや不恰好だ。それでも、彼女が一生懸命作ったとよくわかる。

「これを、ボクに?」
「そうよ。工房でたくさん見学させてもらったし、それに……この前壊しちゃったお詫びに。ちょっと……形は悪くなっちゃったけど」
「なるほどね」

 申し訳なさそうに困り眉を浮かべるアンジュに、ヴェルは少しも気にしていない素振りでクッキーを受け取ってみせた。そして焦げのあるクッキーを迷わず口に運ぶ。

 一口頬張った彼は、柔らかな表情を更ににこやかに崩した。

「うん。すごく美味しいよ。お菓子づくりが上手なんだね」
「本当?! 実は……これが初めてなの」
「そうなんだ。それでこれはすごい」
「えへ……」

 アンジュの顔が照れくさそうに赤く染まる。

 眺めているだけで私も気恥ずかしくなりそうなくらい、二人だけの空間がそこにはできあがっていた。

 ふとアンジュの顔に笑顔が浮かぶ。

「なんだか楽しそうだね、アンジュさん」
「うん。だってアン、初めて自分で何かをできたから」
「家では何もさしてもらえなかったの?」
「そうよ。だってお父様は、アンを結婚させるための道具としか思ってないもの」

 口をとがらせたアンジュの顔が少し陰る。

「お父様はいつもアンを閉じこめてばっかり。お父様を引き立たせるお人形くらいにしか思っていないんだわ。そして時期が来れば、お家のために嫁がせる。私の意志なんて考えもしてくれない。かと思ったら気まぐれに今回の旅行だけは許してくれて、もう訳がわからないわ。きっと勝手な縁談を組んだことへのご機嫌取りね」

 頬を膨らませ、アンジュは口々に愚痴を漏らしていった。

「私は籠の中の鳥なの。自由なんてないのよ」

 まあ、私としてもわかることは多い。
 お父様は領主であることもあり、自らの威厳などを保つことを大事としている。領地の権力者を屋敷に招いて食事会をする時も、私達を見せ物のように紹介することがよくあった。

 私達の生活のほとんどをお父様が決めていたと言ってもいいほどだった。

 アンジュの話を後ろに、ヴェルはクッキーをつまみながら大時計の修理の作業を再開する。幸福の花言葉を持つラナンキュラスの彫金を、振り子が揺れる足下あたりに飾りつけた。

 金具をしっかりと固定し終わり、やがてヴェルはふうっと息をついた。

 彼が足下から見上げた大時計は綺麗な装飾を纏い、味のある黒ずんだ木と相反して対照的な綺麗さを醸し出している。細部に施された金具の彫金は、一つごとに目を奪われるほど精巧にできている。

 下から上まで一通りに目を通し終えると、ヴェルは大時計を見上げて頷いた。

「これで完成かな」
「あら。それはつけないの?」

 ヴェルの作業鞄の中に残っている鳥の鉄細工に気づき、アンジュは不思議そうに小首を傾げた。

 ヴェルが工房でよく作っていた鳩だ。

「いや、これはちょっと違うんだ。まだ完成していなくて」
「……?」

 曖昧な答えにアンジュはなおも不思議そうにしていたが、それ以上の追求はしなかった。

 綺麗な装飾がされて見違えるほどより立派な姿となった大時計を見上げて、アンジュは呆けるように呟いた。

「本当にすごく綺麗。私もヴェルの家で生まれたかったわ。そうしたら私も職人として勉強して、ヴェルと一緒に綺麗な鉄細工を作る彫金師になれたかもしれないのに」
「ははっ。それは面白いね」
「そうよ。お父様のお人形でしかないこんな人生よりも絶対に面白かったに違いないわ」

 ふくれっ面を浮かべて愚痴をこぼすアンジュに、ヴェルは優しく首を振る。

「そんなことはないさ。領主様もキミを大切に思っているよ。だから今回の旅行だって許してくれたんじゃないかな」

 なだめるように、諭すように優しく言ったその言葉だが、しかし、それを受けたアンジュは目を見開かせて絶句していた。

「……どうして、お父様が領主だと知っているの?」
「あ、いや……それは」

 はっ、とヴェルが言葉を詰まらせた。

「ここに来るのにも偽名を使った。誰にも私のことを明かしてなんていない。それなのにどうして!」

 きっとしたアンジュの切れ長の目が、遠くから様子を窺っていた私へと向けられる。

「お姉様から聞いたのね!」
「それは……」
「貴方も、最初から私が『領主の娘』だって知ってたから良くしてくれたんでしょ。そういうことね。だから、私が粗相をしても許してくれたし、やって来る私に対して邪険に扱わなかったんでしょ! クッキーだって、こんな焦げたの美味しくないのに美味しいって言って!」

「そんなことは――」

 どうにか言葉を返そうとするヴェルだったが、しかしアンジュの語勢はあまりに強く、遮ることは不可能だった。

「結局貴方も他の大人達と一緒だったのね。私のご機嫌をとってお父様に良くしようって思ってたんでしょ。そうやって、また私を利用して――!」

 勢いのままに言葉を連ねていくアンジュの目尻に若干の雫が溜まっているのが見えた。

 その雫を消し去るように彼女は目許を拭うと、

「もういいわ!」

 そう言って、私達を一瞥もせず走り去っていってしまったのだった。

しおりを挟む
感想お待ちしています!お気軽にどうぞ!
感想 0

あなたにおすすめの小説

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。

ふまさ
恋愛
 伯爵令嬢のリネットは、婚約者のハワードを、盲目的に愛していた。友人に、他の令嬢と親しげに歩いていたと言われても信じず、暴言を吐かれても、彼は子どものように純粋無垢だから仕方ないと自分を納得させていた。  けれど。 「──なんか、こうして改めて見ると猿みたいだし、不細工だなあ。本当に、ぼくときみの子?」  他でもない。二人の子ども──ルシアンへの暴言をきっかけに、ハワードへの絶対的な愛が、リネットの中で確かに崩れていく音がした。

【完結】お飾り妃〜寵愛は聖女様のモノ〜

恋愛
今日、私はお飾りの妃となります。 ※実際の慣習等とは異なる場合があり、あくまでこの世界観での要素もございますので御了承ください。

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

処理中です...