18 / 31
2. 残念美女、野獣に転がされる
残念美女、野獣に転がされる ⑧
しおりを挟む瀬里が洗い易いようにか、京平は脚に肘を置き少し前屈みになって、鏡の向こうから視線を送って来る。逐一監視されているみたいで、何とも気分が悪い。
丸まったボディタオルを手の中でクシュクシュと泡立てながら、男の背中に視線を落とす。
肩幅は広くガッチリした骨格。肩から腰に掛けての発達した筋肉の隆起がしっかりと見て取れる。
まるで筋肉の標本みたいだ、とそこまで考えて、瀬里は心中で舌打ちした。
使い込まれた無駄のない筋肉だ。
プロテインを飲み、躰を苛め抜いてただ大きくしただけの重い筋肉とは違う。
どんなに彼女が頑張って躰を鍛えたところで、性別の違い故の差は詰められない。それをまざまざと見せつける目の前の男に、力ではどうしたって勝てないと認めざる得ない悔しさから、殺意さえ感じる。
(どうしたら、あたしの前から京平を消すことが出来る? 接近戦は完敗続きだし、遠隔戦? コンパウンドボウ、とか? いやいやいや。そんな物購入したら、即刻足が着くわ。筋弛緩剤、ってもっとダメ! パパさんたちに迷惑掛かるしっ)
泡の塊が床に落ちて、ペチッと音を立てる。それを一瞥して、瀬里は鼻で嘆息した。
(取り敢えず今は、目の前の事から片付けよ)
現状にこれっぽっちも納得はしてないが。
ずっと泡立ててばかりいても、京平が開放してくれよう筈もない。
叩きつけるようにボディタオルを押し付け、腰を入れ渾身の力を篭めた両手を上下に動かした。
これでもかってくらいに気合を入れて。
なのに。
「あ、そこそこ。もっとガッチリ」
「アンタの皮膚は装甲か!」
そこいら辺りの女子よりは余程力があると自負している。
しかしその瀬里が力み過ぎて顔を真っ赤にしているのに、当の京平は「失敬な」と言いつつケロッとしているから、まったく以て腹が立つ。
これでは京平の背中が赤剥けになる前に、瀬里の体力が尽きそうだ。
折角お風呂に入ってスッキリしたのに、額に汗が滲んで来た。
何でこんな目に、と解せぬ思いに歯噛みする。
それでも何とか背中を洗い上げ、腕で額を拭いながら深く息を吐き出した。
「ふ~ぅ。……終わったわよ」
「んじゃ次は右腕な」
「はあっ!?」
「最初に言っただろ。左手じゃ物が掴めないって。どんなに頑張ったって、右手で右腕は洗えない」
「チッ」
「舌打ちはいいから。はい腕」
そう言って横に伸ばされた腕を眇めた目で見下ろす。
「何の因果で……くっ」
「諦めろ」
「ムカつく」
握りしめたボディタオルを上腕に押し付け、ギュッギュッと擦り上げる。その間にも京平は小まめに腕の向きを変えて誘導していくから、瀬里の眉間の皺が深まるのと舌打ちが止まらない。
「じゃ今度こっちも」
「ふ、ざ、け、ん、なっ。左腕は自分で洗えるでしょ!」
そう言ってボディタオルを突き出せば、「序で序で。腕の一本も二本も変わらないだろ?」と撤退しかけた瀬里のハーフパンツをむんずと掴み、「どうせ泡塗れなんだからさ」とニコニコ笑って彼女を自分の前に引き寄せた。
瀬里はと言えば、その勢いで脱がされては堪らんとハーフパンツのウエストゴムを引っ張り上げるのに気を取られるあまり、これと言った抵抗もしないまま京平の前に両膝を着く羽目になり……。
突如、目に飛び込んで来た肌色の近さにザーッと血の気は引き、顔面の筋肉の硬化も回避できず。
何だか鼓膜とは違う所でピシッと音が響いた気がする。
「……何故、前?」
「逃げようとするからだ」
至極当然とした表情で瀬里の腰に足を絡めてきた。ぐっと引き寄せられた彼女の躰がつんのめり、咄嗟に京平の胸に手を着いた。
肌の質感と筋肉の硬さが掌に伝わって来る。
瀬里は小さく悲鳴を漏らして身を引いた。そんな彼女を追い詰めるように絡め取った包囲網が狭まり、二人の距離は十数センチにまで迫る。これ以上近付いてなるものかと躰の間に腕を差し込んで突っ張れば、京平は不服そうに眉を寄せた。
