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-12『関心』
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私達と荒くれ客達との戦いが静かに幕を開けた。
接客は最低限仲居として教えられているフェスが。仲居頭のミトと彼女の取り巻きの人間数人以外の従業員はそれをサポートする形で徹底された。
なによりも力を注いだのは監視だ。
彼らは隙あらばどこにいても煙草を取り出し、「お客様、先ほども申しましたがお煙草はご遠慮ください」と私やロロから再三の注意を受けていた。
それ以外にも、昼間から酒をあおって大声をあげて騒いだり、暴れて床や壁を叩きつけたり、呆れるほどの自由奔放ぶりだ。
「おいおいお前、やりすぎだぜ」
「構いやしねえよ。ここは俺の庭みたいなもんだ。俺は金を払った客なんだから、むしろこんな寂れたボロ宿に来てもえたことに感謝してほしいくらいだぜ」
「ははっ、違いねえ」
男達は好き放題に、私達の耳を気にすることもなくそう口にして笑う。
悪質すぎる。
けれど彼らは数少ない常連客。確実な収入源だ。その細い糸すら切れば死活問題になりかねないとして、旅館の従業員達は必死にこらえているようだった。
確かに客が減るのは問題だ。
それに私達が何か下手な手を打って悪評を巻き散らかされても困る。
「はあ、どうしたものかしら」
行方もなく頭を悩ませながら旅館の敷地を歩いていると、裏山の山肌に沿って敷かれた太い管を見つけた。周囲は背の高い雑草で生い茂っている中、その周りだけは浮き立つように除草されている。しかしその鉄製の管はもう随分古そうで、所々が錆びているようだった。
「あんまり触んないほうがいいぞー」
鉄管に手をかけようとした途端、ふと声をかけられ、私は咄嗟に引き下がった。
草むらの中にグリッドがいた。
袋を片手に草をむしっていたらしい。
帽子をかぶってしゃがみ込んでいた彼は、相変わらずの飄々とした顔で私を見上げていた。
「それは源泉からつないでる大切な旅館の命綱だ。壊したらお袋に怒られる」
「お袋?」
「ミトだよ」
「え、そうだったの?!」
それは知らなかった。
従業員名簿には目を通していたはずなのに気にしていなかった。
「うちはずっとこの旅館で世話になってるんだ。お袋が奉公に来て、、こっちで親父と知り合って、二人ともこの旅館で働くようになった。親父は湯の番をしてたけど結構前に死んじまって、それからは俺が継いでるんだ」
「そうだったの」
だから風呂の掃除などはいつもグリッドがやってくれていた訳だ。湯量や温度の調整なども陰ながらしてくれているのだろう。
まさに縁の下の力持ち。
「ありがとうね」
「なに急に。きもちわるい」
「私の素直な感謝を受け止めなさいよ!」
思わずお尻を蹴って転ばせたくなったのを我慢した。
それにしても立派で年季の入った鉄管だ。この中を温泉が通っているのだろう。風呂が一番の売りであるこの旅館からすればまさに大動脈と言っても過言ではない。
「あら?」
ふと、その太い管を見ているのは私だけではないことに気づいた。
視界の隅。
敷地の境界線に立てられた垣根の隙間から、小さな男の子がこちらを覗き見ていた。
よく見てみれば彼だけでなく、他にもいくつかの子供の頭がひょっこりと覗かせている。
「あー、近所のガキ達だなー。あいつら、よく見に来てるんだよ。なんかこれが珍しいらしくて」
「そうなの」
「気になるんだろうなー。この辺じゃ温泉なんてそもそも他にないし」
なるほど。
確かに仰々しい装置を山の方まで伸ばしているのだから、それが何なのか気になるのはわからなくもない。
「あの子たちは温泉の装置だって知らないの?」
「そうだろなー。そもそも、地元の連中はここに来ないからなー。昔も道中に立ち寄る商人や旅行客ばっかだったし。温泉すらよく知らないかも」
そういうことか。
私が垣根へと歩み寄ってみると、覗き込んでいた子供達は一斉に引っ込んでしまった。
「だ、大丈夫よ。ちょっと話を聞かせてほしいだけだから」と、柔らかそうな笑顔を作って子供達を引き留める。
ひょこり、またひょこりと子供達が再び顔を出してきた。それでもまだ警戒したように私を見ている。
「別にとって食べようとしてるわけじゃないから。ね、警戒しないで」
あはは、と苦笑する私に一人の男の子が言う。
「でも怒ってるみたいな顔で怖いんだもん」
……え。
「お、怒ってないわよぉ……」
