月を取る

耽創

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月を取る

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「えっ、お前シシオンナ好きナの」
「バッカロー! シシオンナって言うなー。山神様だぞー、スフィンクス様だぞー」
 白日に木の上で猿と猫が話している。
 獅子女に惚れていると言う小柄な猿のムーを、呆れた顔で白猫のテトが見る。
「で、その女王様がどうしたぁ。ナァんで今そんな告白をあたしにしたの」
「……スフィンクス様に贈り物をしようとして、一昨日欲しいモノを聞いたのさ。そしたら、月を持ってこいって」
 危うくテトは枝から落ちるところだった。
「ふえぇ~、山の主ともナると、とんでもナいものをご所望するんだナ。ていうかナァんで贈り物?」
「んぇ? 女の子を射止めるためには、贈り物かなって。テトは贈り物貰うの嫌かい」
「いやあ、貰ったことナいし……。まあでも、嬉しいんじゃナいーー」
 テトの言葉にムーは驚きを隠せなかった。九つの魂を持つ彼女は確か、今回の魂で七つめだ。
「七回めの猫生なんでしょ!? 忘れてるだけでしょ、贈り物貰ったことないなんて……」
「ま、そーかもね。それで、月を取る計画はどうナってるの。考えた?」
「うんっ」
 ムーはひょひょいと木から降りる。山の地面は少し濡れていて、足に泥が付く。しかし猿は気にもせず、まだ枝にのっている猫を見上げ笑う。
「計画したこと、テトには見ていてほしいんだ。見ててくれる?」
 テトは一つ溜息を吐き、下に続く枝を渡って降り立つ。土が跳ね返ることが耐えられない静かにムーのもとへ歩く。誘われたことをうれしく思いながら、それを隠して歩く。何より、猫は好奇心にも耐えられないようだ。
 二匹は山奥へと向かう。水の流れと逆の方向ーー水源を目指して進むと、途中で大きな滝に到る。滝は、小さな二匹が近づくと水しぶきで飛んでいきそうなほどに勢いがある。密集した木々から出ると、空は柿色になっていた。もうすぐ月が出るだろう。
「月がお空に出たら、溜まってる水に映った月をボクが取りに行く。テトには、心細いから、ここにいてほしいんだ」
「ここにいるだけでいいの?」
「うん。ここにいてくれるだけでうれしい」
 どうやらムーは水に映る月を取る手段を考えていたようだ。それからムーは月が出てくるまで、溜まっている水をあちこちから見たり、テトの隣に座ったりと、忙しかった。
 疲れたと言ってテトの隣に座ると、話し出した。
「昨日は、ここの水全部飲もうと思ったの。飲み続けてたら、月がお腹のなかに入るかなと思ったんだけど。水飲みきれなかったんだよね。はは」
「はは。馬鹿かお前」
「失敬な。水、おいしかった」
「あっそ……あっ」
 テトがフー、と鼻で大きく息をする。鼻先にある草花が揺れる。すると、前を向いたテトが何かに気づいたようで、水面を見た後に、空を見上げる。つられてムーも空を見ると、大きなまんまるの月ようだ。
が浮かんでいた。
 テトはもう一度水面を見ると、ふふっと笑う。
「どうしたの」
 いきなり笑ったともだちを、ムーは不思議に思う。
「やあ、ね、あのね。とっても昔、あたし女の子の飼い猫だったの。その女の子、お月様を見て目玉焼きって言ったのよ。面白い子だったわ。……あの子の国ではナんと言ったかしら。……。……、……そう、そうだわ、Fried eggだ。……て、そんナ話してる場合じゃナい。ほら、月取りに行きナさいよ」
 話し方がやわらかくなったテトにムーがポカンとしていると、急にいつもと同じ彼女の喋り方になる。当初の目的を促されムーは飛ぶように立つ。
「お、あっ、うん。そーだ、取らなきゃ!」
 滝壺へムーが足を入れる。夏の夜の水は冷たいような、まだ夕方の熱が残っているような感覚だった。水鏡の月に近づく。猿が月の光に包まれる。青い夜の中で黄色い光に囲まれている。
「昨日よりも水が冷たいなあ。小さな月でも、喜んでもらえるかなあ」
 そう独り言を言って、両手で水を掬う。掌に小さな滝壺ができる。小さな滝壺に小さな月が浮かんでいる。
「やった。取れた、思った通り」
 テトーと大声を出して猫のもとに戻っていくが、
「……無いよ、月」
 テトが見たときには、指の間から水が零れ落ちたようで何も残っていなかった。
「あーー、……もっかい、取ってくる」
「はん。頑張れ」
 ムーはそれから十回、色々な方法で水鏡の月を掴もうとしたが、失敗続きだった。
「……辛い……寒い……」
 トボトボとムーがテトのところに帰っていく。

