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1. 残念美女は野獣の元に送り出される
残念美女は野獣の元に送り出される ⑦
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いつも有難うございます (o*。_。)oペコッ
今回はちょっとだけ長めです。
****************************************
瀬里がどんなに抗ったところで、家事手伝いという名目の生贄に差し出される話は無慈悲に進んで行く。
一体どんな根回しをしたのかと、胡乱な目で京平を見ていた。
「親父の我儘で、瀬里はもちろんご家族にも本当に申し訳ないです」
「よくもまあ。いけしゃあしゃあと」
「瀬里ちゃん! 助けてくれた京平くんに何て言い種なの」
利加香の窘める声に「だって」と唇を尖らせると、変わらず瀬里を腕の中に囲ったままの京平が「気にしてませんから」と彼女の頭頂に顎でグリグリする。これが結構痛い。気にしてないと言いつつ大人げない反撃に、瀬里の顔が不快に歪んだ。
「ちょっと。痛いんだけど」
「あ~悪い悪い」
全く気持ちの篭もっていない謝罪を口にしながら、京平の大きな手が瀬里の頭を鷲掴むようにしてわしゃわしゃと掻き混ぜる。両手が使えないから成すがままにされていると、乱れた髪が顔に掛かって不快指数が鰻登りに上がっていった。
「いい加減にしてッ」
頭上を占めている京平の手を何とかして退かそうと、瀬里が頭を前後左右に振れば、実に愉快そうな彼の気配。それが何とも彼女を苛立たせる。そんな二人の遣り取りを眺めていた利加香が「やっぱり仲良しさんじゃない」と頗る満足そうに微笑んだ。
「あたしは嫌がってるんだけどっ!」
「嫌よ嫌よも、ってな」
と巫山戯た事を言い出したのは、正面のソファで肘掛けに頬杖を付いた次兄の基樹。十四歳上の彼は緩やかなウェーブの赤茶けた猫っ毛に、利加香似の女顔はこれまた良く整っており、小児科医の彼のことを看護師たち曰く『基樹先生は日々忙殺される看護師のオアシスです!』だそうだ。
女ったらしの基樹がオアシスに見えるなんて、みんな完全に逝っちゃってる―――と瀬里は常々思っている。
瀬里が身動き取れずに「ふざけんな!」と地団太踏んでいると、基樹は口元に薄笑いを刷いて言を継ぐ。
「京平ほど瀬里に見合った男はいないだろ」
「あたしに男なぞ不要!」
「ダメよ! ダメダメ! ママ、瀬里ちゃんの赤ちゃんを取り上げて、うーんと可愛がってあげるのが夢なんだからっ」
助産師の資格を持つ母が、まだ見ぬ孫に思いを馳せて「うふふ」と笑う。
瀬里はぶるりと震えた。
「いやーぁ!! あたしの子なんて寒気する!」
子供なんて死んでも無理だ。まずそこに至るまでの過程が有り得ない。想像しただけで気持ち悪くなる。
「あたしの子供には絶対にお目に掛かれないから。孫を取り上げたいなら、息子たちのお嫁さんに懸けて」
「なんでそんな酷い事言うの? 娘は瀬里ちゃんしかいないのにぃ」
稚い娘のようにホロホロと涙を流す利加香の肩を抱いて、晃が優しく宥めている。その様子をしばし眺めていた兄弟たちが、責める目で瀬里を見て来るのが居た堪れず、ふっと目を逸らした。
(………マズイ。……どうして強制家政婦の話から、子供の話になったんだっけ?)
父方の男が大多数の家系のせいで、連綿と続く女性を大事にするという家訓の中で、瀬里か利加香かとなった場合、総じて軍配は利加香に上がる。女王蜂とその候補では所詮格が違う。
完全に旗色が悪い。
あ~あ泣ぁかせた、と目で語る兄弟たちの視線が痛い。
瀬里は目をウロウロさせ、遂には顔を俯けた。
(あー…そうだ。そもそもが基樹のせいだ。基樹が京平を見合う男なんて言うからだ)
基樹をチラリと睨んで視線を落とす。それと同時に口角も下がって、へにょんと情けない顔になった。
ここは大人しく利加香を泣かせてしまった事を謝らなければ、きっと皆が納得しないと思いつつ、そうしたくない自分もいる。
(……話…摩り替えなきゃ……でも何に?)