「逃げんなって。ほら。早く洗ってくれよ」
「ち、ちか、近過ぎる」
「ん? あぁ、そうだな」
少しだけ弛んだ束縛に小さな吐息を漏らす。
(背中と右腕だけだって言ったのにぃ)
瀬里が開放される気配はなく、半ベソ掻いて京平を見遣れば、頗るいい笑顔に迎えられる。
瀬里が目を潤ませつつ恨めしげに「……嘘つき」と見上げれば、京平は「ん?」と喜色を滲ませた双眸を細めて首を傾げた。ムカつく。
「背中と右腕だけって言った」
「そうだったか? 背中と右腕洗って欲しいとは言ったけど、そこだけとは言った記憶がないんだが」
「っ!? 詭弁だわ」
「ひどいなぁ。愛してる瀬里に躰を洗って貰える細やかな幸せを、一分一秒でも長く感じていたいだけなのに」
「どっ、どこが細やかよ! ……ちょっと! アンタのキモイ台詞のせいで全身鳥肌なんだけどッッッ」
「真実を語ったまでなんだが」
「ひぃぃぃっ」
彼女を抱き寄せ、回された指先が背筋のラインを滑る。瀬里はぶるると身震いした。
「だからっ。そーゆーのホント止めて」
けれど京平は軽く肩を竦めただけで、聞く耳など持っちゃいない。
問答するのにも疲れ、尚も背中を撫で回す京平の上腕をペチリと叩くと、瀬里は躰の前に戻した京平の腕を洗い始めた。
大人しく身を任せている京平にそこはかとない胡乱なものを感じるが、藪を突っついて蛇を出す気もない。
眉間に皺を寄せ黙々と手を動かす瀬里を、眺め降ろす京平の視線が煩い。鬱陶しく思いつつも手元の一点から目を逸らすことがないまま、漸く左腕を洗い終わる。
厭々でも一仕事を遣りきった奇妙な充足感に瀬里は顔をしかめ、長い吐息を一つ。「終わったわよ」とボディタオルを差し出した。けれど京平がそれを受け取ることはなく、瀬里の手首を掴んで「まだ終わっちゃないだろ」とボディタオルを持った手を自分の胸へと押し付けた。
「調子に乗んな!」
反射的に手を振り解こうとして叶わず、両腕を突っ張って距離を取る。無いよりはマシ、程度の微々たる距離だが。
(筋肉量の差が恨めしい)
唇を噛み締めると、「傷がつくだろ」と京平の親指が瀬里の顎を引く。“傷” という言葉にハッとして力を緩めれば、「いい子」と京平が微笑んだ。思いがけない優し気な笑みに怯んでしまってから、直ぐに “何か企んでいるに違いない” と自らを叱咤するように気合を入れて京平を見た。
「言われた通り、背中も腕も洗った。後は自分でやって」
「……わかった」
「っ!? 全然わかってないじゃん!」
「自分で洗ってるだろ」
「あたしの手を使って洗う意味が解らないんですけどぉ!?」
ボディタオルごと瀬里の手を掴み、首、胸へと忙しなく上下させる。それが堪らなく嫌で必死の抵抗を見せるも、逃げるに逃げられない。絡んだ足のせいで。
胸から腹に向かって腕の角度が下がって行くにつれ、瀬里の顔が面白いほど引き攣って行く。
「やぁぁぁぁあっ! 無理! それ以上無理だからあ」
「大丈夫だ。以下だから」
「全然大丈夫じゃないから! 変な揚げ足取るな!」
「大丈夫大丈夫。すぐに慣れるって」
にこやかな笑みを浮かべた京平の手が、容赦なく瀬里の手を下へ下へと誘っていく。
「いやーっ。そんなモンに慣れる以前に触りたくなーいっ! セクハラだセクハラ! 放せ変態ッ!!」
渾身の絶叫が浴室内に響き渡る。
もうこうなったら体裁がどうの、ご近所迷惑がどうの、勝明先生がどうのなんて言ってられない。
捨て身の覚悟でギャンギャン騒ぐ。
しかし現実は無情だ。
頼みの綱である勝明が駆け付ける事もなく。
煩い、と苦情のドアチャイムが鳴ることもなく。
それまでとは違う感触が、ボディタオル越しに伝わって来た。
筋肉の起伏とは全く違う異形は、何故か硬質化していて手の下で跳ね上がる。
一瞬、白目を剥きそうになった。が、その後無事に済む保証がない事に思い至ったら、意識を飛ばすことも出来なくなった。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる