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【番外編 2】そんなこと言われたって。

そんなこと言われたって。⑫

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 首に掛けたアームリーダー代わりのタオルを微調整する葵は、少し後ろに身を引いて美佳の顔を覗き込んだ。

「あたしが言うのもなんだけど、癖になると厄介だから、ちゃんと病院に行ってよ?」
「嫌がっても俺が引っ張ってく」

 心底申し訳なさそうに言った葵に、後ろから抱きついたままの優が美佳の右手首を取り、顔の辺りでブンブン振った。果たしてこれに何の意味があるのか分からないが、やらせておく。

「多分、全治三ヶ月ってとこかしら。最低でも一ヶ月は安静よ」
「はあッ!? 一ヶ月もッ!?」

 素っ頓狂な声を上げ、優は何とも言い難い顔で左肩を眺めると、深いため息を吐いた。みんなが怪訝そうに優を見、葵が僅かに眉を寄せて口を開く。

「何よ。優には問題ないでしょ」
「問題大有りだろ!! セックスに支障が出るじゃないかッ!」

 しーんと静まり返った。
 然も当然の如く言い切った優の腕の中で、瞠目したまま美佳が硬直している。
 何言ってんだコイツ、と言わんばかりの目が優に注がれても、本人は全く気にしてないようで、尚も怒りを吐き出した。

「お前等ぜってー赦さないからなッ!!」

 美佳の手で女子たちを指す。優が怒りに任せて手を振り回せば、美佳が彼の腕の中でかっくんかっくんと揺さぶられ、彼女のこめかみに青筋が浮かんでくる。
 一応、怪我人だって事を忘れてやしないだろうか?
 優が彼女たちを赦さない云々の前に、美佳の方が先にキレそうだ。 

 射殺さんばかりの優の眼差しに竦み上がり、呪詛でも吐かれたかのような顔色の女子たちがガタガタ震え、その場にへたり込んだ者もいる。

 優に振り回された怒りが先に立ち、遅れてやってきてじわじわと浸透した、先程の優のロクデナシな発言を咀嚼しながら、俯いた美佳の肩が小刻みに震える。気付いた優が「痛いのか?」と心配気に彼女の顔を覗き込めば、美佳はジロリと睨み据えた。
 心配そうな優を見れば見るほど、気遣う言葉とは裏腹な、腰をさわさわと撫で回している手の動きに腹が立ち、その手の甲を抓った。

「痛い」

 とは言ってもあまり痛そうに見えない。
 抓ったままで優を上目遣いに睨むと、彼は僅かに眉を寄せた。

「なんで抓る?」
「怪しい動きしてるから」

 美佳は向き合うように座り直し、意地でも腰から離れない手をぱしぱし叩く。

「ここは学校で、あたしは怪我人です。自制して下さい」

 放っといたら優は間違いなくやりたい放題になる。
 言った傍から美佳は腰をぐいっと引き寄せられ、瞬間、爆ぜた。
 優の胸元に倒れ込む直前で渾身の力をふり絞って後ろに反り返り、右腕が優の胸で突っ張った。優がその手を退けようとするのを目にしながら、

「あたしの怪我より、自分の下半身事情の方が重要ッ!?」

 言い終わるや否や美佳の手が優から離れた。勢いのまま胸に倒れ込むものだと誰もが疑わなかったその時、美佳が膝を立ち上げ、覗き込んでいた優の額にヘッドパッドを見舞った。



 ゴッッッ……。

 重く鈍い音がした。
 愕然と視線が注がれる中、優は額を押さえて仰け反りながら呻き声をあげ、涙目の美佳は「ったぁ」と額を撫でさする。

 何が起こったのか見えていたのに理解できないでいる、周囲の茫然と揺れる眼差し。
 この学校で優の見目麗しい顔面に、恐れ多くも頭突きするような強者は美佳くらいのものだろう。
 我に返った女子たちが、優の額を心配する声を上げた。

(その前に、あたしを心配する声、あげようよ…?)

