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○3章 旅館のあり方
-3 『騒動』
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「ハルさん、何かあったのですか?」
事務所から出ると、普段着姿のシエラに声をかけられた。
さすがに慌しく館内を走り回る従業員たちを見て異変を察したらしく、事情を聞くために俺を待っていたようだ。
「なんでもないよ。ちょっとトラブルがあっただけ」
「まあ。大丈夫でしたか?」
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
「それはよかったです」
襟が曲がってますよ、とシエラが俺の首元に手を伸ばして直してくれる。
彼女の顔が近づき、彼女の女の子らしい華のような香りが鼻腔をくすぐった。
まるで新婚夫婦のやり取りみたいでドキドキする。
慈愛に溢れる彼女の優しさは本当に天使のようだ。
「むう。なんだか仲睦まじいね、お二人さん」
遅れて事務所から出てきたエルナトが不貞腐れるように頬を膨らませた。
「でもハルはボクのお婿さんなんだからね。初夜だってもう済ませたんだから」
「まあっ!」
突然の爆弾発言に、シエラが口許に手を当てて驚く。
「な、なに言ってんだ馬鹿!」とたじろぐ俺の片腕にエルナトが抱きついてきた。
「だって、一枚の布団の中で一緒に一夜を過ごしたじゃん」
「いやいや、ちょっと待て」
確かにその通りだがひどい語弊がある。
これでは変な誤解を与えかねないではないか。現に、話を聞いているシエラは疑うことを知らないような無垢な瞳で俺たちを見つめていた。
これはまずい。変な冷や汗が流れる。
「お二人はそのような関係だったのですね。気づきませんでした。おめでとうございます!」
「えへへ。ありがとうシエラ。婚姻の儀には招待するね」
望んでもいないのに勝手に話が進んでいく。
訂正してもすぐエルナトに否定され、シエラの誤解は一向に解けないままだ。
半ば自棄になった俺はシエラの目の前に立ち、彼女の肩をがっちりと掴むように手を伸ばして俺の目を見るように促した。
実際には手を触れてはいない。
今もどこかで見ているかもしれない従者の目が恐いからだ。だが彼女に改まって話を聞かせるには十分だ。
「聞いてくれシエラ。俺はエルナトと婚約したわけじゃない。あれは何かの間違いなんだ」
「え、ですが」
「ですがもなにも、俺はそんなつもりなんてないんだよ」
ぐぬぬ、とエルナトが話の途中にも構わず歯を食いしばりながら俺の腕を引いてくる。俺も足に力を込めて必死に踏ん張った。
綱引き勝負のような拮抗。
頑としてエルナトは手を離そうとせず、俺だって一歩も譲るつもりはない。
「だから、な? 知らなかったんだ。だから無し。無効だ。俺が好きなのはエルナトじゃないんだ――あっ」
不意に、エルナトの腕を引く力が緩んだ。
手を滑らせたらしい。
締め付けから解放された俺の片腕は反対方向へ踏ん張っていた足の力を殺せず、勢いづいた慣性のままに前のめりに倒れこむ形になってしまった。
眼前のシエラにぶつかり、彼女を押し倒す形で体勢が崩れる。
目の前が暗転した。
そのまま頭から床に向かって転倒したのだが、しかし受身を取ったわけでもないのに何故か少しの痛みも感じなかった。むしろ顔面で味わった感触は柔らかく弾みのあるものだった。
「きゃあ」という可愛らしい悲鳴が聞こえ、俺はすぐに理解した。
目を見開くと、眼前には二つの丘。男のロマンが詰まった豊穣のメロンがそこにあった。
そう、俺はシエラごと押し倒してしまい、彼女の腹の上でうつ伏せになってしまっていたのだった。さっきぶつかったひどく柔らかく弾力のあるあの質感とは、つまり、彼女の最も女性らしいあの部分ということになる。
「こ……こ、れ、は……あ、の……」
完全なセクハラである。言い逃れのできない事実に思考が追いつかず、壊れたラジオのような声を漏らしながらとりあえず手だけは離して取り繕おうとする。