 と。

「猿猴(えんこう)、それに猫。何をしているの」
「ひよ!?」
 滝口に、月に照らされる山の主がいた。獅子の体を持ち、上半身は人間の女性の怪物。美しい金色の毛と,三メートルはある翼が輝いている。五メートルから七メートルの巨躯を曲げ、目を細めて二匹を見つめる。
「月を、プレゼントしたくて」
 猿はできる限り腹から声を出す。そうすると、少女の顔に合わない、少しだけ低い女性の声で、山の主が話しだす。
「月? ……ああ、ムーか。じゃあ、座っているのはテトかしら」
「ええ。こんばんは神様。素敵ナ夜だね。月はまだアナタの物にはナらナいよ」
「ああ。気長に待ちますわ」
 さして大きな声でもないのに、しっかり聞こえる、奇怪な声だ。鈴を転がしたような声だった。
 「待っててねスフィンクス様ー!」
 滝口に向かってバシャバシャ音を立てながら猿が走る。水圧で上手く進めてない。
「あっ」
「あ?」
 ふっと、山の主と猫の視界から猿が消える。時間は夜。よく見えないなか、月明かりと音、自分の目を頼りに動いていた彼女らだったが、山の主と猫に届いていた水音が消えた。ごぽごぽと大きな音を立てていたのが、次第に微かなものになっていった。サーっと猫の血の気が引く。
「うっそ。ムー!? 大丈夫!?」
「人は食べたことあるけど、猿は無いわね。浮かんでこないかしらー?」
「どーしよ、どーしよ! 助けられるかナ、できるかナ!? よし。やるぞ、ふんッ」
 スフィンクスは小さな個体が滝壺に入った音を聞いた。
「猫も食べたこと無いわね。死を見守るのは私の役割よ。ふふっ。まだかしらー」
 二匹の死を望む主の笑い声が静かに山を覆う。

 ゴポゴポゴポ……。

「ブッ! わーーーッ!? ゲホゲホ! ばーーっ」
「ふにゃあ~、にゃッ」
 しばらくして、溺れながら二匹が浮上してくる。山の主は眉を下げ、眉間にしわを寄せる。
「まあ……。残念だわ。死んだ! と、みせかけて生き戻るなんて……。騙されたわ」
「勝手に殺さないでください」
「え? スフィンクス様なんて?」
 耳に入った水を抜きながら、状況を把握しようと猿が猫に質問する。山の主がからかう。
「プレゼントはあなた自身がいいなと言ったのよ」
「えっ!?」
 ボッと音がしそうなくらい猿の顔が赤くなる。
「いや、都合よく解釈すんナよ。アイツあたしたち食べようとしてたんだぞ」
「スフィンクス様にならいいかな! ボクが贈り物です!」
「えぇ……」
 岸の方に泳ぎながらデレデレしている子猿に、子猫は呆れる。山の主は楽しそうに笑う。怪物とは思えないほど可愛らしい笑顔だ。
「ではムー? 月が私のもとに運ばれるのを楽しみにしているわね」
「はーい!」
 言うと、山の主は山の頂上ーー自身の住処へと戻っていった。巨体に合わず、草を踏む音すら聞こえない。二匹は主が夜に消えるまで、その姿を見届けた。
 主を見送ったあと、ムーは静寂を消し去るように口を開く。
「……今度身の程知らずの猿が溺れたら。溺れ死んだら、笑い話として語り継いでね」
「……笑えナいからやめろよ。あたしも手伝うから。見てるだけじゃ怖くナったし」
「えー一緒に取ってくれるの? やったー!」
 陸に上がる。ずぶ濡れになったお互いを見る。
「また今日の夜に会おうか。寒いし」
「うん。そうしよう!」
「もっといい捕獲方法考えてこいよ」
「わかった!」
 そうして、また夜に集合する約束をして二匹は住処に帰る。
 滝の上では、誰の所有物にもなっていない青白い月が、残るだけであった。
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