良い案なんて思い浮かばない。
誰かが風向きを変えるような一言でもくれたなら、余計な一言でも許すだろう。そのくらい切羽詰まった気分になっていると、先刻まで健が読んでいた医学情報誌が床にパサッと落ちた。
ハッとして顔を上げ、雑誌を拾い上げる長兄を見る。何事もなかったように雑誌をローテーブルに置くのを眺めながら、あっと思う。
(……あたしの子供云々の前に、先ずはこの人からでしょ。順番から言っても)
心の中で大きく頷いた。
何時もにこにことして安心感漂う長兄の健は、男女問わず、近所でも有名なご年輩層のアイドルだったりする。これには文句なく頷く瀬里だが、それを本人に言ったら悲哀を背負い込んでブツブツ呟き出すため、鬱陶しい事この上ないのだが、今はそんな事を気にしている暇はないと頭を振る。
健の名誉のために付け加えるならば、晃に似て見た目は良い。顔面平均値は高いだろう。沢山のモデルや俳優を見て来た瀬里は、自分の審美眼には自信がある。しかし、この兄が今一モテないのは、醸し出す雰囲気が何処か所帯染みて若さがないせいだろうと、瀬里は推察する。
(まあそれと言うのも、多感な青春時代に塾と下三人の子守に明け暮れたせいなんだけどねぇ……老け込むよね、そりゃ)
とは言え生真面目な兄の事だから、何れはイクメンになるだろう。けど、そこに行くまでの過程が険しそうだ。
まじまじと見入る妹に「なんです?」と訝し気に首を傾げる長兄。瀬里はにっこりと特上の笑みを浮かべた。
徐に視線を両親に移す。
「ねえねえ。あのさ。思うんだけど、高校生のあたしに子供云々言う前に、先ずは健ちゃんじゃないの? 上が詰まってたら糸切れ凧の基樹は兎も角、康が理生ちゃんと結婚し辛いと思うのよね」
上三人の中で唯一彼女持ちの康成を引き合いに出し、「ねえ」とやんわり微笑みながら、目では “頷け” とプレッシャーを三兄に送る。
が。
「いやいや。理生子殿が高校卒業するまで後二年ありますし、今のところ問題は有りませんが?」
(そうだった!)
全く空気を読まない……読めない康成に一縷の望みを託してしまった自分を呪わしく思いつつ、瀬里は三兄の彼女が自分と同じ年だった事を今更ながらに思い出した。
瀬里と理生子が同じ年である以上、強く推すことも出来ない。
(ったく! 十コも年下の子に手を出すなんて、不届き千万よねっ!)
日舞のお家元の娘と言う、楚々とした和服の美少女を思い出す。この二人のデートは専ら着物姿と言うことまで思い出して、少々げんなりした所に唯一の弟 淳弥が「せっちゃん」とチラリ視線を促した。
釣られて視線を滑らせる。
瀬里の視線と合わせるように、一同の視線も同じ方向に移動して行く。
頭を垂れて背中を丸めた健が、脚に両腕を乗せた状態で「どうせ……」と昏く淀んだ声で呟いた。
一同がギクリとして、一斉に目を逸らす。
「先日のお見合いも、先方からお断りされましたよ。記録更新中ですが、それが何か?」
つつーっと背中に冷汗が流れる。
(先日のお見合いって何よ!? あたし聞いてないしっ)
知っていたら、こんな生々しくてデリケートな話題なんて振らなかったのに。
内心酷く焦っていた瀬里の耳元で「おい。地雷踏んでどーすんだよ」と京平が囁き、「うっさいわね。分かってるわよ」と小声で怒鳴り返した。二人がコソコソとそんな遣り取りをしていると、健の大きな溜息が聞こえた。反射的に長兄に目を向ける。
「話を戻しましょうか、お父さん」
「あ…ああ。そうですね」
気持ちを切り替えたのか、淡々とした声で言った健に、少々呆気に取られながら晃が頷く。
思いの外あっさりと齎される筈だった非難の嵐を抜けて、安心よりも却って不安が広がっていくのは何故だろう。
無表情の健と目が合って、瀬里は無意識に息を呑んだ。オドオドしながら隣の晃に視線を移す。
「かなり脱線してしまいましたね。京平くんには申し訳ない。安静にして貰うどころか、聞き分けのない娘が相手で話が進まず、気を悪くしないで欲しいのですが」
「気を悪くするなんて滅相もないです。そもそもが自分じゃ何もできない癖に文句だけは湧き水の如く出て来る親父の我儘から出た話ですし、いきなり行けと言われた瀬里の戸惑いも解ります。親父は強制的に黙らせますから」
「いやいやいや。勝明先生にそれはダメでしょう」
京平が右手をグーパーグーパーして不穏な笑みを浮かべると、蒼白になった晃が止めに掛かった。
(父よ……勝明先生以外だったら、良いのか……?)