どんな罵声が飛んでくるか。
それとも大人しい彼女のことだから失望して泣いたり逃げ出したりしてしまうだろうか。どうにせよ、従業員としても人間としても終了である。
が、しかしシエラの様子は少し違うようだった。
倒れたままのシエラが顔だけを持ち上げて、大きな胸の谷間越しに俺を見る。
「あ、あの、これは。もしかして、エルナトさんだけでは事足りず、私にもお嫁さんになれ……ということなのでしょうか」
「……え?」
呆気にとられてだらしなく口を開く俺に、シエラはきょとんとした顔で返す。
「あの。殿方に迫られるのは、その、初めてで。私もハルさんのこと、その、とても素敵だとは思いますが、でも、どうお答えすればいいかよくわからなくて」
しどろもどろに答えるシエラは、少し照れているようでもあった。
恋愛事に不慣れで戸惑う様子は可愛らしいのだが、しかしそれどころではない。
――これ以上ややこしい方向にいかないうちに早く修正しないと。
「シエラ、しっかりしろ。俺は別にお前を襲うつもりじゃないんだ」
必死に訂正しようと試みるが、しかし俺はもっと肝心なことを失念していた。
右頬を何かが掠める。
それが一瞬にして視界の隅を通り抜けた。
俺は咄嗟に、それが飛んできた正面の方へ顔を向ける。
薄暗い物陰から微かな光沢が放たれたかと思うと、今度は首元に向かって目にも留まらぬ速さで何かが飛翔してきた。
「うわっ!」
得体の知れない飛行物に、俺は逃げるようにシエラから離れて立ち上がる。と同時に俺のすぐ背後に、さっきまで感じなかったはずの気配が現れた。
「きぃぃぃさぁぁぁまぁぁぁぁ」
耳元で猛獣の唸りのような声が囁かれる。
鳥肌が立ち、冷や汗が流れる。生唾を飲む一瞬が数十秒にも感じた。
意を決して振り返ると、目を血眼に滾らせて睨みつけてくるマリーディアがそこにいた。
「ひぃいいいいいいいい」
「よくもシエラ様に不埒な行いを!」
「ち、違う。事故だ」
「問答無用!」
いつの間にかマリーディアは槍のような先のとがった棒を手にし、般若のような剣幕で俺に振りかざしていた。
まっすぐ縦に一閃。
俺はかろうじて身を捩ってかわした。
だがすぐにマリーディアは二撃目を構えている。
――この人、マジでヤる気だ!
命の危機を肌身に感じ、俺は死に物狂いでその場から逃げ出した。
「待て!」とすかさずマリーディアが追いかけてくる。
だが立ち止まれば死が待っていると確信した。無論足は止められず、館内の廊下をひたすらに走り抜けた。
大浴場の前の廊下、客室に繋がる渡り廊下、階段を上ったり下ったり。行く先も知れず、ただ逃げるために必死に駆け回る。
振り返れば鬼の形相で追いかける従者の姿。
持っていた槍を俺に投げ、自分の靴まで脱ぎ捨てて投げ、それでも俺が懸命に避けるものだから、ついには廊下の観葉植物や机、椅子まで投げてくる始末だった。
投げた物のせいで床は凹み、壁は剥がれ、何かが壊れる音が絶え間なく響く。
ひどい大惨事だ。
このままでは旅館の中のなにもかもを壊してしまうのではないかと思うほどに、マリーディアは破壊神のごとく俺を追いかけてくる。
しかし立ち止まって説得しようにも、いつしか彼女の手には非常に鋭利なナイフが握られていた。さすがの俺も命惜しさに足を止められない。
やがて館内を一周し、たどり着いたのはアミューズメントコーナーだった。
突き当たりでこれ以上は逃げ場がない。
かといって立ち止まるわけにはいかない。
必死の思いでどうすれば良いかを考えていると、ふと前方に人影を見つけた。
アーシェだ。
ゲームコーナーでまたゲームをしていた。
筐体にかじりつき、目に隈を浮かべながら延々とプレイし続けている。
真正面にいて、このまま走り続ければ直撃間違いなしだ。
かといって道もどん詰まりなので他に避けることもできないし、立ち止まれば死が待っている。
「うわああああああああ、アーシェ、どいてくれえええええええ!」
と叫ぶが、アーシェは俺に気づく素振りも見せずにゲームを続けていた。
