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○3章 旅館のあり方
-17『大団円』
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アーシェが視線を向けた先、柵が壊れた露天風呂の奥の一角で、なにやら何人かが忙しなく動き回っているようだった。
従業員かと思ったが、しかし彼らは一同に浴衣を羽織っている。
どう見ても客だ。
そこにいたのはゴーレム嬢やリザードマン、小人族の家族など、よく見知った顔ぶれたちだった。
そんな彼らの中心にはエルナトだ。
「もう少し右です」と、上空からは声が降ってくる。
見上げると、白い翼を大きく広げたシエラがこちらを見下ろしていた。
彼女の足元でエルナトたちが何かの作業をしているようだ。
加工された大きな木材が並べられている。
ゴーレム嬢が丸太を運び込み、リザードマンの鋭い爪で長細い柱や薄い板のように加工され、小人族の家族が一家総出で鉋で表面を磨いていく。
やがてそれらの木材はエルナトの元に集まり、シエラの指示によって、まるで組み木のように組み合わせられながら、信じられないほどあっという間に何かが形作られていった。
「じゃじゃーん」
エルナトが俺たちを見て、鼻高々とその形作られたものに両手で指す。
それは庭の上にそのまま剥き出しになって置かれた大きな木皿のようだった。
いや、違う。ただの皿ではない。
「参ります」
建造物の側に立っていたマリーディアが、天高く抱えていた彼女の身長の何倍もあるような木の筒を横に倒す。
片方は建造物に。
そしてもう片方は、今もあふれ出し続けている大量の源泉の中に突っ込まれた。
途端にその筒の中を発光した湯が流れ始める。
皿のような何かに温泉が注がれ始め、空が見えなくなるほどの湯気を立たせながら瞬く間にその建造物を満たしていく。
その光景はまさに、
「じゃじゃーん。特製露天風呂の完成だよー!」
エルナトが嬉しそうに笑いながらぴょんぴょんと跳ねる。
そう、まさに露天風呂のごとく、その建造物は湯船として、溢れ出ている源泉で中をいっぱいに満たしていた。
「使っていいって言ってた裏の資材置き場の材料で作ったよ。いやー、一度は自分で作ってみたかったんだ」
そう満足そうに胸を張るエルナトに、俺は呆気に取られてしまっていた。
確かに、以前に物を作りたければ勝手に資材置き場の材木を使っていいとは言ったが。まさかこれほどの物があっという間に作られてしまうなんて想像できるはずがない。
裏庭のほとんどの敷地を使ってしまっていて、ゴーレム嬢が二十人は余裕で入れそうなほどに広い。それでも勢いよく湧き出ている源泉のおかげで湯船いっぱいにお湯が張られている。
発光した温泉が湯船に満たされている光景は、まるでお湯に黄金が溶けたように綺麗で輝かしいものだった。
「ハルとまた一緒に温泉に入りたくて頑張ったんだよ」
「私も、ハルさんのお役に立てれてればと思って頑張りました」
エルナトとシエラの二人が俺を見て微笑んでくれる。
即席の露天風呂はひどく簡単で不恰好な造りだったが、短時間で作られたとはとても思えないほどしっかりしている。
彼らが咄嗟の知恵を働かせて、俺のために、俺の尻拭いのようなことをしてくれたのだ。
感謝だ。
思わず目頭が熱くなる。
「これはいったい何なんだ。どうしてこんなものが急にできあがっているんだ」
目の前に出来上がった蛍光色の露天風呂を見て中條が困惑の声を上げる。
「私が許可を出したんです」と彼に答えたのはふみかさんだった。
「彼らがどうしても作りたいと提案してきたもので。なんでもハルくんの立案だそうですよ」
「えっ?!」と思わぬ矛先に俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
ふみかさんが俺を見てウインクをする。だがその意図がよくわからない。
俺は一体どうすればいいのだろうと困惑していると、
「これ、お兄ちゃんが作ったの?」と声をかけられた。
魔道具を暴走させた、あの子どもだった。
両親である王子とその妻の手を引きながら俺の元へとやってくる。
「ごめん。マナ人形、持って帰っては来れたけど、壊れちゃった」
そう言って俺は捕まえた魔道具を手渡した。
マナの放出の際に壊れてしまい、胴体や足はボロボロになっている。