声に出して聞いてみたいところだが、また墓穴を掘りそうなので止めた。我ながら賢明な判断だと思う。今更だが。
京平は些か不服そうに「そうですか?」と言った後で、コクコク頷く晃に「では取り敢えず保留にしておきます」とにっこり笑った。
瀬里の顔がひくりと引き攣る。肩越しに振り返った京平の瞳の奥に鈍い光を見つけ、背筋に冷たいものが流れ落ちた。
嫌な予感がする。
そもそも京平と居て、良い予感などした事ないのだが。
不意に伸ばされた京平の指先が頬に触れようとした刹那、瀬里は身を反らして躱す。京平は苦笑を浮かべ、その手を戻した。
「……今回の件は、俺の咄嗟の判断ミスで怪我した俺の責任で、瀬里には何の落ち度もない。瀬里が無事だっただけで、俺は充分満足だから」
本当に良かった、と京平は安堵の笑みを浮かべた。
それはきっと本心だろう。けど、それだけじゃない何かも感じる。
京平に限ってそんな殊勝な玉じゃないと断言できる。
「何企んでるの?」
「企む? 別に企んでないぞ」
「胡散臭い」
「胡散臭いって失敬だな」
「失敬って柄か」
「まあまあまあ。二人とも」
エスカレートして行きそうな空気を感じ取った力が、気の良いおっさん上司の様な口振りで仲裁に入って来た。邪魔された瀬里がギンッと睨むと、口元を引き攣らせながら、それでも負けじと口を開く。
「遅かれ早かれ、どの道瀬里には他の選択肢はないぞ?」
「どーゆーこと?」
上目遣いで力を睨み据えた。
項の辺りがザワザワする。
先を聞いてはいけないと危惧する不確かな不安と、先を聞かずにはいられない焦燥感。
そんな瀬里の心情などお構いなしに、力は「言ってもいい?」と晃に了承を求めた。父が苦り切った顔で「私から言うよ」と答え、力は「だってさ」と再び瀬里に目線を合わせて来た。
今回はちょっとだけ長めです。
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瀬里がどんなに抗ったところで、家事手伝いという名目の生贄に差し出される話は無慈悲に進んで行く。
一体どんな根回しをしたのかと、胡乱な目で京平を見ていた。
「親父の我儘で、瀬里はもちろんご家族にも本当に申し訳ないです」
「よくもまあ。いけしゃあしゃあと」
「瀬里ちゃん! 助けてくれた京平くんに何て言い種なの」
利加香の窘める声に「だって」と唇を尖らせると、変わらず瀬里を腕の中に囲ったままの京平が「気にしてませんから」と彼女の頭頂に顎でグリグリする。これが結構痛い。気にしてないと言いつつ大人げない反撃に、瀬里の顔が不快に歪んだ。
「ちょっと。痛いんだけど」
「あ~悪い悪い」
全く気持ちの篭もっていない謝罪を口にしながら、京平の大きな手が瀬里の頭を鷲掴むようにしてわしゃわしゃと掻き混ぜる。両手が使えないから成すがままにされていると、乱れた髪が顔に掛かって不快指数が鰻登りに上がっていった。
「いい加減にしてッ」
頭上を占めている京平の手を何とかして退かそうと、瀬里が頭を前後左右に振れば、実に愉快そうな彼の気配。それが何とも彼女を苛立たせる。そんな二人の遣り取りを眺めていた利加香が「やっぱり仲良しさんじゃない」と頗る満足そうに微笑んだ。
「あたしは嫌がってるんだけどっ!」
「嫌よ嫌よも、ってな」
と巫山戯た事を言い出したのは、正面のソファで肘掛けに頬杖を付いた次兄の基樹。十四歳上の彼は緩やかなウェーブの赤茶けた猫っ毛に、利加香似の女顔はこれまた良く整っており、小児科医の彼のことを看護師たち曰く『基樹先生は日々忙殺される看護師のオアシスです!』だそうだ。
女ったらしの基樹がオアシスに見えるなんて、みんな完全に逝っちゃってる―――と瀬里は常々思っている。
瀬里が身動き取れずに「ふざけんな!」と地団太踏んでいると、基樹は口元に薄笑いを刷いて言を継ぐ。
「京平ほど瀬里に見合った男はいないだろ」
「あたしに男なぞ不要!」
「ダメよ! ダメダメ! ママ、瀬里ちゃんの赤ちゃんを取り上げて、うーんと可愛がってあげるのが夢なんだからっ」
助産師の資格を持つ母が、まだ見ぬ孫に思いを馳せて「うふふ」と笑う。
瀬里はぶるりと震えた。
「いやーぁ!! あたしの子なんて寒気する!」
子供なんて死んでも無理だ。まずそこに至るまでの過程が有り得ない。想像しただけで気持ち悪くなる。
「あたしの子供には絶対にお目に掛かれないから。孫を取り上げたいなら、息子たちのお嫁さんに懸けて」
「なんでそんな酷い事言うの? 娘は瀬里ちゃんしかいないのにぃ」
稚い娘のようにホロホロと涙を流す利加香の肩を抱いて、晃が優しく宥めている。その様子をしばし眺めていた兄弟たちが、責める目で瀬里を見て来るのが居た堪れず、ふっと目を逸らした。
(………マズイ。……どうして強制家政婦の話から、子供の話になったんだっけ?)
父方の男が大多数の家系のせいで、連綿と続く女性を大事にするという家訓の中で、瀬里か利加香かとなった場合、総じて軍配は利加香に上がる。女王蜂とその候補では所詮格が違う。
完全に旗色が悪い。
あ~あ泣ぁかせた、と目で語る兄弟たちの視線が痛い。
瀬里は目をウロウロさせ、遂には顔を俯けた。
(あー…そうだ。そもそもが基樹のせいだ。基樹が京平を見合う男なんて言うからだ)
基樹をチラリと睨んで視線を落とす。それと同時に口角も下がって、へにょんと情けない顔になった。
ここは大人しく利加香を泣かせてしまった事を謝らなければ、きっと皆が納得しないと思いつつ、そうしたくない自分もいる。
(……話…摩り替えなきゃ……でも何に?)
良い案なんて思い浮かばない。
誰かが風向きを変えるような一言でもくれたなら、余計な一言でも許すだろう。そのくらい切羽詰まった気分になっていると、先刻まで健が読んでいた医学情報誌が床にパサッと落ちた。
ハッとして顔を上げ、雑誌を拾い上げる長兄を見る。何事もなかったように雑誌をローテーブルに置くのを眺めながら、あっと思う。
(……あたしの子供云々の前に、先ずはこの人からでしょ。順番から言っても)
心の中で大きく頷いた。
何時もにこにことして安心感漂う長兄の健は、男女問わず、近所でも有名なご年輩層のアイドルだったりする。これには文句なく頷く瀬里だが、それを本人に言ったら悲哀を背負い込んでブツブツ呟き出すため、鬱陶しい事この上ないのだが、今はそんな事を気にしている暇はないと頭を振る。
健の名誉のために付け加えるならば、晃に似て見た目は良い。顔面平均値は高いだろう。沢山のモデルや俳優を見て来た瀬里は、自分の審美眼には自信がある。しかし、この兄が今一モテないのは、醸し出す雰囲気が何処か所帯染みて若さがないせいだろうと、瀬里は推察する。
(まあそれと言うのも、多感な青春時代に塾と下三人の子守に明け暮れたせいなんだけどねぇ……老け込むよね、そりゃ)
とは言え生真面目な兄の事だから、何れはイクメンになるだろう。けど、そこに行くまでの過程が険しそうだ。
まじまじと見入る妹に「なんです?」と訝し気に首を傾げる長兄。瀬里はにっこりと特上の笑みを浮かべた。
徐に視線を両親に移す。
「ねえねえ。あのさ。思うんだけど、高校生のあたしに子供云々言う前に、先ずは健ちゃんじゃないの? 上が詰まってたら糸切れ凧の基樹は兎も角、康が理生ちゃんと結婚し辛いと思うのよね」
上三人の中で唯一彼女持ちの康成を引き合いに出し、「ねえ」とやんわり微笑みながら、目では “頷け” とプレッシャーを三兄に送る。
が。
「いやいや。理生子殿が高校卒業するまで後二年ありますし、今のところ問題は有りませんが?」
(そうだった!)
全く空気を読まない……読めない康成に一縷の望みを託してしまった自分を呪わしく思いつつ、瀬里は三兄の彼女が自分と同じ年だった事を今更ながらに思い出した。
瀬里と理生子が同じ年である以上、強く推すことも出来ない。
(ったく! 十コも年下の子に手を出すなんて、不届き千万よねっ!)