いや、確かに私はちょっと釣り目だし、物言いもそんなに柔らかくなくずけずけ言うほうだから、そう思われるかもしれないけど。
ちょっとショック。
「おーいガキども。この姉ちゃんはなー、すぐ物を投げてきておっかないけど、悪い奴じゃないぞー」
「それは貴方が覗きをするからでしょ!」
「覗き?」
「あ、なんでもないのよ君たち」
思い切りグリッドに怒鳴りたくなったが、子供達の無垢な視線の前でははばかられた。
くそう。
後で一回くらいは小突いておこう。
「や、やっぱり怖い」
殺意がちょっとだけ表情ににじみ出てしまっていたみたいで、子供達に引かれてしまった。
頭が痛くなりそうだし、私の自信がなくなりそうだ。
「どうしてそこまで怖がるのよ」
肩を落とす私に、子供の中の一人が言う。
「だって、ここって怖い人がよくいるし。町の方にも出てきて、お酒飲んでいっぱいあたり散らかして。だからお母さんも、あんまりここには近づくなって……あ、近づいちゃ駄目なの言っちゃった」
咄嗟にその子は口を押さえて隠れてしまったが、他の子も概ね同じような考えらしく、私やグリッドのことを奇異の目で眺めていた。
「なるほど、そういうこと」
「どういうことだい、露出痴女さん?」
「殴るわよ!」
「いでっ。殴ってるじゃんかー」
小うるさいグリッドは放っておこう。キリがない。
「怖い人っていうのは彼らのことね」
「あー。今来てるあの人らかー」
どうやらこの旅館の外でも彼らは厄介者らしい。そんな彼らの拠点がこの旅館なのだから、悪印象を与えてしまっても仕方がない。
けれど近寄るなと言われても子供達がここを覗きに来ているということは、おそらく興味自体はあるはずだ。
「……温泉旅館という宿泊施設。その言葉を一度考え直してみてもいいのかもしれないわね」
「ん、どういうこと?」
「いろんなことへの挑戦は大事ねって話よ」
「そんな話してたっけ」とグリッドが不思議そうに首を傾げている横で、私はふっとほくそ笑んだ。
「ひえっ」と子供達が不気味がるくらいには、私の表情は悪い顔をしていただろう。けれど、ついさっきまで思い悩んでいた鬱屈が晴れたように、私の心はすがすがしく笑っていた。
「やってやるしかないわね」
「あの姉ちゃんぜったい人殺してるよ」
「こえー」
「次は誰をやるんだろ」
「だまらっしゃい!」
鬼の形相で怒った私に、茶化してきた子供達は「うひゃーっ」とけらけら笑いながら走り去っていった。
接客は最低限仲居として教えられているフェスが。仲居頭のミトと彼女の取り巻きの人間数人以外の従業員はそれをサポートする形で徹底された。
なによりも力を注いだのは監視だ。
彼らは隙あらばどこにいても煙草を取り出し、「お客様、先ほども申しましたがお煙草はご遠慮ください」と私やロロから再三の注意を受けていた。
それ以外にも、昼間から酒をあおって大声をあげて騒いだり、暴れて床や壁を叩きつけたり、呆れるほどの自由奔放ぶりだ。
「おいおいお前、やりすぎだぜ」
「構いやしねえよ。ここは俺の庭みたいなもんだ。俺は金を払った客なんだから、むしろこんな寂れたボロ宿に来てもえたことに感謝してほしいくらいだぜ」
「ははっ、違いねえ」
男達は好き放題に、私達の耳を気にすることもなくそう口にして笑う。
悪質すぎる。
けれど彼らは数少ない常連客。確実な収入源だ。その細い糸すら切れば死活問題になりかねないとして、旅館の従業員達は必死にこらえているようだった。
確かに客が減るのは問題だ。
それに私達が何か下手な手を打って悪評を巻き散らかされても困る。
「はあ、どうしたものかしら」
行方もなく頭を悩ませながら旅館の敷地を歩いていると、裏山の山肌に沿って敷かれた太い管を見つけた。周囲は背の高い雑草で生い茂っている中、その周りだけは浮き立つように除草されている。しかしその鉄製の管はもう随分古そうで、所々が錆びているようだった。
「あんまり触んないほうがいいぞー」
鉄管に手をかけようとした途端、ふと声をかけられ、私は咄嗟に引き下がった。
草むらの中にグリッドがいた。
袋を片手に草をむしっていたらしい。
帽子をかぶってしゃがみ込んでいた彼は、相変わらずの飄々とした顔で私を見上げていた。
「それは源泉からつないでる大切な旅館の命綱だ。壊したらお袋に怒られる」
「お袋?」
「ミトだよ」
「え、そうだったの?!」
それは知らなかった。
従業員名簿には目を通していたはずなのに気にしていなかった。
「うちはずっとこの旅館で世話になってるんだ。お袋が奉公に来て、、こっちで親父と知り合って、二人ともこの旅館で働くようになった。親父は湯の番をしてたけど結構前に死んじまって、それからは俺が継いでるんだ」