悲しむだろうか、と不安に思っていた俺だったが、しかし少年の反応は予想外のものだった。
「ううん。戻ってきてくれたからたぶん直せると思う。ごめんなさい。お兄ちゃんは何も悪くないのに、僕のせいで」
「いいってことよ。俺だって、この旅館をキミに嫌いになって欲しくないからな」
受け取った魔道具を胸に抱きしめながら、少年は表情を明るくして顔を上げ、
「ありがとう」とにこやかに笑った。
「そうだ。ねえ、あれってなに?」
そう言って少年が指差したのは、マナに溢れて光り輝く広大な大露天風呂だ。
「すごい! こんなの初めて見た!」
まるで魔道具のことを忘れてしまったかのように笑顔を浮かべて大はしゃぎしている。少年の後ろにいる王子夫妻も、目の前に広がる露天風呂の光景に目を奪われながら「これは素晴らしい」と感嘆の声を漏らしていた。
そんな彼らのほかにも、いつの間にか騒ぎを聞きつけたかのように他の異世界人の客たちが集まり始めていた。仕事中の従業員も足を止めている。みんなが口々に「綺麗だ」「何かあるのか」と興味の視線を注いでいる。
「新しい露天風呂か。これは凄い」
「こんな光景、私たちの世界でも見た事がないわね」
「これほどの物が見れるとは、来てよかったなあ」
評判の声が次々に上がる。
しかしそれがどんなものかわかっていない客たちは、目の前の興味を前にどうすればいいものかと二の足を踏んでいる様子だ。
このチャンスを逃すまいと前に出ようとした俺より先に、口火を開いたのはアーシェだった。
彼女がおもむろに露天風呂の方へと歩みを進める。
そして湯船の側に置いてあったタオルを掴み取ると、目に終えない速さで浴衣を脱ぎ、瞬時にタオル一枚の格好になっていた。
そして周囲の視線を浴びる中、湯の蛍光を反射させている湯気を掻き分け、そのまま湯船の中に足を踏み入れて浸かったのだった。
「せっかくの露天風呂でしょう。今日は今だけの特別仕様。入らなければ損というものよ」
風呂嫌いのはずの彼女が先導した、という事実に俺は驚きを隠せず、唖然とそれを眺めることしかできなかった。
しかし周りの客はまるでアーシェに煽られたかのように興奮し、自分も入りたい、と我先に露天風呂へと駆け寄り始めた。
「本日は特別なイベントです。浴衣のまま入られてもかまいませんよ!」
ふみかさんがすかさず大声でアナウンスを入れる。
それを聞いた客に歯止めをかけるものはない。
湯船の前で履物を脱いだ客たちは一斉に風呂の中へと飛び込んでいった。
いたるところで盛大な飛沫が上がる。
まるで温水プールのような光景だった。
誰しもが温泉の中で子どものようにはしゃぎまわり、嵩の増した湯が湯船から溢れ出る。幻想的な光の中に自分自身も溶け込みながら入る温泉は、視覚的にもとても感動物で、浸る客たちの表情を一瞬にして笑顔に変えていく。
まるで温泉そのものに、笑顔になる魔法がかけられているのかのようだった。
高純度のマナがその温泉には含まれている。
つまり生命力の源に全身を包まれているのだ。
皮膚からはマナが吸収されていき、温泉の熱さで血行もよくなる。
そんなもの、心地よいに決まっている。
「シエラ様、いけません。他の者も入っているお風呂など不潔です」
「まあまあ。今日は特別ですから」
マリーディアの制止も聞かずにシエラも温泉に足をつける。
その横ではエルナトがゴーレム嬢と向かい合って話をしている。
「今回は坊やのために手を貸したけれどお、私はまだ婚約のことを認めていないわよお」
「ボクだってまあ感謝はしてるけど、別にボクたちの交際に貴女の認可なんて必要ないから」
「むっきー、言ってくれるわねえ」
「岩でできたお嫁さんなんてハルはお呼びじゃないよ」
「私は執事として雇いたいのお。もちろん夜のお世話もしてほしいけれどお」
そんな二人の側ではリザードマンも小人族の家族も、温泉に浸かり、みんなが幸せそうに破顔させている。
――ああ、これでこそ旅館だ。俺の知っているあやめ荘だ。
温泉に入って、みんなが笑って、現世を忘れたように心をほぐす。笑顔に溢れた楽しい時間を過ごす。
そんな理想である光景を現実に目の前にして、俺は自然と笑顔をこぼしていた。
「僕も行っていいの?」
魔道具を抱えていた少年が目を輝かせながら言う。
父親である王子が優しく頷くと、少年は魔道具を母親に渡し、とびきりの笑顔を引っさげながら一目散に露天風呂へと走っていった。