日舞のお家元の娘と言う、楚々とした和服の美少女を思い出す。この二人のデートは専ら着物姿と言うことまで思い出して、少々げんなりした所に唯一の弟 淳弥が「せっちゃん」とチラリ視線を促した。
釣られて視線を滑らせる。
瀬里の視線と合わせるように、一同の視線も同じ方向に移動して行く。
頭を垂れて背中を丸めた健が、脚に両腕を乗せた状態で「どうせ……」と昏く淀んだ声で呟いた。
一同がギクリとして、一斉に目を逸らす。
「先日のお見合いも、先方からお断りされましたよ。記録更新中ですが、それが何か?」
つつーっと背中に冷汗が流れる。
(先日のお見合いって何よ!? あたし聞いてないしっ)
知っていたら、こんな生々しくてデリケートな話題なんて振らなかったのに。
内心酷く焦っていた瀬里の耳元で「おい。地雷踏んでどーすんだよ」と京平が囁き、「うっさいわね。分かってるわよ」と小声で怒鳴り返した。二人がコソコソとそんな遣り取りをしていると、健の大きな溜息が聞こえた。反射的に長兄に目を向ける。
「話を戻しましょうか、お父さん」
「あ…ああ。そうですね」
気持ちを切り替えたのか、淡々とした声で言った健に、少々呆気に取られながら晃が頷く。
思いの外あっさりと齎される筈だった非難の嵐を抜けて、安心よりも却って不安が広がっていくのは何故だろう。
無表情の健と目が合って、瀬里は無意識に息を呑んだ。オドオドしながら隣の晃に視線を移す。
「かなり脱線してしまいましたね。京平くんには申し訳ない。安静にして貰うどころか、聞き分けのない娘が相手で話が進まず、気を悪くしないで欲しいのですが」
「気を悪くするなんて滅相もないです。そもそもが自分じゃ何もできない癖に文句だけは湧き水の如く出て来る親父の我儘から出た話ですし、いきなり行けと言われた瀬里の戸惑いも解ります。親父は強制的に黙らせますから」
「いやいやいや。勝明先生にそれはダメでしょう」
京平が右手をグーパーグーパーして不穏な笑みを浮かべると、蒼白になった晃が止めに掛かった。
(父よ……勝明先生以外だったら、良いのか……?)
声に出して聞いてみたいところだが、また墓穴を掘りそうなので止めた。我ながら賢明な判断だと思う。今更だが。
京平は些か不服そうに「そうですか?」と言った後で、コクコク頷く晃に「では取り敢えず保留にしておきます」とにっこり笑った。
瀬里の顔がひくりと引き攣る。肩越しに振り返った京平の瞳の奥に鈍い光を見つけ、背筋に冷たいものが流れ落ちた。
嫌な予感がする。
そもそも京平と居て、良い予感などした事ないのだが。
不意に伸ばされた京平の指先が頬に触れようとした刹那、瀬里は身を反らして躱す。京平は苦笑を浮かべ、その手を戻した。
「……今回の件は、俺の咄嗟の判断ミスで怪我した俺の責任で、瀬里には何の落ち度もない。瀬里が無事だっただけで、俺は充分満足だから」
本当に良かった、と京平は安堵の笑みを浮かべた。
それはきっと本心だろう。けど、それだけじゃない何かも感じる。
京平に限ってそんな殊勝な玉じゃないと断言できる。
「何企んでるの?」
「企む? 別に企んでないぞ」
「胡散臭い」
「胡散臭いって失敬だな」
「失敬って柄か」
「まあまあまあ。二人とも」
エスカレートして行きそうな空気を感じ取った力が、気の良いおっさん上司の様な口振りで仲裁に入って来た。邪魔された瀬里がギンッと睨むと、口元を引き攣らせながら、それでも負けじと口を開く。
「遅かれ早かれ、どの道瀬里には他の選択肢はないぞ?」
「どーゆーこと?」
上目遣いで力を睨み据えた。
項の辺りがザワザワする。
先を聞いてはいけないと危惧する不確かな不安と、先を聞かずにはいられない焦燥感。
そんな瀬里の心情などお構いなしに、力は「言ってもいい?」と晃に了承を求めた。父が苦り切った顔で「私から言うよ」と答え、力は「だってさ」と再び瀬里に目線を合わせて来た。
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