「そうだったの」
だから風呂の掃除などはいつもグリッドがやってくれていた訳だ。湯量や温度の調整なども陰ながらしてくれているのだろう。
まさに縁の下の力持ち。
「ありがとうね」
「なに急に。きもちわるい」
「私の素直な感謝を受け止めなさいよ!」
思わずお尻を蹴って転ばせたくなったのを我慢した。
それにしても立派で年季の入った鉄管だ。この中を温泉が通っているのだろう。風呂が一番の売りであるこの旅館からすればまさに大動脈と言っても過言ではない。
「あら?」
ふと、その太い管を見ているのは私だけではないことに気づいた。
視界の隅。
敷地の境界線に立てられた垣根の隙間から、小さな男の子がこちらを覗き見ていた。
よく見てみれば彼だけでなく、他にもいくつかの子供の頭がひょっこりと覗かせている。
「あー、近所のガキ達だなー。あいつら、よく見に来てるんだよ。なんかこれが珍しいらしくて」
「そうなの」
「気になるんだろうなー。この辺じゃ温泉なんてそもそも他にないし」
なるほど。
確かに仰々しい装置を山の方まで伸ばしているのだから、それが何なのか気になるのはわからなくもない。
「あの子たちは温泉の装置だって知らないの?」
「そうだろなー。そもそも、地元の連中はここに来ないからなー。昔も道中に立ち寄る商人や旅行客ばっかだったし。温泉すらよく知らないかも」
そういうことか。
私が垣根へと歩み寄ってみると、覗き込んでいた子供達は一斉に引っ込んでしまった。
「だ、大丈夫よ。ちょっと話を聞かせてほしいだけだから」と、柔らかそうな笑顔を作って子供達を引き留める。
ひょこり、またひょこりと子供達が再び顔を出してきた。それでもまだ警戒したように私を見ている。
「別にとって食べようとしてるわけじゃないから。ね、警戒しないで」
あはは、と苦笑する私に一人の男の子が言う。
「でも怒ってるみたいな顔で怖いんだもん」
……え。
「お、怒ってないわよぉ……」
いや、確かに私はちょっと釣り目だし、物言いもそんなに柔らかくなくずけずけ言うほうだから、そう思われるかもしれないけど。
ちょっとショック。
「おーいガキども。この姉ちゃんはなー、すぐ物を投げてきておっかないけど、悪い奴じゃないぞー」
「それは貴方が覗きをするからでしょ!」
「覗き?」
「あ、なんでもないのよ君たち」
思い切りグリッドに怒鳴りたくなったが、子供達の無垢な視線の前でははばかられた。
くそう。
後で一回くらいは小突いておこう。
「や、やっぱり怖い」
殺意がちょっとだけ表情ににじみ出てしまっていたみたいで、子供達に引かれてしまった。
頭が痛くなりそうだし、私の自信がなくなりそうだ。
「どうしてそこまで怖がるのよ」
肩を落とす私に、子供の中の一人が言う。
「だって、ここって怖い人がよくいるし。町の方にも出てきて、お酒飲んでいっぱいあたり散らかして。だからお母さんも、あんまりここには近づくなって……あ、近づいちゃ駄目なの言っちゃった」
咄嗟にその子は口を押さえて隠れてしまったが、他の子も概ね同じような考えらしく、私やグリッドのことを奇異の目で眺めていた。
「なるほど、そういうこと」
「どういうことだい、露出痴女さん?」
「殴るわよ!」
「いでっ。殴ってるじゃんかー」
小うるさいグリッドは放っておこう。キリがない。
「怖い人っていうのは彼らのことね」
「あー。今来てるあの人らかー」
どうやらこの旅館の外でも彼らは厄介者らしい。そんな彼らの拠点がこの旅館なのだから、悪印象を与えてしまっても仕方がない。
けれど近寄るなと言われても子供達がここを覗きに来ているということは、おそらく興味自体はあるはずだ。
「……温泉旅館という宿泊施設。その言葉を一度考え直してみてもいいのかもしれないわね」
「ん、どういうこと?」
「いろんなことへの挑戦は大事ねって話よ」
「そんな話してたっけ」とグリッドが不思議そうに首を傾げている横で、私はふっとほくそ笑んだ。
「ひえっ」と子供達が不気味がるくらいには、私の表情は悪い顔をしていただろう。けれど、ついさっきまで思い悩んでいた鬱屈が晴れたように、私の心はすがすがしく笑っていた。
「やってやるしかないわね」
「あの姉ちゃんぜったい人殺してるよ」
「こえー」
「次は誰をやるんだろ」
「だまらっしゃい!」
鬼の形相で怒った私に、茶化してきた子供達は「うひゃーっ」とけらけら笑いながら走り去っていった。
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