「とても素敵なサプライズだ。素晴らしい経験となりそうだよ」
王子がそう言って、俺や中條に向かって一礼する。
俺も咄嗟に礼を返した。中條は畏まったように服の襟を正して「ありがとうございます」と深く深く頭を下げた。
それから、子どもを追いかけて湯船へと向かった王子夫妻を見送りながら、俺と中将は二人残された。
俺を前に、中條はばつが悪く苦虫を噛んだような顔をしている。
叱責するつもりだったのに、すっかり周りの雰囲気がその調子を崩してしまったのだろう。前髪をくしゃりと掻き毟ると、溜め息と同時に嗚咽のような声を漏らして唸った。
「まったく、子どもはやることが派手だ。身の丈を知らないせいで加減もできない。突発でやるにしちゃあ杜撰もいいところだろう」
おそらくふみかさんの嘘はばれているのだろう。
魔道具の暴走にしても、急な露天風呂の建造にしても、計画性もなにもあったものではない。
たまたまうまくいっただけで、大問題となっていてもおかしくはなかったのだ。
「だが、まあ――」
中條の瞳が、笑顔と光に包まれた湯船へと注がれる。
「こういう無茶苦茶ができるのも若者の特権かねえ」
そうしみじみと言いながら、中條は穏やかな表情で露天風呂の方を眺め続けた。
しばらくして中條はメモ帳を開いて、ペンを片手に、俺やふみかさんにわざと聞こえるくらいの独り言を呟き始める。
「向こうの王族一家もご満悦だ。この調子ならば悪くない返事ももらえるだろう。そうなれば政府としても万々歳だ。それにご子息の先ほどの言葉を信じるなら、今回の件はキミの一方的な過失でもないようだ。責任の所在については私には判断ができそうもない。となれば、上司である私の責任ということになる。叱られるとすれば私だろう」
「す、すみません」
畏まって頭を下げる俺を余所に、中條はメモ帳に何かを記し始める。
「旅館の運営は好調。関係性も良好。従業員の質も特に問題はなし」
今のところはだがな、とそう最後に付け足すと、彼は口許に笑みを浮かべて踵を返した。
「中條さん、それって……」
俺と、近くにやって来たふみかさんが目を丸くして彼を見送る。
そのまま旅館の方へと歩き出した中條は、
「俺も、休暇をもらって羽を伸ばしたくなったなあ。明日、有給でも取ってどこかに出向くとするかな」とぼやきながら去っていったのだった。
従業員かと思ったが、しかし彼らは一同に浴衣を羽織っている。
どう見ても客だ。
そこにいたのはゴーレム嬢やリザードマン、小人族の家族など、よく見知った顔ぶれたちだった。
そんな彼らの中心にはエルナトだ。
「もう少し右です」と、上空からは声が降ってくる。
見上げると、白い翼を大きく広げたシエラがこちらを見下ろしていた。
彼女の足元でエルナトたちが何かの作業をしているようだ。
加工された大きな木材が並べられている。
ゴーレム嬢が丸太を運び込み、リザードマンの鋭い爪で長細い柱や薄い板のように加工され、小人族の家族が一家総出で鉋で表面を磨いていく。
やがてそれらの木材はエルナトの元に集まり、シエラの指示によって、まるで組み木のように組み合わせられながら、信じられないほどあっという間に何かが形作られていった。
「じゃじゃーん」
エルナトが俺たちを見て、鼻高々とその形作られたものに両手で指す。
それは庭の上にそのまま剥き出しになって置かれた大きな木皿のようだった。
いや、違う。ただの皿ではない。
「参ります」
建造物の側に立っていたマリーディアが、天高く抱えていた彼女の身長の何倍もあるような木の筒を横に倒す。
片方は建造物に。
そしてもう片方は、今もあふれ出し続けている大量の源泉の中に突っ込まれた。
途端にその筒の中を発光した湯が流れ始める。
皿のような何かに温泉が注がれ始め、空が見えなくなるほどの湯気を立たせながら瞬く間にその建造物を満たしていく。
その光景はまさに、
「じゃじゃーん。特製露天風呂の完成だよー!」
エルナトが嬉しそうに笑いながらぴょんぴょんと跳ねる。
そう、まさに露天風呂のごとく、その建造物は湯船として、溢れ出ている源泉で中をいっぱいに満たしていた。
「使っていいって言ってた裏の資材置き場の材料で作ったよ。いやー、一度は自分で作ってみたかったんだ」
そう満足そうに胸を張るエルナトに、俺は呆気に取られてしまっていた。