 絶対的に怪我の重度は美佳が上なのに、捨て置かれてる感がするのは何故だろう?
 涙目の優が赤くなった額を擦り、同じく涙目で額を擦る美佳を睨んだ。

「…ンのぉ石頭がッ!」
「向こう一か月、エッチなし!」
「………え? なんで?」
「何でじゃない。そもそも優が原因! あんたが奔放で無節操だから悪いの!」

 美佳にビシッと言い切られ、その迫力に優は固唾を飲んでじっと美佳を見る。それからゆっくり葵を見、一塊になって様子を窺っている女子を見た。
 背後でニヤニヤしている田端は当てにならないと、すぐに見切りをつけて美佳に目を戻した。

「やだ」
「やだじゃない。もお決定だから」
「了承してない」
「優の了承は要らないから。あたし怪我人」

 ぷいっと美佳がそっぽを向けば、腰を抱き寄せて「やだ」を連呼する優は最早駄々っ子以外の何者でもない。
 美佳にべったりなのは、ようやく見慣れた光景となったが、グデグデに甘ったれて、素気無い美佳に必死にお願いする姿は、目の錯覚と幻聴だろうか?
 目の前で繰り広げられている光景を言葉もなく眺めている。

「これ、通常運転だからね」

 葵も含めた女子たちを見回しつつ、目を点にして見入っている彼女らにそう言ったのは田端だった。

   

 保健室できちんと応急処置をして貰った。
 養護教員が言うには、脱臼してから早い整復は大事だそうだ。時間が経てばそれだけ周囲の筋肉や靭帯等に負担を掛ける。それを踏まえた上で葵の対処は的確だったと褒めていた。

 学校指定の整形外科へ行った帰り道、ずっと気になった事を葵に訊いてみた。

「い…伊藤さん。脱臼の治し方なんて、何処で覚えたの?」
「空手道場。あとハイスクールでチアにも居たから、脱臼はしょっちゅうよ」  

 やはり体育会系だったか、と美佳は思わず苦い笑いを浮かべる。
 葵の筋力は伊達じゃなかった。聞いてみれば “チア” と言ってもダンスとアクロバティックなリーディングがあるらしくて、葵は後者だそうだ。身体能力は勿論、容姿や成績など厳しいオーディションを勝ち残らなければならず、入るのも大変らしい。ただし入ったら羨望の的で、かなりモテるそうだ。

 葵がやたら自分に自信ある理由が分かった。
 そんな人に迫られて、優が靡かないのが不思議でしょうがない。以前の優なら間違いなく、彼女の誘いに乗っていただろうに。
 これまで彼にかけられた迷惑を振り返れば、何事もないのが却って怖くすら感じてしまうのは、危ない傾向だろうか?

(勿体ない事したとか思わないのかな…?)

 でも本当に手を出されたら、困ったことになるのは美佳である。

(…あ……そっか。えっち出来ないもんね。あたしとしか)

 出来ないことはないけど、もしやったら今度こそただじゃ置かない。
 肩越しに振り返って優をマジマジと見れば、彼はぐっと眉を寄せて美佳を見返してきた。

「お前いま不愉快なこと考えただろ?」
「不愉快? 全然…? チラッと絹いい仕事してるなあ、とは思ったけど」

 にっこり笑えば、背後で田端が吹き出した。優が剣呑な眼差しを向ける。

「た~ば~た~っ!」
「絹がいい仕事してるのは事実だろ? でなきゃ安西、糸の切れた凧じゃん」

 美佳とセックスが出来ないとなったら、他で済ますだろうと言外に言っている。これも偏にこれまでの素行の悪さがものを言っているわけだが、優は納得してないらしい。
 不貞腐れた優を愉快そうに笑う田端が、優の肩に腕を回して「だろ?」と顔を覗き込んだ。

「何だよ二人して。最近大人しいだろ」
「そりゃ速攻でバレるから仕方なくだろ?」
「な訳あるかッ!」
「お前まだまだ信用ないだろ。何せ惣からの筋金入りだしな」
「これ以上同じ轍は踏まない」
「ホントかよ。わらし、信じる?」

 少し前屈みになって、優の向こう隣の美佳を見た田端は、ニヤニヤと横目に優を伺いながら笑っている。美佳もチラリと優を見遣って肩を竦めた。

「……びみょ~」

 何とも言い難い、と顔に書いて美佳がしかめっ面になると、田端は「ほらな」とゲラゲラ笑いだした。
 無意識の行動だったとは言え、同じ轍を踏みかけていた優の言葉は、やはり直ぐ信用するに至らないと結果が出て、彼は深々と溜息を吐く。すると美佳の隣で黙って聞いていた葵が三人の前に立ち塞がった。

「ちょっと。あたしだけ分からない話しないでくれない?」

 三人の顔を見回しながら眉を寄せて睨んでいる。その様子に三人がしばらく顔を見合わせると、葵は不満をありありと浮かべ、一番陥落しやすそうな美佳に眼を留めた。

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