結局、勢いを殺すこともできず、俺は椅子に座ったアーシェごとぶつかって盛大に転んでしまった。大きな物音を立て、ゲームコーナーの椅子が乱雑に倒れる。
埃が立ち、激しく咳き込んだ。
同時に耳元でか細い声の咳払いが聞こえる。
「……なんてことをしてくれたの」
ぼそりと、俺に巻き込まれて床に張り倒される形になったアーシェが呟く。その声色は静かで重く、明確に怒気を孕ませている。
まずい。また彼女を怒らせてしまった。
だが取り繕う余裕もない。未だマリーディアが俺を追って駆け寄ってきている。
「どうしてくれるの」
のろりとアーシェが立ち上がる。
埃で薄汚れた着物も気にせず、茫然自失のように中空を眺めている。
彼女を吹き飛ばした張本人である俺など眼中になく、おもむろに、自分がプレイしていた筐体へと歩き出す。
依然としてマリーディアが鬼の形相を携えて駆けてきている状況だ。
そんな彼女に一瞥をくれることもなくアーシェは腕だけを伸ばすと、手のひらから雲のような黒い靄を噴出させた。
瞬く間にそれは人間大にまで膨らむと、弾丸のように放出された。
その玉が水泡で包むかのようにマリーディアの身体へとまとわり付き、彼女の勢いを瞬時にして削いでしまう。
「な、なんというマナ質量の魔法っ。こちらの世界でこれほどの魔法が使えるはずは……」
マリーディアが驚きに目を見開く。
身動きできない様子の彼女に、アーシェが開いた拳を握り締める。と同時に、その靄に魂を吸われたかのようにマリーディアは気を失わせた。
さっきまでの暴走が嘘のように周囲は静まり返った。
筐体のゲーム音だけが聞こえる。と、ゲームオーバーになった音が虚しく響いた。
アーシェが悲壮に顔をゆがめる。そして筐体を前に、地団駄を踏みながら叫んだ。
「せっかくらんきんぐ一位を狙えるすこあだったのに!」
重度の廃人による心の底からの嘆きだった。
それからしばらくの間。
台を叩きながら獣のような慟哭を響かせる彼女には、俺も、騒ぎを追ってやってきたエルナトたちすらも触れることを恐がって近づこうとはしなかった。
事務所から出ると、普段着姿のシエラに声をかけられた。
さすがに慌しく館内を走り回る従業員たちを見て異変を察したらしく、事情を聞くために俺を待っていたようだ。
「なんでもないよ。ちょっとトラブルがあっただけ」
「まあ。大丈夫でしたか?」
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
「それはよかったです」
襟が曲がってますよ、とシエラが俺の首元に手を伸ばして直してくれる。
彼女の顔が近づき、彼女の女の子らしい華のような香りが鼻腔をくすぐった。
まるで新婚夫婦のやり取りみたいでドキドキする。
慈愛に溢れる彼女の優しさは本当に天使のようだ。
「むう。なんだか仲睦まじいね、お二人さん」
遅れて事務所から出てきたエルナトが不貞腐れるように頬を膨らませた。
「でもハルはボクのお婿さんなんだからね。初夜だってもう済ませたんだから」
「まあっ!」
突然の爆弾発言に、シエラが口許に手を当てて驚く。
「な、なに言ってんだ馬鹿!」とたじろぐ俺の片腕にエルナトが抱きついてきた。
「だって、一枚の布団の中で一緒に一夜を過ごしたじゃん」
「いやいや、ちょっと待て」
確かにその通りだがひどい語弊がある。
これでは変な誤解を与えかねないではないか。現に、話を聞いているシエラは疑うことを知らないような無垢な瞳で俺たちを見つめていた。
これはまずい。変な冷や汗が流れる。
「お二人はそのような関係だったのですね。気づきませんでした。おめでとうございます!」
「えへへ。ありがとうシエラ。婚姻の儀には招待するね」
望んでもいないのに勝手に話が進んでいく。
訂正してもすぐエルナトに否定され、シエラの誤解は一向に解けないままだ。
半ば自棄になった俺はシエラの目の前に立ち、彼女の肩をがっちりと掴むように手を伸ばして俺の目を見るように促した。
実際には手を触れてはいない。