確かに、以前に物を作りたければ勝手に資材置き場の材木を使っていいとは言ったが。まさかこれほどの物があっという間に作られてしまうなんて想像できるはずがない。
裏庭のほとんどの敷地を使ってしまっていて、ゴーレム嬢が二十人は余裕で入れそうなほどに広い。それでも勢いよく湧き出ている源泉のおかげで湯船いっぱいにお湯が張られている。
発光した温泉が湯船に満たされている光景は、まるでお湯に黄金が溶けたように綺麗で輝かしいものだった。
「ハルとまた一緒に温泉に入りたくて頑張ったんだよ」
「私も、ハルさんのお役に立てれてればと思って頑張りました」
エルナトとシエラの二人が俺を見て微笑んでくれる。
即席の露天風呂はひどく簡単で不恰好な造りだったが、短時間で作られたとはとても思えないほどしっかりしている。
彼らが咄嗟の知恵を働かせて、俺のために、俺の尻拭いのようなことをしてくれたのだ。
感謝だ。
思わず目頭が熱くなる。
「これはいったい何なんだ。どうしてこんなものが急にできあがっているんだ」
目の前に出来上がった蛍光色の露天風呂を見て中條が困惑の声を上げる。
「私が許可を出したんです」と彼に答えたのはふみかさんだった。
「彼らがどうしても作りたいと提案してきたもので。なんでもハルくんの立案だそうですよ」
「えっ?!」と思わぬ矛先に俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
ふみかさんが俺を見てウインクをする。だがその意図がよくわからない。
俺は一体どうすればいいのだろうと困惑していると、
「これ、お兄ちゃんが作ったの?」と声をかけられた。
魔道具を暴走させた、あの子どもだった。
両親である王子とその妻の手を引きながら俺の元へとやってくる。
「ごめん。マナ人形、持って帰っては来れたけど、壊れちゃった」
そう言って俺は捕まえた魔道具を手渡した。
マナの放出の際に壊れてしまい、胴体や足はボロボロになっている。
悲しむだろうか、と不安に思っていた俺だったが、しかし少年の反応は予想外のものだった。
「ううん。戻ってきてくれたからたぶん直せると思う。ごめんなさい。お兄ちゃんは何も悪くないのに、僕のせいで」
「いいってことよ。俺だって、この旅館をキミに嫌いになって欲しくないからな」
受け取った魔道具を胸に抱きしめながら、少年は表情を明るくして顔を上げ、
「ありがとう」とにこやかに笑った。
「そうだ。ねえ、あれってなに?」
そう言って少年が指差したのは、マナに溢れて光り輝く広大な大露天風呂だ。
「すごい! こんなの初めて見た!」
まるで魔道具のことを忘れてしまったかのように笑顔を浮かべて大はしゃぎしている。少年の後ろにいる王子夫妻も、目の前に広がる露天風呂の光景に目を奪われながら「これは素晴らしい」と感嘆の声を漏らしていた。
そんな彼らのほかにも、いつの間にか騒ぎを聞きつけたかのように他の異世界人の客たちが集まり始めていた。仕事中の従業員も足を止めている。みんなが口々に「綺麗だ」「何かあるのか」と興味の視線を注いでいる。
「新しい露天風呂か。これは凄い」
「こんな光景、私たちの世界でも見た事がないわね」
「これほどの物が見れるとは、来てよかったなあ」
評判の声が次々に上がる。
しかしそれがどんなものかわかっていない客たちは、目の前の興味を前にどうすればいいものかと二の足を踏んでいる様子だ。
このチャンスを逃すまいと前に出ようとした俺より先に、口火を開いたのはアーシェだった。
彼女がおもむろに露天風呂の方へと歩みを進める。
そして湯船の側に置いてあったタオルを掴み取ると、目に終えない速さで浴衣を脱ぎ、瞬時にタオル一枚の格好になっていた。
そして周囲の視線を浴びる中、湯の蛍光を反射させている湯気を掻き分け、そのまま湯船の中に足を踏み入れて浸かったのだった。
「せっかくの露天風呂でしょう。今日は今だけの特別仕様。入らなければ損というものよ」
風呂嫌いのはずの彼女が先導した、という事実に俺は驚きを隠せず、唖然とそれを眺めることしかできなかった。
しかし周りの客はまるでアーシェに煽られたかのように興奮し、自分も入りたい、と我先に露天風呂へと駆け寄り始めた。
「本日は特別なイベントです。浴衣のまま入られてもかまいませんよ!」
ふみかさんがすかさず大声でアナウンスを入れる。
それを聞いた客に歯止めをかけるものはない。
湯船の前で履物を脱いだ客たちは一斉に風呂の中へと飛び込んでいった。
いたるところで盛大な飛沫が上がる。
まるで温水プールのような光景だった。
誰しもが温泉の中で子どものようにはしゃぎまわり、嵩の増した湯が湯船から溢れ出る。幻想的な光の中に自分自身も溶け込みながら入る温泉は、視覚的にもとても感動物で、浸る客たちの表情を一瞬にして笑顔に変えていく。
まるで温泉そのものに、笑顔になる魔法がかけられているのかのようだった。
高純度のマナがその温泉には含まれている。
つまり生命力の源に全身を包まれているのだ。
皮膚からはマナが吸収されていき、温泉の熱さで血行もよくなる。
そんなもの、心地よいに決まっている。
「シエラ様、いけません。他の者も入っているお風呂など不潔です」
「まあまあ。今日は特別ですから」
マリーディアの制止も聞かずにシエラも温泉に足をつける。
その横ではエルナトがゴーレム嬢と向かい合って話をしている。
「今回は坊やのために手を貸したけれどお、私はまだ婚約のことを認めていないわよお」
「ボクだってまあ感謝はしてるけど、別にボクたちの交際に貴女の認可なんて必要ないから」
「むっきー、言ってくれるわねえ」
「岩でできたお嫁さんなんてハルはお呼びじゃないよ」
「私は執事として雇いたいのお。もちろん夜のお世話もしてほしいけれどお」
そんな二人の側ではリザードマンも小人族の家族も、温泉に浸かり、みんなが幸せそうに破顔させている。
――ああ、これでこそ旅館だ。俺の知っているあやめ荘だ。
温泉に入って、みんなが笑って、現世を忘れたように心をほぐす。笑顔に溢れた楽しい時間を過ごす。
そんな理想である光景を現実に目の前にして、俺は自然と笑顔をこぼしていた。
「僕も行っていいの?」
魔道具を抱えていた少年が目を輝かせながら言う。
父親である王子が優しく頷くと、少年は魔道具を母親に渡し、とびきりの笑顔を引っさげながら一目散に露天風呂へと走っていった。
「とても素敵なサプライズだ。素晴らしい経験となりそうだよ」
王子がそう言って、俺や中條に向かって一礼する。
俺も咄嗟に礼を返した。中條は畏まったように服の襟を正して「ありがとうございます」と深く深く頭を下げた。
それから、子どもを追いかけて湯船へと向かった王子夫妻を見送りながら、俺と中将は二人残された。
俺を前に、中條はばつが悪く苦虫を噛んだような顔をしている。
叱責するつもりだったのに、すっかり周りの雰囲気がその調子を崩してしまったのだろう。前髪をくしゃりと掻き毟ると、溜め息と同時に嗚咽のような声を漏らして唸った。
「まったく、子どもはやることが派手だ。身の丈を知らないせいで加減もできない。突発でやるにしちゃあ杜撰もいいところだろう」
おそらくふみかさんの嘘はばれているのだろう。
魔道具の暴走にしても、急な露天風呂の建造にしても、計画性もなにもあったものではない。
たまたまうまくいっただけで、大問題となっていてもおかしくはなかったのだ。
「だが、まあ――」
中條の瞳が、笑顔と光に包まれた湯船へと注がれる。
「こういう無茶苦茶ができるのも若者の特権かねえ」
そうしみじみと言いながら、中條は穏やかな表情で露天風呂の方を眺め続けた。
しばらくして中條はメモ帳を開いて、ペンを片手に、俺やふみかさんにわざと聞こえるくらいの独り言を呟き始める。
「向こうの王族一家もご満悦だ。この調子ならば悪くない返事ももらえるだろう。そうなれば政府としても万々歳だ。それにご子息の先ほどの言葉を信じるなら、今回の件はキミの一方的な過失でもないようだ。責任の所在については私には判断ができそうもない。となれば、上司である私の責任ということになる。叱られるとすれば私だろう」
「す、すみません」
畏まって頭を下げる俺を余所に、中條はメモ帳に何かを記し始める。
「旅館の運営は好調。関係性も良好。従業員の質も特に問題はなし」
今のところはだがな、とそう最後に付け足すと、彼は口許に笑みを浮かべて踵を返した。
「中條さん、それって……」
俺と、近くにやって来たふみかさんが目を丸くして彼を見送る。
そのまま旅館の方へと歩き出した中條は、
「俺も、休暇をもらって羽を伸ばしたくなったなあ。明日、有給でも取ってどこかに出向くとするかな」とぼやきながら去っていったのだった。
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