今もどこかで見ているかもしれない従者の目が恐いからだ。だが彼女に改まって話を聞かせるには十分だ。
「聞いてくれシエラ。俺はエルナトと婚約したわけじゃない。あれは何かの間違いなんだ」
「え、ですが」
「ですがもなにも、俺はそんなつもりなんてないんだよ」
ぐぬぬ、とエルナトが話の途中にも構わず歯を食いしばりながら俺の腕を引いてくる。俺も足に力を込めて必死に踏ん張った。
綱引き勝負のような拮抗。
頑としてエルナトは手を離そうとせず、俺だって一歩も譲るつもりはない。
「だから、な? 知らなかったんだ。だから無し。無効だ。俺が好きなのはエルナトじゃないんだ――あっ」
不意に、エルナトの腕を引く力が緩んだ。
手を滑らせたらしい。
締め付けから解放された俺の片腕は反対方向へ踏ん張っていた足の力を殺せず、勢いづいた慣性のままに前のめりに倒れこむ形になってしまった。
眼前のシエラにぶつかり、彼女を押し倒す形で体勢が崩れる。
目の前が暗転した。
そのまま頭から床に向かって転倒したのだが、しかし受身を取ったわけでもないのに何故か少しの痛みも感じなかった。むしろ顔面で味わった感触は柔らかく弾みのあるものだった。
「きゃあ」という可愛らしい悲鳴が聞こえ、俺はすぐに理解した。
目を見開くと、眼前には二つの丘。男のロマンが詰まった豊穣のメロンがそこにあった。
そう、俺はシエラごと押し倒してしまい、彼女の腹の上でうつ伏せになってしまっていたのだった。さっきぶつかったひどく柔らかく弾力のあるあの質感とは、つまり、彼女の最も女性らしいあの部分ということになる。
「こ……こ、れ、は……あ、の……」
完全なセクハラである。言い逃れのできない事実に思考が追いつかず、壊れたラジオのような声を漏らしながらとりあえず手だけは離して取り繕おうとする。
どんな罵声が飛んでくるか。
それとも大人しい彼女のことだから失望して泣いたり逃げ出したりしてしまうだろうか。どうにせよ、従業員としても人間としても終了である。
が、しかしシエラの様子は少し違うようだった。
倒れたままのシエラが顔だけを持ち上げて、大きな胸の谷間越しに俺を見る。
「あ、あの、これは。もしかして、エルナトさんだけでは事足りず、私にもお嫁さんになれ……ということなのでしょうか」
「……え?」
呆気にとられてだらしなく口を開く俺に、シエラはきょとんとした顔で返す。
「あの。殿方に迫られるのは、その、初めてで。私もハルさんのこと、その、とても素敵だとは思いますが、でも、どうお答えすればいいかよくわからなくて」
しどろもどろに答えるシエラは、少し照れているようでもあった。
恋愛事に不慣れで戸惑う様子は可愛らしいのだが、しかしそれどころではない。
――これ以上ややこしい方向にいかないうちに早く修正しないと。
「シエラ、しっかりしろ。俺は別にお前を襲うつもりじゃないんだ」
必死に訂正しようと試みるが、しかし俺はもっと肝心なことを失念していた。
右頬を何かが掠める。
それが一瞬にして視界の隅を通り抜けた。
俺は咄嗟に、それが飛んできた正面の方へ顔を向ける。
薄暗い物陰から微かな光沢が放たれたかと思うと、今度は首元に向かって目にも留まらぬ速さで何かが飛翔してきた。
「うわっ!」
得体の知れない飛行物に、俺は逃げるようにシエラから離れて立ち上がる。と同時に俺のすぐ背後に、さっきまで感じなかったはずの気配が現れた。
「きぃぃぃさぁぁぁまぁぁぁぁ」
耳元で猛獣の唸りのような声が囁かれる。
鳥肌が立ち、冷や汗が流れる。生唾を飲む一瞬が数十秒にも感じた。
意を決して振り返ると、目を血眼に滾らせて睨みつけてくるマリーディアがそこにいた。
「ひぃいいいいいいいい」
「よくもシエラ様に不埒な行いを!」
「ち、違う。事故だ」
「問答無用!」
いつの間にかマリーディアは槍のような先のとがった棒を手にし、般若のような剣幕で俺に振りかざしていた。
まっすぐ縦に一閃。
俺はかろうじて身を捩ってかわした。
だがすぐにマリーディアは二撃目を構えている。
――この人、マジでヤる気だ!
命の危機を肌身に感じ、俺は死に物狂いでその場から逃げ出した。
「待て!」とすかさずマリーディアが追いかけてくる。
だが立ち止まれば死が待っていると確信した。無論足は止められず、館内の廊下をひたすらに走り抜けた。
大浴場の前の廊下、客室に繋がる渡り廊下、階段を上ったり下ったり。行く先も知れず、ただ逃げるために必死に駆け回る。
振り返れば鬼の形相で追いかける従者の姿。
持っていた槍を俺に投げ、自分の靴まで脱ぎ捨てて投げ、それでも俺が懸命に避けるものだから、ついには廊下の観葉植物や机、椅子まで投げてくる始末だった。
投げた物のせいで床は凹み、壁は剥がれ、何かが壊れる音が絶え間なく響く。
ひどい大惨事だ。
このままでは旅館の中のなにもかもを壊してしまうのではないかと思うほどに、マリーディアは破壊神のごとく俺を追いかけてくる。
しかし立ち止まって説得しようにも、いつしか彼女の手には非常に鋭利なナイフが握られていた。さすがの俺も命惜しさに足を止められない。
やがて館内を一周し、たどり着いたのはアミューズメントコーナーだった。
突き当たりでこれ以上は逃げ場がない。
かといって立ち止まるわけにはいかない。
必死の思いでどうすれば良いかを考えていると、ふと前方に人影を見つけた。
アーシェだ。
ゲームコーナーでまたゲームをしていた。
筐体にかじりつき、目に隈を浮かべながら延々とプレイし続けている。
真正面にいて、このまま走り続ければ直撃間違いなしだ。
かといって道もどん詰まりなので他に避けることもできないし、立ち止まれば死が待っている。
「うわああああああああ、アーシェ、どいてくれえええええええ!」
と叫ぶが、アーシェは俺に気づく素振りも見せずにゲームを続けていた。
結局、勢いを殺すこともできず、俺は椅子に座ったアーシェごとぶつかって盛大に転んでしまった。大きな物音を立て、ゲームコーナーの椅子が乱雑に倒れる。
埃が立ち、激しく咳き込んだ。
同時に耳元でか細い声の咳払いが聞こえる。
「……なんてことをしてくれたの」
ぼそりと、俺に巻き込まれて床に張り倒される形になったアーシェが呟く。その声色は静かで重く、明確に怒気を孕ませている。
まずい。また彼女を怒らせてしまった。
だが取り繕う余裕もない。未だマリーディアが俺を追って駆け寄ってきている。
「どうしてくれるの」
のろりとアーシェが立ち上がる。
埃で薄汚れた着物も気にせず、茫然自失のように中空を眺めている。
彼女を吹き飛ばした張本人である俺など眼中になく、おもむろに、自分がプレイしていた筐体へと歩き出す。
依然としてマリーディアが鬼の形相を携えて駆けてきている状況だ。
そんな彼女に一瞥をくれることもなくアーシェは腕だけを伸ばすと、手のひらから雲のような黒い靄を噴出させた。
瞬く間にそれは人間大にまで膨らむと、弾丸のように放出された。
その玉が水泡で包むかのようにマリーディアの身体へとまとわり付き、彼女の勢いを瞬時にして削いでしまう。
「な、なんというマナ質量の魔法っ。こちらの世界でこれほどの魔法が使えるはずは……」
マリーディアが驚きに目を見開く。
身動きできない様子の彼女に、アーシェが開いた拳を握り締める。と同時に、その靄に魂を吸われたかのようにマリーディアは気を失わせた。
さっきまでの暴走が嘘のように周囲は静まり返った。
筐体のゲーム音だけが聞こえる。と、ゲームオーバーになった音が虚しく響いた。
アーシェが悲壮に顔をゆがめる。そして筐体を前に、地団駄を踏みながら叫んだ。
「せっかくらんきんぐ一位を狙えるすこあだったのに!」
重度の廃人による心の底からの嘆きだった。
それからしばらくの間。
台を叩きながら獣のような慟哭を響かせる彼女には、俺も、騒ぎを追ってやってきたエルナトたちすらも触れることを恐がって近づこうとはしなかった。
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